「う、うわああああああああああ!!」
その叫び声を上げたのは岡村であった。彼は目の前の
黒きモノがさらに肥大化し、こちらに触手を伸ばしたのを見てパニックを起していた。小銃を向け発砲するが、その神に何発銃弾を撃ち込んでも手ごたえはなく、その黒い触手に吸収されているようであった。
「やめたまえ岡村くん。そんなものは無駄だ」
山座は冷静にそう言っているが、高橋も岡村ももはや混乱しており、自分たちを取り囲む化物の触手から逃れようと走り出した。
だが黒きその神は走り出した岡村と高橋に触手を伸ばして言った。無数の太い触手は彼らを包み、強く握り締めていく。
「ひいいい! た、助けてください中尉いいいいいい!!」
二人の叫び声も虚しく、彼らの胴体は千切れ飛び、部屋の中に四散する。内臓と血がシャワーのように山座の顔に降り注いだ。触手から直接捕食をしているようで、残った肉片は神の身体に吸収されていく。
「岡村! 高橋!!」
彼らの最後を見た白之は悲痛に二人の名を叫ぶが、もう跡形も残らず砕け散ってしまった。怒りに顔を歪め、白之は本宮を睨む。
「おい本宮! お前はこれでいいのか。見ろ、やはりあんなのは人間が制御できる物じゃないんだ。仲間まで見殺しにして、お前たちは何を望むんだ」
「黙れ……ここまでは予定の範囲内だ。あんな役立たずたちは死んで当然だ」
本宮は銃身の先で白之の頭を小突いた。それを見て返り血を浴びた山座がにやりと笑っている。
「キミこそ何が不満なんだい千石少尉。キミは言っただろう“国のために戦っている”と。ならば利害は一致しているじゃないか。戦争に犠牲はつきものだ。彼らは戦死したのだよ、国のためにね。くくくく」
「ふざけやがって山座。姫子もあの化物に飲まれちまった。俺はお前たちを許さねえぞ」
「許されなくて結構だよ。さあ、神那岐嬢よ。僕の声が届いているかい? 神の力があればこの遺跡そのものを制御することができる。この遺跡を使えばどこにでも移動できるんだ。さあ、今すぐ敵国の中心に移動するんだ。奴らの国を丸ごと滅ぼしてやろう」
山座がその黒い塊に話しかけるが、反応は無い。
どうやら姫子は完全に乗っ取られてしまったようで、制御をすることなど不可能であった。
「おやおやおや。これはまずいな。まさか神那岐一族の力をもってしても御することは不可能なのか」
山座は少し後ずさりをする。恐らくここまでの暴走は彼にとっても予想外であったのだろう。だが黒き神は膨張を続け、天井に届くまでにその巨体は膨れ上がっていった。
「中尉。危険です……離れて下さい……」
本宮が山座にそう呼びかけるが、山座がそこから逃れる前に黒き神は触手を彼に伸ばしていく。ここに大量に散らばる死体たちと同じように、山座もまた捕食の対象になっているようであった。
「ふふふ、なんて強大な力なんだ……素晴らしい……!」
山座はその神の力に恍惚とした表情をしており、我を忘れているようであった。
「中尉! 正気を取り戻してください!!」
本宮は山座に伸びる触手に小銃を構え発砲した。触手に銃弾は無意味であったが、山座の気付けにするためであった。それが功を奏し、山座はそこから飛び逃げる。
だが、本宮が銃口をよそに向けるのを白之は見逃さなかった。
白之は撃たれて痛む腿を押さえながらその場から駆け出した。途中、高橋の死体から飛び散った時に落ちてきたであろう拳銃が目に入る。彼はそれを手にして大きな瓦礫などの後ろに隠れた。
「――しまった、 千石ううううう!!」
本宮が気づいた時にはもう遅く、彼は隠れてしまい、そちらに小銃を向けても無意味であった。「ちっ」と舌打ちし均衡状態が続く。本宮は触手の脅威に晒されつつ、そちらに気を回せば白之に撃たれるという状況になってしまった。立場が逆転したのだ。
だが本宮に対して優勢になった白之であったが、それでも今のこの状況下ではほんとど意味などないことを悟っていた。たとえ本宮を倒しても、あの化物を倒す術はない。もしまだ姫子が取り込まれただけで生きているのなら助けなければならない。逃げるわけにはいかないのだ。
そうしている内にも触手は彼ら三人を狙って蠢いている。
山座は石柱の陰に隠れなんとか難を逃れている。
だが、突然その触手が痙攣したように震え、ピンっと一瞬張り詰めたと思うと、溶け始めた。一体何が起こったのか三人は理解できない。
液状になったその黒き神は遺跡の床に溶け込んでいく。
「中尉、どうなってるんですか。何が起こったんですか」
「わからない。だが、また眠りについたわけではないだろう。見ろ、どんどん遺跡全体が黒く染まっていく」
もともと暗かった遺跡内であったが、その神が遺跡と同化し始め、完全な闇が訪れた。そのはずなのに彼らはお互いの姿だけはよく見えた。
白之もそれに驚いた。岩陰に隠れているのに、丸見えになっているのだ。だが、岩自体は確かにそこに存在するようで、堅い物が背に当たる。あくまで視覚的に見えているだけのようであった。
「どうなってやがる……」
白之はその暗黒空間を眺める。すると、その空間に無数の目玉が一斉に目を開いた。やはりこの黒い空間はあの神と同化したらしいことを白之は認識した。
「山座、これはなんなんだ。何が起きるんだ」
「僕にもわからないと言っているだろう千石少尉。だが、これは神那岐嬢が何らかの干渉を神に行なっているということだろう」
「つまり姫子はまだ生きてるんだな?」
「ああ、彼女が少しでも抑えているから我々はまだ生きていられるのだろう。くくく」
こんな危機的状況だというのに、山座はまた笑っていた。彼にとってこの状況は新たな情報収集でしかないのだろう。自分の命すらも勘定にいれてはいないようだ。
その直後大きな揺れがこの遺跡全体に起こった。凄まじい揺れで、彼らは立つこともできずにへたりこんでしまう。
そして轟音と共に、今度は逆に凄まじい光が彼らの視界を塞いだ。
「な、なんだ今度は!!」
眩しさに目を閉じ、光りの強さが収まってくると彼らはゆっくりと目を開けた。そこはまた先ほどと同じ遺跡の空間が広がっていた。だが、揺れで壁や天井が崩れたのか、外の光がこの空間に漏れていたのだ。
だが、彼らは気づく。それがありえないことに。
ここは山の中に存在する地下遺跡。外の光が届くことなんてありえないことであった。
山座はその崩れた壁に向かう。すると、そこから見た光景は壮観なものであった。
そこからは青い空と、下を見ると自分たちが先ほどまでいた山が見渡せた。どうやらこの遺跡は空中に浮いているようであった。
「そうか、神那岐嬢はついにこの黒き神の制御に成功したのか。どうやら彼女はあの遺跡内部からこの空中までこの遺跡全部を空間転移させたようだ。これは素晴らしい! このまま敵国へ突き進むんだ!!」
山座が歓喜に身体を震わせ、どこかにいるはずの姫子にそう呼びかけた。
『無理よ。もう私がこれを抑えるのは限界なの。もう遺跡全体が飲まれているわ。このままでは世界そのものを滅ぼしかねない』
そう姫子の消え入りそうな声が聞こえた。その言葉に山座は少しだけ開いた壁から身を乗り出し遺跡を確認する。
遺跡と神が同化しているようで、遺跡の外観は触手に侵食され所々有機的な物体に変換されている。それがさらに不気味さを増加させ、西洋の城のような遺跡が空中を浮いているというのは酷く非現実的である。
「どうするんだ姫子。なんとかならないか」
白之は遺跡と神と一体化している姫子にそう尋ねた。姿は見えないが声は届くはずだ。
『この神の力が時空を操るのなら、この遺跡そのものを未来に飛ばすの』
「そ、そんなことが出来るのか?」
『最後の力を振り絞って制御すれば出来るわ。もう力の限界が来ているからそんなに遠い未来には飛ばせないけど。百年以内なら飛ばすことはできるよ。少なくとも今、この脅威を消し去るにはそれしかない』
「だが、それじゃ未来に被害が……!」
「千石少尉。そんなことを言っている場合じゃないだろう。今、この瞬間の危機を回避しなければ未来などないのだよ」
山座はにたにたと笑いながらそう言った。その言葉にかちんと来たが、今怒って岩陰から飛び出せば本宮に狙い撃ちされるだけであろう。
「なあ姫子。この遺跡を未来へ飛ばして、お前はどうなる。お前はこっちに戻ってこられるのか?」
『それは、多分無理』
「そんな、それ以外に方法は無いのか。こんなこと全部あの山座と軍の責任じゃないか。お前がそんな犠牲になることなんて無いんだ」
『でも、もうどうしようもないよ。私はもうこの化物と同化してしまいそう。いつまた暴走を始めるかわからないの』
「そんな……」
「いいじゃないか千石少尉。神那岐嬢の言うとおりにしよう。そうすれば我々は助かるのだ。さすがに制御できないとなればこの国そのものの存続も危ぶまれるからね」
「山座ぁ……てめえ」
「さあ神那岐嬢。この黒き神を未来へと移動させてくれたまえ。我々はその間にここから抜け出すよ」
「バカか山座。ここは空中に浮いているんだろう。どうやってここから脱出する。飛び降りれば死ぬだけだぞ」
そのもっともな問いかけに、山座はにやりと笑った。
「問題はない。なあ本宮軍曹」
その言葉に本宮はこくりと頷く。不思議に思った白之は少しだけ岩陰から顔を出した。すると、本宮の身体に異変が起こり始めたのであった。
本宮の背中が奇形のように膨張し、軍服が破れ、その背から巨大な羽が生えてきたのである。その羽根は純白で、まるで天使のようであった。
「本宮、お前……」
「そうだ、彼もまたキミや神那岐嬢と同じように特別な力を持っている。彼は自由自在に空を飛ぶことが出来るのだ。キミは鉄の翼が無ければ飛べないだろう」
山座は本宮に掴まり、壁の穴に近づく。ここからすぐにでも脱出しようというのだ。
「さあキミもこちらに来たまえ。キミの力が我々には必要なのだ」
「千石少尉。あなたも死にたくはないでしょう。銃を捨ててこちらに来てください。俺の力なら二人を担いでも飛行可能です。さあ」
「……」
白之は黙ってしまう。
このまま姫子を見捨てて逃げ出していいのか。それで自分は納得できるのか。
『行って、シロ』
そう小さく姫子の声が聞こえた。
『このままここに残っても、シロも取り込まれちゃうだけだから。そうなったら何の意味も無いよ』
「姫子……」
白之は自分の無力さに苛立ち、銃をその場に投げ捨てた。
「姫子! 俺はお前を絶対助けてやる。必ずだ。何か方法があるはずなんだ!!」
『うん……ありがとう。私、きっとシロが助けてくれるって信じてるよ』
「当たり前だ。俺は、俺は日本男児だ。約束は守る」
白之はほんのちょっと前にあっただけのこの少女に強い思いを感じていた。幼く、小さいのにこの国の理不尽な争いに巻き込まれ、こんな事態になってしまった。
遺跡と黒き神と融合して、もはや彼女の精神は消える寸前である。
今の自分では彼女を助ける術はないと理解した白之は、その場から去る決意をした。
「山座、お前も約束しろ。お前も彼女を助けることに協力するんだ」
「……ふふふ。構わないよ。僕もあの神をこのまま手放したくはないからね」
白之はその言葉を信じ、本宮の下に向かい、彼の身体に掴まった。
「姫子、待ってろよ……」
そのまま本宮は二メートルほどの巨大な翼を広げ、空へと飛び出した。強烈な風が吹き、そのままバランスを保ちながら落ちるように飛んでいく。空に浮く遺跡から離れたところで、その遺跡の周りは強烈な空間の歪みが発生した。
そして激しい光と共にその巨大な遺跡は一瞬にして姿を消してしまったのであった。どうやら未来へと送り込まれたらしい。あれほどの質量が一瞬にして空間転移するということは相当なエネルギーを持っているのだろう。もしあの黒き神が暴走し、世界に牙を向いていたら大変なことになっていたかもしれない。
本宮はそのまま彼らがいた洞窟の簡易拠点まで降りていった。
だが、白之はそこの異変に気付いた。その洞窟に小隊ほどの数のの軍人たちが待機していたのであった。
「お、おい山座。どういうことだ」
「……ふふふ。僕が彼らを呼んでおいたのさ。彼らは僕の忠実な部下さ」
地上に降り、本宮は羽を畳んで、山座と共にその軍人たちの下へと駆けていった。
彼らは山座を見ると敬礼し、歓迎しているようであった。
「山座中尉。命令どおり待機しておりました」
「そうかご苦労。キミらも見ていただろう。あの遺跡は消滅してしまった。任務は失敗だ」
そう告げた山座の顔はまったく無表情であった。任務の失敗など気にも留めていないようである。
「それで、どうしますか中尉」
「ああ、仕方ない。こうなったら後はこうするしかないな」
山座はばっと手を挙げ、白之の方を向いた。
「千石白之少尉には死んでもらう」
その瞬間、その軍人たちは一斉に銃を白之に向け、その銃口が火を噴いた。
突然の行動に白之は咄嗟に動けず蜂の巣にされてしまう。何十発もの弾丸が彼の身体をボロ雑巾のように蹂躙していく。だが、不思議なことに心臓や頭には当たることがなかった。兵士たちはわざとそこからずらして撃っているようであった。
力尽きた白之は大量の血を流しながらその場に突っ伏した。
山座はさっと手を挙げ、今度は兵士たちの銃を伏せさせた。
「十分だろう」
そう言いながら山座は彼の下まで近づいてきた。
「山座……お前なんで……?」
彼には理解できなかった。わざわざ遺跡から助け出しておいて、自分をこうして始末しようとしているのかを。だが山座はにやにやと笑い、こう言った。
「こうするためにキミをあそこから連れてきたんだよ千石少尉。神を失った今、僕の興味はキミにしかない。キミが死ねばキミの異能の力の研究をすることができる。異能者を貴重だと贔屓している頭の堅い上の連中も死体相手ならば許可を出すだろう。だけど安心して欲しい。キミを殺しはしないさ。キミには少しの間眠ってもらうだけ、僕はキミが大好きなんだ。きっと大事にするよ。くくくくく。神那岐嬢のことは諦めたまえ、キミはこの国のために尽くすんだよ。ふふふ」
白之は失われつつある意識の中で、悪魔のように笑う山座を睨みつけた。
最後の力を振り絞り、全力で叫んだ。
「山座あああああああああああ! お前は絶対に許さない。殺す、絶対に殺してやる!」
「それは楽しみだ千石少尉。僕を殺してくれよ、ずっと、ずっと待っているよ。ははははははは!!」
白之は意識を失うまで、ただ姫子のことを考えていた。
自分が死んだら彼女はどうなる。必ず助けると約束したばかりなのに、と。
そして彼の世界は暗黒に包まれた。