ぼくは開かれた扉の中に足を伸ばす。足を踏み出すと、足の感触は土ではなくコンクリートか何かに変った。どうやら人工的な所みたいだ。しかし真っ暗だ、と思っていると、センサーか何かが反応したのかいきなり全ての電灯が点く。
眩しさにぼくは一瞬怯みながら、ゆっくりと目を開けると、そこは奇妙な光景が広がっていた。
そこはまるで研究所のようであった。
見たこともないような機材や標本が無造作に置かれ、何かの研究レポートのような紙があちこちに散らばっている。そこに書かれている言葉はほとんど理解できない。どうやら暗号化されているみたいだ。
もしかして、ここは父さんの研究室なのか。父さんが都心の研究施設にスカウトされる前から何かを研究していたとは聞いていたが、こんな地下研究所を父さんは持っていたのか。一体ここは何の研究をしていたんだろうか。まるで人の目を避けるようなこんなところで何を。
ぼくは不気味で無機質な空間を奥に進んでいく。しばらく歩くとすぐに行き止まりに行き着いた。研究所内は以外と狭く、機材だけがあって、特に怪しいものはないな、と思っていた矢先にぼくはそこにありえないものを見た。
ぼくは自分の目を疑り、目をこする。だがそれでもそれは消えない。
そこには一人の女の子が座っていた。
綺麗な顔をした女の子が、目を瞑って妙な装置のような機械のイスに腰を下ろしたままぴくりとも動かない。
ぼくは頭がおかしくなったかと思った。ありえない。こんなところに女の子がいるわけがない。もし父さんがいなくなってからずっとここにいるとしたらそれは死体だ。あるいは幽霊だろう。どっちも嫌だな。
ぼくは現実から目を逸らしたかったが、恐怖を殺し彼女に視線を送る。
その女の子はいくつくらいだろうか、ぼくより少し上くらいに見える。髪の毛はまるで色素の無いように真っ白で、肩まで伸びている。その髪の色にも驚いたが、何よりも奇妙なのはその服装だった。
恐怖を通り越してぼくは変な笑いがこみ上げてくる。
その女の子はまるで昔のSF小説に出てくるような、そう、陳腐な言い回しが許されるのなら宇宙人のようなと言うべきだろう、ぴったりと肌にはりついた白色のスーツを着ていた。身体のラインがはっきりとわかり、ぼくは少し照れてしまう。スタイルがよく、郁美のような幼児体系よりも魅力的でその顔の美しさも相まってとても綺麗に見えた。頭にはまるでウサギの耳のような妙な機械がついていて、余計に滑稽に見える。
「なんだよこれコスプレ……? 死体が? 冗談だろ」
しかし、もしこれが死体ならとっくに腐って白骨化していてもいいだろう。だがそうじゃない。もしかしたら特殊な防腐処理でもされているのだろうか。そう思いぼくは恐る恐るその女の子の頬に触れてみる。
氷のように冷たい。だが、とても柔らかい。そのままぼくは指をなぞり身体の方へ伸ばしていく。胸やお腹や腕や足に触れると、顔と同じで柔らかい部分もあるが、所々まるで鉄で出来ているような硬い感触を感じた。
「これは、人形?」
死体でも幽霊でもなく精密な人形なのだろうか。いや、機械で出来ているというのならこれはロボットかもしれない。父さんはこの研究所で女の子のロボットを造っていたのか。母さんを放ったらかしにして、こんな玩具を作っていたのか。
そう思うとぼくは一気に馬鹿馬鹿しくなり緊張が緩んでその場に座り込んでしまう。
「はははは。父さん。あんたバカかよ……。こんなもん息子に見せてどうしろっていうんだ」
父さんはぼくにここの鍵を渡して何をしたかったんだろう。このロボットを世間に晒せってことなのか。冗談じゃない。今平穏な生活をしているのに、そんなことをしたら慌しくなるだけだ。それに母さんだってこんなロボットの存在を知ったら気味悪がるだろう。このことはぼくの心にだけ仕舞っておくほうがいいかもしれない。この鍵も帰りに閉めたら海に捨ててしまおう。それがいい。それでいいんだ。
ぼくはこの馬鹿げた空間から逃げるようにそのまま出入り口へ向かって歩く。
その途中、ぼくは父さんの研究デスクに目が行った。乱雑にノート類が散らばっている上で、ぼくはあるものが置いてあるのを見た。
それは母さんの写真だった。
今よりずっと若い。きっとぼくたちを生む前の姿だろう。とても綺麗だ。
ぼくはそれを見てなんとも言えない気持ちになった。父さんは何を考えてここにいたんだろう。母さんを本当に愛していたのか、そうじゃないのか、それすらもわからなくなってくる。
そして、その写真の下に一枚の紙がおいてあるのに気づいた。こんなに乱雑にノートやコピー紙が散らばっているので、母さんの写真がなければぼくはそれに気づかなかっただろう。ぼくはその紙を手にとって読む。
『和葉、お前がこれを読んでいるということは恐らく私はお前たちの前から姿を消しているだろう。この部屋でこの手紙を読んでいるのならあの髪の白い少女をお前は見たはずだ。あれは対四次元
ラルヴァ用虚無空間移動装置、通称“星視機《スターゲイザー》”。その零号機のアバターだ。彼女をお前に託す。お前が世界を護るんだ。お前は私の息子だ。出来ないことなど何も無い』
そう書かれていた。
ぼくはその手紙をくしゃくしゃに丸めて思い切り投げ捨てる。
ふざけるのもいい加減にしろ。ぼくは腹の底から怒りが湧いてくるのを感じた。意味がわからない。まるでこんなのは妄想の産物じゃないか。こんなのは子供の空想だ。世界を救う? あの女の子のロボットで? 馬鹿げている。大体書かれていることのほとんどが理解できない単語だ。父さんは頭がおかしかったのか。研究者というのは嘘で、ここに異常者として隔離されていたんじゃないか、そう思ったほうがどれだけましだろうか。
だが、ぼくはふと疑問を抱いた。
この研究所は恐らくぼくたちが生まれる前に父さんが使っていたものだ。
なのに、なぜだ。なぜぼくがここに来ることを前提にあの手紙はここにあったんだ。ぼくが生まれた頃にはもう父さんは都心の研究施設に移動していたはずだ。ならこの研究所に訪れる暇なんかなかったはずだ。それとも何度か帰郷したときに書いておいたのか。それでもおかしい。
まるで、まるでこれじゃあ未来を予知していたみたいじゃないか。
あの鍵といい、父さんは何者なんだ。一体何故ぼくがこの場所に訪れることを知っていた。まるでそれじゃあ神様だ。何かが狂っている。ぼくの知っている常識が崩れていく。
ぼくは考えるのをやめた。
全て見なかったことにする。ここにいたら頭がおかしくなる。父さんのことを理解しようとするほうが無謀なんだ。
ぼくは早歩きで扉を出て、鍵を閉め、穴から出る。そいて再び社の中に戻る。
相変わらず暗い、だがこのホコリだらけの空気が懐かしく感じるほどだった。ここが現実だ。あそこはきっと地獄への入り口だったんだろう。全部夢だ。忘れよう。
「ねーカズ兄! 本当に大丈夫なのう!?」
郁美が痺れを切らして社の扉から顔を覗かせていた。その顔はやはり心配そうに歪んでいた。ぼくはすぐに郁美のこと頃までいき、
「大丈夫だよ。何にも無い。何にも無かった」
そう言って郁美の頭を撫でてやる。すると郁美は少し涙目になりながらぼくの顔を見上げていた。
「もう、だって全然帰ってこないんだもん。カズ兄に何かあったら私……」
「悪かったよ郁美。そんな泣くなって。別にただ穴が開いてたから珍しくて見てただけさ」
そうだ。これがぼくの現実だ。
郁美がいて、母さんがいて。いやなクラスメイトたちがいて。無関心な島民たちがいて、それでぼくの世界は廻っている。
ここを抜け出したいと願っても、たとえ抜け出たとしても、その先にあるのが楽園と限らないのならぼくはこのままずっとここにいるべきなのだろうか。
深く考えるのは今はやめよう。
ぼくは郁美の頭を抱きながら、ここから見える景色に目を向ける。相変わらずここからは平穏な住民の暮らしがよく見える――はずだった。
「あれ……?」
ぼくはその目の前の光景に目を疑った。
止まっている。
何もかもが。
畑で働いているおじいさんはクワを途中で振り下ろしたままで止まっているし、車も自転車も走行していたはずなのに全て停止している。犬も猫も、空を飛んでいる鳥たちまでも静止している。
それどころか木々も風に揺らめいたまま止まり、舞っている葉も空中で停止している。
これは、これはまるでビデオの一時停止を見ているようだ。
「お、おい郁美! どうなって――」
ぼくに寄り添っている郁美を見ると、郁美もまたまるでマネキンのように身体を硬直させて止まっている。
なんだこれは、時が止まっているのか? ありえない。こんなのは夢だ。一体何が起きているんだ。異常だ。狂っている。
父さんだ。あの研究所から何かがおかしくなっているんだ。全部父さんのせいだ。くそ、こんなのはまるでデタラメだ。
そんな絶望と混乱の中にいるぼくを、さらなる絶望と混乱に導くものを空高くに発見した。発見したくなかったよこんな物。
こんなことを言ったら、ぼくの頭がおかしくなったと思われるだろう。
いや、ぼくの頭がおかしくなっているというのなら、そのほうが救いだ。こんなの、デタラメを通り越して漫画だ。乾いた笑いが出てくる。
そう、島の上空に超巨大なテトラポッドが浮いていたのだ。
テトラポッド。テトラポッドは商標登録されている名で、本来は消波ブロックという。海岸などの護岸が目的の構造物だ。四本の突起物で構成されているコンクリートの物質だ。元々テトラポッドはギリシャ語で『四本足』を意味するものらしい。ぼくたちのような海に馴染み深い島民などは言わなくても知っているだろう。とりあえずテトラポッドという名のほうが普及しているからぼくもそう呼ばせてもらうことにする。
こうしてぼくがどうでもいい薀蓄を垂れているのはそれだけ混乱しているということを理解して欲しい。こんなのを見たら誰だってそうなる。ぼくを責めるのはやめてくれ。
空中に浮いている、島の四分の一ほどの大きさのテトラポッド。それはテトラポッドのような、でもなく、テトラポッドっぽい、でもなく、灰色のテトラポッドそのものの造形をしていた。
「ははは、嘘だろ……」
巨大テトラポッドはゆっくり、くるくると横に回転している。まるで何かを探しているようにも見えた。見えただけだ、どこに目があるかすらわからないんだから。というかこれは何なんだ、生きているのか、それとも機械か。理解しようとするだけ無駄に思えるが、ぼくに出来ることは考えることだけだった。
それとも逃げるか。郁美を置いて? どこに? 出来るわけがない。
そもそもあれが害のあるものとは限らない。もしかしたら――
「あっ」
ぼくがそんな能天気なことを考えていると、テトラポッドは動きをぴたりと止めた。なんだろうとぼんやり見上げていると、その四方の突起物の先端が光り始めた。その突起の先端に光の粒子が集まってエネルギーを収束させているように見えた。
そして、その光の粒子が凝固した瞬間、一斉に四つの突起から光のエネルギー体が放射された。
「うわあああ!」
ぼくはあまりの眩しさに腕で目を覆う。光の勢いが薄れた後、目を少し開けると、一瞬遅れて、島のいたるところが大きく爆発した。爆風がぼくのいる高台まで届き、ぼくは思い切り吹き飛んでしまう。ごろごろと地面を転がるが、それでも郁美などはその影響を受けていないようにぴくりとも動かない。
「あのテトラポッド――レーザービームを撃ったのか! 馬鹿げてる……!」
レーザービーム。なんて陳腐な響きだ。自分で言ってて恥ずかしくなってくる。だがそう称するのが一番的確だろう。そのテトラポッドが同時に放った四発のビームは島の大半を吹き飛ばしていたのだ。山は崩れ、町は瓦礫と化し、畑は根こそぎひっくり返っていた。
ぼくが呆然と膝を落とし、がっくりとうなだれていると、今度は耳をつんざくような轟音が辺り一帯になり響いた。
「な、なんの音だよ今度は!」
ぼくの叫びもかき消される。耳を両手で塞いでもそれでも塞ぎきれないほどの轟音。その音が段々近づいているようだった。
「うるさーい!」
そう思わず叫んで、上を見上げた瞬間、ぼくの真上をとあるものが超高速で通り過ぎるのを見た。
それは戦闘機だった。少なくとも見た目だけはそう呼べるものだろう。
その戦闘機はすぐにぼくから遠ざかり、凄まじいスピードで旋回しているため、ほとんど知覚できない。だけどあの流線形のフォルムは間違いなく映画などで見るような戦闘機のそれである。実物を見たことがあるわけがないので、自信は無いけど。
その黒い戦闘機はまるで流れ星のように軌跡を残して飛んでいく。
何かと戦うために戦闘機は存在する。ならあの戦闘機は何と戦う? 決まっている、きっとあのテトラポッドに違いない。しかしあの中に乗っているのは本当に人間だろうか。もしあの中に宇宙人が乗っていたとしても今さらぼくは驚かないが。
ぼくは必死にテトラポッドの周りを飛び回る戦闘機を目で追う。
戦闘機が一瞬チカッと光ったかと思うと、テトラポッドの表面が爆発を起した。だがそれでもテトラポッドは微塵も動じていないようだった。それでも戦闘機はチカッチカッと連続で光を放ち、テトラポッドに攻撃を仕掛けている。どうやらあの戦闘機もビーム兵器のようなものを持っているようだ。だが威力は対したこと無いのか、それともテトラポッドがそれだけ堅いのかわからないが、やはり攻撃はさほど効果的ではないみたいだ。
しかし日本の自衛隊にあんな戦闘機があるのだろうか。そもそもあのテトラポッドはなんなんだ。宇宙からの侵略者? 未知との遭遇がこの日本のこの島で? そんなバカな、だけどもうそんな風にバカに出来ないような気がする。戦闘機が現れたことで、非現実的だったこの光景が少しだけ現実味を増す。巨大テトラポッドと戦う戦闘機なんてシュール過ぎるけど。
「あ、あれは」
ぼくは思わずそう呟く。
テトラポッドは攻撃を仕掛ける戦闘機を認識したのか、またゆっくりと動きだし、不可解な変化をしていた。テトラポッドの表面がぼこぼこっと少しずつ崩れてきている。戦闘機の攻撃の成果かと思ったけど、どうも違うようで、ぼくはそれを凝視する。驚いたことにテトラポッドの表面から崩れた部分が、浮遊して戦闘機のほうへと飛んでいった。それは大量に発射され、まるでミサイルのように戦闘機をホーミングして追っていく。
あんな巨大なコンクリートの塊をぶつけられたらひとたまりもなさそうだ。戦闘機は距離を置くために逆方向へ飛んでいくが、コンクリートの塊はまだ追ってくる。だが戦闘機からも細長い光の線が大量に発射され、コンクリートを爆破していく。激しい轟音が鳴り響き、まるで花火のように綺麗な爆発の光が輝いている。
こんな近くでこんな非現実的な空中戦を見ることになるなんて思ってもいなかった。ぼくは少しだけ高揚していくのを感じる。
代わり映えのしない、平穏で、平和で、平坦なこの島がわけのわからない不条理な存在に吹き飛ばされていくのを、そしてその不条理と戦う空を翔る物を見て心が躍っていた。
ぼくは心の中でその戦闘機を応援していた。
「危ない!」
テトラポッドの撃ちだしたコンクリートミサイルを、全て撃ち落せなかったようで、戦闘機にそのコンクリートが掠った。その衝撃で機のバランスが崩れ、くるくると変な動きのままこちらへと向かって落ちてくる。
え……? こっちに落ちてくる?
「うわああああああああ!」
どんどん戦闘機が近づき、その影を大きくしていく。ぼくは慌てて逃げようとするが、足が震えて言うことをきかない。
まずい、潰される。
ぼくは思わず目をぎゅっと閉じる。激しい音と衝撃が走るが、ぼくの身体に何も害は無かった。ゆっくりと目を開けると、ぼくのほんの数メートル横に戦闘機は墜落していた。ぼくはほっと胸を撫で下ろす。だが不思議だ。炎上も破損もせずに地面にめり込んでいるだけでどこも故障はないようだ。
ぼくはじっくりとその戦闘機を見る。ここまで間近で見ることが出来るとは思えなかった。
空を飛んでいる時はその細かい形状はよく見えなかったが、よくよく見ると戦闘機というにはあまりに派手というか奇抜な形をしている。黒い色あいに全体的にシャープなデザインで、ゴテゴテとした機械が機体のあちこちに組み込まれている。なんとうか『宇宙戦闘機』といった呼び方が似合いそうな、未来的な造形だ。
両翼の下部に筒のようなものが装備されている。形から察するにこれがビーム兵器だろうな。なんとなく本来の戦闘機よりも幼稚で、玩具のような感じに見える。そう、こんなにも大きく空を飛んでいなかったらただの模型だ。
ぼくは恐る恐る近づき、そっと触れてみる。確かにリアルな鉄の冷たさが指に伝わってくる。すると、突然「プシュー」という音が響き、ぼくはびくりと身体を震わせる。
音の方へ目を向けると、コクピット部分が開いたようだった。
そこから人影が顔を出す。
出てきたのはタコのような触手を持つ火星人――
「ちょっと、嘘やろ……。なんでこの空間で一般人が動いていられるんや!」
――ではなく、昼前に出会った、あの関西弁の女子高生だった。その女の眼鏡越しの怖い目とぼくの目が合った。