それでも、プライドの高い彩子だ。どうしても譲れない場面はあるのだ。
「ちょっと六谷さん?」
「何よ」
大嫌いな案畜生の声を聞いたとたん、心の中に熱い怒りの炎が舞い上がる。彩子は立ち上がり、自分の机をはさんでそいつと対峙した。きつい目つきをした眼鏡少女同士の対決が始まった。
「何よじゃないでしょ? いい加減、どうにかならないの? その竹刀」
壁に立てかけてある、彩子の竹刀を指差しながら言う。
彩子は幼い頃から剣道をたしなんできた。今も
河越明日羽の家の道場で、鍛錬を積んでいる。だから、学校のときも家にいるときも町を歩くときも、いつも竹刀を手放さない。しかし、C組委員長・
笹島輝亥羽は、彩子が竹刀を持ち歩いていることを非常に気にしていた。
彩子はつんと鼻先を上げながら、委員長にこう言う。
「武器ぐらい持っててもいいでしょう。他にもそういう生徒いるじゃない」
「あなたねぇ・・・・・・。その竹刀で、どれだけ周りの人間が被害こうむったか、理解して言ってる・・・・・・?」
委員長のまっさらなおでこに、ビキビキッと青筋が走った。
「肩と肩が触れたからって、男子生徒のケツを竹刀で引っ叩いたり、冗談でセクハラ気味の発言をかました男子教諭の右手に『小手』をかましてチョーク握れなくさせたり、しまいにはほんの少しでも胸に視線を投げかけた拍手くんに、見るも鮮やかな面打ちをぶちかまして泣かしたり! 竹刀を握らせた六谷さんは危険すぎるのよ!」
「正当防衛よ。私なりの指導でありコミュニケーションなの。わかる?」
「わっかるわけないでしょうがあッ!」
笹島は手のひらで彩子の机を叩いた。縦に深いひびが入ってしまった。
「おかげで今や、あなたを中心として半径三メートルに男子が近寄れないという異常事態! 体育や班活動で悪影響を及ぼしているのよ? 他の科目の先生とか、みんな困っちゃってるじゃない!」
まーた貧乳が厄介なこと言って騒いでんなと、彩子は眉を吊り上げながら思った。
もともとクラス委員になりたかった彩子にとって、目の前の笹島輝亥羽は非常に気に食わない相手であった。予期せぬトラブルによって選出の会議に出席できなかったのが悪いのだが、あれだけ喉から手が出るぐらい欲しかったクラス委員長の座が、こんな地味でつまらない印象を与える女の手に渡ったと思うと、傲慢な彼女はいよいよ不愉快になる。
だから、彩子は頑として笹島の指導には耳を貸さなかった。
そしてこのような困った存在によって、そろそろ笹島の怒りが爆発しようとしていた。頑固者と頑固者が張り合っていては、いつまで経っても収拾は付かないのだ。
「いいこと? 六谷さんは竹刀を持ち歩くのを即座に止めなさい! 二十四時間以内に何とかしなさい!」
「冗談じゃないわ。私は剣術で戦うのよ? 武器の携帯も許されないなんて馬鹿げた話、聞いたことないッ!」
「六谷さんの異能は『遠距離攻撃』って耳にしましたけど?」
「うっ・・・・・・。どこで知られたんだろ・・・・・・」
彩子は異能の性格上、こういった生徒間との張り合いで異能を使うことができない。
それは『ファランクス』が遠距離特化型であるためで、まさかこんな狭い教室内で派手に火を噴くわけにはいかない。それに、発射前に相手の動きをインプットしなければならないので、攻撃まで時間がかかってしまうのだ。
そのような癖のある性質が災いし、彩子は喧嘩で異能を使うことができない。だから、相手に対して優位に立つためには、どうしても剣術――竹刀が必要となるのだ。
「とにかくね、あーだこーだ言ってないで人の言うことを聞きなさい。ただでさえ他から変態クラスと指を差されて、毎日春部さんにドア蹴破られて、担任や
醒徒会や
風紀委員に嫌味言われて! 私はストレスで胃袋ひっくり返っちゃいそうなのよ!」
笹島はものすごい剣幕でまくしててる。とんでもない大音声に彩子は両耳を塞ぐ。
「しかもね、あなたのお姉さんから風紀委員を経由して、委員長であるこの私があなたの面倒を見るよう言われているんです。学生課の幸子さんからもね! 断れるわけないじゃない! どうして私があなたの世話を焼かなきゃならないのよ!」
「知ったこっちゃないわ・・・・・・!」
口角泡を豪雨のごとく真正面から浴びせつけられ、お洒落な眼鏡はべっとりと汚されてしまった。彩子はこめかみをぴくぴくさせながら、据わった低い声でこう言う。
「竹刀を取り上げられるぐらいなら・・・・・・」
そして、ついに立てかけてあった竹刀を握った。
彩子は大きく振りかぶる。短気な彩子の怒りが頂点に達した瞬間だった。
「委員長、私はあなたを消してやるぅーーーッ! きええええええい!」
ばこーん。
「ぐえっ・・・・・・」
笹島のつるんとしたおでこに、まるまる面打ちが入ってしまう。
あまりにも痛快な「いい音」が高らかに響き、クラスメートは一瞬にして沈黙してしまう。
「あ、ゴメン。まさか避けないとは思ってもみなかった」
彩子は竹刀を委員長の頭にめり込ませたまま、慌てて謝った。
「そう・・・・・・。六谷さんはそういう態度に出るの・・・・・・」
委員長の右手が輝き始める。周りの男子が「やばい、六谷、逃げろ」と呟いたが、遅かった。
ブッチンという、何かがちょん切れる音を誰もかもが聞いた。
「あんたはいっぺん頭を冷やしてきなさ――――――――――――――――い!」
彩子は真正面から、笹島の反撃を頂戴する。
「復讐の弾丸」を食らって吹っ飛び、彼女は壁を突き破ってD組の教室に突っ込んだ。
勢いのままE組、F組、G組と、ばこんばこん壁を突き破って飛んでいき、H組の教室に突入してようやく落ち着く。
H組の生徒たちは何が起こったんだと、いきなり黒板を突き抜けて飛び込んできた彩子のところへ寄った。うつ伏せになって水色のパンツを露出し、ぐるぐる目を回している彼女のことを、優しい有葉千乃が気遣う。
「C組の六谷さんだー。保健委員さん、保健室に連れていってあげてくださーい」
朦朧とした意識のなか、絶対にあの委員長だけには逆らうまいと、心に誓ったのであった。