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116話 英雄の決断

 天野舞耶の知り合いらしき少年を送り出したあとは、正直なところ、もうやることはなかった。ビル内の探索も
すでに十分やったし、周囲を見張るだけなら二人でやる必要はない。となればここで取るべき最善の手は、休息を
取ることだろう。できるだけ慎重に言葉を選んで、ザ・ヒーローは大道寺伽耶に仮眠を取るよう促した。人格こそ
熟練の悪魔召喚師のものとはいえ、その身体は素人の女の子だ。本人は上手く隠しているつもりだろうが、疲労が
かなり溜まっていることは明らかだった。
「…私はいい。それよりお前こそ休んだらどうだ?」
 案の定、拒絶された。ヒーローは小さくため息をついて、テーブルの上のGUMPを手に取った。
「僕のほうこそ大丈夫さ。これにはなかなか便利な機能があってね、今、僕の回復力はかなり高まってる。だから
こうして座ってるだけでも十分休息になってるんだ」
 GUMPを見せ付けるように振りながら、にこやかな表情を作って言った。嘘だ。『ガリバーマジック』は治癒力を
高め、傷などのダメージを癒してくれるが、疲労までは回復してはくれない。ほぼ休みなしで暴れまわって疲れて
いるのは、ヒーローも同じだった。とはいえ、女の子より先に休憩を取るわけにはいかないだろう。中身の年齢や
性別は知らないが、少なくとも外観は女の子だ。
「…ならば私も同じ条件でいい。呼吸さえ整えられれば、気を練って回復力を高めることはできる」
 伽耶はぷいと横を向いた。妙齢の美少女が顔を背ける様子を見て、ザ・ヒーローはどきっとする。白いうなじに
くっきりついたアザが痛々しいが、逆にそれが彼女の肌の白さを際立たせていた。
 ふと我に返って、ヒーローは頭を振った。今はそんな状況ではなかった。交渉の基本は、はぐらかされないよう
常に本題を意識し続けることだ。自分から本題を見失っているようじゃ世話がない。
「それじゃ困るんだよ。こっちの脱出の頼りは君の術なんだから、そのときのために万全の状態でいてくれなきゃ」
「それを言うなら、今優先すべきは即戦力のお前の体力のほうだろう。私が術を使う状況はまだずっと先だ」
 取り付く島もない、とはこのことだ。ヒーローはやれやれ、と首を振る。それを見て伽耶も、この話は終わりだ、
といわんばかりに後ろを向いた。
「…妖鳥ハーピー、Go!」
 ヒーローは迷わずGUMPのトリガーを引いた。激しい光の渦が巻き起こる。
「!? いきなりなにを…」
「ドルミナー!」
 とっさのことで反応が遅れた伽耶に、召喚されたハーピーが素早く催眠魔法を浴びせる。少女がカクンと膝から
落ちる。ヒーローは素早く近寄って、倒れないよう身体を支えた。
「…ごくろうさん、ハーピー。もういいよ」
 ヒーローは仲魔に声をかけながら、伽耶の身体を両手で抱き上げた。意外に思うほど、軽い身体だった。いや、
16歳の少女ならこれぐらいが普通なのだ。骨格も細いし、筋肉もほとんどついていない。酷使されることに慣れて
いるとは到底思えない身体だ。無茶をさせるわけにはいかない、とヒーローは改めて思う。この相棒のためにも、
そしてこの体の本来の持ち主である少女のためにも。
「お安い御用ですわ…しかし、ヒーロー様…」
「…?」
「…眠らせて無理矢理というのは…同じ女として感心しませんわ…」
「…! そ、そうじゃないよ! もういいから、戻れ」
 下卑た笑いを残して、仲魔は光となってGUMPへ戻った。契約したとはいえ、そのへんの性格の悪さはやはり悪魔。
笑えない冗談に胸糞が悪くなり、思わず舌打ちをした。
「…ま、感心できない手だってところは、同感ではあるけど」
 誰に聞かせるでもなくぽつりとつぶやいて、ヒーローは伽耶を上階の仮眠室へと運びこんだ。

 戻ってきて一人になると、ヒーローはカバンの中身をデスクに広げた。見れば見るほど貧弱な装備だ。まともな
「武器」はスタンガンのみ、あとはそのへんの日用品を応用しているだけという有様だった。鉄パイプでも、まあ
確かに悪魔を(そしてもちろん人間を)撲殺することはできるといえばできるが、所詮は単なる金属棒だ。相手が
剣を、槍を、あるいは銃を持っている場合には、はなはだ心もとないものであることは明らかだった。
 やはり現状、自分たちの装備で最大の武器は、このGUMPだということになる。ヒーローは自分の腰に巻いてある
空のホルスターを外した。今まで幾多の困難を共に乗り越えてきた道具で、新しい銃に装備を変えるたび、それに
あわせて丁寧に少しずつ改造を加えてきたものだ。愛着はあるが、仕方がない。道具と時間さえあるならばGUMPに
フィットするようにカスタムするところだが、あいにくどちらも十分とはいえない。泣く泣く、大きく切り落とす
ような改造を施した。入れる、というより、引っ掛ける、という形になるが、これでGUMPを腰に下げて持ち歩ける。
そこらを漁っていて出てきた千枚通しと裁縫セットを使ってちくちくと縫っていく。少々激しいアクション程度で
千切れてしまってはお話にならない。そうならないよう、丹念に丹念に、何度も何度も縫っていく。
 ふと、時計を見た。午前10時を少し過ぎたところだった。いつの間にか1時間以上も経っている。ホルスターを
腰に巻き、GUMPを入れる。西部劇の早撃ちよろしく、素早く抜いて構えた。なかなか悪くない仕上がりだ。
「なかなか器用なんだな」
「…まあね、もともとこういう細かい作業は得意なんだ」
 GUMPをホルスターに仕舞いつつ、ヒーローはかけられた声に答えた。伽耶が、いつの間にか降りてきていた。
「さっきはすまなかったね。ああでもしないと休んでくれないと思って」
 精一杯明るく声をかける。卑屈にならないように、かといって開き直っているようにならないように。気紛れな
悪魔たちと交渉しているうちに、瞬時に相手の感情を読み、刺激しないよう適切な声色を作れるようになっている。
あまり褒められた特技ではないが、生き延びるために必要だった以上仕方がないことだと思う。
「…いや、構わない。むしろ、助かった」
 伽耶が答える。意外な反応にヒーローは少し驚いた。
「…どうにも私は…他人を信用することができなくてな。センターへ反逆すると決めた時から、心休まるときなど
ないと思い定めてきた…だから、なんていうか、その…わかるだろう?」
 伽耶がとつとつと語る。もちろん、わかった。センターとやらがどういう施設かは、伽耶からの多少偏った説明
でしか知らないが、しかし支配者がLawの神々であるというだけでその基本的な理念はヒーローには十分すぎるほど
理解できた。そのような世の中になってはならぬとセラフたちを叩き斬ったのは、ほかならぬヒーロー自身なのだ。
彼らは狡猾で、機械的とさえ言えるほどに冷徹だ。秩序の維持のためならば個々の命には鼻ッ紙ほどの価値もない
と本気で考えている。そんな連中が作った世の中で反逆を企む異端分子がどのような生活を強いられているのかは
容易に想像がついた。うっかり眠れば寝首を掻かれるような、安らぎのない生活を、いったいどれほど続けてきた
というのだろうか。身体がどれだけ限界でも、人前でうとうとと眠ることさえできない。その習いが骨身に染みて
しまうほどの年月。考えただけで気が遠くなりそうだ。
 いろいろな感情が心をよぎる。感嘆、尊敬、同情…しかしヒーローはそのすべてを忘れて、一言だけ言った。
「…よく眠れたかい?」
「ああ、久しぶりにぐっすりと。…まあドルミナー自体は、実は10秒ぐらいで切れたんだがな」
「…え?」
「まあ、その、なんだ…あんな"お姫様抱っこ"までされたら、さすがに言い出せなくてな」
「…お気遣い、どうも」
「お互い様だ」
 ふっ、と伽耶が笑う。その顔からは、常に付きまとっていた暗い影が薄れたように見えた。
「まあおかげで体調は大分よくなった…次はお前が休め」
「ああ、そうさせて…」
「あ、いや、ちょっと待て。そのまま動くな」
 階段へ向かいかけたところを引き止められて、ヒーローは首だけを伽耶のいる後ろに向けた。
「なんだよ?」
「いや、大したことじゃない。すぐ取るから動くな」
 伽耶がヒーローの背中に手を伸ばし、撫でるようにしてからひょいと何かをつまんだ。イトミミズのような物が
背中からスルスルと引き出される。
「…なんだい、そりゃ」
「夢魔のなりそこないの類だ。疳の虫、ってやつだな。人間に取り憑くが、感情に刺激を与える程度の力しかない。
まあこの程度なら、取り付いたままでもお前ほどの強さなら影響はないんだが、一応な。…あ、もう動いていいぞ」
「へえ…初めて見るなあ」
「実体化し続けるほどの力もないからな。実はどこの世界でも空気中にたくさん漂ってるんだ…見えてないだけで。
…なぜかこの街にはやたらと多いが…ま、理由は言わずもがなだろうな」
 ヒーローも同意するようにうなずく。回復抑制効果といい、ずいぶんと小細工が好きな主催者だ。精神に影響を
与える低級悪魔を使って、殺し合いを加速させようというのだろう。
「まあ、この程度のやつらなら、普通の人間でもそう簡単には憑かれたりはしない。赤ん坊なら別だが…あとは、
よほど疲れてたりとか、心にそうとう深い傷でもない限りは大丈夫だろう」
 言いながら伽耶はくるくるとミミズを巻き取って両の掌で潰した。両手を打った乾いた音が響く。
「…心に、傷?」
 ふと引っかかるものがあり、ヒーローは思わず尋ね返した。
「ああ…ひどいトラウマがあるとか、あとは以前に精神的な攻撃を受けたことがあるとか」
 ぴくりとヒーローの表情が動いたのを、伽耶は目ざとく見つけた。センターで何度もヒーローの活躍は聞かされ
続けてきたため、すぐにピンと来た。ヒーローの宿命の伴侶は、かつて強力な精神攻撃を受けていたはずだ。
「そいつに大量に憑かれると、どうなる?」
「人間不信とか、攻撃性増大とか、まあいろいろだが…大抵はマイナス方面の変化だな。私が見た中で一番悪質な
例では、善人だった男が完全に殺人狂に変化していたが…」
「もし大量に憑かれていた場合、さっきみたいに簡単に治せるのか?」
「おい、少し落ち着け。仮定ばかりで話を進めても仕方がないだろう」
 肩を掴んできたヒーローの両手を振り払いながら、伽耶は強く言った。これまでどんな状況でも常に冷静だった
ヒーローの狼狽ぶりに驚きはしたが、しかし無理もないとも思う。彼には仲間がたくさんいたが、最後の最後まで
本当に信頼できた仲間はたった一人だけだったのだろう。伽耶の心に、共感と羨望と嫉妬が入り混じった、なんと
形容してよいか分からぬ感情がふとよぎる。自分にはその一人すらいない、という寂しさが一番強い気がした。
「私が言ってるのは、最悪の可能性の話だ。なにも起こってない可能性のほうがむしろ高い」
「…あ、ああ、そうだな…済まない、少し…取り乱した」
 ヒーローは視線を落とした。冷静になれ、と自分に言い聞かせる。彼女のことはとても心配だが、現状、打てる
手はなにひとつないのだ。放送で名が呼ばれていなかった、というだけしか手がかりはない。どこにいるのかさえ
分からない。闇雲に探し回るなどという危険な真似は、とてもじゃないができない。仲間もいるし、拠点もある。
行動方針も固まっているし、展望もある。これに沿って行動していくことが第一、彼女のことは第二に回すべきだ。
 それでいいのか? と心のどこかで声がした。冷静になって、小利口に立ち回って、失うものは少ないだろう…
だがそんなものに価値はあるのか? 何もかも捨ててでも、守るべきものがあるんじゃないのか?
 ヒーローは自分の掌を見つめた。千手観音はその手であらゆる衆生を救うというが、自分には腕は2本しかない。
どちらか片方しか取れないのだとしたら…どちらを取ればいいのだろうか? どちらを取るべきなのだろうか?
「迷うな」
 伽耶が言った。
「ここで、決めろ。私はそれに従おう」
「それは…」
「いいから、決めろ。行くな、などと野暮なことは、部外者の私には言えん。かといって、ここで袂を分かつなど
できるはずもない、そうだろう? ならば私はお前の決定に従うだけだ」
 伽耶が、まっすぐにヒーローを見つめる。
「どちらか選び、決めろ。いままでそうしてきたように」
 まっすぐ見つめながら発せられる力強い言葉。ヒーローは思わず視線を落とし、また、掌を見つめた。剣と銃を
握り続けたせいで、ごつごつとしたタコがある。わずかに力を籠めて拳を作り、また開いた。
 どうすべきかは、ほとんど心の中で決まっていた。それでもまだ迷うのは、自分の心に偽善にも似た甘えがある
からだろう。できることなどなにもないことを、認めたくないのだ。無為だと分かっている行為に没頭し、そして
なにかをした気に浸り、免罪符を得たいのだ。彼女を求め危険を顧みず動き回るという英雄的行動に酔い、彼女を
救えなかったとしてもやるだけやったと諦めがつく。それは彼女のためではなく、己のためではないのか。
 ヒーローはきつく拳を作る。ありったけの力を籠めて、迷いを、握り潰した。顔を上げる。
「…情報がなさすぎる。探しには行けない…ここで、待とう」
「…いいんだな?」
「ああ。決めた。…もう、迷わない」
 心の中で、この街のどこかにいる彼女に、小さく謝った。握りつぶしきれなかった偽善と、押さえきれない不安
と、傍らに彼女がいないことに対する寂しさと狂おしいほどの切なさと、そして押さえきれないほどの後悔の念と。
ヒーローは三たび拳を作り、それらの気持ちを押し込めた。迷わないと決めたばかりではないか。

 ビィーッ! ビィーッ!

 耳をつんざくような、不快な電子音が響いた。GUMPからの通信だ。慌ててホルスターから引き抜き、モニターを
開く。別行動をしているピクシーからの連絡だった。
「なんだ、何があったピクシー!」
 呼びかけつつ、GUMPを操作し、ピクシーのSTATUSを確認した。魔法を短時間に複数回使用したらしい。つまり…
戦闘があったということか?
「大変だよぉ、大変、大変なのぉ!」
「大変なのは分かってる! 何があったんだ!」
「女の子が男の死体を! それでマヤさん撃たれて、ネミッサさん魔法撃って、銃がバンッて、それで、ネミッサ
さんがぁ!」
 さっぱり分からない。が、ほぼ確実に戦闘行為(もしくはそれに類するもの)があったことは明確だ。ネミッサ
という名前は知らないが、おそらく天野舞耶と同一行動を取っている仲魔あたりだろう。
「ピクシー、聞こえてるか?」
「聞こえてるよぉ、ねえ、どうしよう、どうしよう?」
「いいから落ち着け。今、どこにいる?」
「どこぉ? どこって言われてもぉ~、分かんないよぉ!」
 ピクシーが金切り声を上げた。もともと知恵のある悪魔ではないし、パニック状態も重なっている。
「落ち着くんだ。目印になる店とかでもいいし、どこに行く途中だったかでもいい、なにかないか?」
「あ、ええ~と、ええ~と…お、おすし! おすし食べようって言ってた!」
「…お寿司?」
 伽耶が素早く地図を広げ、一点を指差した。平坂区、がってん寿司。カメヤ横丁にある店だ。まさかこんな状況で
営業しているとは思えないが、まあとにかくそういう会話の流れがあったのだろう。
「よし、いいぞ、分かった。よく覚えていたな、偉いぞピクシー」
「え、あ、ありがと、でもそれより、あたし、どうすれば…」
 おろおろとした様子でピクシーが尋ねてくる。自分自身がほとんど役立たずであることを自覚しているのだろう。
確かに、戦力としては役立たずだ。しかし、悪魔と鋏は使いようだ。歴戦の悪魔召喚師の仲魔である以上は、必ず
なんらかの方法で役に立つ。立たせるのが、こっちの腕の見せ所なのだ。
「いいか、ピクシー。1時間ぐらい前に、僕のいるところからそっちに向かった男がいる。そいつは、味方だ」
「え、え、どういうこと?」
「男を捜すんだ。向こうもそっちを探している。もう平坂区の中には入っているはずだ」
「わ、わかった、味方の男を探せばいいんだね?」
「そうだ。真っ赤な服に妙ちきりんな髪型で目立つ男だから、すぐ分かるだろう」
「わ、わかった! ちょっと行ってくる!」
 ぷつり、と通信が切れる。ヒーローはGUMPを閉じた。また一瞬、イヤな考えが頭をよぎる。もし、ほんの些細な
行き違いが原因で起きた闘争だったとしたら? 周防達哉をそこに合流させるのは、火種を投げ込むようなマネに
なってしまうかも知れない。
 本当にこれでよかったのか? 目を閉じて考えた。思えばあの日以降、何かを決めては、考え込んでばかりいる
ような気がする。己の決断を後悔したことはないが、しかし違う道もあったような不安さは消しきれない。
「悩むな」
 伽耶が、ヒーローの肩に手を置いて言った。
「悩んで答えが出るなら悩むのもいい。だがそうでないなら、悩むだけ無駄だ。百害あって一利もない」
「でも」
 顔を上げて反論しようとしたヒーローの顔の前に、伽耶は人差し指を立てた右手を突き立てて制止する。
「我々に出来るのは、道を決めて進むことだけだ。道の先になにがあるのかまで気に病んでも仕方ないだろう」
 互いの目を見詰め合う。数秒の沈黙。先に耐え切れなくなって目を伏せたのはヒーローだった。後ろ手に椅子を
掴むと、力をなくしたように腰を落とした。
「…確かに、そうだね。そのとおりだ」
「そうだとも。何もかも背負い込む必要などない」
「…それは分かってるんだけど、僕には割り切れないよ、君みたいには」
 うずくまるように両手で顔を隠すヒーロー。伽耶が話に聞いていた"伝説の英雄"とは似ても似つかない姿だった。
先ほどまでの自信に満ち溢れた姿に比べ、ずっと小さく見える。神をも越える超大な力を持ち、過酷な運命を乗り
越えた存在であっても、中身はどこにでもいるただの少年なのだ。
「…君は、強いんだね」
「いや、弱いのさ」
 ヒーローの言葉に、伽耶は自嘲気味に答えた。本心だった。ヒーローのように、あらゆるすべての責任を背負い
続けて生きることなどできそうになかった。すべてを捨てて反逆者となると決めたのも、重圧に耐え続けて生きる
ことに疲れ、逃げ出したかったからかもしれない、と今は思える。自分が無意識に諦めたその道を、目の前にいる
少年はしっかりと歩き続けている。そのことは、伽耶の心のどこかに、大きな衝撃を与えた。
 だが、自分がヒーローに完全に劣るとは思わない。そう思うのは四十代目葛葉ライドウの沽券に関わる。だから
伽耶はニヤリと笑って付け足した。
「だが、弱いほうが生き延びることもある」
「…覚えておくよ」
 ヒーローが弱弱しく笑う。しかし目には失われることなく強い光があった。
「…少し、休む。なんだかどっと疲れた」
「ああ。見張りは任せておけ」
「GUMP、置いていこうか?」
 提案に、伽耶は首を横に振った。ホウオウの入った手製の封魔管を軽く振って不敵に笑う。
「君が味方でよかった。本当にそう思うよ」
 ヒーローはぽつりと言葉をかけて、返事を待たずに階段を上がっていく。
「…お互い様だ」
 ヒーローの背中が見えなくなったことを確認してから、伽耶は小声でつぶやいた。

 ベッドに腰掛けた姿勢のままヒーローは仮眠を取った。寝そべったら、そのまま何時間も寝続けてしまいそうな
気がした。これほどに疲れたことはなかった。高校の部活動でも、金剛神界でも、カテドラルでの激戦でも、これ
以上はないと思えるほどの疲労を覚えたものだったが、そのいずれも今回に比べればオママゴトみたいなものだ。
(また将来、もっとすごいことに巻き込まれて、そのときも同じようなことを思うのかもな)
 ふと皮肉な考えが思いついた。面白いが、笑えなかった。冗談じゃない。殺し合いとか、戦争とか、そんなのは
もうウンザリだった。ほんの少し前までは普通の高校生だったのに、いつの間にかどんなイカれた世界にも簡単に
順応できるようになっている、そのこと自体がたまらなくイヤだった。
(だが、イヤでもやらざるを得ない)
 と頭の中で自分が自分にツッコミを入れる。ああ、くそ、確かにそうだ。それは分かっている。死ぬのはもっと
イヤだった。ならば、戦うしかないのだ。
(なら余計なこと考えてないで、しっかり頭と身体を休めたらどうだ?)
 確かにそれも道理だ。しかし考えを止めることはできなかった。考えてしまう性分なのだ。それに…考えるのを
止めるわけにはいかないような気もした。考えるのを止めるのは、自分が壊してきたものを信じていた人たちへの
裏切りのような気がする。法に準じた友も、混沌に興じた友も、この手で殺めてきたのだ。いまさら思考停止する
なんて、彼らへの裏切り以外の何者でもないではないか。
(彼らもなぜか生き返ってこのゲームとやらに参加してるけどな)
 また頭の中で皮肉な声が響いた。これまた笑えない話だ。悪魔を殺すのだってあまり平気ではないというのに、
人を殺さなければならないのは、とてもつらい。しかも相手がかつては背中を任せ合った仲間だった元・友人――
それも2人も同時にとくれば、なおさらだ。
 彼らの顔を思い浮かべ、ふと、とある違和感に気付いた。
(『彼』が、Chaosの手駒を蘇らせたのは、まだ理解できる。…なぜ、Lawの使徒まで復活させたんだ?)
 あの最初の教室で、そして今日の日の出のとき、頭に直接響くように語り掛けてきた、魅惑的な低音の声。姿は
見えなかったが、ヒーローにははっきりと一人の男の姿が思い出せた。中性的な顔立ち、透き通るような白い肌、
ブロンドのロングオールバック、趣味のよいブラックのスーツ。声の主は『彼』で間違いないだろう。だがしかし、
『彼』にとってすれば、メシアに転生したロウ・ヒーローなど、不倶戴天の敵ではないのか。
(いったい、なにが目的なんだ?)
 ぱっと思いつくところでは、ロウ・ヒーローをChaosの手駒に引き込もうとしていた可能性がある。が、それは
どう考えてもできるはずもないことだった。百歩譲ってできたとしても、それが有効な手だとはとても思えない。
ロウ・ヒーローが使えなくなったら、Lawの神たちは容赦なく彼を切り捨てるだろうから。それはかつて至上なる
存在でありながら切り捨てられた『彼』本人が一番知っていることだろう。
 とするならば、あとは現時点で考えられる理由はひとつしかない。法に逆らい混沌を求める『彼』らしい理由。
『彼』は、『彼』の管理するこの閉鎖空間にすら混沌を求めたのだろう。真の混沌には、敵が、味方が、強者が、
弱者が、善が、悪が、光が、闇が、法が、混沌が――あらゆる存在がいなくてはならないと考えたのではないか。
(…平たく言えば、ゲームを盛り上げたかった、ってことだよな…相変わらず細かいところで勤勉だなァ)
 ヒーローは軽く苦笑する。今回の皮肉は、ほんの少しだけ笑えた。が、それより燃え上がる怒りのほうが大きい。
一方的な思惑で他人の命を取捨選択し操作する傲慢に、許しがたい怒りを覚えた。同じようなことをしておいて、
法の神を批判する資格などがあるとは思えない。法も、混沌も、相変わらずどっちもどっちだ。
 ――君がどちらに傾くか… 期待しているよ、ザ・ヒーロー…
 あのとき、最後にかすかに聞こえた声を、ヒーローははっきりと思い出した。あの、見惚れるような品のよさと
背筋も凍る邪悪さが同居した微笑みが否応なく目に浮かぶ、忘れられない魔力を持ったささやき声。
「…期待に沿えるかどうか、お約束はできかねるよ、魔王サマ…」
 目を閉じてうつむいたままつぶやく。そのまま、ヒーローの思考は散漫になり、眠りの底へ散らばっていった。

 ピピッ… ピピッ… ピピッ…

 どこからか聞こえる電子音が、ヒーローを眠りの闇から引きずり出した。ほんの数秒だけ眼を閉じたような記憶
しかなかったが、時計を見るともう11時を過ぎている。1時間ほど寝たということか。
 毛布で汗を拭った。それほど暑くはないのに、ずいぶんびっしょり寝汗をかいている。覚えていないが、なにか
イヤな夢でも見たのかもしれない。ありえなくはなかった。小細工が好きな魔王サマのことだ、安眠を妨げる夢魔
たちを街中にばら撒いていたっておかしくはない。
「やれやれ、閣下ともあろうお方が、ずいぶんセコい真似をなさるもんだね」
 つぶやいた。今度の皮肉は、かなり笑える。仮定の話から決め付けての人格攻撃は少し卑怯かな、と思ったが、
別に気にしないことにした。罪もない人々を、いや、罪があろうがなかろうが、こんな風にかき集めて閉じ込めて
殺し合いを強制すること以上に卑怯なことなどありはしない。誹謗中傷のひとつやふたつぐらいで文句を言われる
筋合いなどないだろう。ヒーローは笑いを押し殺しながら、外しておいた武器を装着した。
 身支度を整えて、仮眠室を出て階段を下りた。ドアの開く音を聞きつけて顔を上げた伽耶に、ヒーローは挨拶の
代わりに片手を挙げた。
「眠れたか?」
 椅子に腰掛けた伽耶が、手元に視線を戻しながら言った。カッターナイフで鉛筆の表面を削る作業をしている。
精巧な文様が刻まれた鉛筆が、机の上に何本か転がっていた。この1時間、ずっとこの作業をしていたのだろう。
「それなりにね。けっこう休めたよ、ま、さすが万全とはいえないけど」
「夜まで寝ててもらったって構わないぞ、私は」
「はは、そうは行かないよ… ところで、それ、なに?」
 鉛筆を指差して尋ねたヒーローを、伽耶は意味ありげな微笑を浮かべて無視した。
「それより、何か鳴ってるぞ。GUMPじゃないのか?」
「え? あぁ、そうか、そういやなんか鳴ってた」
「…おいおい、寝惚けてるのか? しっかりしてくれ」
 伽耶が呆れたように言う。ヒーローは苦笑してGUMPを開いた。こんな大きな音を聞き逃すなんて、寝惚けている
と思われても仕方ない。
「…HYAKUTAROH?」
 画面に点滅している文字を読んだ。ひゃくたろう、だろうか。そういえば、インストールソフトの中にそういう
名前のものがあったことを思い出す。確か、機能は…
「…伽耶」
「分かってる、かなり近いな」
 伽耶はいつの間にかデスクの上の荷物を片付け、鉄パイプとスタンガンを手に視線を窓の外へ向けている。数秒
遅れて、ヒーローも窓の外に蠢く害意を感じ取る。荷物を背負い、鉄パイプを構え、GUMPのグリップを握った。
 窓の外に人影が見えた。濁った臭気と殺気を漂わせつつ、散漫な動きで周囲を探っている様子が伺える。ゾンビ
に代表される、屍鬼の類の悪魔だろう。ヒーローは軽く舌打ちした。知能が低く邪悪なため仲魔にしづらいうえ、
戦力としても合体材料としてもあまり魅力的な種族ではない。
「面倒だな、どうする?」
 ヒーローは伽耶に話しかける。やりすごすか、倒すか。どちらにせよ大した敵ではない、と思っていた。しかし
伽耶は真剣な表情を少しも緩めず、窓の外を凝視したまま動かない。
「どうもこうもない、隙を見て逃げるぞ」
「…え?」
「分からないのか、あれはゾンビなんて甘いものじゃない」
 言われて初めて、ヒーローは自分の考え違いに気付く。周囲に悪魔の気配がないことはさきほど何度も確かめた。
ゾンビの習性から考えて、縄張りから離れて単独でふらふら歩いてくることは考えにくい。とするならば。
「…くそッ、またネクロマの術か」
 ヒーローは毒づいた。屍体をゾンビとして操る呪術、ネクロマ。それにより蘇った屍体と、既に一度やりあって
いる。あのときは逃げることしかできなかった。今も、戦力的にはあのときと大差はない。
(…どうする…?)
 考えた。圧倒的に不利であったとしても、やり方ひとつで逆転できるということは、ヒーローが今まで経験して
きた戦闘から明らかなのだ。現にこの街に来てからも、諦めずに考え抜くことで、何度も危機を免れてきたのだ。
 考えた。手持ちの武器。仲魔のメンツ。自分たちの体調。部屋の構造。部屋の中にある物。この状況を打破する
ために、どうするのが最善か。疲れの抜け切らぬ寝起きの頭を、強引にフル回転させて、考えた。
 考えをまとめる時間は、なかった。窓の外の人影がこちらを向いた。部屋の中にいる新鮮な肉に気が付いたのだ。
力の加減ができなくなったような激しい動きで、手に持った何かを振り上げ、投げつける。窓が割れた。がちゃん、
と機械特有の音を立て、四角い物体が床で跳ねた。
(…電動ドリル?)
 窓を破り侵入してきた物体を、ヒーローはつい反射的に眼で追ってしまう。
「余所見するな、来るぞッ!」
 伽耶が叫ぶ。慌ててヒーローは正面を向いて、GUMPをホルスターから引き抜いた。

【時間:午前11時半】

【ザ・ヒーロー(真・女神転生)】
状態:全身に軽症(ほぼ回復) 疲労(仮眠により大分回復)
武器:鉄パイプ、ガンタイプコンピュータ(百太郎 ガリバーマジック コペルニクスインストール済み) 虫のようなもの
道具:マグネタイト7700(ハーピー召喚で消費) 舞耶のノートパソコン 予備バッテリー×3 双眼鏡
仲魔:魔獣ケルベロスを始め7匹(ピクシーを召喚中)
現在地:青葉区オフィス街
行動方針:伽耶の術を利用し脱出 現状打破

【大道寺伽耶(葛葉ライドウ対超力兵団)】
状態:四十代目葛葉ライドウの人格、疲労(仮眠により大分回復)
武器:スタンガン 包丁 手製の簡易封魔用管(但しまともに封魔するのは不可能、量産も無理)
道具:マグネタイト4500 イン・ラケチ  文様を刻んだ鉛筆×5 カッターナイフ
仲魔:霊鳥ホウオウ
現在地:同上
行動方針:ザ・ヒーローと共に脱出 現状打破

【反谷孝志(ハンニャ)@ペルソナ2】
状態:ネクロマ状態、記憶が曖昧、シドの服を着ている
武器:電動ドリル(壊れている)
道具:盗聴器(存在には気付いていない)
現在地:同上
行動方針:とにかく殺す

【ピクシー(ザ・ヒーローの仲魔)】
状態 魔法使用により少し疲労
現在地 平坂区カメヤ横丁近辺
行動指針 ヒーローの命令遂行(周防達哉を探して天野舞耶たちの元へ連れてくる)

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最終更新:2009年02月14日 22:41