インダス下流域に沿ってはっけんされた幾十の先史遺跡に見られる都市文明の総称。
モヘンジョ・ダロと並ぶ大都市の遺跡であるハラッパーの名をとってハラッパー文化とも呼ばれる。
紀元前二千五百年ころに隆盛におもむき、その後約千年間つづき、それ以来まったく地上から姿を消してしまった。
インダスの都市遺跡
- 小高い丘の上に北に向かった城塞が築かれ、その東側に城下町がひろがる。
- 城塞の中には、宮殿や宗教的あるいは政治的な公共建造物、住居、学校などのあったことが認められる。
- 大きな公共の浴場は、宗教的な意味を持っていたと想像される。
- 穀物が貯蔵されていたらしい大きな倉庫があった。
- 井然(せいぜん)と区画された市街には、上水道があり、完備した下水道もそなえている。
- 建築には石材を用いず、良質の焼いた煉瓦が使用され、その煉瓦の規格が各地で一致しているところから、神権政治的な王朝が広範囲にわたって長く統一存続したものと考えられている。
インダスの遺品が物語ること
- 木工にすぐれていた
- 銅・青銅などを書こうして農具や武器をつくっていた
- 金や銀や宝石で装身具をつくっていた
- さまざまな陶磁器も出土している
インダスの宗教・文化
- テラコッタ製の地母神像が多数発見された。ことに注目されるのは、小さな三センチ角くらいの滑石の印章が、約二千個も改修されたことである。この印章の表面には、牡牛をはじめとするさまざまな動物や神像などが、すぐれた技巧で刻まれ、また象形的な文字も見られる。おそらくこれらの印章は、各自の諸事物に刻まれたと同時に、宗教的な護符の役目も果たしたのであろう。
- 文字は約四百種が数えられるが、まだ解読されるに至っていない。
これらの地母神や印章面にある牡牛の崇拝や、また別に性器崇拝の遺物もあることなど、すべて後世のヒンドゥ今日のシヴァ神信仰につながることを示している。三個の印章にあらわれた神像も獣主(シュパティ)としてのシヴァの原型であるらしい。
それらはいずれも、
ヴェーダ時代を形成した
アーリア人の宗教には認められない要素である。
すなわち、この偉大な文明を創造したのは、
アーリア人ではなく、
アーリア人が侵入する以前にいた民族である。
この民族が何人種であるかを決定することは困難である。
彼らとメソポタミアとのあいだに交通があったことは確かであるが、彼らが民族としてメソポタミアの直後の後裔(こうえい)であるのではない。
頭蓋骨その他は、諸種の民族-地中海民族、原始オーストラリア族、それに蒙古族などの混在を示している。
そして同じことが、現在のいんどの中部から何部へかけての諸種族の特徴でもある。
いずれにしても、この民族は、いわゆるトラヴィダ族その他の名のもとに、今日のインドにも生き残っているものと思われる。
インダス文明の滅亡
インダス文明があとかたもなく滅びた理由も、神秘のヴェールにおおわれている。
気候の変化、それに伴う風土の変化も作用したであろうが、何らかの侵略者によって破壊されて滅びたという公算が最も強い。
モヘンジョ・ダロでは、虐殺の状態を物語る人骨群が発見されている。
その侵略者が、
アーリア人であろうとする学説は近年その数を増している。
「
リグ・ヴェーダ」は、五河地方(バンジャーブ)に達した
アーリア人が、そこの原住民を征服したことを伝え、武勇神
インドラをたたえて「城塞破壊者(ブランダラ)」とよんでいるが、この時代の「城塞」は、インダス文明以外には見出しがたい。
最終更新:2007年07月12日 00:01