古典サーンキヤ体系

サーンキヤの思想は、最初に『カタ』の第三章に見られるが、
そこでは感覚器官・対象・思考力・理性・大きいアートマン(個我)を順次にあげ、
あとのものほどより高次の原理であるという。
さらに、この理性(大きいもの)よりも「未開展のもの(アヴィアクタ)」がより上位であり、
最後に精神原理(プルシヤ)が最高の拠り所であるとする。
「開展したもの(ヴイアクタ)」としての現象界の根源に「未開展のもの」を想定し、
さらに「未開展のもの」すなわち原質(プラクリティ)に対して精神原理を対置させるなどは、
後代の古典サーンキヤ体系に見られる思想である。

同様の表現は『カタ』第六章七~八詩節にもあらわれる。
その述語の用い方は、まだ定着したものではなく、
サーンキヤ思想はこの頃漸次醸成されつつあったに違いない。
サーンキヤ学派がその創始者とする、カピラ仙の名が初めてあらわれるのも、
同じく中期の他のウパニシャッドにおいてである。

『古典サーンキヤ体系概説』の一つ、イーシュバラクリシュナの著作は、
はるかに後代の紀元五世紀ころに成立した。
これは、学説の綱要を約七十の詩節にまとめたもので、
他学派の伝統において経典(スートラ)に与えられる権威が、
サーンキヤ学派ではこの書に与えられている。

古典サーンキヤ体系を特色づける思想は、
精神原理と物質原理をはっきりと区別する二元論である。
物質原理は原質(プラクリテイ)または、第一原因(プラダーナ)と名づけられ、
純質(サツトヴァ)・激質(ラジャス)・翳質(えいしつ)(タマス)という三種の
構成要素から成っている。

三種の構成要素のあいだの均衡が破れると、
それまで「未開展のもの」であった原質から、諸種の原理が順次開展する。
最初に理性(ブツデイ)、次に自我意識(アハムカーラ)、その自我意識から
一方には思考器官(マナス)・五種の知覚器官・五種の行為器官が開展し、
他方には五種の素粒子(タンマートラ)が開展する。
素粒子からは五種の元素が生じて、知覚器官に対応する対象界を構成する。

他方、精神原理は、上のような開展の傍観者として独立にあり、本来清浄な知性である。
ただ人々はそのことを知らないで、原質から開展した理性を知識の主体と思い込み、
そのかぎり輪廻をつづけるのである。
正しい知識によって精神原理の本来のすがたが見出されるとき、
原質から開展したあらゆる現象は帰滅する。そして精神原理の独存がもたらされる。
それが解脱である。

こうして原質をはじめとする二十四の原理、
そして第二十五番目の精神原理が数え上げられて、サーンキヤ哲学の体系を形作る。
サーンキヤという名称は、動詞「数える(サンキヤー)」に由来し、
漢訳では「数論」と訳されている。
二十五原理のほかにも、原質の三種の構成要素が数えられたり、
五十種の心理現象が数えられたりする。

心理的・物理的な要素や原理を「数え上げる」ことは、
古くブラーフマナウパニシャッドにも見られ、
それは、人間存在やその環境を考察・思弁する方法と考えられる。
したがって、サーンキヤという語は、元来は哲学的思考や理論的考察一般を意味するものであった。
この「サーンキヤ」が特定の思想体系をあらわす語となるのには、
一つの重要な過程があったと考えられる。

紀元前三世紀ごろのカウティリヤに帰せられる『実利論』には、
学問を神学(ヴェーダ学)・政治学・経済学・哲学の四種に分け、
サーンキヤをヨーガおよび唯物論(順世派の思想)とともに哲学としてあげている。
このことは、当時、神学的思弁から独立した理論的考察の学問がサーンキヤとして成立していたことを示している。
進学からの独立とは、ブラフマン一元論に対する精神と物質の二元論の確立を意味するであろう。
『古典サーンキヤ体系概説』の第二詩節に、ヴェーダの祭式主義に対する批判が見られることをあわせ考えれば、
サーンキヤは、仏教やジャイナ教と同じく、伝統的な祭式を否定し、
解脱の方法を理論的に考察する「哲学」として二元論を展開させたのである。

しかし、このことは、哲学としてのサ-ンキヤが、
ブラーフマナウパニシャッドに見られる思考と関連をもたずに成立したということを
意味するのではない。
すでにウパニシャッドにおいて、祭儀から知識への脱皮と移行とが見られたが、
サーンキヤはその芳香をさらに一歩勧めたということができる。
神学的思弁の残滓(ざんし)であるブラフマンの語は、ここでは影を消してしまうが、
「精神原理(プルシヤ)」は、ウパニシャッドアートマンを、現象会を超越した方向へ
徹底させることによって生まれた原理である。
精神と物質と物質の二元論も、その萌芽(ほうが)は古くだどることができる。
サーンキヤは原質の存在を論証して、二元論を理論的に基礎づけたのであり、
開展節―結果は原因のなかに潜勢的に存在するという、いわゆる「因中有果論」―を確立して、
一つの完結した思想体系を形成したのである。

理論的考察とともにサーンキヤ学派は、いくつかのすぐれた比喩を伝えている。
跛者(はしゃ)(ちんばの人)と盲人との比喩は特に有名である。
精神原理は見ることはできるが、歩く事のできない跛者であり、
物質原理は歩く事はできるが見ることのできない盲人である。
そして、盲人が跛者を背負って目的地へと歩み出すように、
物質原理は精神原理と結合して万物を開展させる。
最高神の創造をとく後世のヒンドゥ教にもこのサーンキヤの思想は強い影響を与え、
精神原理と物質原理とは最高神とその神妃として表象される。





最終更新:2007年08月04日 00:55
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