董卓仲穎

【元ネタ】三国志演義
【CLASS】バーサーカー
【マスター】
【真名】董卓仲穎
【性別】男性
【身長・体重】180cm・200kg
【属性】混沌・悪
【ステータス】筋力A 耐久B 敏捷C 魔力D 幸運E 宝具C
【クラス別スキル】
狂化:-
 理性と引き換えに身体能力を強化するスキル。
 通常時、狂化は機能しておらず正常な思考を保つ。

【固有スキル】
暴虐非道:A
 『会稽壱式』に由来する「未来予知」が破綻し、変化したスキル。
 周囲の環境情報を分析し、その因果を読み解くことで短期予測をする高速演算は荒野にてこそ真価を発揮したが、
 血統・出自を重んじる人心はその演繹を歪ませ、遂には破滅的な解を導くのみとなった。

軍略:C+
 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
 自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合にわずかだが有利な補正が与えられる。
 バーサーカーは短期予測すら可能な高速演算能力によって、高い戦術力ボーナスを獲得する。

自己改造:C+
 自身の肉体に、まったく別の肉体を付属・融合させる適性。
 このランクが上がればあがる程、正純の英雄から遠ざかっていく。
 『会稽壱式』の発動時に展開される強化外骨格を改造する事も可能。

【宝具】
『会稽壱式(かいけいいちしき)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:0~3 最大捕捉:1人
 バーサーカーがかつて発見したとされる西楚の覇王たる項羽の刀。
 …とそれを基に開発、改造されたバーサーカーの肉体そのもの。
 始皇帝が設計した人造人間たる項羽、その武装を解析し仙術サイバネティクスの技術を取り入れた事によりバーサーカーの肉体は大きく変質した。
 真名解放と共にバーサーカーの肉体は強化外骨格に包み込まれ、ステータスの向上と演算能力の高速化といった恩恵を受ける。
 この状態のバーサーカーの武勇はまさしく覇王項羽に迫るものとなる。
 しかし取り入れた仙術サイバネティクスの技術が不完全だったのか、あるいはバーサーカーの精神が後付けの高速演算能力に耐えきれないのか。
 本来は猛将と呼ぶにふさわしい筈のバーサーカーの精神は歪な暴君のそれと化す。

【解説】
 古来より暴君の代表的存在として知られる、中国後漢末期の武将・政治家。
 辺境の一将軍から立身し、霊帝死後の混乱に乗じて洛陽にて政権を掌握し専横を極めたとされる。
 しかしその圧政は洛陽、そして亡命先である長安においても反発が絶えず、最後は部下である呂布に殺害された。

 生まれつき武芸に優れ、若い頃は農業の傍ら放浪を通じて羌族をはじめとした異民族との人脈を築いていった一方で、
 群の役人となってからは羌族の討伐に積極的に参加した。その数は百回を超えていたとされる。
 またこの頃農作業中に項羽のものとされる一振りの刀を見つけたという伝承が存在する。

 184年より、黄巾の乱やそれに連動した涼州の反乱にて従軍し、辺境において一進一退の戦線を繰り広げる。
 その最中霊帝が崩御し、皇室と宦官の間で揺れる政権争いの牽制として何進に招集され洛陽へと向かった。
 宦官を粛正していた何進が反撃に遭い殺害され、後の皇帝となる霊帝の息子二人が誘拐された際にはこれを救出し、
 上洛後は何進らが遺した兵士をまとめ、呂布との謀略により丁原の軍を吸収することで洛陽の兵力全てを配下に収めた。

 斯くして宦官勢力は一掃されたが、元より政治不信が続いていた洛陽の民の不満は全て董卓へと注がれた。
 名士らに役職を与え、かつ彼らに人事を委ね、皇軍側の名誉回復や宦官側への役職委任なども行ったが、
 遂には嘗て救った兄弟の兄である少帝を廃して弟の献帝を擁立し、常軌を逸した改元を図るなどの横暴にでることとなった。
 190年、初平元年の正月早々に反董卓連合軍が結成され、関東諸侯の一斉蜂起が発生すると、董卓は翌月に長安へと遷都。
 その後も洛陽を拠点として戦うも翌年の191年陽人の戦いにて大敗。同年4月に洛陽を焼き払って長安へと撤退した。

 董卓の暴政は長安に移ってからより苛烈さを増す。
 天子が乗るとされる青蓋車を乗り回し、悪貨の導入により経済を破綻させ、捕虜を拷問した際の悲鳴を肴に酒宴を開いた。
 もはや彼が信じる者はかつて項羽の剣を見定めた蔡邕と養子の呂布、そして王允のみであった。
 だが呂布や王允にも積年の恨みあり。二人は結託し、192年4月董卓を献帝の快気祝いにて暗殺。
 董卓の一族は呂布や王允の部下によって皆殺害され、長安の民は暴君の死に快哉を叫んだ。
 そして脂の漏れる董卓の骸の臍に灯心を刺しては数日火をともされた後、彼ら一族は纏めて焼き払われた。


【キーワード】
 『項羽の刀』
 汎人類史における項羽は、始皇帝が回収した哪吒太子の残骸を元に設計した人造人間であった。
 彼自身の原初のプログラムである「『天下泰平』の早期実現」は彼の一部である武装にも組み込まれており、
 その一兵装である長刀に触れた董卓もまた、その刀に導かれる形で鋼の体と発条の演算を武器に戦場を駆けた。

 相対する異民族の略奪は非道なれど彼らの生活の一要素。それらの維持もまた天下泰平への道筋。
 董卓は刀と共に彼らの動向を監査し、度が過ぎた略奪が起きればそれを「維持不可能」として討伐した。
 そして彼らとの折り合いを付けながらの国家運営こそが天下泰平の解であると、一人と一機は確信を得て上洛した。

 しかし洛陽に潜んでいたモノは、それらの解を破綻させる定数(エゴ)であった。
 「治世に於いて汝南袁氏に勝る者なし」、「努々胡を朋とする蛮夫を容れる勿れ」、
 それらの言葉は一人の心を蝕み、一機の歯車に亀裂をもたらし、遂に両者はある解を得た。
 「都の民は『維持不可能』な者である」。
 もはやそこには荒野にて厚遇する侠の姿はなく、捕虜の血潮を解(快)とした暴君があるのみであった。

 だが董卓の部下は尚も彼に心を捧げ、彼の死から2ヶ月後に復讐は果たされたのである。
 皮肉にも両者の在りし日の姿が再認識されたのは、この刀を最初に正しく認識した蔡邕の首が落とされた後であった。
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最終更新:2023年11月03日 22:59