尉遅敬徳

【元ネタ】史実、『隋唐演義』
【CLASS】ランサー
【マスター】
【真名】尉遅敬徳
【性別】男性
【身長・体重】193cm・98kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力A 耐久C 敏捷A+ 魔力D 幸運B 宝具A
【クラス別スキル】
対魔力:C
 二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。
 ただし無疵の武練スキルやそれを突き詰めた宝具『神勇冠軍・無不摧破』を有するランサーを捉えるのは困難を極めるだろう。

【固有スキル】
無疵の武練:A+
 生涯無傷で名を知らしめた一握りの英雄が保有する「無窮の武練」の亜種スキル。
 極限域まで高まった武芸の手練により、如何なる状況下においても迎撃・回避行動を取ることを可能とする。

忠士の相:A
 マスターに忠誠を誓い、同時にマスターからも信頼を寄せられる。
 元は投降した敵将でありながら、唐の太宗・李世民から絶大な信を置かれ、ランサーもまた忠義を尽くし、
 後に唐の中国統一に貢献のあった功臣を指す凌煙閣二十四功臣のひとりに数えられている。

神性:C
 神霊適性を持つかどうか。
 その生涯に於いて一度も負傷しなかった武勇から『神勇』と讃えられた。
 また、中国では最も広く知られる門神の一柱としても信仰されている。

門神:A-
 建物の門番を務める神としての性質を表すスキル。
 陣地防衛を行っている間、自身の能力を向上させる他、悪鬼・怨霊を退ける守護者として「対霊戦闘」を内包する。
 その成り立ちから一部の例外を除き、対となる英雄・神格と戦場を共にしない限りランクにマイナス補正がかかる特殊なスキル。
 ランサーの場合、英霊・秦叔宝との共闘によって本来のランクを取り戻す。

騎乗:B-
 騎乗の才能。
 大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせる。
 幻想種は乗りこなせないが、宝具『神勇奪槊』によって力ずくで乗りこなすことも可能。
 ただし騎乗物の耐久値は著しく損耗する。

【宝具】
『神勇奪槊(ぶ、わがみをとらえず)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1人
 試合や戦場において、相手の矛を巧みにかわしつつ奪い取ったというランサーの力量が宝具となったもの。
 攻撃を回避すると同時に敵の武器を掴んだ際、その場で筋力(STR)を用いた判定を行い、
 判定に成功した場合、その武器を自らの武器として手繰り寄せ、使用することが出来る。
 また、王苑を名馬共々手捕りにした逸話から乗騎の奪取及び敵手の捕縛にも応用可能。
 使用するには一度でも相手の攻撃を完全に見切る必要があるが、敵対者から武力を奪い、
 自らの力とするこの宝具は、単純ながら近接戦闘において圧倒的な優位性を誇る。

『神勇冠軍・無不摧破(しんゆう、やぶれることなし)』
ランク:A 種別:対人/対軍絶技 レンジ:1〜30 最大捕捉:50人
 生涯において無疵無敗を貫いたランサーの神域の武が織り成す逸脱の御業。
 「無疵の武練」の術理を突き詰めた絶技であり、例え因果律にて定められた必中の一撃であろうと対処可能な事象へと落とし込み、懸る一切を去なし、捌き、あるいは発動以前に"起こり"を抑え込む。
 単純な動作においてもその速度は神速にあり、生半な遠距離攻撃は発射以前に斬って落とすほど。
 一騎にして万軍とも渡り合う、三軍に冠たる神勇の所以を発揮するが、長時間、または間断なき発動はランサーの霊基に確かな軋みをもたらす。
 ランサーの忠勇を恃みに濫用させれば無疵の英傑は己の内から生じる損壊によって斃れる皮肉な最期を迎えるだろう。

【Weapon】
『無銘・鉄鞭』
 伝承によって水磨鞭、打将鞭、虎眼鞭などと呼称される。
 ランサーは鉄鞭の名手であり、120斤(当時の基準で約81kg)の重量を誇るソレを軽々と使う。

『無銘・槍』
 ランサーの史書における武装。槊とも。
 戯曲『単鞭奪槊』などにおいては火尖槍と名付けられる逸品とされている。

【解説】
 中国の唐の軍人。姓は尉遅、名は恭。字の敬徳で知られる。
 隋末に群盗討伐で功績を上げ、群雄割拠の時代には群雄の一人、劉武周の配下の将として仕えた。
 劉武周が唐の李世民と決戦して敗れると、敬徳は残軍を率いて籠城するも、
 李世民の説得を受けて、同じく劉武周の将であった尋相と共に唐に降伏した。

 後に尋相が唐に叛くと、諸将は敬徳も乱に加わったものと疑い、敬徳を殺すよう進言したが、
 李世民は敬徳を寝室の中に招いて「わたしは讒言をもって良士を害したりはしない」といい、
 「去りたいときには資金とせよ」と金まで渡したという。
 この日たまたま鄭の王世充が兵を率いて襲撃してくると、敬徳は李世民の前で奮戦し、敵将を捕らえた。
 その後も敬徳は多くの群雄を討伐し、唐の中国統一に貢献し、また李世民の兄弟である
 李建成や李元吉との皇位争いの決着を進め、李世民の皇帝即位の後押しをした。
 これらの功績から敬徳は唐の中国統一に貢献のあった功臣を指す凌煙閣二十四功臣のひとりに挙げられている。
 しかし、武人としての功績に対する自負心が強い敬徳は文官である唐の大臣達と反りが合わず、
 李世民が高句麗遠征を決めると敬徳は遠征しないように求めるも、容れられなかった。
 高句麗遠征から帰還後は一切の官職を捨てて引退し、晩年は仙人としての修業に明け暮れ、74歳で没した。

 死後、敬徳は門神として祀られ、前線で活躍しながらその生涯において、
 戦場で全く負傷しなかったという武勇は「隋唐演義」や「説唐」で伝説化され、『神勇』と称された。
 また、敬徳の圧倒的な力量を表すものとして李世民の弟・李元吉との試合の逸話が存在する。
 ある時、李元吉は自らの武勇を誇って敬徳を軽んじ、刃を除いての槍の試合を申し込む。
 しかし、敬徳は元吉には刃を付けるように言い、自分は刃を除いて試合に臨んだ。
 敬徳は最後まで槍を当てられることがなかっただけでなく、主君である李世民が
 「矛を奪うのと矛を避けるのとではどちらが難しいか」と問い、「矛を奪う方が難しい」と答えると、
 李世民は元吉の矛を奪うように命じ、改めて試合をすると、元吉が本気で刺しにきているにも関わらず、
 敬徳は一瞬のうちに矛を奪い、合計三本の矛を奪い取り、元吉は大いに恥じ入った。
 実際の戦場でも、敬徳は矛を巧みにかわしつつ巧みに矛を奪い取って賊を倒したという。

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最終更新:2024年05月02日 03:01