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ウマイヤ朝

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4代目カリフアリーが暗殺されるとムアーウィアがカリフに選ばれ、
611年、5代目カリフムアーウィアによって作られた王朝である。

アラビア人至上主義を取りながらも征服活動を続け、
ついには東は北西インド、西はイベリア半島に進出した。
しかし732年、イベリア半島からピレネー山脈を越えてフランク王国に進入すると、
トゥール・ポアチエカール・マルテルと戦い敗れ北上失敗し、イベリア半島へ後退した。

この後、やがて暗殺されたアリーの子孫こそが正統なカリフだと主張し、ウマイヤ朝を否定するグループが現れた。
これがシーヤ派である。
逆にウマイヤ朝を支持する派閥も現れた。これがスンナ派である。

750年、ムハンマドの血を引くアッバースによって倒される

756年、その後ウマイヤ朝一族はイベリア半島へ逃れ、ここで後・ウマイヤ朝を建てる
ここのイスラム教徒は、後にレコンキスタの対戦相手となる。

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