プロフィール
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選手名 - ジェームス・ジョゼフ・ディエントナ(James Joseph D'Antona)
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背番号 - 4(09年~10年)
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出身地 - アメリカ合衆国コネチカット州グリーンウィッチ
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身長/体重 - 188㎝/102㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - トランブル高-ウェークフォレスト大-ダイヤモンドバックス-東京ヤクルト
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顔文字 - 未定
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実況板でのあだ名 - 伝助
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関連用語 -
入団前
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ウェークフォレスト大を経て03年、ドラフト2位指名でダイヤモンドバックスに入団。
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04年、1A北西リーグでオールスター選出、年間最優秀選手となる。06年には2A南リーグのオールスター選出と着実にステップアップ。07年から3Aに昇格。
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08年にはフューチャーズゲームアメリカ代表(3Aオールスター)に選出され、ホームランダービーで優勝した。
08年7月22日のカブス戦で代打としてメジャー初出場を果たし、初打席でメジャー初安打を放った。3Aでは最終的にリーグ2位の打率、21本塁打をマークした。
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リグス、ガイエル等の外国人長距離砲が不調に終わり、新4番候補を探していたヤクルトが08年オフに獲得。
元々はサードを守っているが、守備率9割という問題点で守備に不安がある為、4番ファーストで起用される事が濃厚となっている。
ヤクルト時代
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春季キャンプ~OP戦では左ひざ痛で調整が続き、試合出場が危ぶまれていたが、開幕戦から4番ファーストで起用。
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08年の機動力野球の弱点であった長打力を克服する為に、5番を打つガイエルとのツインバズーカが期待された。
5~6月頃は打撃不振でスタメン落ちもあったものの、7月は大活躍で月間MVPを獲得。
8月に左太もも肉離れで離脱し、復帰後も全力疾走できないなどで成績は下がった。
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デントナ離脱後は苦肉の策として4番青木という新打順を組んだが、これが意外にハマりチームはCS進出を果たした。
CS進出決定後のペナント最終盤から復帰し、中日戦での疑惑の逆転2ラン(Let’s省タイムの項目を参照)やCS初戦でのチェンからの逆転弾等復活をアピールした。
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10年の契約はメディカルチェックの結果を踏まえて決めると報道され、1月中旬になって1年契約(2年目は球団に選択権があるオプション付)で残留が決定した。
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10年はシーズン途中から加入したホワイトセルとの競争もあり、外野守備にも挑戦した。
10年オフに退団となった。
その他
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同僚のガイエル曰く、「周りの人を楽しませてくれる人。エネルギッシュで満ちている人」であり、試合中継ではベンチでガイエル、川本、川島慶、ユウイチ等と談笑している姿がよく映っている。
大学ではコミュニケーション学を専攻していた為か、一塁守備時に相手選手に話しかけて笑わせたりする姿がよく見られる。09年5月12日の中日戦では試合中にこの日誕生日だった井端に話しかけ肩を揉み祝福した。
なお、5月12日はデントナ自身の誕生日でもある。
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初期のスポーツ紙報道ではジェイミー・ダントーナと紹介されていた為、ネットでは「暖冬」と呼ばれていた。
結局ヤクルトでの登録名はジェイミー・デントナとなったが、「ダントーナ」の方が良かったという意見も多い。
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ヤクルト入団決定時にはダイヤモンドバックスのフィールドコーディネーターであるジャック・ハウエル(ヤクルト→巨人)、同打撃コーチのリック・シュー(日本ハム)といった
日本球界経験者からの祝いの電話が来たとの事。
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来日の際には友人の母にプレゼントされた巨大な枕を持参した写真が掲載されたが、ネットでは風貌がオタク大学生っぽい雰囲気と言われていた。
アメリカ時代の成績
http://www.thebaseballcube.com/players/D/Jamie-DAntona.shtml
日本での年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2009 | 東京ヤクルト | 118 | 391 | 39 | 108 | 19 | 0 | 21 | 83 | 32 | 110 | 0 | .276 |
2010 | 東京ヤクルト | 99 | 294 | 33 | 72 | 17 | 0 | 15 | 50 | 33 | 99 | 0 | .245 |
| 通算 | 217 | 685 | 72 | 180 | 36 | 0 | 36 | 133 | 65 | 209 | 0 | .263 |
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最終更新:2012年12月12日 00:26