プロフィール
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選手名 - 成本 年秀(なりもと としひで)
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背番号 - ロッテ時代 19(93年~00年) 阪神時代 48(01年~02年) ヤクルト時代 12(03年~04年) 統一時代 21(05年)
ヤクルトコーチ時代 79(06年~07年) ロッテコーチ時代 81(08年~)
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出身地 - 兵庫県
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身長/体重 - 180㎝/85㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - 西宮東高-京都産業大-大阪ガス-千葉ロッテ(92年ドラフト2位)-阪神-ヤクルト-統一
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顔文字 -
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実況板でのあだ名 - なりぽん
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関連用語 -
現役時代の成本
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ロッテではルーキー年からリリーフ投手として登板。
特に河本(現楽天)と成本の二人で抑えを務めたことから、千葉マリンスタジアムでは
二人の活躍に合わせて「ダブルストッパー弁当」が売り出されるなど、チームの中心選手の一人として活躍した。
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その後右ヒジのケガにより低迷、00年オフにはロッテを自由契約となるものの阪神にテスト入団。
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翌01年には3勝20セーブをマーク、見事カムバック賞を受賞した。
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03年に再度テストを受けてヤクルツへ。いわゆる「再生枠」として期待がかかったが、
中継ぎとしてそこそこ投げるもホームランを打たれることが多く(32試合登板で11本)、
期待された程の成績を残すことができなかった。
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04年オフに自由契約となり、05年は台湾プロ野球に挑戦。しかし開幕して6試合を投げたところであっさり契約解除となってしまう。
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その後の報道がされなかったため、消息は不明となっていた。
コーチとしてヤクルツに復帰
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05年オフ、ヤクルツでは古田敦也が選手兼任監督となり、組閣の段階で投手コーチとして成本の名前が浮上。
実況板の住人にも全くノーマークであったが、ヘッドコーチに昇格した伊東昭光とともにヤクルツ投手陣を引っ張っていくことになった。
ヤクルツ退団、ロッテに復帰
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07年オフにヤクルツを退団し、08年からはロッテの投手コーチを務めている。
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 三振 | 四死球 | 自責点 | 防御率 |
1993 | ロッテ | 37 | 1 | 4 | 0 | 75.1 | 52 | 34 | 27 | 3.23 |
1994 | ロッテ | 47 | 3 | 6 | 19 | 85.2 | 98 | 31 | 26 | 2.73 |
1995 | ロッテ | 44 | 9 | 3 | 21 | 63.0 | 61 | 21 | 14 | 2.00 |
1996 | ロッテ | 45 | 7 | 6 | 23 | 62.1 | 64 | 16 | 23 | 3.32 |
1997 | ロッテ | 11 | 2 | 0 | 0 | 10.1 | 7 | 11 | 12 | 10.45 |
1998 | ロッテ | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
1999 | ロッテ | 2 | 0 | 1 | 0 | 7.2 | 5 | 4 | 4 | 4.70 |
2000 | ロッテ | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.0 | 0 | 2 | 3 | 27.00 |
2001 | 阪神 | 45 | 3 | 1 | 20 | 50.0 | 34 | 22 | 13 | 2.34 |
2002 | 阪神 | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2003 | ヤクルト | 32 | 0 | 0 | 0 | 39.2 | 35 | 10 | 23 | 5.22 |
2004 | ヤクルト | 7 | 0 | 0 | 0 | 7.1 | 3 | 1 | 4 | 4.91 |
2005 | 統一 | 6 | 2 | 2 | 0 | 27.2 | 19 | 15 | 12 | 3.90 |
| 日本通算 | 271 | 26 | 20 | 83 | 402.1 | 359 | 152 | 149 | 3.33 |
| 海外通算 | 6 | 2 | 2 | 0 | 27.2 | 19 | 15 | 12 | 3.90
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タイトル
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1996年 パリーグ最優秀救援投手 45試合7勝6敗23セーブ 防御率3.32
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2001年 セリーグカムバック賞
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最終更新:2023年08月05日 09:35