プロフィール
入団前
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小学3年生で野球を始め、その当時太っていたために捕手のポジションを半ば強制的に与えられてしまう。
04年にYahoo!チャットで行われた古田とチャットするという企画で、吉田という友人に捕手を勧められたとこの時の話をし、
実況板では古田のあだ名の一つである吉田と同じ名前じゃないか、と話題になった。
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川西明峰高に進学し、野球部に入るも公立校だったため練習も1時間くらいしか出来ず、甲子園など夢のまた夢、
といった感じで野球も高校限りで全く続ける気はなかったらしい。
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関西大学を目指し受験勉強、古田の代名詞となっているメガネはこの時に目を悪くして掛け始めたらしい。
勉強の甲斐あって関西大学と立命館大学に合格、当初家から通えると言う理由で関西大学に行こうと思っていたが、
川西明峰高時代の古田の才能に目をつけた立命館大学の野球部監督が古田を誘い、ためしに古田も見学しに行ってみると
大歓迎を受けてしまい断りきれず結局立命館大学に入学してしまった。
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立命館大で捕手のレギュラーを獲得し活躍。阪神等数球団からのドラフト指名は確実と言われたが、
「メガネをかけた捕手は大成しない」との理由で指名はなく、大学に記者会見の場を設けて指名無しという屈辱を受ける。
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トヨタ自動車へ入社し、ソウル五輪で野茂とバッテリーを組み銀メダル獲得。ドラフト2位でヤクルトに入団した。
この時、大学時代の苦い経験があったので指名されるまで半信半疑だったという。
ヤクルト時代
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1年目から8番キャッチャーで出場。打撃の評価は低かったが、元からの捕手能力に加え、野村監督の英才教育を受けて成長。
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2年目に落合(当時中日)と熾烈な首位打者争いを繰り広げ、最終戦で首位打者を決めた。
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92、93年に3番キャッチャーとしてセ・リーグ連覇を達成。2度に渡る黄金時代の西武と日本シリーズで激戦を繰り広げた。
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94年、右手指を骨折し、長期離脱。76試合出場に止まり、チーム3連覇を逃した。
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95年、前年の怪我から復活し、3度目のリーグ優勝。オリックスとの日本シリーズではイチローを徹底したリードで抑え込み、2度目の日本一を果たす。
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97年には4番キャッチャーとしてシーズンを送り、キャリアハイの164安打、打率.322という成績で4度目のリーグ優勝。
キャッチャーとしては初のリーグ、日本シリーズ両方のMVP受賞という快挙。
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01年、シーズン途中に左膝後ろ十字靭帯損傷の大怪我を経験しながらも、5度目のリーグ優勝を勝ち取る。
近鉄との日本シリーズではいてまえ打線を完全に沈黙させ、4度目の日本一に輝き、日本シリーズMVPを受賞した。
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06年からプロ野球29年ぶりとなる選手兼監督に就任。
兼任監督時代
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開幕戦は先発マスクを被ったものの、06年の目標の一つである自身の後釜候補育成の為に米野や福川を起用。
基本スタンスとしては投手陣の薄さをカバーする為、青木、リグスの超攻撃1、2番を筆頭に
クリーンナップは岩村、ラミレス、ラロッカとどこからでも長打が飛び出す布陣を組んでいた。
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また、兼任監督の目玉の一つである「代打、俺」も右の代打で度会や土橋、
左の代打で真中や鈴木健がベンチで控えている為遠慮がちな様であった。
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あまりにも出場機会が激減している為、多菊社長からも引退勧告を出される寸前であったが、07年も兼任監督としてプレーする事が決定。
オフの契約更改では選手分の年俸2億3000万から5750万への大幅ダウンを受け入れた。
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07年、開幕戦でマスクをかぶって以降試合出場がしばらく無かったが、4月19日の横浜戦で2000試合出場を達成。
ところがこの記念べき試合で死球の判定を巡って退場処分を受けてしまった。
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シーズンでは青木、ラミレスの猛打、グライシンガー、ガイエル、シコースキー等新外国人の成功、田中浩、飯原、川本等
若手の成長と明るい話題も多かったが、ロケットボーイズの故障に始まるリリーフ陣の崩壊が大打撃となり、21年ぶりの最下位となってしまった。
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9月19日、チームの成績低迷を受けて、引退と監督辞任を発表。10月7日の広島戦で18年の選手人生を終えた。
ヤクルト退団後
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現役引退後はスポーツキャスター・講演活動を幅広く行っており、08年北京五輪ではフジテレビ中継総合キャスターとして登場した。
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北京五輪アジア最終予選での解説を行い、オッケ━━━━(ゝ〇_〇)━━━━イ!!!!実況という鮮烈なインパクトを残したが、現在は野球解説の仕事からは一線を引いている。
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将来的なヤクルト監督復帰は現フロントとの不仲?(憶測だが)もあってか現状では希望は薄いと思われる。
引退試合
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球団から販売された前売りチケットは2時間で完売。ネット予約分も指定席を中心に数十分で入手困難に。
実況板でもチケット入手、当日の行列問題について話題になった。
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10/4の鈴木健引退試合の日、10/7の古田引退試合に対するシート貼りの抽選が行われる。
これは神宮球場は建前上、試合前日の行列泊り込みを禁止しているからである。
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10/7当日、早朝から8000人のファンが長打の列を作り、390人の警備体勢が敷かれる。報道陣は普段の5倍の150人超。
ビジター席であるレフトスタンド側の行列にもヤクルトファンが多数並んだ。
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通常より1時間半以上早い3:30に開門。東京六大学リーグ明治大vs立教大の試合の途中からプロ野球の観客を入れた。
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入場の際、来場者全員に緑色のメッセージカードを配布。古田の打席時に皆で掲げて球場を緑色に染めようという企画であった。
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スタンドでは古田の両親、中井美穂夫人の他、メジャー1年目を終えて帰国した岩村、楽天打撃コーチの池山が最後を見守った。
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スタメン発表。1番田中浩、2番ガイエル、3番ラミレス、4番青木、5番古田という普段では有り得ないスタメン発表でスタンドがどよめく。
4番青木の意図は、「これから(チームを)しょっていかなくちゃいけない選手。4番を打てとは思わないけど、そのメッセージでした」との事。
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ヤクルト石川、広島長谷川の先発で試合開始。1回表、いきなり石川が炎上して3点を先制される。
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2回裏、青木がヒットを放った後古田に第1打席が回る。スタンドはメッセージカードで緑色に染まり、対戦相手である広島ファンもカードを掲げた。
結果はライトフライで青木が三塁に進み、6番のリグスの犠牲フライで1点を返した。
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5回表、新井が石川から2ランを放ち、点差が4点に開く。5回裏に古田2度目の打席が回ってきたがショートフライに終わる。
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6回裏、ガイエルの来日初の34号ランニングホームランで反撃の狼煙をあげると、続くラミレスのセ・リーグタイ記録となるシーズン202安打目のセンター前ヒット、
青木のショート内野安打とチャンスを作り古田3度目の打席が回るが、センターフライに終わる。
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6、7回は木田、シコースキーがしっかりと抑え、ついに8回表、盟友の2人の内の1人、石井一が登板。
何故か登場曲がフィンガー5の「恋のダイヤル6700」。この日限りのサブライズ選曲だったが、何故か普通にノッっていたヤクルトファン。
「あなたが好きー死ぬほど好きー」という意味深な歌詞。石井は軽々とツーアウトを取った後廣瀬にホームランを浴びてしまった。
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8回裏、ガイエルがホームラン王の村田にあと1本と迫る35号ホームランを放つ。ラミレスが三振に倒れ、青木が四球で出塁。
ここで古田4度目の打席が回るが、何とここで前日に引退試合を行った佐々岡が登板。アマ時代にバッテリーを組んだ経験もあり、90年のドラフト同期を
現役最後の対戦相手とするブラウン監督の神采配。結果はショートゴロに終わる。
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9回表、盟友の2人の内の1人、高津が登板。ブルペンからマウンドに行き、投球の前に古田と抱擁し、スタンドが沸いた。
ここでも90年代のセ・リーグを沸かせた広島の看板打者である前田、緒方を代打で送り込むというブラウン監督の神采配が炸裂。
前田にはヒット性の打球を打たれるもリグスのファインプレーで抑え、続く東出、緒方を連続三振に打ち取った。
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9回裏は永川に抑えられ残念ながら3-6で敗戦。試合終了後、シーズン最終戦だった広島ファンから佐々岡コールが起きると、
ライトスタンドのヤクルトファンからも大佐々岡コールが起きた。
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神宮最終戦のセレモニーで全選手がマウンド上に整列。続いて引退セレモニーが開始となった。
バックスクリーンのビジョンで古田の活躍をまとめたVTRが流される。最初に古田のプロ入り時当初のデカいメガネ姿が映り、スタンドが爆笑。
VTR終了後、古田の挨拶。家族やファンへの感謝を述べ、最後に「また、会いましょう」との言葉で締めくくった。
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セレモニー終了後、グラウンドを一周しボールを投げ入れた後、高津、ラミレスと共にライト付近へ登場。
かつて日本シリーズ優勝時に見せたフェンスに登っての万歳をし、引退試合が終了した。
その他
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将棋が趣味で、日本将棋連盟から三段免状を贈呈されている。
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トヨタに在籍していた縁で、愛車は今でもトヨタ車。
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05年にブログを開設。オフにはブログをまとめた書籍「古田のブログ」が発売された。
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タレントの大木凡人とは従兄の関係。
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古田の母方のいとこと、城石の父方のいとこが夫婦なので、両者は親戚である。
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TBSラジオの「バツラジ」に出演した際、ファイナルファンタジーを「ファイファン」と略した事がまれに実況板でネタになる。
「ファイファン」と略すのはおじさん、若い人は「FF」と略すらしい。
数々の記録
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91年オールスター第1戦では松永、白井、秋山とパリーグを代表とする選手の盗塁を刺し、この試合1安打ながらMVPに選出される。
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92年オールスター第2戦ではオールスター史上初のサイクルヒットを達成してMVPに選出される。
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97年にはキャッチャーとしては初のペナント、日本シリーズの両方でMVPに輝く。
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03/6/28には38歳という年齢で4打席連続ホームランを記録する。
この時、4本目のホームランボールを取った子供が古田にボールを返しに行ったが、逆にそのボールにサインをして子供にプレゼントした。
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05/4/24の広島戦で史上32人目、大学社会人を経由してプロに入った選手では初の2000本安打を達成。
2000本安打のボールは観客席に投げ込んだ。なお、この記録は松山坊ちゃんスタジアムで達成され、球場に記念石碑が作られた。
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05/10/5の中日戦で史上27人目、大学社会人を経由してプロに入った選手では初の1000打点を達成。
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盗塁阻止率リーグ1位を9回記録。
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シーズン打率3割以上を8回記録は捕手として史上最多。
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
1990 | ヤクルト | 106 | 280 | 32 | 70 | 12 | 1 | 3 | 26 | 47 | 44 | 1 | .250 |
1991 | ヤクルト | 128 | 412 | 58 | 140 | 23 | 5 | 11 | 50 | 66 | 59 | 4 | .340 |
1992 | ヤクルト | 131 | 474 | 87 | 150 | 27 | 3 | 30 | 86 | 89 | 87 | 3 | .316 |
1993 | ヤクルト | 132 | 522 | 90 | 161 | 29 | 0 | 17 | 75 | 62 | 83 | 11 | .308 |
1994 | ヤクルト | 76 | 260 | 24 | 62 | 9 | 0 | 3 | 19 | 23 | 40 | 3 | .238 |
1995 | ヤクルト | 130 | 487 | 88 | 143 | 18 | 1 | 21 | 76 | 52 | 51 | 6 | .294 |
1996 | ヤクルト | 119 | 437 | 57 | 112 | 24 | 2 | 11 | 72 | 50 | 68 | 5 | .256 |
1997 | ヤクルト | 137 | 509 | 74 | 164 | 32 | 2 | 9 | 86 | 82 | 64 | 9 | .322 |
1998 | ヤクルト | 132 | 491 | 58 | 135 | 19 | 1 | 9 | 63 | 54 | 62 | 5 | .275 |
1999 | ヤクルト | 128 | 483 | 79 | 146 | 26 | 2 | 13 | 71 | 54 | 41 | 10 | .302 |
2000 | ヤクルト | 134 | 496 | 65 | 138 | 31 | 0 | 14 | 64 | 56 | 54 | 5 | .278 |
2001 | ヤクルト | 121 | 441 | 59 | 143 | 23 | 0 | 15 | 66 | 52 | 41 | 1 | .324 |
2002 | ヤクルト | 120 | 420 | 49 | 126 | 24 | 1 | 9 | 60 | 34 | 47 | 3 | .300 |
2003 | ヤクルト | 139 | 509 | 69 | 146 | 27 | 1 | 23 | 75 | 60 | 77 | 2 | .287 |
2004 | ヤクルト | 133 | 483 | 72 | 148 | 23 | 0 | 24 | 79 | 46 | 66 | 1 | .306 |
2005 | ヤクルト | 96 | 329 | 29 | 85 | 15 | 0 | 5 | 33 | 24 | 54 | 1 | .258 |
2006 | 東京ヤクルト | 36 | 90 | 11 | 22 | 5 | 0 | 0 | 8 | 7 | 13 | 0 | .244 |
2007 | 東京ヤクルト | 10 | 18 | 2 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .333 |
通算 | | 2008 | 7141 | 1003 | 2097 | 368 | 19 | 217 | 1009 | 859 | 951 | 70 | .294 |
タイトル
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セントラル・リーグ最優秀選手:2回(93年・97年)
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日本シリーズ最高殊勲選手:2回(97年・01年)
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セントラル・リーグ首位打者:1回(91年.340)
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セントラル・リーグベストナイン捕手部門:9回(91年~93年・95年・97年・99年~01年・04年)
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セントラル・リーグゴールデン・グラブ賞捕手部門:10回(90年~93年・95年・97年・99年~01年・04年)
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セントラル・リーグ月間MVP:4回(91年5月度・93年8月度・97年5月度・97年9月度)
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オールスターMVP:2回(91年第1戦・92年第2戦)
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最優秀バッテリー賞:6回(91年~92年・95年・97年・00年~01年)
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最優秀バッテリー特別賞:1回(93年)
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正力松太郎賞:1回(97年)
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セントラル・リーグ会長特別賞:1回(03年)
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セントラル・リーグ特別功労賞:1回(07年)
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最優秀JCB・MEP賞:1回(93年)
代表歴
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ソウルオリンピック日本代表(88年)
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シドニーオリンピックアジア予選日本代表(99年)
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最終更新:2010年09月15日 01:06