プロフィール
-
選手名 - グレゴリー・マーク・ラロッカ(Gregory Mark LaRocca)
-
出身地 - ニューヨーク州
-
身長/体重 - 181㎝/81㎏
-
投打 - 右投右打
-
球歴 - マサチューセッツ大-パドレス(MLB)-インディアンス(AAA、MLB)-広島-東京ヤクルト-オリックス
-
顔文字 - (‘,,Å,,‘)
-
実況板でのあだ名 -ラロ
-
関連用語 -
広島時代のラロッカ(ウヒョ雑辞典@wikiより転載)
元カープのブラウンインディアンズ3Aバファロー監督の勧めもありカープに入団。
春季キャンプ当初は下馬評は決して高い方ではなかったが開幕から打ちまくり、
同時期にブレイクした嶋と共にカープ打線の軸となった。
バッティングフォームが投手に向かってくるスタイルが故に死球も多く阪神の死球王キンケードと並び評される程。
またレイサムビームを大阪ドームで発射したりときたま守備でやらかすというお茶目な部分も併せ持つ。
シーズン終盤怪我で離脱したが.328 40HR 101打点という素晴らしい成績を残しベストナインに選出された。
シーズン終了後オプションつきの二年契約を結びこの時のフロントの仕事ぶりが大いにカープファンに褒め称えられる。
2005年も開幕当初から4番にふさわしい仕事をしていたが度重なる怪我と無理を重ねて、
ついに6月に左足ハムストリングスの肉離れで戦線離脱。
復帰するもまたもや右手親指骨折で戦線離脱。すっかりスペランカー体質になってしまった。
シーズン終了後に球団はラロッカと2年目の契約を結ばない事を表明し自由契約となる。
ヤクルト時代のラロッカ
-
上記の様にスペランカー体質となった事が放出の理由かもしれないが、打者としての能力はセ・リーグでもトップクラスで広島ファンからは疑問の声があがった。
-
06年から広島の監督に就任したブラウン監督とアメリカ時代不仲だったため、という説もあったが、
ブラウン監督とは仲が良いらしく、チーム編成上の問題で放出されたのが有力となっている。
-
オリックス、ヤクルト等が獲得に乗り出し、05年オフにヤクルトへの入団が決まった。
-
06年は5番セカンドで起用。主砲として交流戦などで大活躍した。ところが8月に心配されていた故障を起こし復帰絶望となった。
-
シーズン終盤に1軍復帰して2試合に出場。残留の可能性もあったが、退団したガトームソンの代わりの新外国人投手獲得の為?解雇となった。
ヤクルト退団後
-
07年からはオリックスに在籍しているが、ケガがちなのは相変わらずである。
08年はシーズンのほとんどを、09年は後半戦を、いずれもケガのため欠場している。
-
10年に現役を引退し、11年からはオリックスの駐米スカウトを務めている。
交流戦の大爆発
-
06年交流戦スタートの西武3連戦では1試合目に3打席連続ホームランの6打点。2試合目に1イニングで2打席連続ホームランと鬼神の活躍を見せた。
-
また、この試合から米国にいる両親、姉、夫人が観戦しに来た為、最高のプレゼントとなったようである。
グレッグ・ラロッカ大王様の交流戦
HR(2点)
HR(1点)
HR(3点)
中飛
死球
HR(3点)
HR(1点)
焼肉好き
-
広島時代から大の肉好きで、日本の有名焼肉チェーン店「牛角」には週2、3回通っていたらしい。
-
なお現在は給料が上がったため高級焼肉店に通っているらしい。
ヤクルト外国人との写真
これまでのアクセス数 -
本日のアクセス数 -
昨日のアクセス数 -
最終更新:2012年12月11日 23:54