かつて若松監督就任後、夏季限定で使用されたユニフォーム
提携先のクリーブランドインディアンズのユニフォームを意識した作りとなっており
通常のユニフォームと異なる点は帽子のツバの部分が赤くなったり
アンダーシャツが赤くなったりするところ。
ただ、どうしてもカッコ悪く感じる人が多かったようで、ファンには不評だった。
それでも石井一久は「赤アンダーはカッコいい。」とか言い出して、常人とは異なるセンスを披露。
事実、その赤アンダーの日は好調だったりしたので侮れない。
赤アンダーと言って、語り草となっているのは
何といっても2001年9月24日の巨人戦であろう。
その年、勝ち数優先の順位表のおかげでステルス気味に
首位を独走することができたヤクルツも巨人の猛追を受けていた。
この9月22日から24日の3連休で行われる3連戦で
ひとつでも勝てば巨人に引導を渡すことができ、逆に3タテを喰らうと1.5ゲーム差に
詰め寄られるという、まさに天王山。
ところが、異常な拙攻や終盤の主審の巨人贔屓が重なったり
さらに一発を喰らって逆転負けを喫するなど2連敗。
マスコミはこぞって、長嶋ミラクルアゲインを連呼して、
ヤクルツファンのフラストレーションは極限までに達していた。
そこで迎えた第三戦。
ヤクルツナインは気持ちを切り替える意味もあったか、しばらく封印していた
赤アンダーで試合に臨む。
ところが皮肉なことに、当時巨人の松井は「ヤクルツナインの余裕の無さを感じた」と
述懐しており、却って逆効果であったようだ。
試合は巨人を自由契約になりながらも、その年先発ローテで活躍していた入来兄が
気迫の投球で終盤までゼロに抑える。
三振を取るたびに雄叫びを上げたり、派手なガッツポーズをする入来に
数多くのヤクルツファンが涙したという。
ところが肝心の打線はそれに応えることができず、再三のチャンスを潰し
スコアボードにはゼロが刻まれていった。
そこで迎えた終盤、仁志に同点HRを叩き込まれ
最終回は一塁塁審の疑惑の判定や、頼みの高津が打ち込まれ逆転を許し
遂に3タテ。その前の東京ドームでの3連戦を含めると実に6タテを喫し
土俵際まで追い込まれたのであった。
この夜、ヤクルツファンは深夜までアイゴーの泣き叫びを続け
最悪の3連休となった者や、当時ダイヤルアップでつなげっぱなしだったため
1万円を超える電話代を請求された者も少なくなかったという。
その後、赤アンダーを見る者はいない。
2008年、手塚治虫生誕80周年記念とのタイアップで、ヤクルトは期間限定でヤクルトアトムズ時代のユニホームを復刻。
これは胸にあしらった「Yakult」のロゴが赤くなっているのが特徴である。
その緒戦となった5月3日の巨人戦で、村中が九回一死までノーヒットに抑える快投。
ところが、肝心の打線が相変わらずの不振で援護点があげられない。
結果的に最終回に失点して敗戦。1点でも援護あるいは適切な継投を行えば結果が異なっていただろうと思われるだけに
上記の赤アンダーの悲劇を思い起こす住人が後をたたなかった。
その後、当然のように巨人戦3タテを喫し、当アトムズユニで初白星を挙げるまでは4戦目の広島戦まで待たなければならなかった。
(この試合も村中が先発し、援護点はガイエルのソロホームラン1点のみであった)