村中恭兵

プロフィール


  • 選手名 - 村中 恭兵(むらなか きょうへい)
  • 背番号 - 15(06年~)
  • 出身地 - 神奈川県愛甲郡愛川町
  • 身長/体重 - 186㎝/77㎏
  • 投打 - 左投左打
  • 球歴 - 東海大甲府高-東京ヤクルト(05年高校ドラフト1巡)
  • 顔文字 - 〈 Φ _ Φ〉
  • 実況板でのあだ名 - きょん、キョン
  • 関連用語 -

入団前


  • 小2で神奈川県愛甲郡の中津リバースに入団し、野球を始める。
  • 東海大甲府高に進学、120km/h(入学時)→135km/h(2年時)→144km/h(3年時)と順調に球速を伸ばして行く。
    1年夏に甲子園出場、ベンチ入りするも登板は無し。2年夏にも同校は甲子園出場するが、村中は故障でベンチから外れる。
    3年夏も予選敗退し、甲子園のマウンドで投げることはできなかったが、「西の辻内(巨人)・東の村中」と呼ばれるまでの実力者に成長した。
  • スラッとした投手体型にしなやかな腕の振り、鋭いスライダーが評価され全12球団が上位候補にリストアップする人気の素材で、
    ヤクルトが05年高校生ドラフト1巡目で単独指名しプロ入りを果たす。

ヤクルト時代


  • 06年、春季キャンプで1軍に帯同した村中は、古田監督を打席に立つブルペンで見事な投球を披露。
    身体の線の細さや大人しすぎる所を指摘しつつも、その美しいフォームに「かつての(石井)一久のようだ」と最大級の賛辞を送った。
  • 6月27日、イースタン・インボイス戦でプロ初登板・初先発。コントロールが安定せず2回3失点のホロ苦デビューではあったものの、
    自己最速の145km/hを計測しその素晴らしい素材の片鱗を見せた。
  • 10月14日、ナゴヤドームでの中日戦で1軍で先発デビューするも、3回4失点とまたもやホロ苦デビューに終わった。
  • 07年、2軍スタートでこの年1軍登板はゼロ。しかし夏の北京プレオリンピック日本代表選出やオフのウインターリーグで3勝1敗2セーブをマークする等
    徐々にステップアップを見せる。
  • 08年、初の1軍開幕ローテに入る。4月4日のナゴヤドームでの中日戦で7回1失点でプロ初勝利をマーク。8奪三振を記録し、見事プロ初先発時のリベンジを果たした。
  • 5月3日、神宮での巨人戦で9回1死まで無安打に抑え、ノーヒットノーランが期待されたが亀井にツーベースを打たれ、快挙達成はならず。
    結局0対5で敗れてしまったのだが、ヤクルトでは過去にも巨人戦で坂元が8回1死までノーヒットに抑えるも元木にホームランを打たれて負けた黒歴史があり、
    その再現となってしまった。
  • この年は左ひじ側副じん帯損傷により8月に戦線離脱するまでローテを守り、6勝をマークした。
  • 09年、前年のケガの影響で開幕には間に合わなかったものの、7月に1軍復帰。9試合に登板したが防御率7点台で1勝6敗を精彩を欠いた。
  • 10年、開幕第3戦の巨人戦で先発し、8回2失点と好投。自身最多となる11奪三振を記録し、初勝利をマークした。
    前日の開幕第2戦で由規が8回1失点で勝利しており、ヤクルトの新左右エースとして注目を集めた。
  • 3位の巨人に3勝・優勝した中日に4勝といわゆるセ3強の2チームへの強さを発揮し、自身初の2桁となる11勝をマーク。
    奪三振王争いではこの年沢村賞の前田健太に次ぐリーグ2位という結果を残し、1年間ローテを守った。

その他


  • 父は「相模原菓子工房 ら・ふらんす」を営む有名パティシエで、その影響か村中もプリンが大好き。プロ初勝利時には特製プリンを作ってもらう事を約束していた。
    10年ファン感謝デーでは松岡の海苔店と共に神宮で1日限りの出店。プリン600個の整理券が朝の時点で消える程の盛況だった。
  • 普段は物静かでマイペースな性格で、ドラフト前夜も別段緊張しなかったという。人前で喋るのが苦手なことを東海大甲府高の監督は気に掛けていたようだが、
    入団会見ではしっかりと話すことができた。マウンドに上がると人が変わったように強気になるらしい。
  • 名前の「恭兵」は母がファンである俳優の柴田恭兵から取られており、村中も幼少児「あぶない刑事」に夢中だったという。
    10年8月には神宮球場外苑で練習中に草野球をしていた柴田恭兵に声をかけられている。
    以前から同じ名前の村中に注目しており、「もし調子が悪くなった時は背中(登録名)をKYOHEIに変えろ」と激励を受けた。
    この出来事の翌日の横浜戦で先発して9勝目をマークしており、チームは借金19から勝率5割復帰という快挙を達成した。
  • 東海大甲府時代の監督の名前が同姓の「村中」であり、監督の長男も野球部に在籍していた事から間違えられる事もあったという。
  • サンスポ等では増渕、由規と共に高卒ドラフト1位3兄弟の長男として紹介される事もある。

年度別成績


年度チーム試合勝利敗北セーブ投球回三振四死球自責点防御率
2006東京ヤクルト10103.014412.00
2007東京ヤクルト---------
2008東京ヤクルト216110122.110566594.34
2009東京ヤクルト916043.03528347.12
2010東京ヤクルト2811100178.016377683.44
通算5918280346.13041751654.29

代表歴

  • 北京プレオリンピック日本代表(07年)











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最終更新:2010年12月18日 08:41