松井光介

プロフィール

  • 選手名 -松井 光介(まつい こうすけ)
  • 背番号 - 44(06年~)
  • 出身地 - 北海道
  • 身長/体重 - 171㎝/80㎏
  • 投打 - 右投右打
  • 球歴 - 横浜高(甲)-亜細亜大-JR東日本-東京ヤクルト(05年大社ドラフト3巡)
  • 顔文字 - [*´ー`]
  • 実況板でのあだ名 - 松井さん、まちゅいさん、マチュイ
  • 関連用語 -

ヤクルト入団前の松井

  • シニア時代はピッチャーとして活躍。その後神奈川の名門である横浜高に進学するが、同学年にエースで4番となる丹波がいた為に外野手となる。
    当時の丹波は松井曰く「松坂に引けをとらない投手」だったらしい。
  • ちなみに松井と丹波が2年生の時は1年先輩の横山(横浜)が丹波と共にチームのエースを張っており、
    阿部真(現オリックス)、幕田(元中日)等も在籍していた。
  • ところが丹波は2年生の時に急性心不全で急逝してしまい、急遽松井がエースに抜擢。翌年にチームを春夏甲子園出場に導く。
  • ちなみに急逝してしまった丹波の兄は後にヤクルトに入団している。丹波兄は一時野球を止めていたが
    弟の死がきっかけで再び野球を開始してプロに入団するというまるで「タッチ」を思わせるような野球人生を送った。
    この一連のストーリーは株主の「奇跡体験 アンビリーバボー」でも取り上げられている。
  • 松坂(レッドソックス)の憧れの選手でもあり、松坂が横浜高3年時に回答したアンケートでは目標とする選手に松井の名をあげている。
  • 横浜高卒業後は亜細亜大学に進学。後にヤクルトでチームメイトとなる吉川も亜大時代の同期である。
    4年時には木佐貫(巨人)、小山(中日)等と共に大学選手権を制覇した。大学での活躍が認められて日米大学野球の代表にも選出されている。
  • その後JR東日本へ入社し、国際大会の日本代表に何度も選出されるがプロからはなかなか声がかからず。
    05年の大社ドラフトで東京ヤクルトに3順指名されてやっとプロ入りを果たした。
  • なおドラフト前には西武の伊東監督が松井獲得を熱望していたが、西武フロントは別の選手を指名してしまった為に松井をヤクルトに獲られて激怒した。

先発、リリーフをこなす便利屋

  • 06年は開幕から1軍に登録。4月5日の巨人戦でプロ初登板初先発を果たすが撃沈される。
  • その後リリーフ起用がしばらく続くが、交流戦に入った5月14日のオリックス戦で2度目の先発をして見事初勝利をマークする。
  • 初勝利後にまたリリーフへ戻るが、谷間の先発、リリーフ両方こなせる貴重な便利屋として現在も活躍している。
  • 08年シーズンにおいては2軍スタートとなり、当初は不調であったが、2度目の一軍登録からは安定感を増し、上記のとおり先発、リリーフ両方をこなす。
    交流戦の後半からはリリーフとしてMOLに次ぐ信頼を得た。
  • 09年は前半こそ戸田で苦戦したが、後半戦から一軍に昇格。17試合に登板し、2年連続で3点台前半の防御率をマークした。

巨人の谷との関係

  • 一部で谷(巨人)と顔が似ていると言われている。
  • 06年6月3日のオリックス戦(当時谷はオリックス在籍)を中継したフジテレビ739の実況、解説者にもそれを指摘され、中継カメラが松井と谷を交互に映すワンシーンがあった。

その他

  • 前述の様に松坂が尊敬している選手という事から実況板では「全松坂大輔が~」という松坂が松井を絶賛している様なネタ書き込みがたまに出る。
    元ネタは新作洋画のTVCMでよく出される「全米が泣いた」という大げさなキャッチフレーズである。
  • このことに関連して、zonumatu占いで44が出ると松坂の顔文字が現れることが多い。

年度別成績

年度チーム試合勝利敗北セーブ投球回三振四死球自責点防御率
2006東京ヤクルト4035064.05321294.08
2007東京ヤクルト1813045.12617295.76
2008東京ヤクルト2712041.13319153.27
2009東京ヤクルト1700026.1121193.08
通算1025100177.012468824.17


代表歴

  • IBAFワールドカップ日本代表(03年・05年)








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最終更新:2010年09月16日 00:43