ルカ1世
ルカ・ガレット・ラヴィル(Luka Ⅰ Galette Ravil
アセリア暦1901年9月17日~1956年7月10日)はラヴィル王国初代皇王(在位ラヴィル暦1931年10月~1956年7月)。 実質的に
神聖アルティス帝国初代皇帝と歴史書には扱われている。
ルカはガレットグラード一帯を治めるに過ぎないラヴィル王であったカムラン・リリス・ラヴィル(カムラン6世)の四兄弟の第三子として生まれる。王太子にして長兄のイタールは有力後継者で聡明な人物であったが、病弱であり、周囲からも頼りない人物として見られていた。次兄、ガエターノは屈強な肉体を持った強戦士であったが、性格が残忍で、戦いで捕虜を一人残らず殺し、わざわざ群落にまで焼き討ちを行うなど残虐の限りを尽くしたため、恐れられていた。ルカは四兄弟の三番目で上の兄二人とは年が離れていたということもあり、部族内でも忘れられた存在であった。1916年11月、ラヴィルと敵対していたギュネイシュ都市同盟との間で激しい戦闘が勃発(11月の乱)。ルカはその先月に元服の儀を済ませていたルカはこの戦いで初陣を飾り、ラヴィルの勝利に貢献する。しかし、この戦闘で後継者イタールが戦死。失意のカムランも翌年の5月に隠居する。
これでラヴィル王位は次兄・ガエターノが継ぐはずであった。しかし、イタール戦死の原因が、ガエターノの策略であったことを知っていたカムランは遺言でルカを後継者に指名する。こうしてラヴィル王家の財産と主導権を引き継いだルカであったが、兄ガエターノはこれを認めず、諸侯間の自らの派閥を作り、1917年9月17日のルカの生誕日にクーデタ蜂起。宴で浮かれていたルカを一斉に襲うという策であったが、あっけなく見破られ、攻め込んだところを逆に包囲されるという失態を犯してしまった。ガエターノ軍は総崩れとなり、ガエターノはブリストル湾沿岸のカネルド海岸まで敗走したが、追い詰められホズミル岬で自害した。
こうしてラヴィル王として確固たる地位を築いたルカであったが内の敵を滅ぼしたる次は祖父の代からの敵、ギュネイシュ都市同盟を倒さねばならなかった。
ギュネイシュ同盟との戦いは10年にも及び、1926年にようやくギュネイシュ平定を成し遂げる。その後は策謀で次々と攻略。1934年1月に全土を平定し、ここにラヴィル王国を建国したのであった。
性格は典型的なラヴィル王族できわめて温厚。質実剛健で民を知ることこそが国を知ることであると普段から話していた。尊敬する人物は日本の戦国武将「武田信玄」。武芸にも秀でていたが文芸にも造詣が深く、一日に詩を3篇作ることを日課としていた。
書類には全て目を通し、全ての書類にコメントを入れ相乗者に返信するなどまめな性格でもあったようである。
- 称号
- 神の恩寵篤き全ロメリアの庇護者
- ローマ皇帝
- ルカグラード大公
- クライスベルク大公
- ラヴィル王
- 東方大公
最終更新:2009年02月13日 10:12