惑星再生から一ヶ月、ここメタファリカはお祭り騒ぎになっていた。特に首都インフェリアーレはその色が強く、毎日のように大鐘堂の騎士が警備に駆り出されている。
およそ三年前のメタファリカ誕生に続き、短期間で達成した偉業に人々は大きな歓声を上げている。三つの地域ソル・シエール、メタ・ファルス、ソル・クラスタは互いに協力関係を築き始めており、その第一歩として各地域への交流が盛んになっている。その影響もあってか、今のメタファリカは今までよりも人が多い。
メタファリカの中でも大都市の一つ、ラクシャクでもそれは変わらなかった。もう既に夜だというのに道には人が溢れ、歓声が上がっている。垂れ幕も多く、惑星再生を祝う雰囲気は収まるところを知らない。
そんな中で、僕は姉さんと一緒に暮している。二人で生活をするには少し広い二階建ての一軒家だが、隅々まで整理が行き届いていて清潔感がある空間になっている。
家の中に、外の喧騒が響く。家の構造上仕方ないことではあるのだが、煩いことが苦手な姉さんは顔を顰めていた。それに気づいた僕は座っていた椅子から立って、姉さんに声をかける。
「少し、上の部屋にいるか?姉さんの部屋ならここよりはマシだろう」
姉さんの部屋だけは、防音仕様になっている。外の世界から遮断するためではなく、姉さんがハープを弾くからである。楽器の音は思いの外良く響くため、防音をしないと夜は近所に迷惑がかかってしまうのだ。
姉さんは黙ったまま、首を横に振る。まだ我慢できる音量ということなのだろう。ネルはそれ以上何も言わず、座ってた椅子に戻る。
僕が考えているのは、姉さんの異常なまでの反応の薄さだ。元々姉さんは内気な性格とはいえ、身内にさえこのような態度を取ることはまずなかった。
以前は、こうではなかったのだ。無愛想でも、しっかりと反応を返していた。
だが、ある事故を境に姉さんは心を閉ざしてしまった。
I.P.D.暴走
メタファリカが出来る前のこと。レーヴァテイルの病と言われていたI.P.D.発症、その中でも特に危険性の高い暴走発症というものがある。暴走発症を起こすと、そのレーヴァテイルは意識を喪失し、無秩序に破壊をもたらす。一度それが起これば、すぐ近くにいる人間ーー例えば身内のような人にとっては死を意味する。そうでなくとも、巻き込まれて死亡、あるいは重傷を負うケースは多い。
五年前、僕と姉さんはそれに巻き込まれた。身内の誰かがI.P.D.発症を起こしたわけではなく、見知らぬ誰かの暴走発症に遭遇してしまったのだ。
突如にして襲い掛かる災厄。それを前に為す術もなく、死を予見した。
しかし、現実はさらに酷なものだった。
両親の死。まだ幼い僕達をI.P.D.が放つ詩魔法から庇ってーー。
「うっ……」
事故を思い出していたことで、その時に受けた背中の傷が疼く。大鐘堂のレーヴァテイルに治療してもらったが、完全には治らなかったもの。その痕は今も生々しく残っている。
あの事故の日から、姉さんは鬱ぎ込んでしまった。僕よりも両親を慕っていた姉さんにとっては、どうしても受け入れ難い事実だったのかもしれない。だから、少しでも会話が出来るのは不幸中の幸いだった。
ふと姉さんに視線を向ける。カーテン越しに窓の外に目を向けているが、表情に色はなく、どこか虚ろだ。何も感じない、ただ動くだけの人形のようで......。
そんな姉さんを見ていると、心が痛くなる。
騒がしい夜はまだまだ続く。姉さんが眠りに就くまでは、僕はきっと眠れないだろう。
一週間ほど経ったが、結局他の方法は考え付かなかった。いや、縋るしかなかったというべきだろうか。
鳥の鳴き声、そして窓から差し込む日の光。いつもより早めに起きた僕は身支度をし、朝食の用意をする。丁度用意が終わったところに姉さんが起きてきた。
「おはよう、姉さん」
そんな姉さんに声をかける。
「おはよう」
返事は返ってくる。しかし、その声に抑揚はない。
朝食を済ませると、姉さんは再び自分の部屋に入っていった。しばらくすると、微かにハープの音が聞こえてきた。ハープを弾いている時が、姉さんにとっては至高の時間なのだ。
リビングに一人残された僕は、食卓の後片付けをする。と言っても、姉さんは自分の分の片付けを済ませているので手間は多くない。食器を片付け、テーブルを拭く。もはや手馴れたもので、片付けはすぐに終わった。
ハープの音が微かに聞こえる中で、ダイブについて考える。ダイブをしたこともなければ、ダイブ屋に行ったことすらもない。
早速ラクシャクの地図を広げ、場所を確認する。家からの道順を辿り、だいたいの距離を把握する。これならば、徒歩でもあまり時間はかからないだろう。
地図を広げたまま、ハープの練習が終わるのをひたすら待ち続ける。微かに漏れる音を聴いているだけでも、十分な退屈しのぎになる。この時間は作業をしている時もあれば、今のように何も作業をせずじっと聴いている時もある。
今弾いている曲は、だいぶ完成度が高くなってきたように感じる。そういえば、次回の演奏会はいつだったか。予定表を確認する。一、二、三、……。あと二週間と少しか。
姉さんのハープの才能には、目を見張るものがある。四年前にライアーの演奏を聴いたことをきかっけに始めたものだが、教本だけでここまで早く上手くなるとは思っていなかった。音楽をこよなく愛し、自らそれを届けようとする想いが、姉さんを突き動かしているのだろう。
ふと、ハープの音が止む。そう思った時には、姉さんが階段から降りてきていた。
「姉さん、休憩かい?」
首を横に振ってそれに答える。休憩ではなく、一旦練習は終わりということなのだろう。それならば、話すのはこのタイミングだろう。
「……なら、話したいことがある。そこに座ってくれないか?」
少し声音を落として、テーブルの反対側に座るように言う。姉さんは何も言わずにその通りにしてくれた。
「姉さんは、今の自分の状況をどう考えているかい?」
姉さんは肩を震わせた。
「今の……私……?」
途切れ途切れに、消えるように呟く。その声はたしかに震えていた。
「僕は少なくとも、この状態が続くことは良しと出来ない。人と一線を引いた関係ではなく、もう一歩踏み込んだ関係を作って欲しい。僕以外の誰かと、ね」
姉さんは首を横に振って否定する。そんなことは出来ないとでも言うように。
「怖いのは分かる。だけど、それじゃダメだということは分かっているはずだ」
今度は俯向く。その沈黙は、否定ではなく肯定。
「でも、できるだけ不安はなくしていきたい。だから……」
少し間を空けて、呼吸を整える。そして……
「姉さんに、ダイブさせてくれないか?」
姉さんは、ハッと顔を上げた。その表情には、驚きと不安が入り混じっていた。
ダイブ。それはレーヴァテイルの精神世界ーーコスモスフィアに入り、新しい詩魔法を紡ぐための手段として一般的には扱われている。しかし、その意味合いはそんな軽いものではないのだとか。ダイブとは、普段見せていない感情、特に恐れや不満など負の感情をも見せるということなのだ。その重みは計り知れない。ダイブする本当の意味は、そこにある。
しかし、それはダイブするレーヴァテイルとの信頼関係があってこそだ。双子だから絶対許される、などという事はない。
この話は現在の御子と、その専属騎士から聞いた。もちろん、姉さんもその場にいた。
「すぐに、とは言わない。嫌だというなら、それでもいい」
「……」
沈黙が続く。僕は姉さんが答えるのを待った。
「……ネルは、いつもそうだったよね。そう言って、自分のことは後回しで……。ダイブすることがどれだけ大変か、知ってるくせに……」
僅かに含まれる棘。だが、その口調は優しかった。
「でも、ネルは私には嘘を吐いたことないものね。この話だって、たくさん迷ったんでしょ?」
「……全部お見通しなんだな」
「ネルだから、よ。他の人は分からない」
姉さんは一呼吸置いてから、固い意思を込めた声で言った。
「私は、ネルならダイブしてもいいよ」
そう、これが始まり。新しく踏み出す一歩だったーー