ダイブ屋の中は、陰鬱な空気に包まれている。部屋全体の暗さが、何となくそれを漂わせる。
そこらじゅうに埋め尽くされた配線と、それらに繋がれる機械。そこから淡々と発せられる無機質な音が空間全てを支配している。
その光景は、圧巻の一言だった。
ダイブ屋の外観もそうだったが、明らかに異質。ここは、現実とは明らかにかけ離れている。動もすれば、そう言っても過言ではないかもしれない。
何故ならここにある機械は、夢を見るためのものだから。
「いらっしゃい」
あちこち見回しているうちに、一人の若そうな男性が機械の陰から姿を表した。何か作業をしていたのか、多少服が汚れている。
「お二人でダイブするのかな?」
「ああ」
「そこのお嬢さんはダイブの経験があるようだが、君は初めてだね?」
店員はそう断言した。
「……分かるのか?」
「ああ、分かるとも。初めてダイブ屋に来た人は大抵、店の内装には驚くからね。伊達に長い間ダイブ屋をやっているわけじゃないのさ」
……なるほど。見た目に反して、店員はそれなりに歳を重ねているのか。
「まぁ、それならダイブについて話しておくよ。ダイブ屋の決まりだし、君たちのためにもなることだからね。
ダイブってのは、レーヴァテイルの心の中に入る行為のことだ。その中には、恐れや不安、葛藤、様々な感情が眠っている。ダイバーはその感情に様々な形で触れ合い、レーヴァテイルとの関係を深めていくんだ。感情が大きく揺さぶられれば、それに応じて詩魔法を紡げるというわけだ。それからーー」
ダイブ屋からの説明は、しばらく続いた。しきりに頷いているところを見ると、姉さんは大丈夫そうだ。僕の方も疑問は解消してもらったので、特に問題はなかった。
「それじゃ、よろしく頼む」
「まいどあり。それじゃ、お嬢さんはこっちの、お兄さんはあっちのポッドに入ってくれ」
店員はダイブポッドの蓋をあけると、それぞれに指示を出した。姉は言われた通りにダイブポットに入る。その直前、少しだけこちらを見た。
「姉さん……」
僕はそれに目で頷いて、指定されたダイブポットに入る。
しばらくしてから、ダイブポットの蓋が閉められる。
「それじゃ、ダイブを開始するぞ」
店員の合図とともに心地よい音楽が流れ出し、意識は深くへ溶けていった——
<Diver>
Vital Signs: Normal
Consciousness: Hypnotized
<Revatail>
Install Point Scanning: Completed
Consciousness: Tranquilized
DHW Connection Established.
Determining Dive Level. . . Done
Initial G.W.C.: 001220Hmag/s
Start Frequency: 000042600Hz (Lv. 1)
Extracting Cosmosphere. . . OK
The dive got start successfully.
:/ COSMOSPHERE LUNA=SHELLARD-Lv1 /:
♪ストーンヘンジ♪
意識が覚醒する。
まずは、手足の感覚を確かめる。足は両方とも地に付いていて、手も指先までしっかり動く。
一度深呼吸をし、世界の空気を感じる。今のところは特に異常は感じられない。
ようやく目を開けて、ここがどこなのか確かめる。
目に映るのは、散在する灰色の石。そして——
「これは……!!」
そこにあったのは虚空の世界。今いる場所と、遠くに見える塔らしきものだけが自ら光を放っているのみであり、それ以外は漆黒に塗りつぶされている。目を凝らして、ようやく何かがあることが分かる程度だ。
ここは、何らかの建造物らしい。周囲にある石は不規則に並べられているが、中央に置かれ、模様が刻まれた巨大な石だけは強い光を発している。
分かることはそれだけだ。まずはこの世界を歩くことから始めるべきだろう。
そう考え、足を一歩踏み出そうとしたその時だった。
「人が来るのは、とっても久しぶりだわ」
背後から聞こえる麗しい声。思わず聞き惚れてしまいそうな甘い声が耳に入る。少なくとも、姉さんのものではない。
特に関わる必要もない。そう思って止めかけた足を進めたが、続く言葉に足を止めざるを得なかった。
「あ、待ちなさい。貴方、『ネル』でしょう?」
自分の名前を呼ばれる。
驚き振り返った先に居たのは、せいぜい0.3ストンの背丈の少女だった。淡いピンクの髪、青色の瞳、真紅のワンピース、そして背中に生える赤い羽。一目で、人間ではないと分かる。
「僕を知っているのか?」
「ええ。それはもう、愛おしいくらいに」
「……本気か、それとも冗談か?」
「さぁ? それは貴方の想像にお任せしますわ」
手に持っている本で口元を隠しているものの、一つ一つの仕草は人間のそれと変わらない。
僕と同じ視線に浮くソレは、何かを見定めるのように僕の顔を覗き込んでいる。
(……この姿、どこかで……)
ソレは、記憶に引っかかる容姿をしていた。
小さな姿を、注意深く観察する。あまり褒められた行為ではないとは思いながらも、頭から足にかけてゆっくりと……。
「オンナのコの体は、そんなふうにジロジロ見るもんじゃないわ」
恥ずかしそうに体を揺らしながら、しかし少しだけ嬉しそうに言う少女。どこからどう見ても人間にしか思えないその仕草に顔を顰めながらも、一つだけ思い当たる物があった。
それを言うことはなく、忘れてかけていた疑問を口にする。
「君は、一体何なんだ?」
「ふふ、やっと訊いてくれたわね。私は、ルーナの深い想いによって形作られた『心の護』、アリアよ。このコスモスフィアの監視者であり、案内人でもあるわ」
監視。あまり景気の良くない言葉に、反射的に身構える。
それを見た心の護はすこし考える素ぶりをして、手に持つ本をぱらぱらとめくる。
「そうねぇ。少しだけ説明しておいた方がいいかしら」
そう言って、空いている手でどこか遠くを指差しながら説明を始めた。
この世界——コスモスフィアはレーヴァテイルの精神世界だという。コスモスフィアは顕在意識・深層意識のレベルを反映した階層構造になっていて、世界観はレーヴァテイルごとに全く違うという。そして、心の護はコスモスフィア内におけるダイバーの行動を監視すると同時に、ダイバーを案内する役目も持っている。心の護がどんなことをするのか、それもレーヴァテイルによって様々らしい。
コスモスフィアは、ダイブされるレーヴァテイルの内面そのもの。レーヴァテイルにとってダイブされるということは、自分の内面を曝け出すことと同義。だからこそ、ダイブはふつうは強い信頼関係で結ばれたパートナーのみで行われるということだ。
今いる場所はストーンヘンジと呼ばれる。現実世界とレーヴァテイルの精神世界を繋ぐ場所で、遠くに光る塔とこのストーンヘンジはどのレーヴァテイルにも存在するとのことだ。
「ルーナは貴方をとても大切に想っているわ。だからルーナは貴方を招き入れた。もっとも、貴方以外だったら、追い出す以前にダイブすることすら受け入れてないでしょうね」
「……まぁ、仕方ないかもな」
嘆息して、心の護が指差す先を見る。何もない空間……いや、実際には何かあるのかもしれないが……。
「一つ、聞いてもいいか?」
「ええ、何なりと」
「この世界は、どうしてこれほどまでに暗いんだ?」
「最初から答えを聞くのはいけないわ。……そうね、コスモスフィアの世界はレーヴァテイルの悩みや葛藤、記憶が映し出されているの。貴方がコスモスフィアを歩いているうちに、それは現れるわ。それを見つけて、その問題に対する貴方なりの考えをルーナに示すことが、貴方の役割なのよ」
僕の方を指差して言い放つ心の護。
「でも、ルーナと貴方はずっと一緒にいたのだから、それが現れたらすぐ分かるんじゃないかしら?」
「四六時中一緒ってわけでもない。姉さんには姉さんの、僕には僕のやることがある」
「貴方、意外と不器用なのね。ずっと、とは言ったけど『一日中ずっと』、という意味で言ったわけじゃないのに」
呆れたような表情を浮かべているーー本で隠れて見えないがーーだろう心の護は、小さく息を吐きながら
「ま、その不器用さ故の真面目なところをルーナは気に入っているのだし、大目に見ておくべきかしらね」
「……は?」
これには返答に窮した。
先ほどの『心の護は深い想いによって形作られる』という言葉を信じるなら、アリアが考えていることは姉さんが考えているとなのではないか。だが、そんなことは姉さんの口から聞いたこともなかった。
(僕が気づいていないだけなのか……?)
仰々しくため息をつく。
「どうするの?」
「とりあえず、この世界を見て回る。何があるかも分からないからな」
「ま、何をするかはお任せするわ。貴方の力になれるかは分からないけど、呼んでくれたら超特急で来てあげるから」
「ああ、その時は頼む」
視界から消えていく心の護。一人では心許ないが、彼女がいてくれるだけでも余裕が出来る。
ほのかに見える街へ向けて、ストーンヘンジを後にする。
♪ 静寂の街 ♪
目の前に街らしい姿が見えた。ふと振り返ると、ストーンヘンジは光を放っていること以外には分からないほど遠くに離れている。ずいぶんと歩いて来たようだ。
近くまで来て見ると、街らしいとは言ってもそこから多種多様な建造物が並んでいるだけで、入り口らしいものは何もないことが分かる。
街の中へ入ると、すぐにその異常さに気付いた。
「……おかしい。人の気配がまるでないな」
これが真に街であるならば、外に人が出ているかどうかはともかくとして、例えば店や家庭の営みが聞こえてくるはずだ。だが、そんな様子は一切見られない。
「誰かいないのか?」
大きめの声で呼びかける。しかし、その声に応える者はいなかった。
「……仕方ない。他を探そう」
しかし、これといってアテがあるわけではない。この世界を見て回ると言っても、ここまで暗いと何があるかも分からない。
遠くに見える塔は「いのちの塔」と言って、レーヴァテイルとアルトネリコという塔を繋ぐエネルギーパスだと、アリアは言っていた。そんな場所へ人が来るとは考えにくい。
途方に暮れていた、その時ーー
ぞくっ。
不意に感じた、強烈な殺気。
騎士だった亡き父に鍛えられた直感のみで、形振り構わず前方へ跳躍する。地面を転がり、すぐに起き上がった。
先ほどまでいた場所に金属の塊が降下、地面が陥没するような音が辺りに響いた。少し反応が遅れていれば一溜まりもなかっただろう。
落ちてきた鉄の塊……白銀の鎧に身を包んだそれは、そのままこちらには来なかった。そのせいで、まじまじと見る時間が出来てしまった。
「なっ!?」
それはルーナにそっくりな、否、そっくりなどという範疇を超えて似ていた、少女の姿。
唇が小刻みに震える。
死の恐怖ではない。
彼女が姉であるはずがない、そう言い聞かせているのだ。
空から墜ちて来たそれはゆっくりと立ち上がると、こちらを向いた。服装の違いこそあれど、特徴的な透き通る水色の髪と栗色の双眸、見間違えるはずもない。
その表情は今までに見たことないほどに冷たかった。
「ネル。いつかは来ると思っていた。それは『私達』が待ち望んでいたことでもある」
「……」
「だが、それは『私達』であって『私』ではない。お前を受け入れる『私』と、そうでない『私』がいる、ということだな」
「……お前は……」
「そう邪険にすることもあるまい。『私達』はお前の姉にして、唯一の家族なのだから」
「……人を襲っておいて、その台詞が出てくるとはね。姉さんでなくても、矯正したいくらいだ」
緊張で口の中が乾いていく。一気に空気が張り詰めていった。
「信じるか否かはお前次第だ。だが、どちらにせよお前をこの世界にいさせるわけにはいかぬ」
右手に持つ刀をこちらに向ける。
こちらも双剣ーーここに来た時には確かになかったはずであるーーを抜き、臨戦態勢になる。
「本気で私とやりあうつもりか? そんなことは出来ないだろうに」
「くっ……」
たしかに無理だ。
姉に手を上げることなど、できるはずもない。
そう考えた時、口をついて言葉が紡がれる。
「……お前は……姉さん、なのか」
無意識に出た言葉。だが、注意を引くには十分すぎる言霊だった。
はたして、彼女はそれに答えた。
「そうだ。だが、私はルーナの人格を構成する一要素でしかない。『この層のルーナ』はまた別にいる」
彼女の言葉によって、疑念が晴れる。
「そうか……なら、安心だ」
「何?」
予想外の言葉に、鎧のルーナは眉を顰める。
対してネルは構えを解いて双剣をしまい、前に進み出た。
「……何のつもりだ?」
「僕は、お前が姉さんとは違うものだと思っていた。だがお前が姉さんと同じだと言うのなら、対応を変える必要はない」
純粋なる決意を以って、言葉を紡ぐ。
「僕は、お前も受け入れる。どんな姉さんでも、受け止める」
「……戯言を」
舌打ちをし、今にも斬りかかかろうとした時だった。
「そう。それこそが私のかけがえのない弟にして、ネルなのよ」
「何?」
どこからともなく発せられた声。
街の奥から聴こえてくる、軽い足音。現実の彼女と全く変わらない装いをした、『この層のルーナ』。
「……ここで何をしているの? 『深層』の私」
鎧のルーナをまっすぐに見つめながら、こちらに近づいていく。
「誰かと思えば、ようやく主人のお出ましか」
「ここは私の管轄のはずよ。どうしてここにいるの?」
腕を伸ばして刀が届くか届かないか紙一重の距離に、ルーナは立ち止まった。
「今すぐ出て行きなさい。いずれネルは貴女に会いに行くのだから」
力ある言葉。
しばらく黙った後、鎧のルーナは二人に背を向けた。
「私は認めない。ネルが真に私達のことを想っているのなら、ここにはいないはずだ」
「……それは違う。私達が認めてないだけよ」
「……」
応えることなく、鎧のルーナは光に包まれて消えた。
後には、ルーナとネルだけが残される。
「姉さん」
「……見ちゃったね、私の人格……」
力なく項垂れるルーナ。
普段見せない表情にやや狼狽えてしまったが、張り詰めていた緊張を捨てて息をついた。
「そんなものは……気にしなくていい。さっきも言っただろ? どんな姉さんでも受け入れるって」
「うん……ありがと」
お礼を言い終えると、何かが弾ける音とともにストーンヘンジから眩い光が溢れ出した。
「ストーンヘンジが……」
「ネル、一緒に行きましょ?」
「ああ」
♪ ストーンヘンジ ♪
ストーンヘンジの中央から、光は天を貫くように伸びている。
しばらくそれを見上げていたが、やがてルーナが口を開いた。
「パラダイムシフト……私が、ネルをより深い精神世界に入ることを受け入れた証」
「そうか……。これを繰り返していくんだな」
ルーナはネルの方を向いて、少しだけ、ほんの少しだけ相好を崩した。
「ありがと。私を受け入れるって言ってくれて」
「何を今更。そんなの当たり前じゃないか」
ルーナは首を横に振った。そうじゃないよ、と前置きをしてから
「結局、私は素直になれなかった。ネルがどれだけ私を心配くれているのか理解していても、どこかでそれを否定する自分がいたの。この世界は、それが現れた証」
「……」
「変、だよね? 大切な家族なのに、信じきれないなんて……っ……」
「……いや、それでいいさ」
自嘲気味に漏らすルーナを、優しく抱いた。
「ネル……?」
「信じることが全てじゃない。家族だからこそ、疑問に思うことは大事なんだ」
「……ありがと、ネル」
少しだけ恥ずかしそうに、ルーナはネルの体を離した。
「あのね……ネルが『どんな私でも受け止める』って言ってくれたの、嬉しかったよ」
少しだけ強張っているその顔を見て、ネルも一緒に笑った。
「……ははは。あの時の話、姉さんは全部聞いてたのか」
「ふふ、盗み聞きするつもりじゃなかったんだけどね。あの時のネル、頼もしかったよ」
「何だそりゃ。僕は大変だったのに......」
態とらしく、肩をすくめて見せた。
しきりに笑った後、少し息をついてからルーナは背を向けた。
「それじゃ、私は先に行くね。……次の世界、どうなってるか分からないけど」
「姉さんの世界なんだ。僕に心配はないし、姉さんも心配しなくていい」
「……うん」
ルーナは光の中に歩を進め、そして消えていった。
入れ替わるように、小さな心の護ーーアリアが現れる。
「パラダイムシフト、何とかなったわね」
「ああ、そうだな」
「何を自信なさげにしてるのよ。ちゃんとルーナが貴方のことを受け入れたからパラダイムシフトしたんでしょう?」
「たしかに……それはそうだ」
はぁ……、とため息を漏らす心の護。
「でも、私がいなくても何とかなるなら大丈夫かしらね?」
「出番がなくて、悔しいのか?」
「そ、そうじゃないわよ。……でも、この調子ならいずれ……」
後半は聞き取れなかった。そもそも本で口元を隠していることも相まって聞き取りにくいのだが。
「ほら、さっさと出なさい。現実の方でルーナが待ってるのだから」
「そうだな。姉さんを待たせるわけにはいかないし。……またここへ来た時はよろしくな、アリア」
「はいはい。よろしくしてあげるから、出てった出てった」
心の護にせかされて、ネルも未だ残る光の奔流の中へ身を預けた。
次第に薄れゆく意識の中で、思考の海に浸る。
ここで垣間見た、姉さんの一端。
おそらくそれは、長い間姉さんを守ってきた自我の一つなのだろう。
何時になるかは分からないが、必ず向き合わなければならない時が来る。
僕は、その時にちゃんと応えられるだろうか……。
誰もいなくなったストーンヘンジで、心の護は暗くなった空を見上げる。
「……ネル、貴方ならきっと......」
そして心の護もまた、光の粒子を残して消えた。