それから1ヶ月後、メタファリカへ向かう飛空挺の中。
まだ出発してから一日も経ってないこともあり、落ち着かない乗客が多い。
私とカンナさんはその例に漏れず、他の乗客に紛れて景色を楽しむーーなんてこともなく、充てがわれた部屋でゆっくり過ごしている。
「沙羅紗ちゃんって、ソル・シエールからは出たことがないんだっけ?」
「そう。星詠の時は、謳ってただけだし、そうでなくても、プラティナの文官として、少し仕事で、ソル・シエールを回ってた……くらい?」
二人で挟むテーブルには、プラティナで買ったオボンヌと、少々の飲み物がある。それらを時折つまみながら、会話に花を咲かせていた。
「カンナさんは?」
「私も同じような感じかな。披露する場所も規模もそんなに大きくないし、だいたい地表だからね。この間のネモでの披露は、異例中の異例だよ」
「そっか……メタファリカは、初?」
「うん。実はまだ行ったことはないんだ」
いろんな所に行ってるって言ってたから、意外。それにしても、地表? よりによって、塔じゃなくて、地表なのね。
塔の上ーープラティナはもちろん、その周辺にあるネモやカルル村でも良いと思う。カンナさんがそこを選ばなかったのにはちゃんと理由があるのでしょうけど……。
「だから、余計に楽しみなんだ。あの2人にも会えるからね」
「私も、楽しみにしてる」
「まぁ、何にしてもメタファリカに着いてからだもん。それまでの間、何していようかなぁ」
退屈そうに、少し雲がある空を見つめている。
(私も、何をしていようかな......)
1、2日飛空挺に乗ることはあっても、1週間も乗ることはまずない。暇つぶしの本はいくつか持ってきているけれど、カンナさんがいることを考慮に入れると、それは得策じゃない。
「ねーねー、この飛空挺の中、歩かない?」
「ん、それいいかも」
カンナさんは自覚がないかもしれないけど、こんな提案はありがたい。
快く承諾して、準備を始めた。
昼時ということもあって、人の数は多い。
私もカンナさんもβ純血種だから食事には困らない。けれど、食事に目を光らせるカンナさんは、端から見れば普通の人間にしか見えないのよね。
「沙羅紗ちゃんは食べないの?」
「私は、カンナさんほど食べない、だから、いい」
そうは言いつつ、彼女の方へ近寄る。知っている人が近くにいるのとそうでないのとでは、やっぱり安心感が違う。
だけど、その安心感は耳を劈くような警報機の音によって霧散した。
『現在、複数の管制外飛空挺を確認しております。第三警備態勢を展開するため、乗客は直ちに自室へ避難してください。繰り返します。現在ーー』
機械音声が鳴り響く中で、俺はため息をついた。
「せっかく経費でメタファリカに行けると思ったら、厄介ごとに巻き込まれるな」
天覇の上層部から、メタ・ファルスのレーヴァテイルーーI.P.D.の詩魔法について調べるのなら、実地調査に行ってみてはどうか、と提案された。普段あまり触れられない研究のため、上層部ですら忘れ去っているのではないかと思っていたが、俺が考えている以上に気にかけてくれているようだ。
そのことは素直に嬉しいのだが、それでも理解者が少ない現状では人が増えるはずもなかった。人手が足りないのは、しばらく解決できそうにない。だからこそ、俺がこうして1人で出かけているのだ。
……今はそんなことを考えている場合じゃないな。
「さて、どうしたものかな」
こういった非常事態に無縁の人にとっては、恐怖極まりない状況だ。幸い、実戦を経験している俺は多少マシと言える。それでも少し足が竦んでいるが、他の乗客に比べればマシだろう。
「......危険手当でもつかないものだろうか」
護身用の武術は多少心得があるとはいえ、賊に対しては心許ない。もとより、人に対してその力をまともに振るえるかと言えば、それは否だ。
それに、武術に必要なものは部屋に置きっぱなしだった。
「やはり大人しくしているか……」
もう一度ため息をつき、他の乗客と同様にあてがわれた部屋へ行こうとする。そこに
「あれっ、ローレンツさん?」
「奇遇ね」
元気いっぱいな声と、貫禄のある声とが聴こえてきた。振り返ってみれば、見知った顔がそこにはあった。それに、もう一人は……乗務員?
「一体何をしているんだ?」
「ごめん! その話はまた後で」
疑問は、カンナさんに一蹴されてしまった。沙羅紗さんが何も言わずに行ってしまうのだから、余程のことだろう。それにしても......
(どうして警備員が一緒にいたんだ?)
時同じくして、『管制外』の飛空挺ーー空賊船から飛び出した小型飛空挺の中。
「今回もまた大きな標的だなぁ、オイ」
目の前に浮かぶ飛空挺に呆れながら、しかし意気揚々と小型飛空挺の操縦をする。
こりゃあやり甲斐もあるってもんだ。ま、ひとまずは偵察だがよ。
「さぁて、任されたことをやるかねぇ……おわっ!?」
聴こえる詩と、視界の右端に見える、何かが爆発する兆候。それを理解する前に上昇しながら左へ旋回する。
あれは紛れもなく詩魔法だ。しかし、標的との彼我は相当なもの。よほどのことがない限り、ここまで詩魔法を放てはるはずもない。
ひとまず、このことを賊長に報告する。飛空挺を操縦している中での通話は、注意の散漫につながる。あまり褒められた行為ではないが、早めに報告するに越したことはない。
『どうした、フィゾル』
「先に報告をしておきたいことがあってな。今回、かなりヤバいぜ」
『何?』
「かなりの距離から魔法を打たれた。もう少し状況見たら、また報告するわ」
『……無理はするなよ』
それを最後に、通信を切った。
「こんなトコで死ぬ気はさらさらねぇよ」
そう吐き捨て、飛空挺の速度を上げる。こうなったら、とことん抗ってやらぁ。
「バケモンが、俺についてこれるかってナァ!」
警備隊のレーヴァテイルより一足早く詠唱を始めた沙羅紗。彼女の頭上に光球が生まれるとともに、荘厳な旋律が辺りを満たす。
そして、一際膨れ上がる旋律を引き金に、沙羅紗の詩魔法が放たれる。しかし
「外した......やっぱり遠くの的は、無理」
仕方ない、というようにため息を漏らす沙羅紗。いや、あの距離で当ててたら、それってかなりすごいと思うんだけど。周りの警備員も、凄く驚いているし。
でも、沙羅紗ちゃんはさも当然のようにやってのけるから、難しそうに感じないんだよね。同じβでも、こんなに違うんだもん。
「大きい方は、狙えない?」
「......さすがに、遠すぎる。詩魔法の射程は、そこまで長くない。それよりも......」
声が途切れる。いや、詩に隠れたというべきか。
いつの間にか、他のレーヴァテイル達も謳い始めていた。沙羅紗ちゃんが見つめる先には、さっきよりもかなり接近している小型飛空挺の姿がある。
「嘘!? もうこんなに……」
「まだまだやる。カンナさんも、謳ったほうがいい」
「わ、わかった!」
こういうところで謳うのは慣れてないけど、仕方ないよね。
「すぅ……」
今頃、部屋でゆっくりしていたはずなんだけどなぁ。それをふいにした罪は重いんだからね?
奇しくも、俺がいる部屋は接近する小型飛空挺がよく見える場所だった。当然、打ち込まれる詩魔法の様子も分かる。こんなものは滅多に見られるものではないとはいえ、あまり良い気はしなかった。
ホテルの一室のようなその部屋でゆっくりと本を読んでいたいものだが、こうも緊迫した状況ではなかなか集中できない。それに、あまり集中しすぎると襲撃に遭った際に何もできなくなってしまう。
「追い払えるとも限らないし、一応コレはいつでも出せるようにしておこうか」
大きな鞄から取り出したのは、唄石が埋め込まれた一対の扇子。護身用の武器であり、月奏ーー律史前月読による詠唱を補助するためのものだ。一月と少し前、その大部分を使用してしまったため、今埋め込まれている唄石は安価で効果の薄いものになっている。
それでも、魔法の効果を増幅するには十分。これで逃げてくれれば万々歳、そうでなくても大きな脅威にはなってくれるはずだ。
(……あとは、緊張で上手く使えないなんてことにならなければいいが……)
考えている間にも、小型飛空挺はこちらへどんどん近づいている。あそこまで届いている詩魔法は、間隔を踏まえると2人か、せいぜい3人分がいいところだろう。
そこまで考えて、ふと先ほど見送った沙羅紗とカンナのことを思い出した。2人とも詩魔法の使い手として申し分ないのは、身に沁みて理解している。
(まさか、な……)
ここから彼女達の姿を捉えることは、もちろんできない。結局、このもやもやが晴れるのはかなり後になってからだった。
「チッ、危ねーな」
まだ飛んでくる詩魔法は捌き切れるが、確実に精度を上げているものがある。近づけば当たりやすくなるのは、当然だ。
深追いをするつもりはない。この距離で攻勢が激しいと分かれば、それだけでも十分に撤退する理由になりうる。
一旦離れるかどうか、そう考えた時には、既に飛空挺上で謳うレーヴァテイルや警備員らしき人も識別できるほど近づいていた。詩魔法を捌くのに気を回していたから気づかなかったが、その中に見知った姿を見つけた。
「......おー、怖え怖え。あんなのがいちゃたまったもんじゃねぇな」
以前、天覇の依頼を共にこなしたβ純血種とやらだ。たしか、2人でメタファリカに行く計画を立てていたと思うが、まさかちょうどその日にぶちあたるとはな。変な偶然もあるもんだ。
ともあれ、あんな滅茶苦茶な魔法なんざ向けられたら一溜まりもねぇ。賊長に報告しないといけねぇし、さっさとずらかるとするか。
一度高度をグンと下げ、飛空挺の下へ潜り込む。そのまま大きくUターンして、空賊船へ。
「じゃぁな。今度会うときゃいつになるか分からねーがよ」
最後に放たれた一発は、飛空挺のすぐ後ろを通り過ぎていった。これでひとまず、安全の確保はできた。やっと、最後の報告だな。
『どうだったか?』
「化け物がいるぜ。それも、超とびっきりのな」
『……知り合いか?』
「んー……まぁ、そんなとこだな。そいつが相当ヤバいことは身にしみて知ってらぁ」
『そうか。今回は残念だが、撤収だ。フィゾルも戻ってこい』
「あいよ」
今回の仕事はこれで終わりか。空賊として襲撃未遂だなんて格好悪いが、あんなの敵に回す方が馬鹿ってもんだ。
それにしてもタイミング悪いぜ、まったく……。
遠ざかる小型飛空挺を見て、溜めていた詩魔法を解く。ひとまず、無事に終わったことにカンナさんも安堵している。
「ふぅ。ひとまず、安心」
「そうだねー。まだ数が少なかったからよかったけど、多かったら大変だったかもね」
「それは、たしかに……」
そもそもどうしてこうなったのか、経緯を説明してなかった。
まず、管制外の飛空挺は空賊船を指すことがほとんど。天覇やMWE等の企業やプラティナみたいな機関は、使用する飛空挺の届出をしているけれど、空賊のほとんどはそれをやってないから一目瞭然なの。そうでなくても、空賊の飛空挺って派手だったりするから分かりやすいけど……。
先の警報の案内にあった管制外の飛空挺が空賊だってことを私は知っていたから、警備員に申し出て迎撃に出ることになったってこと。少しでも戦力はあった方がいいって、警備員は言っていた。
でも、それは私だけでよかった気がする。カンナさんまで出る必要は、おそらくなかった。
「巻き込んで、ごめんね」
「え? なんのこと?」
きょとんとした様子を見ると、本当に気にしていなかったのかもしれない。
「……ううん、なんでもない」
「そっか。それじゃ、戻ろ?」
「そうね」
結局、この後は何事もなくメタファリカに着いた。あるとしたら、ローレンツさんも交えて一緒に旅を楽しんだこと、くらい?