後日談:みんなの想いは? 前編


前編
後編





 誕生から十年が経とうとしている、理想郷メタファリカ。それを紡いだ二人の御子は今もなお現役で、メタ・ファルスの統制を担っているの。
 メタファリカの環境調査はほぼ全て完了していると聞いているわ。けれど、時折変化があって完全に把握できているわけではないみたいで(多くのI.P.D.達の想いに変化が現れているせいである)、大鐘堂では定期的に環境調査チームを組んで大規模な調査を行っているらしいわ。
 そんなチームと入れ替わるように、民間の飛行艇が大鐘堂の空港に降り立つ。中から乗客がわらわらと出ていき、ほどなくして散開していく。私たちも、その中にいる。

「ようやく帰ってこれたわね」
「ミント区の家に着くまでが遠足だぞ、ノイエ」
「あんな命がけな遠足は一度でも多いくらいだわ」

 会話の内容はおいといて、私たちも見た目は一般的な男女のペアね。いつもなら有象無象に紛れる、何の変哲もないものなんだけど、今日は違ったの。

「おい、もしかしてあの人って……」
「いやいや、さすがに人違いじゃないか?」
「だが、あの髪と風貌は間違いない」

 ここが大鐘堂の施設の一つだからなのか、騎士の姿は街に比べても多いの。そして、一つの集団が私達の方に視線を向けながら話をしているのよね。自意識過剰かしら?
 広がる騒めきに、そこらで警備をしている騎士に比べて威厳、風格共に一線を画す騎士が窘めようとした。だけど、その彼もこちらを向いて驚いていたわ。

「何だ、一体何を騒いで……カイ!?」

 驚愕と困惑が混じる声が聞こえた。自らの名前を聞いたカイがそちらに目を向けると、位の高そうな騎士は彼の方へ近づく。やや考えるそぶりを見せていると、カイの方から声をかけた。彼のこと、知っているのかしら。

「久しいな、戦友。その様子じゃ、随分と活躍してるみたいじゃないか」
「カイ、知り合いなの?」

 この騎士とカイとの関係を知らない私は、首を傾げた。

「ああ、こいつは俺と同じ頃に大鐘堂に入隊した戦友だ。お前と会うその日まで、一緒に騎士として過ごしていたんだ」
「お初にお目にかかる。大鐘堂第八大隊隊長、ノア・ライラックと申す。そちらは?」
「ノイエよ」
「ノイエ殿か。以後、お見知り置きを」

 ノアと名乗る騎士は深々と頭を下げる。
 やっぱり、昔とは違うわね。真面目な人って好感が持てるわ。

「これはまたご丁寧な騎士様ね」
「それがこいつの取り柄なんだよ」
「俺のことはともかく……生きてるんなら一度くらい連絡寄越せ、馬鹿野郎。俺たちがどれだけ心配したか」

 うんざりとして、それでいて嬉しさを隠しきれない声音。彼は、カイとの関係を話してくれた。
 彼はカイと同時期に大鐘堂に入隊し、共に武芸に励み、任務をこなし、切磋琢磨していく仲間だったみたい。
 だけど、神聖政府軍によるラクシャク保養地襲撃事件の少し前のこと。ノアはI.P.D.暴走の知らせを受けてスラムへと飛んで行った。彼が到着した時には既に保護は完了しており、周囲で負傷していた騎士達の治療に専念することになった。
 大鐘堂に帰還した後、彼はカイの姿が見えないことに気づく。彼のパートナーであるレーヴァテイルの姿もまた見えなくなった。
 しばらくして、当時の隊長から通告があった。二人は殉職した、と。
 はじめこそ疑問を覚えていたものの、ほぼ全ての隊員がそれを受け入れた。カイと同じ隊にいた数人とノアを除いて。
 私がスラムに行ってはじめて遭遇したI.P.D.暴走のこと……今でもたまに思い出すけど、まさかこんなところで聞くことになるなんて。

「ふぅん。カイは人に恵まれてるわね」
「こいつは無駄に銃の扱いが上手くてな。おまけに体術も申し分なし。当時の隊長からも目をつけられていたし、有望株だったはずだ」
「そうだったのか。そりゃ、悪いことをしたな」
「悪いと思うなら、今すぐにでも戻ってこい。籍を戻すとまではいかないが、お前の意思と努力次第ではどうにでもなる」

 ......随分と勝手な発言よね。

「ノアさん、それは今更なんじゃないかしら? もう十年も経つのよ?」
「今更かどうかはさておき、俺には絶対に曲げられないものがある」

 カイは私の方をちらっと見た。

「俺は彼女に命を助けてもらった。人として、何かを与えられたからには返すべきだろう?」
「……そうか」

 ため息をもらすノア。カイが大鐘堂に戻ることを、少しでも期待していたのかしら。
 でも、それ以上何も言わなかった。

「ま。そんな話はさておき……最近大鐘堂に入ったばかりのマーク、どこにいるか分かるか?」
「ん? ギルベルトの知り合いか?」
「そんなところだ」

 マーク・ギルベルト。銃を得物とし、最近まで狩猟生活を送っていた青年ね。およそ二年前に大鐘堂への入隊が決定して、先日の入隊式で晴れて隊員になったばかり。あまりにも急だったから、あの時はちゃんとお別れできなかったのよね......。

「この時間なら、訓練場にいるはずだ」
「「それはどこに?」」

 疑問が重なる。カイの方を向いたけど、困ったような顔をしていた。その様子を見ていたノアは、くくくと笑った後、咳払いをして懐から地図を取り出して場所を示してくれた。

「ああ、すまない。……訓練場はここだ」
「前と構造はあまり変わらないんだな」
「そのように御子様が取りはからったのさ。この空港なんかは新しく設けた場所だがな」

 そのおかげで、私たちもソル・シエールに行けたのよね。 

「話を続けよう。一応、訓練の見学自体は許されているが、訓練中の騎士との面会には相応の手続きが必要になる」
「……やはりか」

 政府機関だし、仕方ないのかしら。

「それじゃ、行きましょ。ノアさん、色々とありがと」
「じゃあな」
「カイ、たまには顔を見せろよ」

 後ろから念押しをするノアに、カイは手を振って返した。

「気が向いたらな」



 手続きを済ませた俺たちは訓練場にいる。
 そこでは、丁度一対一の新人模擬戦が行われていた。
 一人はマーク。常に一定の距離を保ちながら右手に持つ銃で相手を牽制しつつ、有効打となる機会を狙っている。
 対する女性騎士は、自身の身長ほどの長さを持つ棍で弾を弾き、或いは遮蔽物に身を潜め、間合いを詰める機会をうかがっている。
 一進一退の攻防だ。

「遠距離と近距離か。どちらが先に虚を突くか、だな」
「遮蔽物があることを考えると、マークさんは少し不利なんじゃないかしら」
「いや、数が少なければむしろ有利だ。遮蔽物から出てくる瞬間を見逃さなければ、な」
「さすが、元騎士様ね。そういうこと、できるんだ?」

 やや悪戯っぽく訊くノイエだったが、その問いには答えない。
 元騎士だからーーその言い方が癪に触ったわけじゃないんだ。ただ......

「あっ」

 不意に飛んできた驚愕の声に思考の中断を余儀なくされる。
 打って出たのは、やはり棍使いの女性騎士。防戦一方が不利と見るや、被弾も厭わず距離を詰めにかかった。マークは反応が遅れ、その彼我は棍のリーチと等しくなる。
 マークは銃による牽制を諦め、盾による防戦に徹することにした。次々に打ち込まれる攻撃をいなし、いなし、いなす。
 しかし、銃を撃つだけの隙はない。ひたすら防戦一方のマークに対し、何度弾かれ躱されようとも、棍による打突を繰り返す女性騎士。
 再び停滞した戦況は、それを見ていた全ての者の予想に反してすぐに動いた。
 女性騎士の放った渾身の一振りが、マークの体勢を大きく崩す。そして......

「そこまで!! 勝者、 ニーナ・エルスト。敗者、マーク・ギルベルト」

 女性騎士ーーニーナがマークの胸元へ棍を突きつけた状態で警笛が鳴り、模擬戦の終了を告げる。
 審判を行っていた騎士は、周囲の新人と思しき騎士を集合させ、何か通達をしている。
 俺はそんな様子を横目にノイエに話を振った。

「思い切った判断だったが、それをこなせるだけの実力はあるみたいだな。彼女、なかなかの使い手だ」
「......っ」
「ノイエ?」

 だが、彼女は信じられないようなものを見ているような顔でマークを、いや、ニーナの方を見つめている。俺の声は耳に届いていないようだ。

「ノイエ!?」

 少し強めに声をかけると、びくっと体を震わせて俺の方を向いた。驚きと不安を綯い交ぜにしたような視線を向けながら。

「......彼女ーーニーナのことを知ってるのか?」
「......」

 しかし、ノイエは答えない。
 どうしようかと思い倦ねているところに、凛とした少女の声が飛んできた。

「……リリカお姉様?」




 俺たちは大鐘堂のとある一室に来ている。俺が使う日が、こんなに早くになるとは思ってなかったけどな。

「……ふぅん、ノイ……いえ、リリカお姉様が自らそう名乗ったと」

 俺とカイから話を聞いて、納得するように頷くニーナ。ノイエさんはそっぽを向いているけど、ちゃんと話は聞いているみたいだな。

「意外だな。もっと否定するのかと思っていたが」
「仕方ありませんわ。リリカお姉様は、一度決めたらテコでも曲げられない性格をしておりますもの。わたくしが何か言って、変わるとは思えません」
「しかし、驚いたぜ。妹がいるとの話は聞いていなかったからよ」
「それはそうでしょう。家族構成など、顔見知り程度の関係では話しませんもの。あなた方も同じですわ」

 模擬戦の時の気迫とは打って変わり、上品な振る舞いをするもんだな。そういう家庭で育ってきたのか?

「……ニーナは、どうして騎士隊に入ったの?」

 そんな妹に対して、素っ気なく疑問を呈する。ノイエさん、ニーナのこと嫌いなのか?

「だって、リリカお姉様ったら急にいなくなってしまうんですもの。騎士隊に入って功績を立てれば、多少の融通も効きますことでしょう?」

 隠すつもりもない本音に、俺とカイさんは沈黙を余儀なくされる。現在所属している俺と、かつて所属していたカイさんからしてみれば、ここまではっきり言う人ってあまりいないんじゃないか…..?
 ノイエさんはこめかみを押さえて大きく息をつき、ニーナへ向き直った。

「はぁ……。何をどう間違ったら、こんな風に育つのかしら」
「リリカお姉様、酷い言い草ですわ」
「酷いも何も、事実じゃない。それに、出て行ったのにもちゃんと理由があるの!」

 姉妹喧嘩が繰り広げられる。さすがに取っ組み合いにはならなかったが、これが鎮まるには時間がかかりそうだ。
 俺とカイさんは、そんな様子を横目に乾いた笑いを漏らしながら話をしていた。

「あの、もしかしてカイさんも初めてっすか、アレ?」
「……ああ。あんなノイエは見たことない。長い間離れていたとはいえ、やっぱり家族なんだな」
「ノイエさんが家族の元で過ごしていたらあんな感じになっていたと思うと、ぞっとするぜ」
「いや、根本的な部分はノイエとニーナは同じだと思うが」

 ちらりと見た先ではノイエとニーナが口論をしていて、こちらの様子など御構いなしといった風である。こちらはこちらで、再び会話に花を咲かせる。

「でもよ、ノイエさんとニーナじゃ、生きてきた環境が違いすぎるんじゃないか?」
「さて、どうだろうな。彼女がノイエより幾つ下なのか、それ次第……だろうな。ま、女性に年に関する話をふっかけるのは失礼だ。やめておけよ?」
「わ、分かってますって」

 人の悪い笑みを浮かべるカイさん。俺、からかわれてるんだよな?
 そう思ったのも束の間。姿勢を改め、真剣な表情になる。つられて、自然と自分の背筋が伸びた。

「言うのを忘れていたな。入隊おめでとう、マーク」
「ありがとうございます、カイさん」

 かつての騎士から賞賛を送られ、俺は改めて騎士になったことを実感した。





 姉妹喧嘩が終わったのは、半刻後のことだった。

「それでは、わたくしはここで失礼しますわ。久しぶりにリリカお姉様と楽しいお話もできたことですし、それに殿方の邪魔をするわけにもいけませんわ。マーク、いずれまた模擬戦の機会があるでしょう。その時はまた、よろしくお願いしますわ」
「おうよ。すぐに追い抜いてやるからな」

 人差し指を立ててマークの方へウインクした後、私の方へ向く。

「それから、リリカお姉様。たまにはお父様やお母様に顔を見せてはいかが? とても心配しておられましたし」
「さっき話したでしょ? 今更話すことなんてないわよ」
「もう十年も経ちますわ。忘れろとは言いませんが、片意地になっても仕方なくてよ?」
「今日私と会ったことを、ニーナが話せばいいじゃない」
「……では、そのようにしておきますわ。それでは、ごきげんよう〜」

 やや不服そうに答えて、ニーナは部屋を出て行った。扉が閉められ、中には私とカイ、マークさんの三人が残される。

「騒がしい人だったな」
「どうしてあんなふうに育っちゃったのかしら、もうっ」

 本当、不思議なものね。同じ家族でも、過ごす環境が違うだけでこんなに違うのだから。
 そこにカイが水を差す。

「ところで、リリカというのはお前の本名か?」
「……」

 沈黙。
 それは否定ではなく、肯定。
 カイはそれを認めた上で、さらに踏み込んで訊いてきた。

「一昔前なら、名前を変えて身を隠すというのも分かる。だが、今はどうだ?」

 一昔前。メタファリカができる前、I.P.D.暴走が頻発していた時期のことだ。I.P.D.であることを隠し、普通のレーヴァテイル(=A.T.D.)として振る舞うことを余儀なくされていた。そして、ひとたび暴走を起こせば、問答無用で劣悪な環境であるI.P.D.ラボに収容されるか、死のどちらかしかなかった。
 だが、今やI.P.D.はメタファリカでは欠かせない存在になっている。元クローシェ親衛隊ーーもとい、メタファリカ運営管理委員会緊急対策課特務室(以下運営管理委員会)は特にそれが顕著であり、メタファリカ内で災害が起きた際には彼女らが出動して被災地の復興に当たっているのだ。彼女たちなくして、メタファリカの安寧は得られないと言っても過言ではない。
 運営管理委員会の環境は特殊だが、他のI.P.D.達も普通のレーヴァテイルと同様に扱われるようになっている。いや、むしろ普通のレーヴァテイルに比べて良くなっていると言える。

「でもね、もう十一年よ? 後少しもすれば生きてきた時間の半分はノイエとして生きたことになる。それでもリリカに戻らなくちゃいけないの?」
「ノイエさん……」

 分かってるのよ。いつかは向き合わなくちゃいけないって……。
 皆押し黙ってしまい、気まずい空気になる。過ぎた時間はほんの少しのはずなのに、長い間そうしていたかのように感じた。

「あのよ……今すぐに決める必要はないと思うぜ、ノイエさん」
「……え?」
「うまくは言えないんだが……その、なんだ。それだけ迷うってことは、ノイエさんにとってはすげぇ大切なことなんだろ? いつから考えているのかは知らないが、もっと時間かけて考えてみてもいいんじゃないかってな。不安だったら、カイさんがいるだろ?」

 後ろで、カイが苦笑するのが分かった。

「まぁ、な。マークさんのいう通り、ノイエの助けになるんならいつでも相談に乗るぞ? 俺でよければな」
「自分で言っておいてなんだが、やっぱり羨ましいな、あんた達」
「な、何言ってんのよマークさん」

 .......私、慌てている? どうして?
 湧き上がる感情に整理がつかないまま、話が進んでいく。そう思ったけど、

「ま、その話は置いといてだ……ノイエさん、俺に用事があったんじゃないのか?」

 この言葉で思考の渦は強制的に止められた。

「あっ、そうだったわね」
「なんだ。忘れてたのか?」
「違うわよー」

 私が言い出したことなんだから、忘れるわけないでしょ……。まったく、失礼なんだから。

「まずは、入隊おめでとう。贈り物も何もなくて悪いけれど、あの日にちゃんと言えなかったから」
「なんだ。そんなことくらい気にしなくてもいいんだぜ……まぁ、ありがとよ、ノイエさん」

 あの日から、ずっともやもやしていた気持ち。マークさんはこう言ってるけど、やっぱり私は気にするわ。

「それからね。沙羅紗さんとカンナさんが、近いうちにメタファリカに来るんだって」
「えっ、カンナが?」

 沙羅紗さんはソル・シエールのβ純血種、星詠の系譜の一人で、カンナさんはソル・クラスタのβ純血種、元クラスタニアね。あの後、二人で一緒にプラティナに行ってたけど、あれからずっと二人でいるのかしら?
 ま、それよりも問題なのはマークさんよね......。

「沙羅紗さんも、ね。カンナさんのことが気になるのは分かるけど、二人で来るんだから忘れちゃダメよ?」
「あ、ああ。そうか……あいつが来るんだな……」

 マークさんは、カンナさんに片思いをしているの。カンナさんがそれに気づいているかは別にして、二人の関係は、今は良いとは言えないわ。喧嘩もしたみたい。だけど……

「カンナさんね、もう一度ちゃんと話がしたいって」

 マークさんが入隊式に行ってしまった後、カンナさんが自らそう言っていた。あの時はカッとなってしまったけれど、こっちに来るときは頭に登った血も冷めてるだろうからって。

「そうなのか。いや、俺ももう一度話をしたいと思っていたし、カンナがそう言ってるなら好都合だな」

 安心したみたい。マークさんに、いつもの顔が戻ったわ。

「っと、そろそろ行かないとな。部屋、閉めるんだろ?」
「まぁな。ただ、それは俺達でやっておくさ。こんなので集合に遅れたら元も子もないからな」
「いや、それは……」
「ほらほら、遅れる前に行った行った」

 カイの提案に躊躇うマークさんを半ば強引に押し出しつつ、私たちも会議室を後にした。




 それから1ヶ月後、メタファリカへ向かう飛空挺の中。
 まだ出発してから一日も経ってないこともあり、落ち着かない乗客が多い。
 私とカンナさんはその例に漏れず、他の乗客に紛れて景色を楽しむーーなんてこともなく、充てがわれた部屋でゆっくり過ごしている。

「沙羅紗ちゃんって、ソル・シエールからは出たことがないんだっけ?」
「そう。星詠の時は、謳ってただけだし、そうでなくても、プラティナの文官として、少し仕事で、ソル・シエールを回ってた……くらい?」

 二人で挟むテーブルには、プラティナで買ったオボンヌと、少々の飲み物がある。それらを時折つまみながら、会話に花を咲かせていた。

「カンナさんは?」
「私も同じような感じかな。披露する場所も規模もそんなに大きくないし、だいたい地表だからね。この間のネモでの披露は、異例中の異例だよ」
「そっか……メタファリカは、初?」
「うん。実はまだ行ったことはないんだ」

 いろんな所に行ってるって言ってたから、意外。それにしても、地表? よりによって、塔じゃなくて、地表なのね。
 塔の上ーープラティナはもちろん、その周辺にあるネモやカルル村でも良いと思う。カンナさんがそこを選ばなかったのにはちゃんと理由があるのでしょうけど……。

「だから、余計に楽しみなんだ。あの2人にも会えるからね」
「私も、楽しみにしてる」


「まぁ、何にしてもメタファリカに着いてからだもん。それまでの間、何していようかなぁ」

 退屈そうに、少し雲がある空を見つめている。

(私も、何をしていようかな......)

 1、2日飛空挺に乗ることはあっても、1週間も乗ることはまずない。暇つぶしの本はいくつか持ってきているけれど、カンナさんがいることを考慮に入れると、それは得策じゃない。

「ねーねー、この飛空挺の中、歩かない?」
「ん、それいいかも」

 カンナさんは自覚がないかもしれないけど、こんな提案はありがたい。
 快く承諾して、準備を始めた。





 昼時ということもあって、人の数は多い。
 私もカンナさんもβ純血種だから食事には困らない。けれど、食事に目を光らせるカンナさんは、端から見れば普通の人間にしか見えないのよね。

「沙羅紗ちゃんは食べないの?」
「私は、カンナさんほど食べない、だから、いい」

 そうは言いつつ、彼女の方へ近寄る。知っている人が近くにいるのとそうでないのとでは、やっぱり安心感が違う。
 だけど、その安心感は耳を劈くような警報機の音によって霧散した。





『現在、複数の管制外飛空挺を確認しております。第三警備態勢を展開するため、乗客は直ちに自室へ避難してください。繰り返します。現在ーー』

 機械音声が鳴り響く中で、俺はため息をついた。

「せっかく経費でメタファリカに行けると思ったら、厄介ごとに巻き込まれるな」

 天覇の上層部から、メタ・ファルスのレーヴァテイルーーI.P.D.の詩魔法について調べるのなら、実地調査に行ってみてはどうか、と提案された。普段あまり触れられない研究のため、上層部ですら忘れ去っているのではないかと思っていたが、俺が考えている以上に気にかけてくれているようだ。
 そのことは素直に嬉しいのだが、それでも理解者が少ない現状では人が増えるはずもなかった。人手が足りないのは、しばらく解決できそうにない。だからこそ、俺がこうして1人で出かけているのだ。
 ……今はそんなことを考えている場合じゃないな。

「さて、どうしたものかな」

 こういった非常事態に無縁の人にとっては、恐怖極まりない状況だ。幸い、実戦を経験している俺は多少マシと言える。それでも少し足が竦んでいるが、他の乗客に比べればマシだろう。

「......危険手当でもつかないものだろうか」

 護身用の武術は多少心得があるとはいえ、賊に対しては心許ない。もとより、人に対してその力をまともに振るえるかと言えば、それは否だ。
 それに、武術に必要なものは部屋に置きっぱなしだった。

「やはり大人しくしているか……」

 もう一度ため息をつき、他の乗客と同様にあてがわれた部屋へ行こうとする。そこに

「あれっ、ローレンツさん?」
「奇遇ね」

 元気いっぱいな声と、貫禄のある声とが聴こえてきた。振り返ってみれば、見知った顔がそこにはあった。それに、もう一人は……乗務員?

「一体何をしているんだ?」
「ごめん! その話はまた後で」

 疑問は、カンナさんに一蹴されてしまった。沙羅紗さんが何も言わずに行ってしまうのだから、余程のことだろう。それにしても......

(どうして警備員が一緒にいたんだ?)





 時同じくして、『管制外』の飛空挺ーー空賊船から飛び出した小型飛空挺の中。

「今回もまた大きな標的だなぁ、オイ」

 目の前に浮かぶ飛空挺に呆れながら、しかし意気揚々と小型飛空挺の操縦をする。
 こりゃあやり甲斐もあるってもんだ。ま、ひとまずは偵察だがよ。

「さぁて、任されたことをやるかねぇ……おわっ!?」

 聴こえる詩と、視界の右端に見える、何かが爆発する兆候。それを理解する前に上昇しながら左へ旋回する。
 あれは紛れもなく詩魔法だ。しかし、標的との彼我は相当なもの。よほどのことがない限り、ここまで詩魔法を放てはるはずもない。
 ひとまず、このことを賊長に報告する。飛空挺を操縦している中での通話は、注意の散漫につながる。あまり褒められた行為ではないが、早めに報告するに越したことはない。

『どうした、フィゾル』
「先に報告をしておきたいことがあってな。今回、かなりヤバいぜ」
『何?』
「かなりの距離から魔法を打たれた。もう少し状況見たら、また報告するわ」
『……無理はするなよ』

 それを最後に、通信を切った。

「こんなトコで死ぬ気はさらさらねぇよ」

 そう吐き捨て、飛空挺の速度を上げる。こうなったら、とことん抗ってやらぁ。

「バケモンが、俺についてこれるかってナァ!」





 警備隊のレーヴァテイルより一足早く詠唱を始めた沙羅紗。彼女の頭上に光球が生まれるとともに、荘厳な旋律が辺りを満たす。
 そして、一際膨れ上がる旋律を引き金に、沙羅紗の詩魔法が放たれる。しかし

「外した......やっぱり遠くの的は、無理」

 仕方ない、というようにため息を漏らす沙羅紗。いや、あの距離で当ててたら、それってかなりすごいと思うんだけど。周りの警備員も、凄く驚いているし。
 でも、沙羅紗ちゃんはさも当然のようにやってのけるから、難しそうに感じないんだよね。同じβでも、こんなに違うんだもん。

「大きい方は、狙えない?」
「......さすがに、遠すぎる。詩魔法の射程は、そこまで長くない。それよりも......」

 声が途切れる。いや、詩に隠れたというべきか。
 いつの間にか、他のレーヴァテイル達も謳い始めていた。沙羅紗ちゃんが見つめる先には、さっきよりもかなり接近している小型飛空挺の姿がある。

「嘘!? もうこんなに……」
「まだまだやる。カンナさんも、謳ったほうがいい」
「わ、わかった!」

 こういうところで謳うのは慣れてないけど、仕方ないよね。

「すぅ……」

 今頃、部屋でゆっくりしていたはずなんだけどなぁ。それをふいにした罪は重いんだからね?





 奇しくも、俺がいる部屋は接近する小型飛空挺がよく見える場所だった。当然、打ち込まれる詩魔法の様子も分かる。こんなものは滅多に見られるものではないとはいえ、あまり良い気はしなかった。
 ホテルの一室のようなその部屋でゆっくりと本を読んでいたいものだが、こうも緊迫した状況ではなかなか集中できない。それに、あまり集中しすぎると襲撃に遭った際に何もできなくなってしまう。

「追い払えるとも限らないし、一応コレはいつでも出せるようにしておこうか」

 大きな鞄から取り出したのは、唄石が埋め込まれた一対の扇子。護身用の武器であり、月奏ーー律史前月読による詠唱を補助するためのものだ。一月と少し前、その大部分を使用してしまったため、今埋め込まれている唄石は安価で効果の薄いものになっている。
 それでも、魔法の効果を増幅するには十分。これで逃げてくれれば万々歳、そうでなくても大きな脅威にはなってくれるはずだ。

(……あとは、緊張で上手く使えないなんてことにならなければいいが……)

 考えている間にも、小型飛空挺はこちらへどんどん近づいている。あそこまで届いている詩魔法は、間隔を踏まえると2人か、せいぜい3人分がいいところだろう。
 そこまで考えて、ふと先ほど見送った沙羅紗とカンナのことを思い出した。2人とも詩魔法の使い手として申し分ないのは、身に沁みて理解している。

(まさか、な……)

 ここから彼女達の姿を捉えることは、もちろんできない。結局、このもやもやが晴れるのはかなり後になってからだった。





「チッ、危ねーな」

 まだ飛んでくる詩魔法は捌き切れるが、確実に精度を上げているものがある。近づけば当たりやすくなるのは、当然だ。
 深追いをするつもりはない。この距離で攻勢が激しいと分かれば、それだけでも十分に撤退する理由になりうる。
 一旦離れるかどうか、そう考えた時には、既に飛空挺上で謳うレーヴァテイルや警備員らしき人も識別できるほど近づいていた。詩魔法を捌くのに気を回していたから気づかなかったが、その中に見知った姿を見つけた。

「......おー、怖え怖え。あんなのがいちゃたまったもんじゃねぇな」

 以前、天覇の依頼を共にこなしたβ純血種とやらだ。たしか、2人でメタファリカに行く計画を立てていたと思うが、まさかちょうどその日にぶちあたるとはな。変な偶然もあるもんだ。
 ともあれ、あんな滅茶苦茶な魔法なんざ向けられたら一溜まりもねぇ。賊長に報告しないといけねぇし、さっさとずらかるとするか。
 一度高度をグンと下げ、飛空挺の下へ潜り込む。そのまま大きくUターンして、空賊船へ。

「じゃぁな。今度会うときゃいつになるか分からねーがよ」

 最後に放たれた一発は、飛空挺のすぐ後ろを通り過ぎていった。これでひとまず、安全の確保はできた。やっと、最後の報告だな。

『どうだったか?』
「化け物がいるぜ。それも、超とびっきりのな」
『……知り合いか?』
「んー……まぁ、そんなとこだな。そいつが相当ヤバいことは身にしみて知ってらぁ」
『そうか。今回は残念だが、撤収だ。フィゾルも戻ってこい』
「あいよ」

 今回の仕事はこれで終わりか。空賊として襲撃未遂だなんて格好悪いが、あんなの敵に回す方が馬鹿ってもんだ。
 それにしてもタイミング悪いぜ、まったく……。





 遠ざかる小型飛空挺を見て、溜めていた詩魔法を解く。ひとまず、無事に終わったことにカンナさんも安堵している。

「ふぅ。ひとまず、安心」
「そうだねー。まだ数が少なかったからよかったけど、多かったら大変だったかもね」
「それは、たしかに……」

 そもそもどうしてこうなったのか、経緯を説明してなかった。
 まず、管制外の飛空挺は空賊船を指すことがほとんど。天覇やMWE等の企業やプラティナみたいな機関は、使用する飛空挺の届出をしているけれど、空賊のほとんどはそれをやってないから一目瞭然なの。そうでなくても、空賊の飛空挺って派手だったりするから分かりやすいけど……。
 先の警報の案内にあった管制外の飛空挺が空賊だってことを私は知っていたから、警備員に申し出て迎撃に出ることになったってこと。少しでも戦力はあった方がいいって、警備員は言っていた。
 でも、それは私だけでよかった気がする。カンナさんまで出る必要は、おそらくなかった。

「巻き込んで、ごめんね」
「え? なんのこと?」

 きょとんとした様子を見ると、本当に気にしていなかったのかもしれない。

「……ううん、なんでもない」
「そっか。それじゃ、戻ろ?」
「そうね」

 結局、この後は何事もなくメタファリカに着いた。あるとしたら、ローレンツさんも交えて一緒に旅を楽しんだこと、くらい?






前編
後編



最終更新:2017年08月13日 16:32