「…よくよく考えれば、その通りよね。実質60年以上はあの鋏、使われていたことになるんだから…。」
キリを送りだしたあと、春美は独り言を呟きながら中庭をあるいていた。
「…あ、そうだった。今日、
カイムさんが報告にくるんだった。準備しなきゃ。」
春美が寺に向かって駆け出したその時。
「…もしもし、そこのお譲ちゃん。」
その声と共に、後ろから気配。
「!」
振り返ると、そこには一度見たことのある姿。
黒い髪、眼隠し、マント…。
そう。以前ノラを襲った『
シン・シー』だ。
「久しぶりだね。僕のこと、覚えてる?」
「…;」
早く逃げなきゃ。そう思っているのに、威圧感で足が動かない。
彼は春美の肩に手を置いた。
「その顔、覚えてそうだね。なら話は早いや。」
「君の仲間について知りたいんだ。」
「!!」
感づかれていた。自分が妖怪を従えていることに。
慌てて首を振ると、彼は少し困ったような表情を見せ、マントの内側に手を入れた。
「…おとなしく話してくれたら、こんなことしなくてよかったのに…。」
取り出したのは、白銀に光るナイフ。
動けない春美の肩をしかとつかみ、そのナイフを振り上げた。
「大丈夫だよ。ちょっと、痛いだけだから…。」
振り下ろしたナイフは、人の体とは思えないほどに硬質なものに突き刺さった。
それと同時に、少女を捕えていた手がはたき落とされた。
何事だ。そう思った時、ナイフの突き刺さったままの「硬質な物体」が頭部を襲った。
2,3歩後ずさり、顔をあげる。
少女の眼の前に、赤いオーラの持ち主が立ちはだかっていた。
「…危ないところだった…。」
春美との間に割って入った「彼」は呟く。
若草色の袴、黒いブーツ、ナイフの刺さった革のトランク。
細い眼鏡のフラームをあげる「彼」の名前を、春美は裏返りそうな声で叫んでいた。
「カイムさんっ!!」
「主、無事で何よりです。」
春美は慌てて続けた。
「カイムさん!直ぐに逃げて!彼がシン・シーよ!」
「…成程、彼が…。」
数歩下がるカイム。シンはナイフを隠し持ち、ゆっくりと近づいた。
「…確かに逃げた方がよさそうですね。」
そう呟いた瞬間、シンの眼に、赤いオーラがいっぱいに広がるのが見えた。
それと同時に、頭が割れそうな音が耳に入りだす。
その音に思わず膝をついたのを見計らい、カイムは春美を抱えて走り出した。
「…主、もう手を離して大丈夫です。」
カイムにそう言われ、春美は耳をふさいでいた手を離した。
「すみません、僕にはこんなことしかできないもので…。」
「十分だよ。ありがとう、カイムさん。」
「しかし、ここを感づかれるのも時間の問題ですね。僕の「力」だけではどうにも…。」
「キリ君も暫く戻ってこないんだ。
タクミさんに鋏を直しにもらいにいってて。」
「…仕方ないですね。」
カイムはトランクをあける。
中から取り出したのは、万年筆によく似せたナイフ。
万一の時を想定して作ったものだ。
「僕が時間を稼ぎます。この先真っすぐ行けば、タクミさんの工場です。」
「えっ、でも、カイムさんは…。」
「いいから。」
カイムは茂みからでると、こちらに来ていたシンと相対した。
「へぇ、思ったより早く出てきたね。」
「ええ。貴方と話がしたかったのです。」
「あの頭の割れそうな音、君の力なんだろう?それを使ってて今更交渉だなんて…。」
「ええ、分かってますよ。」
(交渉?一体何を…。)
茂みに身を隠したまま、春美はその様子を見ていた。
既に春美がいったと思い込んでいるカイムは、握っていたナイフを地面に捨て、一言、言った。
「僕の命を、君にあげましょう。その代わり、主からは手を引いてください。」
「!!??」
春美は思わず茂みから飛び出した。
その音に振り返り、カイムは驚く。
「主、まだいってなかったのですか!」
「カイムさん、なんでそんなこと言うの!!」
「…。」
カイムは、目を伏せた。
「…僕は、
百物語組…いえ、妖怪の中でも落ちこぼれです。人間にもかなう気がしません。」
ぽつり、ぽつりと、彼は語りだした。
「自ら望んだこととはいえ、この力の他、僕は人間と相違ない。百物語組にいても、足手まといなだけです。」
彼は無理やり笑顔をつくり、春美を見た。
「足手まといは、いない方がましでしょう?僕のこの命は、一度消えたものなんですし…。」
春美はその言葉を最後まできこうとはしなかった。
カイムの襟に飛びつくと、そのまま頬を音高くはたいたのだ。
遮られた言葉を続ける事を忘れ、カイムは春美を見た。
春美は、赤く眼をはらし、涙をこらえていた。
「なんでそんなこと言うのよ!私、一度もカイムさんが足手まといだなんて思ったことないよ!!」
「主…。」
「私たちは「百物語組」。一人でもかけちゃいけないの!」
「…でも、僕は…。」
「「でも」じゃない!!」
春美はもう一度襟をつかみ、目線を合わせた。
「皆良いとこあるんだよ!足手まといなんて誰もいないんだよ!だから、そんなに自分を卑下しないで!!」
堪え切れなくなった涙を流しながら、春美は叫んだ。
「絶対死なないで!生きるチャンスをもう一度手に入れたんだから、最後まで生きて!!」
胸に頭を擦りつけるように泣く春美のあたまを、カイムは優しく、ゆっくりとなでた。
「…分かりました。主の命なら仕方ありませんね。」
「カイムさん…。」
「大丈夫ですよ。きっと。生きて戻りましょう。だから、主は早く、キリさんの元に。」
「…信じてるからね。」
「僕は嘘は吐きません。」
春美は襟を離し一つうなづくと、背後の道を走って行った。
「…最後の別れは終わったかい?」
「すみません。本当は自分の命と引き換えにあきらめてもらおうと思ったのですが…。」
カイムは足元のナイフを拾い上げた。
「そうもいかない事情ができました。」
「…そっか。それは残念だね。」
言い終わるや否や、シンの手先からナイフが放たれた。
辛うじてかわしながら、カイムもナイフを飛ばす。
遠距離での戦闘に終わりはないと感じたシンは、手っ取り早く終わらせようと蹴りだした。
その瞬間、カイムの口元が笑ったことに気がつかないまま。
目の色が黒から赤に変わる。
彼はトランクを拾い上げると、『蝶番側』からトランクをこじ開けた。
中はまさしく「闇」。無限の空間が広がっているかのような、深い黒色に染められていた。
そして、その闇が溢れるように這い出すと、近づいたシンを捕えたのだ。
「!?」
闇はシンを絡め取り、そのままトランクの中に収まった。
カイムはトランクを閉め暫く抑えていたが、そのうちに糸が切れたかのように後ろに倒れ込んだ。
地面に強く頭を打ち付ける前に、駆けつけたキリがその体を支えた。
カイムは息も絶え絶えに、春美とキリを見た。
「カイムさん、今…。」
「…はは、本当は使いたくなかったんですけどね。止むをえませんでした…。」
それだけ言うのが精いっぱいだったというように、黒く戻ったその眼を閉じ、カイムは眠りについた。
静かに寝息を立てるカイムを暫く見ていた二人だったが、そのうちに春美が切り出した。
「キリ君、カイムさんを寺まで運んでもらえるかな?」
「…了解したのでありマス。」
キリはカイムを背負うと、春美と共に寺へと歩き出した。
「念のため、後でカイムさんの家に行こう。シキさんが一人でいるはずだから、カイムさんの目が覚めるまで寺にいてもらわないと、また襲われるかもわからない。」
「そうでありマスね。「あの力」を使えば、少なくとも一日は眠り続けるのでありマスから…。」
「シンさんも少しはこりてくれればいいんだけど、逆に人外への恨みが積もらないか心配だなぁ…。」
そういいながら、春美はカイムの寝顔を見た。
「…ごめんね、無理させちゃって。「あの力」、使いたくないって何度も言ってたのにね…。」
その一言を最後に、寺まで誰も何も話さなかった。
人ならざる教師は
命を守るために
「禁断の力」に手を伸ばした
正義の味方と教師は
暫くの間彷徨い続けることとなった――
最終更新:2011年07月08日 20:35