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梧桐の憂鬱

火波 綾歌という少女にとって、血を分けた肉親である姉の存在はとても大きなものだった。
幼少の頃、まだ己が物心つかぬ内に姿を消し、父が逝き、母が逝ってなお見つからなかった、今や唯一の家族。
絵本作家の叔母に引き取られて育っていく内、「逢いたい」という思いが募るようになった。

そんな時に出会った、一人の少女。

どこから来たのか、何のつもりなのか。それには一切答えず、ただ名前だけを名乗った少女は、次にこう言った。

「あなたのお姉さんは、いかせのごれと言う所にいる」

それは、待ち望んだ報せだった。
姉が生きている。それだけで、綾歌は救われたような思いだった。

以来、少女は何度となく綾歌のもとを訪れ、近況の報告を行った。それを聞く度、綾歌は一喜一憂し、また安堵も覚えていた。
身の内で募る「逢いたい」という思いは、懸命に押し殺して。今彼女に逢えば、自分のことで一杯な姉はきっと潰れてしまう。それが何となくわかったから、必死で自分を誤魔化して過ごしていた。


そんなある時、日増しに元気がなくなっていく綾歌を見かねた叔母が、気分転換に温泉にでも行ってはどうか、と提案してくれた。
一も二も無く乗った綾歌は、しかしそこで思わぬ出逢いを果たす。


月を見に上った屋根の上。そこに佇んでいた、自分と同じ顔の少女。


心が叫んでいた。逢いたいと願い続けた姉が、そこにいると。
しかし、言うわけには行かなかった。父親譲りの観察眼が、彼女がまだ不安定だと教えていた。
だから、あくまで他人のふりをして、その場を去った。

―――限界だった。
今まではまだ耐えられた。けれど、偶然とはいえ出逢ってしまった。
押し殺していた想いが、堰を切ったように溢れ出した。
誰にも、何も言わず、通っていた学校に転校届けを勝手に出し、一路、いかせのごれを目指した。
姉と同じクラスに編入され、同じ屋根の下で暮らすようになった。かつての己を捨てて新しい名を名乗る彼女のように、自分もそうした。
悲しい事も、嬉しいことも、同じくらいあった。だけど、今は幸せ。




「……幸せ、なのですけどねぇ」

自室で過去に思いを馳せていたアオイは、机に頬杖をついたままはぁ、とため息をついた。
先ほど、何を察したのか、「アオイ、留守頼む!!」と言い放ち、スザクが家を飛び出して行ってしまった。
言われた以上勝手に外出するわけにも行かず、アオイは家で大人しくしていた。
もう夕方……7時を回った。いくらなんでも学生としては遅い。

「姉様、どうされたのでしょうか」

さすがに心配になって来たアオイは、家の鍵を探しに部屋を出た。と、背後から聞きなれた着信音が流れた。
スザクもそうだが、アオイは相手によって着信の設定を変えている。そしてこの曲は、そのスザクからだった。
素早く手に取り、開いて通話を繋ぐ。

「はい。どうしましたの、姉様」
『アオイ? ごめん、今日はちょっと帰れないや』

姉からの連絡は、唐突かつ少しばかり衝撃的なものだった。

「え? あ、あの、どうしてまた?」
『いや、今ランカの家にいるんだけど……』





しばらくして、スザクから事の顛末を聞いたアオイは、「そうですの」と息をついた。

「まだ襲われる危険があるので、念のためにブランカさんのお宅に泊まり込む……と、こういうわけですわね」
『ああ。悪いけど、留守番よろしく頼むよ』
「委細承知ですわ。ブランカさんのこと、しっかり守って差し上げてくださいませ」

通話を切る。
携帯を両手で静かに閉じると、充電器に繋いで部屋を出る。
スザクがいないということは、今日は家に一人。のんびり出来る……とは思えなかった。

「……寂しいですわ」

もともと、スザクを慕っていかせのごれまでやって来たのだ。一人になるとそんな気持ちになるのは、自明の理だった。

「…………」

魔が差した、というべきなのか。ふと、スザクが大事にしている「幻想物語」シリーズを読んでみようと思い至った。



「……やっぱりよくわかりませんわ」

スザクの部屋で第四シリーズを読んでいたアオイは、この間叔母・ツバメが言っていた順番で本を読んでいた。
一応、ツバメが「微妙なヒント」をくれた時にひらめきはしたのだが、よくよく考えると齟齬があった。
このシリーズのテーマは「歪んだ愛」なのだが、作中で「楽園の本当の名前」となっていた「本当のテーマ」が不明。スザクは「『憎しみ』じゃないか?」と言っていたし、実際そう思っていた。
だが、よく考えてみよう。「愛」の対義語は「無関心」だ。「憎しみ」は類似語に該当する。
つまり、

「真実の名(テーマ)は『愛憎』……そういうことですのね。――――あッ!?」

理解した途端に稲妻が走った。もしや、もしや……!?
時系列では最初になっている3巻を読み直し、その内容を吟味する。気になったのは中盤で主人公が絵に見入られる場面。続いて5巻。青年が少女に出会う場面と裏切りの歌の場面。
咀嚼し、吟味し、理解を深めて行く。

「……やっぱりそうですわ。この絵の方と番人の方が似た姿なら、その時点で終わっていいはずですわ。そうなっていない、ということは……」

さらに7巻、1巻、11巻と読み進める。男の罪の理由、男の死と娘の見る夢。
特に7巻の、何でもない表現に目を通す。その部分が、叔母のヒントと噛み合う。

「……渡し守……楽園……対岸には渡れませんわね、確かに……」

そして、俗に「奈落サイド」と呼ばれる五人の少女の物語。

「……始まりと終わりに仮面の男……探しているのは特定の一人……彼女達をどこへ連れて行きますの……?」

最後に、夕日を背に受けるパレード。

「……日没は死の暗喩……楽園はすべからく東にあるとされている……仮初の終焉……死の拒絶……彼女達の共通項は……」

そして、ようやっとアオイは全てを理解した。
ファンでも自力で理解することは難しいと言われる、その物語の本当の姿を。
自分にすら聞こえない程の小声で、ぶつぶつとその姿を睥睨する。

「あのタイトル……表現からすると魔……己自身を結界と……それなら確かに魔女と……求めたのはあくまで肖像の……その子の名はあの絵の……真理に背く転……代償は衰……渡し守……死者でも生者でも……対岸は楽園……そこには行け……真っ当な死を……彼女は生まれ変わると……だから探して……連れて……無駄だと嗤い……娘の姿で……冥府の……だから……赤い髪の……祖母は真紅の……世界の果て……辿りつけない場所……」

一通り把握して、ふうっと息をつく。

「……本来のテーマは『歪んだ愛』ではなく……『歪められた、あるいは操られた愛』ですのね。そもそもの始まりからして……」


「愛するがゆえに誰かを傷つけ、あるいは滅ぼし、自分も滅ぶ……そして、それゆえに相手のいる場所に行くことが出来ない。あの列にはそんな方たちが並んでいますのね。先頭で笛を吹く男こそ、その……」


ふと、

「―――――――」

自分もそうではないか、と怖くなった。
もしかするといずれ、かつてのスザクのように、自分もそうなってしまうのではないか。スザクのために、誰かを殺してしまうのではないか。あの時、ゲンブに対してそうしたように。

「………………姉様」


「こんなわたくしでも、あなたの傍にいても良いのでしょうか……? もう、よくわかりませんわ……」


先ほどの奇妙な高揚はどこへやら。沈鬱な声音で、アオイは俯き、ぽつりとそれだけ呟いた。



梧桐の憂鬱

(―――なお)
(帰って来たスザクが事情を知り)
(彼女がまたお説教されたのはここだけの話)

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最終更新:2011年08月21日 13:50