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「今まで」と「これから」

白波邸の中は不穏な空気に包まれていた。

楕円を引き延ばしたようなテーブルの端に、狐の姿のアズールを膝に乗せたランカが座っている。そして側面には、腕を組んで座るアカネと、何やら神妙なのか、真剣なのかわかりづらい顔のシドウが対峙している。
部屋の隅には客人・エトレクが正座。

重たい沈黙を破ったのは、アカネの一言だった。

「さて、あなた?」
「…………」
「ランカの身体が弱いのは知っていたはずよね? この子が本質的には寂しがりってことも」
「……無論だ」

シドウのその答えに、アカネは目をす、と細め。

「なら、どうしてランカを放って飛び出したのかしら?」
「……ヴァイス=シュヴァルツ。その名を聞いたことはないか」
「『部屋』で一応はね。人間関係、社会性、あるいは精神や生命……それらを壊して回る、愉快犯」
「そうだ。俺は……」

シドウが語ったのは、飛び出してから4年間の動向と、なぜ帰って来なかったのか、というものだった。
アカネが消えてしばらく後、近所でヴァイスを見かけたのがきっかけだった。このままでは、また同じことが繰り返される。それは阻止しなければならない。その夜に起きた殺人事件が奴の仕業であることを知り、ついにシドウは飛び出した。10歳になったばかりの娘と、保護していた二人を置いて。
ウスワイヤに匿名で連絡し、3人の身の安全を図った。それから4年の間、あの道化師を追い続けた。

「………なるほどね」

一連の事情を聞き、アカネは腕を解いて大きく息をついた。弛緩した空気に安心したのか、緊張の面持ちで成り行きを見守っていたランカとエトレク、アズールも心中で安堵した。

「つまり、ウスワイヤにヴァイスの存在が知れれば、誰が能力者になるかわからないということで、内外でパニックが起きかねない……そのために一人で追っていたわけね。ランカや、あの子達を預けて」
「ああ」
「そういうことね。だったら、言う事はないわ」

アカネの言葉に、その場にいる全員が安堵した。が、


「……なんて、言うと思った?」


そのアカネは、一瞬で表情を消すと、シドウの目を真正面から見据えた。

「ぬ……!?」

俄かに緊迫した空気に、完全に虚を突かれたランカ達は言葉を詰まらせる。その間隙を縫うように、アカネはシドウに非難を叩きつける。

「同じことを繰り返させないために? 馬鹿を言うんじゃないわよ。あなた一人で何が出来るって言うの?」
「だ、だが」
「直らないわね、その悪い癖。誰か悪い奴を見つけると、正義の味方気取りで後先考えずに飛び出して痛い目見る。それがなかったらいい親なのに」
「むぅ……」
「大体、全てを捨てて追うなんてのが言語道断よ。親としての責任はないの? ランカは10歳だったのよ? 今でも14歳。私達が守ってあげなきゃならないんでしょ!? それを放り出して、あなたは4年間も何をしてたのよ!!」
「お、お母さん、私は平気だったから、落ちついて。綾ちゃんに、大さんもいたし」

取りなそうとするランカに、アカネはやはり厳しい目を向ける。

「本当に平気だった?」
「え……」
「アズールも、シドウさんもいなくなって、本当に何も感じなかった? そうだとしたら、あなたは薄情ってことになるわね」
「は、薄情だなんて……」
「……誰かがいなくなって『寂しい』って思うのはね、その人がどんな形であれ、自分にとって大切だからなの。それとも、いなくなっても何も感じないくらい、あなたはアズールやお父さんがどうでもいい?」
「! そ、そんなことないよ! 私は……」
「なら、平気だったはずはないわ。本音を言いなさい、ランカ。あなたは、その時どう思った?」
「………」

俯いて沈黙するランカ。エトレクがはらはらしながら見守っていると、絞り出すような声が聞こえた。

「………寂し、かった……アズールは手紙だけ残して出て行っちゃったし、お父さんは何も言ってくれなかった。知らない人達が大勢やって来て、私達をどこかに連れて行って……怖かった……お母さん、怖かったよぅ……!」
「ぅう……マスター、ほんまにすみません」
「……頑張ったわね、ランカ」
「うん……やっぱり、お母さんに隠し事は出来ないや」
「そりゃそうでしょ? あなたのお母さんなんだから」

全く以ってその通りだな、とエトレクは思った。

(あの洞察力の高さは母親譲りだったのか……凄いな)
「さて、シドウさん? ランカの気持ちは聞いての通りだけど……まだ何か?」
「…………」

完全に詰まったシドウだったが、まだ何か言おうとしている風ではなかった。今考えていることをどう言葉にすべき、考えているように見受けられた。そして、

「……すまん、お前の言うとおりだ、アカネ」
「全く……いい加減直しなさいよ、その性格。それに、謝る相手が違うんじゃない?」
「お母さん、お父さんはもう謝ってくれたよ?」
「あら、そうなの?」
「うん。前に一度帰って来た時に」
「……ま、まあ、それならいいわ」

どうやらアカネにも想定外だったらしい。
空気が若干緩んだ所で、シドウが再び口を開く。

「まあ、しかし、その……なんだ」
「? まだ何かあるの?」
「いや、あると言えばそうなんだが……あれだ」


「……よく、帰って来てくれた。アカネ」


「ぁ……うん。お帰りなさい、お母さん」
「ほんまに、ようご無事で……」
「……ええ。ただいま、みんな」


ようやく、3人に笑顔が戻った(アズールはランカの膝の上にいるため、エトレクの位置からだと椅子が邪魔で見えないのだ)。
ほっと一息ついたエトレクに、アカネが声をかける。

「そういえば……エトレクさん、いつまでそうしてるの?」
「へ? あ、はい」

慌てて立ち上がろうとしたエトレクだったが、

「うおっ」

足が痺れてしまい、思いっきり転んでしまった。

「あたたた……」
「大丈夫? ほら、座って」
「す、すみません」

何とか椅子に座ったところで、アズールが口を開く。

「……そういえば、シドウさん」
「何だ?」
「シドウさんの仕事って、何を?」
「む……」
「私と結婚した頃は建設会社にいたけど、転職したのよね。……ちょうどいいわ、話してちょうだい。私がいる以上、言い逃れは効かないわよ?」

エトレクを含め4人分の視線にさらされ、やや怯んだようだったが、シドウは「……仕方がない」と不承不承ながら明かした。


「―――フリーの探偵だ」


「えぇ!? ほな、なんであの時『知らない方がいい』って……」
「いや、あの状況で言うと少々間抜けに見えるかと……」
「またそんな見栄を張る……ホントにどうしようかしら」

肘をついた方の手で頭を抱えるアカネであった。


「えーっと……お邪魔しちゃっていいかしら?」


不意に響いた声に、全員が振り向く。
エトレクも振り向いたそこにいたのは、山吹色の髪をした、少女と見まがうような女性。

「琴音さん!」
「……人間では、ない?」
「琴音……ああ、やっぱりヒナちゃんかぁ! うわぁ、久しぶりね」
「おぉ、琴音さんやないですか」
「え? どこ、どこにいるの?」

どうもランカだけ見えないらしく、皆の反応を見て一人狼狽えている。
それを見て取った琴音は、

「あ、そっか、このままだと普通の人には見えないのよね。んー、どうしようかしら」
「あ、それならウチが。マスター、ちょっとウチの手ぇ握ってください」

一瞬で人の姿になったアズールが、ランカの隣に立って手を差し出す。言われるがままランカがその手を取ると、

「あ、見える!」
「ウチに限らず、妖怪には割とようある能力の一つです。見えないものを見られるようになるんですわ」
「特殊能力なの?」
「いえ、種族……と言うてええのかわかりませんけど、固有の力なんです」

ともかく、これで全員がお互いを知覚した。
あらためて、話を再会する。

「ヒナちゃん、ちょっと聞くけど……」
「この間のことね? あれは……」

エトレクがある少女と再会するために探しており、本当にその子がランカなのか確かめるために訪れたのだということを話すと、アカネは「何だ、そうだったのね」と安心したようだった。

「後ろ姿しか見えなかったし、ランカに何かしたとしかわからなかったから……」
「ううん、親としては当然よ」
「……ええ、当然よ。ね?」
「う、うむ……」

視線を向けられて口ごもるシドウである。
その横から、席を移ったランカが言う。

「お母さん、その人を知ってるの?」
「中学生の時の同級生よ。卒業してから疎遠だったんだけど……」
「へー……ほな、そのあだ名は何で?」
「苗字が『火波』でしょ? だから『ヒナちゃん』なのよ」

和気あいあいと和む一同を見て、エトレクは恐れていたような修羅場がなかったことに心底から安堵していた。

(よ、よかった……何事もなくて……)


彼の心象など知らず、一同は話をする。

「お父さん、今度はいつまでこっちにいられるの?」
「実は、4日後には発たねばならん。別の依頼が入っているのでな」
「自由業は……ま、いいわ。その代わり、きっちり連絡は入れること。いいわね? これが守れないなら、地の果てまでも連れ戻しにいくわよ」

アカネならやりかねない、とその場に在る誰もが思った。

「でも、今日明日と明後日は一緒にいられるんだよね?」
「場合によってはもう少し延びる。情報集めはここでも在る程度は出来るからな」

そう言ったシドウがふと外を見ると、既にとっぷり日が暮れていた。
時計に目を移せば、7時を回っていた。

「こんな時間か……客人、エトレクと言ったか? せっかくだ、泊まってゆくといい」
「え? でも、いいんですか?」
「構わん。今日はめでたい日だ。それに、夜とは言え、シン・シーが動く危険も捨てきれん」

よく見ると、表情が薄いシドウの口元に、僅かながら笑みが浮かんでいた。

「……わかりました。それじゃ、今日は厄介になります」
「OK。それじゃ、春美ちゃんには私から伝えておくわね」
「え、ヒナちゃんもう帰っちゃうの?」

アカネの言葉に、入口に向かった琴音は振り向く。

「私はこんな身体だし……やっぱり、ね」

その笑みは、少しだけ寂しそうだった。

「じゃあね」
「ヒナちゃん!」

出て行こうとする琴音の背に、アカネは言葉を投げかける。

「私は……いつまで立っても、ヒナちゃんの友達でいるからね」
「……ありがとう、アカネちゃん」

そして、今度こそ琴音は白波邸を後にした。
残った4人はというと、

「さ……遅くなっちゃったけど、晩御飯にしましょうか。ランカ、アズール、今日は特製のオムライスよ! シドウさんには、きゅうりとわかめの和え物で、お酒は大吟醸ね」
「わぁぁーい!」
「おおきにー! いやぁ、アカネさんの料理も久しぶりですわぁ」
「フ、すまんなアカネ」
「二本目はなしですからね?」
「………ああ」

そして、

「エトレクさんは?」
「え? えーと、その、同じものを」
「お酒?」
「ではなくて……」
「オムライスね、了解!」

―――その夜の白波邸には、久しぶりに家族の灯が灯った。



「今まで」と「これから」

(帰って来た人)
(思いがけない再会)
(家族は、これからだ)


「おいしい……やっぱり、お母さんの料理が一番だよ」
「ん~~~~!! ほんまほんま、まったくですわ」
「……変わらんな。昔のままだ」
「う、旨い……」
「作った方としては最高の褒め言葉ね。遠慮なく、どうぞ」

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最終更新:2011年09月07日 19:10