ーAM10:00ー
土曜日の朝、兵器の少女
クレアはある人物の家に向かっていた。流石に、朝から普段の服装は人の視線を集めすぎる為、今は地味な黒いロングコートにジーンズを着用し、茶色の帽子を目深に被っている。
もちろん、ビルからビルの上を飛び越えて移動するなどの常識を逸脱した行動もせずに、普通にバスと徒歩で移動している。この格好ならば、ラピスラズリのような暗い藍色の髪と燃えるように蒼い瞳を除けば、クレアもただの少女にしか見えない。帽子を目深に被っていれば、髪と眼すら隠せてしまう。
「(手土産は持った。これで訪問は良いはずだが‥)」
クレアの手には
霜月堂で買った洋菓子が幾つか袋に入った物が下げられている。
いわゆる手土産だ。
もちろん、用意したのは彼女の脳内のプログラムがそうさせただけであるが。
裏路地を歩いていたクレアは、古びたマンションの入り口に足を踏み入れた。尋ね人は6階に住んでいる。クレアは無言のまま、階段を登り始める。普通なら、思わず溜め息をついてしまいそうだが、クレアは息を切らす事もなく、すいすいと階段を登って行く。
6階に着くと、クレアは階段から見て右側の扉を軽くノックする。
「私だ、レナ。」
そして、中まで聞こえるように少しだけ声を大きくして、中にいる住人の名前を呼ぶ。
ほどなくして、金属製のドアが開き、中から一人の少女が顔を出す。
顔立ちは外人のそれで、金髪と薄い緑色の瞳を持つ、外人にしてはかなり小柄な少女だ。なかなか整った顔立ちではあるものの、眼に力が無く、端から見ても陰鬱な雰囲気を感じさせる。そんな本人を反映させるかのように、地味な部屋着を着ている。
「クレア‥また来てくれたんだ。」
しかし、クレアを見たレナと呼ばれた彼女は先程の死んだように光のない瞳をパッと輝かせ、弱々しいながらも笑顔になった。余程クレアの来訪が嬉しかったのだろう。
「うん。今日は暇か?邪魔ではないか?」
「そんな!!邪魔だなんてとんでもない!今、お茶を淹れるから、上がって。」
「‥ありがとう。」
レナに促されるまま、クレアは彼女の部屋に上がった。
「最近どうだ?病状は良くなったのか?」
ソファーに座ったクレアは帽子を脱ぎ、紅茶を飲みながらレナに聞く。
レナは少し申し訳なさそうに笑いながら頭をかく。
「あはは‥全然。まだ、クレア以外の人と会うのは怖い、かな。」
彼女は重度の対人恐怖症とSAD(社会不安障害)を抱えていた。
誰かに会うのは怖いし、自分に自信も持てない、周りの視線が怖いなどの症状を引き起こす、精神の病だ。
最も、彼女がそうなった理由はある。
彼女は人の心を読む事ができる超能力者なのだ。13歳の時に得たその超能力は、実は日本人とアメリカ人のハーフである自分を周りの人間が偏見を持っている事をまざまざと見せつけ、それ以来彼女は対人恐怖症に陥った。その後心の支えであった両親も交通事故で帰らぬ人となり、彼女の心は壊れたのだ。
しかし、弱々しく笑う彼女を無視し、クレアはレナの右腕を優しく手に取る。
そこには、まだ比較的新しい切り傷がいくつもあった。やや深く、傷口が新しいのも相まってかなり痛々しい。
「‥また切ったのか。済まない。私がついていればこんな痛い目に遭わせずに済んだのに。」
それは間違いなく、リストカットの後だ。
「あはは‥クレアには隠し事はできないや。ごめんね‥心配かけちゃって。」
「レナが気にすることは無い。レナには私がついている。もっと私を頼りにしてくれ。」
無表情な少女から紡がれるとても暖かな言葉。
兵器の慣れ果てになったとはいえ、彼女はしっかり人間のようだ。
「‥ごめん、クレア。それだけじゃないの。今日、久しぶりに買い物に行ったら学生さんに絡まれて‥お金を出せって脅されて、私怖くて‥」
「‥そうか。抑えられなかったか。」
「‥ごめん。」
人の心を読み、それに恐怖するレナは自分を護る為に、そこから新たな力を覚醒させている。15歳の時、いじめられた事が原因となって発現したその力は、レナに僅かでも悪意や害意、敵意を持っていると、その人間を抵抗の余地無く爆殺してしまうというものだ。
恐怖に駆られたレナはその力を制御出来ず、能力を暴発させてしまう。
かすれ声で紡がれた言葉は『2人も‥』だった。
「‥そうか、辛かったな。」
ぽつりとクレアは言うと、彼女のそばに近づき、座る。
「‥おいで。」
「‥‥‥」
言ったクレアにレナは無言で抱きつく。クレアはそんな彼女をギュッと抱き締めた。
彼女の恐怖を奪い去るように‥
「私は‥いつまで、いつまで殺し続ければいいのかな‥?」
「案ずるな。レナは私が護る。レナが恐怖を忘れて笑顔でいられるようになるまで、私がレナを護る。だから、レナは今は私に護られていればいい。」
静かに泣きながら言うレナに、クレアは優しく言う。
クレアを造った
ホウオウグループから見れば、彼女は大きなイレギュラーであろう。
兵器が『心』を持ち始めるなど、好ましいわけが無い。
小さな奇跡は起こっていたのだ。
昼も過ぎたマンションで、泣き疲れて眠ってしまったレナを抱き留めたまま、クレアは何をする事も無く座っていた。
「(記憶には無いが、私も遠い昔、誰かの優しさにこうやって包まれていたような気がする。)」
記憶の無い彼女が感じる、胸に灯った柔らかなぬくもり。
彼女の脳内の情報データをいくら検索しても正体が出て来ない不思議なもの。
思えば何故自分は彼女を護ろうと思ったのだろう?
クレアはいつも、そう自問自答を繰り返す。
元々はただ、自分の記憶を取り戻す為、情報を集める為に接触しただけのはずだったのだ。
いつしか、クレアにとって、レナは護るべき存在になっていた。
理由はいくら考えててもわからない。
「(それでも構わない‥私は、レナに笑顔でいてほしい。どうしてなのかわからないけど。私は‥レナの
友達だから。)」
友達。
兵器のクレアが言うのも中々面白い話だ。
それでもレナさえ護れればどうでも良かった。
それから数時間が経ち、すっかり夜になった頃、ようやく彼女は目を覚ました。
「ごめんクレア。重かったでしょ?」
「構わない。私には時間はたくさんあるから。」
クレアはやはりレナに優しく言う。
「夜ご飯、何か作るよ。」
起き上がったレナは、いそいそと厨房へと向かう。それを見たクレアは安堵する。
会ったばかりの頃は料理など作る気力も無かったのだが、以前より彼女は明らかに活発になっている。
彼女が元気になる日も、そう遠く無いのかもしれない。
その夜、クレアはレナのお願いで、彼女の家に泊まる事になった。いつもの事である。
「ありがとう、美味しかった。」
レナが作ったのはカット・ステーキだ。ソースは彼女の手作りである。
「口にあって、よかったよ。」
皿を洗いながらニコリとレナが笑う。
クレアと居るときのレナは心の底から楽しそうだ。
それから2人は残りの時間、寝るまで他愛もない話をしたり、お茶を飲んだりをして、暇な時間を潰した。
クレアの藍色の髪を結って二つ結びにしたり、クレアの洒落っ気の無い爪に、彼女の髪の色に映えるような藍色から空色のグラデーションのマニキュアを塗ったりした。クレアはお洒落には無関心だったが、悪い気はしなかった。
そして、夜は更ける。
「おやすみクレア。」
「ああ、おやすみ。」
こうして、静かな夜は終わった。
騒がしい夜を迎えていたのはまた別の場所で、別の話になる。
最終更新:2012年02月01日 14:23