「あぁ~うぅ~」
何故かというと、アイデアが出ないから。要するにスランプである。作家ならば誰しも経験するこれは、実際直面するとかなり厳しい。
「弱ったなぁ……締切もうすぐなのに……」
半分ほどまで書き上がってはいるのだが、その先が続かない。この間出かけた取材旅行もほぼ空振りに終わっており、正直ツバメは追い詰められていた。
「ん~……ぁー……だー……」
「だ、大丈夫ですか先生~?」
担当編集者の雨里が気遣わしげに声をかけるが、今はそれも耳に入らない。頭の中で思考がグルグル回り、そこから出られなくなっている。
無駄に速い思考速度が、この時ばかりは恨めしく思えた。
(まずいまずいまずいまずい……全然思い浮かばない……どうしよう……)
今書いている話はいつもの絵本ではなく、最近ある雑誌に掲載が決まった小説である。絵本の大反響を受けて二つ返事で快諾したはいいが、いきなりにしてこの有様。本当にヤバかった。
「んぁ~……」
意味のない声を上げつつ、ぎし、と音を立てて椅子の背もたれによりかかり、逆さまになって雨里を見る。
「雨里ちゃ~ん……最近何か変わったことな~い?」
「と、とくには……」
思考の刺激を求めていると察した雨里は早速話に乗ったが、振られた話題に該当する出来事がないのに気づき、申し訳なさそうにそれだけ言った。
「あ、でも……」
「何? 何かあった?」
「いえ、変わったってほどではないんですが……お酒飲んでも、記憶が飛ばなくなったんです」
「あら、それ本当?」
夜見 雨里は以前から酒に弱く、少し飲むとすぐに記憶が飛ぶのが悩みだった。しかし、最近になってそれがなくなったという。
「まあ、飲みすぎたら同じですけど」
「よかったじゃない。今度付き合おうか?」
「お願いします。仕事が終われば、ですけど」
きちんと釘を刺す雨里に、一瞬固まりつつも苦笑するツバメであった。姿勢を戻し、椅子ごと振り返って言う。
「はいはい、わかってるわよ。……記憶の方は?」
「そちらはさっぱり……最近はあの妙な夢も見ませんし」
雨里の抱えていたもう一つの悩みが、眠るたびに見る謎の夢だった。細かい内容は良く覚えていないが、どうもどこかの組織にいたようなイメージがある。しかしそれも、最近になってなくなっている。
「じゃ、調子はいいのね」
「はい。おかげでここ最近は寝つきがよくて」
「快眠出来るのは正直羨ましいわ……」
と、
「……夢?」
ぽつりと呟いたツバメは、親指の爪を噛むようにして思考を回転させ始めた。
「そうよ、夢よ……時代設定に合わないなら、そっちを使えば……」
「せ、先生?」
「夢の中……違う、夢を通じて行き来できれば……あぁ、これよ、この展開よ!! 雨里ちゃんありがとう、これで何とかなるわ!!」
どうやらスランプを脱したらしく、先ほどとは打って変わった調子でペンを走らせ始めるツバメ。その姿を見て、雨里は一先ず胸をなで下ろした。
(よかった……これなら心配はなさそうね)
と思った矢先、携帯が鳴った。ディスプレイを見ると、「編集長」と書かれていた。
(あら?)
「はい、もしもし?」
『私よ。夜見君、三鷹先生の調子はどう? 間に合いそう?』
「は、はい。つい今までスランプだったんですが、今は絶好調みたいで」
『それなら安心ね。明日のお昼までに書き上げてもらって』
「はい。……え、明日?」
そうよ、と電話の向こうで声。
『向こうの方から連絡が来てね……締切が繰り上がったの。具体的には明後日』
「えぇっ!?」
『絵本と違って引き伸ばしが効かないから、よろしくね』
心底申し訳なさそうな声を最後に、通話は切れた。呆然とする雨里に、調子が上がる一方のツバメが話しかける。
「? 雨里ちゃん、どうしたの?」
「せ、先生……締め切りの件ですが……」
「ああ、大丈夫よ。明々後日よね? 明後日の昼には一通り書き上がると思うから」
「そ、それが……今編集長から連絡がありまして……明日の昼までに仕上げて欲しい、と」
「…………」
一瞬ぽかん、としたツバメは、次の瞬間、
「……嘘でしょぉぉぉぉっ!!?」
ショックのあまり絶叫していた。
――――その後、一之瀬宅では睡眠・食事返上で机に向かうツバメと、パニックになりかけながらアシに回る雨里の姿があったとか。
「ただいまー」
「お帰りなさいませ、京様」
ツバメの修羅場から三日が過ぎた、夜。疲れた体を引きずって帰宅した「編集長」を出迎えたのは、男性用のフォーマルウェアを着用した薄桃色の髪の女性だった。
「鞄はこちらで」
「ありがとう、アン」
鞄を預かるフォーマルウェアの女性―――
アン・ロッカー。
疲労を滲ませつつも笑顔の浮かぶ女性―――
隠 京。
「アン、今日は?」
京のその問いかけは、何か変わったことは起きていないか、といういつもの確認である。通常ならば「特には」と一言で済むのだが、今日ばかりは違っていた。
「それですが、京様」
「……何かあったの?」
すっ、と京の目線が鋭さを帯びる。それは、彼女がまだ現役だった頃、アースセイバーの一員だった頃の目。
その彼女に、元「
怪盗一家」の1人たるアン・ロッカーは答える。
「最近起きている連続殺人事件についてです。犯人と思しき人物がこの周辺で目撃されました」
「……物騒ね」
それは言外に、「それだけじゃないでしょ?」と問うものだった。そして、アンはそれを裏切らない。
「はい。先日、白波氏の自宅前で件の人物による襲撃が起きました。不幸中の幸いというべきか、死者こそ出ませんでしたが、一名ほど重傷。情報屋『Vermilion』と名乗る者達により救助された模様です」
「ヴァーミリオン? 聞かない名前ね」
京は元とはいえアースセイバーに名を連ねた身であり、一線を退いた今でも定期的に情報は入って来る。その彼女が知らない以上、
「アースセイバーでも存在を掴んでなかった、ってことかしら」
「恐らくはそうかと。……それと、『
ブラウ=デュンケル』なる人物も確認しました。今の所敵対の様子はないようですが、警戒はしておくべきかと」
「OK。精々注意するとしましょうか」
あっさりと言ってのける京だが、声音に反してその眼は鋭いままだった。元々「保護」要員として数々の能力者に関わって来た彼女は、一度警戒を始めたらそう簡単にはそれを解きはしない。
「それと……夜見 雨里についてですが」
「何かわかった?」
いえ、とアンは小さく首を振る。
「何らかの特殊能力を保持しているのは間違いないのですが、本人は全く自覚がないようです。加えて暴走の形跡もなく、現状での特定は著しく困難です」
「そう……」
京としては、不確定要素を身内に抱えたままという現状がかなりもどかしかった。もし雨里の力が危険なものであったならば……。
「……想像するだに頭が痛いわね。いっそ聖でも呼ぼうかしら……」
「推奨しません。あの男では保護する以前に殺害する可能性があります」
「冗談よ、アン」
苦笑では決してない笑みを投げ、京はそう言って手を軽く振った。
作家とアシと編集長
(そして、解錠師)
最終更新:2012年08月25日 21:00