「うぅ……飲み過ぎた……」
「あはは~、ふわふわしてらぁ……うえぇ……」
深夜の夜道、酔っ払いの女二匹が、肩を組みながら呑気な様子で家路を歩いている。二人とも、傍目に見てもべろんべろんである。せっかくの美人が台無しであり、介抱しようと親切心を働かせる者も、下心で近付いてくる者もいない。
しかしそんな酔っ払い二人に近付く、物好きがいた。
「はい。お姉さん達、お水をどーぞ」
「おお、気が利くじゃないの……」
差し出された天然水のペットボトルを、躊躇いも無く珠女は受け取り、すぐさまラッパ飲みを始める。ペットボトルを渡した人物は二人分用意していたらしく、
タマモにも手渡した。
「あ、有難う」
「いえいえ」
ボトルに口を付けつつ、タマモは横目でその人物を見る。その瞬間、彼女は思わず、眉を顰めた。その人物が、とある人物によく似ていたからだ。
「……都、
シスイ……か?」
「おや、兄さんをご存知ですか?」
「兄さんだって? あいつは自分の育ての親以来、肉親なんかいないって聞いてるけど……」
「ふふふ……そうですね」
目の前の人物は、
都シスイによく似ている。そしてある思考に至り、一瞬の内にタマモは酔いが醒めた。全身を緊張が支配し、じわっと冷や汗が浮かんでくる。
「アンタ……まさか、双角獣かい?」
「ブッ!?」
タマモの言葉に珠女が飲みかけていた水を噴き出した。彼女は信じられない表情で、シスイそっくりの少年を見る。
「え、ええっ!? アンタが、此間私を襲った奴ぅ!?」
「どうも~。その節は、お世話になりました~」
「ぬぅ……顔出しで登場とは余裕じゃない……私達を舐め過ぎじゃない?」
「ええ、余裕ですよ? 酔いどれ二人位、僕ならどうって事ないですから」
言いながら、シスイ似の少年――アッシュは人懐っこそうな笑みを浮かべる。その様子からは敵意も悪意も一切感じられず、それどころか魅力的とすら思える愛らしい笑い方だった。
「何なら、送ってきましょうか、お二人とも?」
「え?」
「ほら、もう真夜中ですし……女の二人歩きなんて、感心しないですよ?」
「お生憎様……敵に送ってもらう程、私達は落ちぶれちゃいないよ……」
言って、二人は再び歩き出す。水を飲んだせいか、若干体調がよくなっていた。おそらく、普通の水ではないのだろう。うっすらと、銀色の光を帯びているようにタマモには見えた。一瞬危険な物に思えたが、毒に耐性のあるタマモの身体に異常が感知されない辺り、本当に善意でくれたもののようだ。
(んんっ……やり辛い子だねぇ……)
とても敵とは思えない人懐っこさに、タマモは複雑な表情を浮かべる。あれがほんの一ヶ月程前、珠女を襲って怪我を負わせた同一人物だとは思えなかった。
「ああ、そうだ。お姉さん達?」
「何だい? 言っとくけど、子供の相手する程私達は若くないよ?」
「ちぇ……まぁ、そっちじゃないんだけど。ちょっと、聞きたい事があるんだ」
「何だい?」
「――九人殺せば願いが叶う……そんな都市伝説、聞いた事無い?」
ピクリ、と二人は反応した。振り返る先のアッシュは、相変わらず人懐っこそうな笑みを浮かべている。ただそれが今は、まるで顔に張り付けただけの仮面の様に彼女達には感じられた。たった一言、それを発しただけで、空気が変わった。
「ああ、あるよ。それがどうしたんだい?」
「その噂について、詳しく知らないかな?」
「さぁてね……私達は、そんなに詳しく知らないよ。せいぜい、周りが知っているのと同じ位の知識しかね」
「本当に?」
「本当さ。こんな事で嘘ついてどうするんだい?」
タマモが言うと、「なぁんだ」とアッシュは嘆息した。その瞬間、彼が造り出した緊張の空気が消え失せた。軽くなった空気に、思わずタマモも拍子抜けしてしまう。
「なんだい?」
「いえ、それが聞きたかっただけなので――あ、最後に一つ」
「何だい? もう、いい加減にしておくれよ」
「――帰り道は、本当にご注意を。良くない相が見えます」
冗談、なのだろうか。微笑みを湛えたまま、アッシュがそう言った。タマモは何かを考えた後、こう返した。
「分かったよ、気を付けておく」
そうして彼女達は、本当にアッシュと別れた。何度か後ろを気にしてみたが、彼が付いてくる気配は無かった。
――・――・――
「何しに来たのかしらねぇ、あの子?」
「ただの冷やかしじゃないの? ……あ、タマモ。私もう、一人で歩けるわ」
体調が良くなったのか、珠女が言った。タマモが離れると、ふらつく様子も無く彼女は地面に立つ。これだけ短時間で回復出来たのは、珠女が妖怪と言う事もあるだろうが、やはり先程貰った水が効いているのだろう。
「……変なの。身体が軽い……」
「この水、若干土の気がする……それも、高位の瑞獣。これは麒麟の気配だね」
タマモが水の残っているボトルに顔を近付け、観察する様に見ながら言った。
「麒麟? でも、いかせのごれの麒麟は都シスイでしょう? 一つの土地につき、麒麟は一頭。そんなの、妖怪なら誰でも知ってるでしょうに」
「さてね。最近、その辺の仕組みも決まり事も、大分怪しくなってるからねぇ……気付かないかい、珠女。最近なんか、おかしいって」
「言われてみればそうね……何だかたまに『同じ時間を繰り返しているような』錯覚に囚われたりするんだけど……」
「……それは流石にボケたんじゃないかい」
「む。それなら、タマモはどんな違和感を覚えたって言うの?」
「……昔っから言われてる事だけど。いかせのごれってのは、神様が創った土地だよね」
「うん? そうね。ずっと、そう言われ続けてるわね」
「神様ってのは、普通一人だろ? 唯一神、って言われる位なんだから」
「んー、それはまぁ、宗教によるんじゃない? 日本は八百万、アニミズムだし」
「そう言うのは別にして、何と言うか、この世界を創っている大きな意思的なものの話で」
「そりゃ、そうだろうね。世界自体は一個な訳だし」
「その神様が、何だけどさ――最近、増えたような気がするんだ」
「…………」
「今まで、こう、一個の意思で創られていたものが――今は、色々な意思の介入で、様々な創られ方をしているような……って、何だい、珠女。その顔は」
「……タマモ、もしかしてまだ酔ってる?」
「こっちは真面目だよ! あーもう……珠女にこんな話するんじゃなかった……」
話す相手を間違えたと、タマモは嘆く。彼女はしゃがみ込み、地面にのの字を書き始めた。
「ごめんってば、タマモ~。何も、そんなにいじける事無いじゃないー」
「慰めはいらん……ドヤ顔で語った妾が馬鹿らしい……」
「タマモ、ったら~」
すっかりいじけてしまったタマモを、珠女は励ます。しかしタマモは結構本気で気を悪くしたらしく、頬を膨らませたままなかなか立ち上がる気配は無い。やれやれ、と珠女は困った様に肩をすくめる。
その時、だった。
「う――」
「ん?」
二人がいる場所より少し離れた所の路地から、誰かが出てきた。それは五、六歳位の小さな子供のようだった。
「おや、どうしたんだい?」
タマモが駆け寄り、その子供の傍に近付く。その瞬間、ふらっと子供が倒れ掛かり、慌ててタマモはその身体を抱き留めた。その予想以上の軽さに、彼女は驚く。
「何だい、この子は……着ている物がボロボロじゃないか」
一体どんな風にすればこうなるのか、子供の衣服はまるで襤褸雑巾のように朽ちていた。タマモが触れた傍から、布がぎちぎちと破れていく。
「う――!?」
その時、タマモの鼻をある匂いが襲った。つんと鼻腔を突く、鉛の臭い。それは本来こんな街中の、人の営みの中にあってはいけない臭いだ。タマモは反射的に、臭いの下へと視線を向けた。
「うわ……何だい、これは……!?」
想像を絶する光景に、思わず珠女は声を上げて驚いた。しかしこれでも、彼女は比較的抑えている、と言うか、耐えられている方だ。常人であれば、目の前の光景に卒倒するか、或いはその陰惨さに胃の中身を戻してしまっていただろう。
そこは、既に異界だった。
何物も黒く塗り潰す闇さえ、その赤色に敗北している。あまりにも現実離れし過ぎていて、ああ、あれはペンキをぶちまけてあるのだな、などとタマモは思考してしまっていた。
路地裏は血の海だった。そこにある何もかもが、赤い泥濘の中に沈んでいる。
今も侵食を続けるそれは、そう古くない時間の内に出来上がったのがよく分かった。血の海に転がる、いくつかのピースに分解(バラ)された死体が、そこから滲み出る赤が、饒舌と言っていい位に雄弁に語っている。
手が、ぬるりとして温かい。子供の身体も、赤色に濡れていた。
鼻腔からなだれ込んでくる鉄の臭いが、思考を麻痺させる。
――帰り道は、本当にご注意を。良くない相が見えます――
麻酔のかかった頭の中で、アッシュが別れ際に告げた言葉が反響した。
最終更新:2012年12月08日 14:24