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移ろうは藍色の影

現状把握を兼ねて「Vermilion」を訪れた京は、長久という人物から入った連絡に瞠目していた。
ハヅル……さっき出会ったアーサーという少女が待っていた人物、恐らくはここの一員であろう者が負傷し、病院送りになったというのだ。

「怪我をしたのね? 酷いの?」

問いかけると、電話の向こうの長久は、

『命に関わるほど酷くはないですけど、あちこち、何というか抉られてまして。意識はしっかりしてるんで、大丈夫だと思いますけど』
「……わかったわ。アンにも伝えておくから」

通話を終えると、紅が尋ねて来た。

「長久君は、何と?」

言われて京は少し迷った。だが、ハヅルという人物がここの一員であるのならば、いずれ彼女の耳に入る。なら、今言っても同じことだと、明かすことを決めた。

「……虎頭 ハヅルさん、だったかしら? 何だか怪我をして、病院に行ってるみたいよ」





同じ頃、商店街に戻っていたアンは、ハヅルを待ってその場に佇んでいた。
彼女はまだ知らない。ハヅルがある少年を追って郊外の森まで行ってしまったことを、そこで敗れ、傷を負ったことも、一足先に長久が発見して病院に連れて行ったことも、
――――早い話が徒労である。

無論、神ならぬ身のアンに、そんなことがわかろうはずもない。ただ、アーサーと交わした約束通り、その場でハヅルが戻って来るのを待っていた。

「……遅いですね」

ちらりと腕時計を見ると、想定していた時間を10分近く過ぎていた。移動時間を考えても遅い。

(本人のことはよく知りませんが、余程おっとりなのか、将又時間にルーズなのか)

至極真面目に、そんな事を考えるアン。

(それにしても、彼女ら「Vermilion」は何者なのか……なぜ、何の目的であの件に介入したのか……)

思考が次に飛躍した先は、白波家で起きた一件。重傷を負ったスザク―――何でも今は母親の精神体に乗っ取られているらしいが―――を見るなり治療を施した紅。単なる善意ならいいが、裏に何らかの思惑があるなら放っておくことは出来ない。
アンが今回同行したのは、半分以上それを確かめるのが目的だった。元とはいえアースセイバーである京の執事として、危険の可能性が近くにあるのを放っては置けない。たとえまったくの杞憂に終わるとしても、それが行動しない理由にはならない。

(万一の時は……)

一見したところでは、紅やアーサーに不審な点は見られなかった。だからこそ、ある程度の信用を置いて京をあの場に残すことが出来たのだ。今でこそ義足だが、京もそれなりに腕は立つ。少なくとも自分の身を守るくらいは出来る。

(新しい義足を発注して結構立ちますが、まだでしょうか)

そんなことを考えつつ、ひたすらハヅルを待つアン。しかし、いくら待っても―――当然だが―――現れる気配すらない。
いい加減痺れを切らしたアンは、とりあえず連絡を入れようと携帯を取り出す。が、それを開く前に着信が入った。発信者を確認すると京だった。
親指を隙間に引っかけてパチン、と携帯を開き、繋ぐ。

「京様、何でしょうか?」
『アン? ハヅルさんはもう待たなくていいわよ。一度帰ってらっしゃい』
「何故でしょうか? ここで待て、とアーサーに言ったようですが」
『それがね……』

ハヅルが怪我をして病院に運ばれた、という連絡が入ったことを聞かされ、アンは顔をしかめた。

(あちこち抉られた? ……誰かと戦ったようですね)
「わかりました。では、一度そちらに戻らせていただきます」

では後ほど、と断りを入れ、アンは携帯を閉じた。待つ必要がなくなった以上、ここに留まる必然性も同時に消えた。そして、主が戻れと言った以上、速やかに帰るのが望ましい。
その場所にわずかの執着も見せず、アン・ロッカーはくるりと踵を返し、情報屋に向かって来た道を戻り始めた。
が、数歩も行かない内にその歩みが止まった。なぜなら、横合いから突然声をかけられたからだ。


「アン・ロッカーだな?」

「ッ!!?」

突然かけられた声に、アンは冗談抜きで吃驚して振り返った。気配が全く感じられなかったのだ。しかもそこにいたのは、古びた帽子に同色のコートを着用した、長身痩躯の男。
一瞬ヴァイスかと思って警戒したが、よく見ると色は濃い藍色だった。あの男は黒だ。

「……あなたは……」
「俺はブラウ=デュンケル。用事がある、お前にな」

誰何の声を言い切る前に向こうが名乗った。そして、その名をアンは知っていた。他でもない、彼女がここに来るきっかけとなった、白波家での一件。そこに介入し、スザク達に助力したという謎の人物の名だった。
その彼が、自分に用があるという。
だが、

「……私は京様の執事です。京様が戻れと仰った以上、出来る限り早く戻らねばならないのです」

話を聞く気はない、と言外に告げたが、ブラウは全く意に介さず、どころかこう言い返した。

「では、その後で構わん」
「京様の許可なくしては―――」
「3日以上かからねばそれでいい。早急なのでな、この用事は」

食い下がるブラウ。全く引き下がる気がなさそうなのを見て取ったアンはなおも言いつのろうとしたが、ここで口論していては何時まで経っても京のもとに戻れないと思い至り、やむなくこう言った。

「……仕方ありません。では、向こうで話を聞きましょう」
「助かる」

それだけ言うと、ブラウはアンの少し後ろについて歩き始めた。アンは無駄口を叩く気はなかったので最初は黙っていたが、情報屋の近くに来たところで一つ気になることを見つけ、一度足を止めて振り返った。

「……一つだけ、聞いてもよろしいでしょうか」
「何だ?」
「貴方の本名は何というのです? まさか、それが本当の名とは言いますまい」

核心も核心、ブラウの本名についての質問だった。
だが、当のブラウはいささかも動揺した様子がない。どころか、予想済みとばかりこう返した。

「わかった。ただし、他言無用で頼む」
「……京様にはお話ししますが、一応口止めはお願いしておきます」

釘を刺しておくと、ブラウは首肯して口を開いた。

「俺の名は―――――」



移ろうは藍色の影



「『夜波 恭介』。かつて、そうであった存在だ」

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最終更新:2012年12月12日 11:40