(ゆさゆさ、ゆさゆさ)
「ん……もう、朝かの……?」
自分の身体を揺さぶる感触に、
タマモはゆっくりと目を空けた。ぼやけた視界のピントを合わせると、そこにいたのは、ここ数日ですっかりお馴染みになった顔。
「おはよう、おりん」
はんなりと、タマモが微笑む。すると「りん」も、子供らしく、にはっと明るく笑うのだった。
――・――・――
「あはは、すっかりここに馴染んじゃったわね、おりんちゃん」
洗濯物を干しているタマモを手伝い、その周りをくるくると「りん」が忙しなく動き回っている。彼女はタマモを手伝いたいのだろう。しかし身体が小さいので、そんなに重い物は持てず、せっかく洗ったシーツもずるずると引き摺ってしまっている。それをタマモが、苦笑しつつ拾い上げ、「りん」の頭を撫でていた。
「何と言うか……まるで親子、ですね」
春美の傍に立つ金髪の美少女、ロアが目を細めながら言った。それに同意するように、春美は頷いた。
「タマモって、妖怪になる前は吉原の花魁に飼われてたんだって」
「へぇ。狐って、人に懐くんだ?」
「分からない。狐って用心深い動物だから……だから多分、タマモはただ飼われてたんじゃなくて、〝その人だったから〟懐いていたんだと思う。タマモ、何時もその人の事を話す時、凄く嬉しそうな顔をしていたから……」
聖女の様な遊女。そんな相反したものが、そんな二律背反が、実際に存在するのだろうか。
否。「聖女」と「遊女」。この二つは決して相容れないものではない。あらゆる男を受け入れ、その身体を癒し、喜びを与える。手段は異なれど、二つのベクトルは似ている。キリストの妻であったと囁かれるマグダラのマリアだって、娼婦の身から神に仕える存在となったのだから。
不浄を知らない事が、綺麗なのではない。泥の中で咲く蓮華が美しく見えるように。汚い事が何なのかを知って、初めて美しいと言う言葉を知るのだ。
「あ――」
ふとその時、春美は幻視に襲われた。
目の前で触れ合うタマモと「りん」。その姿に、別の光景が重なる。
――舞い踊る、無数の桜の花びら。桜吹雪。
――大きな、巨大な桜の木。その根元で、小さな一匹の狐が跳ね回っている。
――木の幹に腰掛けるのは、美しい着物の女性。
――あれはタマモ? 否、女性は違う。タマモの微笑み方には独特の艶やかさがある。それは妖の者が持つ匂いのようなものだからだ。
――女性は、違う。そんな妖艶さとは無縁だ。その優しげな微笑み方は――まるで、母親が子供に向けるそれの様に暖かく柔らかい。
(ああ、そうか。あの人が――)
「春美?」
「ん……?」
不思議そうな表情で、ロアが春美の顔を覗き込んでいた。もう一度タマモ達の方へ視線を向けたが、幻視はもう見えなかった。
――・――・――
いかせのごれ高校、教室。
「
ハヤト。最近、街に流れている噂、聞いたか?」
「ああ。何か、願いが叶うっつー話だっけ?」
シスイの言葉に、最近町で流行っていると言われる噂話をハヤトは頭から引っ張り出してくる。とは言っても、この手の噂が好きな女の子達から聞いただけなので、ハヤト自身はいまいち詳しい所までは知らないのだが。
「そう、それ。噂はどれもバラバラなんだけどさ、二つだけ共通点があるんだよな」
「へぇ、どんな?」
「一つは、数」
言って、シスイはハヤトの目の前で自分の指を出した。開いた右手に、親指だけを折った左手を重ねた形、つまり「九」を作っている。
「九個の道具だったり、九人の生贄だったり。どの噂も、絶対に九って数字が出てくる」
「ふぅん? 何か、意味あるの?」
「さぁ、そこまでは分からない。九って、完璧な数字と言われる三の三倍数ではあるんだけど、俺にはそれ位しか」
「ふーん。で、二つ目は?」
「どの噂も、「願いが叶う」って結果が付いてる。ある噂は九個の道具を揃えると願いが叶って、またある噂は九人の生贄を捧げると願いが叶うって話だった。他にも、九個のパワースポットを巡るだとか、九人の契約者に出会うだとかなってたけど」
「……阿久根先輩の好きそうな話題だな」
「確かにな」
二人は揃って、長い潜伏期間を経て厨二病を発症した某先輩を思い浮かべる。確かに、「それっぽい」噂ではあった。
「何か、そう言う話題って尽きないよな」
「まぁ、無害な内なら別にいいんだけどね」
「……何か、含みのある言い方するな?」
「知らないのか、お前? つい此間あった〇〇高校で五人死んだ事件。あれ、この噂が発端だぜ」
「うえ? まさかそいつ、本気で願い叶えようと人を殺したのか?」
ハヤトが苦虫を潰したような顔をする。そんな彼に、シスイは頷いて見せた。
「どんな願いがあったか知らないけど、人の命を奪ってまで叶えたいとは思わないよな……」
「そうだな。それは確かに、間違ってる。理屈とか、そう言うのじゃなくて」
「うん……で、ここからは仕事の話になるんだけど、」
言って、シスイが真剣な面持ちを見せた。その変化に、ハヤトは訝しげな表情を浮かべる。
「何? 今の噂って、そんなにやばいもんなの?」
「ああ。多分、超常現象か、それに属する類だと思う」
「大げさじゃね? 大体がホラ話じゃん、こう言うの」
「……これ、アースセイバー経緯で聞いた話なんだけどさ。〇〇高校で五人殺した奴、こんな事を口走ってたらしい。ジャシンを呼ぶ為にやった、って」
「ジャシンって……邪悪な神の邪神?」
話がオカルトな方向に進みだし、ハヤトは一層眉を顰めた。だが、シスイの方は真剣だ。彼はこの殺人事件が、ただの妄想癖による凶行だとは思っていないらしい。
「そいつ、所謂不登校児でさ。まぁよくある「俺は悪くない。悪いのは周りなんだ」ってタイプの奴で。ジャシンを召喚して、自分を認めないこの世界を壊そうとしていたらしい」
「ふーん……それで?」
「で……ここからが重要なんだけど。そいつを唆した奴がいるみたいなんだ」
「唆したって……殺しをやらせた奴、って事?」
「そう。九人の生贄を用意すれば、ジャシンが呼べるって吹き込んだ奴……そいつ、まだ捕まってないらしいんだわ」
「……なぁ、それってまさか、」
唆す、と言う言葉に。ハヤトの脳裏に、一人の男の顔が浮かんだ。忘れもしない、崎原琴美の暴走事件。その事件の主犯にして、人心を操る特殊能力「マニピュレイト」の遣い手の名を。
「
ヴァイス……シュヴァルツ、か?」
「……その可能性は十分に有り得る。あの男は、自分が楽しむ為なら何をするか分からない。今回の、他人を唆して殺人を行わせるって言うのも、奴のやり口に似ているからな」
琴美の事件以来、ヴァイスは姿を晦ましている。またあの〝白き闇〟が、舞い戻って来たとでも言うのだろうか。
「今回の事件が、ヴァイスの犯行によるものかは分からない。だけど……」
「ああ。黒幕がいるなら、放っておく訳にはいかないよな……!」
拳を作り、ハヤトは自分の手にそれを打ち付けた。パンと、小気味良い音が、当たりに鳴り響いた。
「狩りだ」
「ああ、狩りだ。アースセイバーはあらゆる超常現象を見逃さない!」
決意を胸に、シスイとハヤトは頷き合った。
最終更新:2012年12月17日 17:10