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<八足す一は――>

 いかせのごれ、某所。

 そこには、かつてホウオウグループが使用していた施設の廃墟が存在している。

 アースセイバーによる攻撃によって破壊された施設は天井が抜け、内部が丸見えになっている。円形の施設は、さながら競技場の様な様子を見せていた。

 いつしか、空から雲の姿は無くなっていた。黒色よりも濃い青色に見える夜空に、無数の小さな星々と、白銀に輝く月が光っている。

 闘技場の中心には、無数のスクラップが折り重なって小山の様になっている。その頂上には一人の幼女が、ぐったりとした様子で横たえられていた。小山の周囲には蝋燭やロープが配置され、その様子はさながら祭壇のようだ。

 祭壇の前には、その司祭たる黒衣の僧侶が立っている。その表情は、真深く被った網代笠に隠れて伺えない。僧侶はじっと、祭壇の方を見つめていた。

「…………」

 廃墟への侵入者を察知して、僧侶は振り返った。競技場に、華やかな着物姿の女性が現れる。

「おりんを返してもらうぞ」
「それは出来ない。ジャシン降臨の為に、あの幼子は必要だ」

 睨みつけるタマモを拒否するように、僧侶は手にした錫杖を向けた。シャラン、と言う金属と金属の擦れ合う音が、廃墟内に響き渡った。

「……そもそも、お主の目的はなんじゃ?」

 訝しげに眉を顰めながら、タマモは問う。本当なら彼女にとって僧侶の目的などどうでも良い事だったが、話しかける事で相手の隙を見ようとしている。しかし、僧侶に感情の揺れが全く感じられず、隙も見当たらなかった。

「……この幼子には巫女の素質があった」
「何?」
「天性の才能、降魔の素質と言うべきものが。この子の父親は借金苦の末に心中を図り、しかし死にきれずに生き残ってしまった男だった。だから私は言った。『妻と娘を生き返らせてみないか』、と。そして男は私の言う通りに反魂を行い、幼子を生き返らせた」
「…………」
「幼子の肉体は、神を降ろすのに適している。加えて、ジャシンの為には八人分の心臓が必要だった」
「……八人分の心臓だと……まさか、お主!?」

 僧侶の反魂の代償は、蘇生した者が人間の生き胆を食わずにはいられない身体になる事だと言っていた。そして僧侶は今、自分の目的には八人分の心臓が必要だと言った。

 それが、意味するところは、

「反魂で巫女を生き返らせたのは好都合だった……供物は巫女が勝手に集める。私は、時を待つだけで良かった」

 反魂で生き返った者は、自分の身体を維持する為に人間の生き胆を求める。その上で、「りん」の身体は僧侶が言うところの「神降ろし」に適した才能の持ち主であった。

 この僧侶は――自分の目的の為に「りん」の父親に近付き、そして彼女を蘇らせたのだ。

「話は終わりだ……これより、ジャシンを降ろす」

 カツン、と錫杖で僧侶は地面を叩いた。その直後に、祭壇の周囲を取り囲むように、無数の幾何学文字が浮かび上がる。それを見たタマモはハッとなり、僧侶に向かって駆け出した。

「やらせん!」
「お前の相手は私ではない」

 僧侶が錫杖を振る。すると、一瞬の内にその周囲に膨大な数の幽体が姿を現す。

「紛い物風情が! 退けっ、妾に道を開けろ!」

 着物の裾を翻しながら、タマモが疾駆する。その動きを抑えようと、まるで津波の様に人造の亡霊が襲いかかる。

 津波。そう、まさに津波だ。有象無象、半透明の亡者の群れが一体となり、タマモを飲み込もうとする。しかし、敵が津波ならば、タマモは氷も打ち砕く砕氷船だ。妖気を纏った爪が、押し寄せる波を両断する。

 獣の速さで、獣の強さで、タマモは亡者を圧倒する。その凄まじい攻撃にレギオン達は、彼女に傷一つ付けられずに消えていく。

 だが――

「――ちぃっ!」

 タマモは思わず舌打ちをした。

 確かに、レギオンではタマモの相手になどならない。だが、レギオン最大の機能はその増殖機能だ。人工生成された魂魄を、あたかも細胞分裂するかのように、或いは、アメーバが分裂によって繁殖を行うように、放っておくだけでレギオンは無限に増え続け、その密度を増やしていく。

「こ、の……邪魔をするな!」

 迫り来る霊体を、タマモは切り裂き続ける。その姿はさながら、激流の中で水を掻いているかのようにも見える。前へ、前へと進もうとするが、焦るタマモとは裏腹に、レギオンの数は減らない。

 今のこの場において、流れは――

「……巫女を憑代に。八つの供物はその身に既に納められている……」

 文字が。宙に浮かぶ、幾何学文字が輝きだす。「りん」の身体が浮かび上がり、それと共に、彼女が乗せられていた小山も、それを構成する瓦礫も。それはあたかも、生物の骨格の形を造っていく。ただし、それは地上には存在しない生物の骨格だった。

 こんな生き物が、地上に存在する訳が無い。八本の首に、八本の尾を持つ蛇など――

「あの姿は!? まさか!?」
「古の闇より来たれ――〝蛇神(ジャシン)〟よ」
「止めろ――!!」

 そして、降臨が始まった。

 変化が始まったのは末端からだった。鉄で出来た骨格に、端から徐々に〝肉付け〟がされていく。尾の先から、頭頂部から。あたかも、癌細胞が膨張し、その宿主を飲み込んでいくかのように。

 悍ましい光景だった、醜い光景だった、冒涜的な光景だった。

 ぶちぶちと肉が零れだす。ピンク色の肉が溢れ出し、骨格に張り付く。ギチギチと筋肉の筋が伸び、肉を締め上げていく。増殖する肉はやがて、ある物は皮膚と化して全身を包み込み、またある物は鱗となって全身を守る鎧と化す。

 変化の中心にいるのは、「りん」だ。彼女は胴体の中心部分におり、肋骨の内側にいる。それはあたかも、彼女自身がその巨体の心臓であるかのようだ。

 肉の増殖が、鉄の骨格を昇っていく。それはついに胴体にまで達し、

「おりん――!!」

 「りん」の身体ごと、すべてを覆い尽くしていく。胴体部分も完全に肉で覆われ、「りん」はその中に取り込まれてしまった。

「あ……あぁ……」

 そして、「それ」は姿を現した。

 〝期に至りて果して大蛇有り。
  頭尾各八岐有り。
  眼は赤酸漿の如し。
  松柏、背上に生ひて、八丘八谷の間に蔓延れり〟

 八つの首に、八つの尾を持つ大蛇。

 胴体は濃い緑色の鱗に覆われ、眼は酸漿(ほおずき)の様に赤い。

 それは、極東の怪物の中では、あまりにも有名な、

「八岐……大蛇……!」

 神話の、神代の怪物が、そこにはいた。

 原典によれば、八つの山と谷を跨ぐほどの巨体だと言われているが、今タマモの眼前に存在するそれは、そこまでの大きさは無い。だが、それでも十分すぎる。八つの鎌首をもたげるその高さは、ゆうに十メートルはあるのではないか。八本の尾はばらばらに投げ出され、まるで闘技場の床を埋め尽くすように広がっている。

 そのあまりの大きさに、タマモは言葉を失っている。見上げながら知らず、彼女は後ずさりしてしまっていた。

「馬鹿な……こんな、伝説の怪物を蘇らせるなど……」
「この世界は、不思議に満ちている」
「なに?」
「人はそれを、古来から奇跡や超能力と呼び、恐れ敬ってきた。私が所有する道具も、そんな奇跡を可能とするものだ」

 僧侶はやはり淡々と、感情の抜け落ちた声で語る。

「奇跡を可能にする道具じゃと……まさか……」

 タマモの脳裏に浮かんだのは、『打ち出の小槌』や『反魂香』に代表される様々な宝物だった。古来から、そうした不思議な効力を持った道具、「特殊能力を保有した道具」の話は数多く存在している。僧侶が所有しているのも、そうした道具の一種だと察したのだろう。もっとも彼女は、それらが「アーネンエルベ」と呼ばれる道具群であるなどとは、知る由もないが。

「流石、長生きしているだけの事はあるな……如何にも。我が祭具はこの蛇神、八岐大蛇を祀る為のご神体……これを呼ぶ為に、下準備させてもらった」

 特殊能力を持った道具群、アーネンエルベ。その中には、所有しているだけで効力を発揮する物もあるが、その発動に条件の必要な物も存在する。

「祭具である以上、蛇神の魂を奉じる為の巫女、蛇神に供える為の供物が首の数だけ必要だった……そして何より、蛇神が降臨しやすい環境を造り出す必要があった」
「蛇神が降臨しやすい環境じゃと……?」
「如何にも。私はこの街に蛇神の名を撒いた、噂に混ぜてな……名を呼ぶ事は、つまりそれを引き寄せる事だ」
「蛇神、ジャシン……そう言えば、そんな名前の神が願いを叶えるとか言う噂が流れておったが……お主の仕業じゃったか!」
「左様。結果として、ここに八岐大蛇が降臨した」

 僧侶は八岐大蛇の巨体を見上げた。大蛇は僧侶がすぐ傍にいると言うのに、攻撃する気配が全く見られない。そのくせ、その十六個の眼は、タマモの挙動を見逃さない。

「こんな物を召喚して……お主の目的は、一体なんじゃ!?」
「……過去、八岐大蛇が行った事は何だ?」
「……まさか、」
「左様……この力を持ってこの街を、ゆくゆくは全世界を滅ぼす」

 淡々と、僧侶は狂気を吐き出した。

「なん……じゃと……」
「妖狐。お前は以前私に答えたな。今の世界は良い、と……何を持って、お前は良いとする?」
「それは……」
「理由らしい理由など無いのだろう。ただ、なぁなぁに生きている命。理由も無く、意味も無く生きている命……自分が生きている、理由も答えられない命……下らない。実に理由にならない理由だ」

 それまで感情の無かった男の口調に、感情が含まれた。それは、憎しみの色に似ていた。侮蔑の色に似ていた。

「世の多くの人間が抱いているのは、死にたくない、〝ただ生きていたい〟と言う浅ましい、惰性の感情だ。目的も無く、当ても無く存在する命……己が生きたい、ただその為だけに世界を消費し、食い潰していく……まるで癌細胞か細菌だ。だから私は、」

 だから世界を滅ぼす。

 その望みは大よそ、衆生の救済を望む宗教者のものではなかった。

「人間は、この世に必要無い」
「……お主だって、その人間じゃろう……何を言っているんじゃ、お主は!?」

 僧侶の放つ狂気に、タマモは戦慄していた。

 この男は本気だ。本気で、心からそう思っている。僧侶の言う「人間はこの世に必要無い」、その言葉には己の存在さえも含まれている。男は徹底して、人間の存在を拒絶していた。

 自分さえも含めた、圧倒的なまでの破滅の願い。この男を放っておけば、本当に世界を滅ぼしかねない。そんな事、タマモに看過できる訳が無かった。

「そんな事、許す訳無かろう!?」
「たかが狐一匹に何が出来る」

 シュー、シューと、蛇独特の声を八岐大蛇が出す。八本の首がうねり、その巨体がのたくる。もはや天災だ。その挙動だけで、廃墟がぐらぐらと揺れる。まるで大地が、古き怪物の目覚めに怯えているかのようだ。

「無駄だ。我が無道、阻む者など何人たりとも有り得ん。暴れろ、大蛇よ……まずは、この街をお前にくれてやる」

 僧侶の言葉に反応し、八岐大蛇は動き出した。八本の首は一斉に動き、彼方に見える街の明かりの方を見据える。

「させん!」

 そう叫ぶと、タマモは走った。彼女は八岐大蛇の進路上に向かって飛び出す。

「ふうぅぅぅぅ…………!!!!」

 印を結んだタマモの身体から、漆黒の煙が噴き出し始めた。その煙に触れた途端、周囲の物が煙を上げながら腐食を始めた。それを警戒するように、僧侶は大蛇を制止させた。

「ほう、毒気の瘴気か……玉藻御前の真似事とはな……」

 噴き出す黒煙はもうもうと立ち込め、それは八岐大蛇の身体にも負けない位の大きさにまで成長する。やがて瘴気はバチバチと音を立てながら、さながら雷雲の様に火花を散らしだす。そして徐々に、瘴気は一つの形に変形を始めた。

「……ほう」

 僧侶が、まるで感嘆するように声を上げた。八岐大蛇の眼前に姿を現したのは、その身の丈と同じ位はある漆黒の大狐だった。

『ぐるるるる……』

 大狐が威嚇するように唸る。その眼は金色に輝き、九本の尾はまるでゆらゆらと炎の様に揺れている。その一本一本の先端に、青白い狐火が灯っていた。

「自らの妖力によって練り上げた瘴気を固着し、巨大な狐の形に定着させたか……だがそんな大道芸、長くは続か――」

 僧侶が講釈している間に、大狐は跳ねていた。

 八本の首に目掛けて、大狐が飛び掛かる。その身体を押さえ付け、首元に食らいついた。大狐の触れている場所から煙が上がり、大蛇の身体が腐食していく。それが苦しい様に、大蛇の身体は激しくのたうった。

『おりんを……返してもらうぞ……!』

 瘴気の大狐と化したタマモは、大蛇の胴体に激しく牙を立て、爪を抉り込ませた。鱗が弾け、肉が引き裂かれ、腐敗していく。

「させん!」

 タマモの目論見を察し、僧侶が大蛇に指令を飛ばす。悶えていただけの大蛇の首がうねり、一斉に自分の身体に組み付いている大狐に向かって伸びる。その胴体に絡み付き、或いは噛み付くと、力付くで引き剥がした。

『ぐ――!』

 空中で体勢を整え、大狐は四肢を地面に付けて着地した。重量をほとんど持たない瘴気で出来ている筈なのに、その着地によって地面には罅が入り、建物が砕け散った。

 しゅー、しゅー、と言う、大蛇の放つ声。ぐるるると喉を鳴らす、大狐。睨み合う二頭の巨大な怪物。その光景はまるで、怪獣映画のワンシーンのようだ。

「……鬱陶しいな。あくまで私を阻むか、妖狐」
『ほざけ! お主の様な考えの男を、見す見す行かせる訳が無かろう! お主は止める! おりんも返してもらう! 勝負じゃ、破戒僧!』
「……良いだろう。大蛇の力を試させてもらう。まずはお前だ、妖狐……滅びよ。死こそが、真なる救済だと言う事を、お前に説いてやろう」

 その言葉を合図に――再び、二頭の巨獣が激突した。

 ――to be conthinued

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最終更新:2013年01月22日 17:44