きっかけは、ほんの些細なこと。
以前足を運んだ情報屋に、あの男についての情報が何かないかと尋ねるべく、再び足を向けた矢先のことだった。
「!?」
雑踏の中、自動車がひっきりなしに行き交う道路を挟んで反対側の歩道。その中を、全身黒ずくめという異様な風体でありながら、巧みにその存在を隠蔽して歩く、1人の男。
(まさか)
とは、思った。だが、間違いない。奴だ。視界に姿が過った、その瞬間に感じたあの違和感は、疑いようがない。
確信するや否や、ブラウは行動を起こしていた。
即ち、車道を文字通りに跳び越え、雑踏から起こるざわめきや悲鳴、驚愕の声を一切合財無視、標的たる男の前に降り立つ。
「む」
その男は、目の前の歩道にヒビを入れるほどの勢いで着地したブラウを見て、片方だけ残った生身の眼を眇めた。
「……随分、探したぞ」
「その声……やはりアナタですか。いい加減しつこいですねぇ」
その男―――いかせのごれ史上最悪の愉快犯・
ヴァイス=シュヴァルツは、驚愕や動揺ではなく、呆れ果てたような溜息をついて、そう言った。
ブラウにとっては、この遭遇はまさに僥倖、最大のチャンスと言えた。
かつてと言うほどでもない昔、家族をバラバラにした元凶が今、目の前にいるのだ。この男を殺すためだけに、ブラウは放浪して来たのだ。名を失い、姿を失い、妻を失い、息子を失い、娘を失い……その全てを成した男が今、ここにいる。
その男・ヴァイスは、ブラウの放つ殺気が本物であることを感知し、しかし動ぜず、低く嗤う。
「相変わらずですねぇ。しかし、ここでやる気ですか? ワタシは別にかまいませんがね」
「…………」
言われたブラウは、殺気はそのままだが動かない。ヴァイスの言うとおり、ここは一般人が大勢歩いている雑踏の中だ。こんなところで力を振るえば、あらゆる意味で被害は甚大なものとなる。ましてや、ヴァイスの力は人心の操作である。人間の多いここで戦うのは、愚策以前に論外だった。
さらに言えば、それによって困るのは結果的にはブラウのみである。正真正銘の愉快犯たるヴァイスは、人を操り破滅させることに愉楽を見出す狂人だ。言い換えれば、この男は、己以外の存在は、どうなろうと知ったことではないのである。
腹立たしくはあるが、この場において有利なのはヴァイスの方だった。千載一遇のチャンスを棒に振る形となるのはあまりに厳しいが、一般人に被害を齎しては本末転倒、何の意味もない。場所を変える、などという案は使えない。この男がそれに従うわけもない。
(………やむを得んか……!)
忸怩たる思いで、ブラウは撤退を決意する。
が、「白き闇」は、そんな判断を赦しはしない。一言、
「―――皆さん、やってしまいなさい」
「!?」
効果はまさに覿面。ブラウがその意味を把握する一瞬の間隙をついて、ヴァイスは闇に紛れるようにして姿を消す。そして後に残ったのは、わけのわからない奇声を上げながら襲い掛かってくる、無数の通行人たちだった。
「ぬ、ぬおおお!?」
咄嗟、向かって来るうちの一部を「シャットアウト」で隔離したが、焼け石に水だった。鞄に棒切れ、ペットボトルやペンシルなど、普通なら取るに足りないものを武器として、明らかに正気を失った体で襲ってくる。ただ一人、ブラウ=デュンケルという男を否定するために。
(ちいっ!!)
今しも、殴りかかって来た小学生を踏み台に、大きく跳躍して逃走を試みる。が、上げた視線の先にあったものを見て、その足が思わず止まった。
「! いかん……」
その先にあったのは、いかせのごれ高校だった。力ある者もそうでない者も、多くが集ういかせのごれきっての特異点。こんなところにこんな状態で飛び込めば、どんな混乱が起きるかわかったものではない。
(ええい!)
やむなく、ブラウはその位置からちょうど反対、つまり元来た方向へ再度跳躍。群衆の中に飛び込む格好になったが、そこから間をおかずもう一度跳ぶ。
「ぐっ……」
負荷のかかり過ぎた足が悲鳴を上げたが、それに関わっている暇はない。何より、状況が最悪だった。
ヴァイスの「マニピュレイト」は、名の通り人の心を操る能力だ。その特性は、記憶の改竄から認識の操作、思考誘導に行動強制、あるいは判断力や理性など、精神に関することなら何でもやってのける。そしてこれが厄介なのは、解除の方法が非常に限られてくる、ということ。
能力自体を何らかの方法で無効とするか、術者を倒すしかない。
それ以外の方法は、ずばり「操られている人間を気絶させる」こと。認識の操作なら真実を叩きつけることで解除できるが、今回の場合は実力行使に出るしかない。だが、
(数が多すぎる! このままでは……!!)
少なく見積もっても、追って来る人間は200を超えている。おまけにヴァイスはぐるりと視線を巡らせながら能力を使ったらしく、建物の中にいた人間までもが執拗にブラウを追って来る。さらにブラウを追いこんでいたのは、この群衆が完全に正気と判断力を喪失している、という点だった。
迂闊に人の多い方へ逃げれば、群衆と激突して流血沙汰になりかねない。だが、振り切れば振り切ったで、目標を失った群衆が暴走を起こすことになる。ましてやこんな状況では、最悪暴動か何かに発展する危険性も否めない、というかその恐れが大いにあった。必然的に、ブラウは人のいない方、人のいない方へ逃げるしかない。
だが、そんな逃走が長く続くはずもない。
「!! しまっ……」
最後まで口にすることは出来なかった。振り下ろされたジャッキのハンドルが後頭部を直撃し、帽子が吹き飛ぶ。
飛びかけた意識を強引に引き戻したブラウだが、その時には既に遅かった。
「ぎ―――――」
顔を、腕を、足を、腹を。全身のありとあらゆる箇所を殴打され、突き刺され、切り裂かれ、見る見るうちに血にまみれていく。
ヴァイスによって破壊へと誘導された群衆は、それでも容赦も躊躇いもなく、地に伏す男を蹂躙する。
ブラウの意識が途切れ、鼓動が止まるのに、それほどの時間は必要とされなかった。
――――それは、失われた光景。
『恭介さん、もう朝ですよ』
寝坊屋の自分を毎日のように起こしに来てくれた、妻・睦。
『何だよ、とーさんも知らないんじゃないか』
何かと皮肉を口にしていた、実はシスコンの息子・詠人。
『おとーさん、絵本よんで~』
何かと自分や妻に甘えていた、幼かった娘・マナ。
家族を護ることが、自分の役目だと、そう思っていたし、また事実でもあった。豊かとは言い難かったものの、家族4人での生活は満ち足りたものであったし、それなりに幸せであった。
それを奪った、突如として現れた男。
雨宿りを求めて来たその男は、突然妻を手にかけ、自分の意志を奪って身代わりに使った。追撃して来た詠人―――腕が奇妙な姿に変化していた―――に倒された後は、死を迎えるのを待つのみだった。
だが、自分は生き延びた。姿と名、そして家族を失って。
それ以来、ブラウは只管放浪を続けて来た。全ては家族の仇討ちのために。思わぬ巡り合わせで、この街に来て死んだはずの娘とは再会した。もっとも、明かしてはいないし、顔も姿も変わってしまっている。彼女に気づかれてはいない。
今となっては、少しは話をしておけばよかったかと、少々悔いているが。
痛みも、苦しみも、全ての感覚が異様に遠い。それが、今もなお、遠ざかっていく。
全ての感覚が途切れ、何もかもが闇に呑まれたのは、それからすぐのことだった。
「ようやく片付きましたかね」
とあるビルの屋上。全身を無茶苦茶に破壊され、血まみれで倒れ伏すブラウを見下ろしつつ、指をひとつ鳴らす。
瞬間、眼下でパニックが起きる。返り血を浴び、どす黒く汚れた鞄や棒を持った群衆が、覚えのない状況に判断能力を失い、狂乱しているのである。
見る間にそれは周囲へと伝播し、やがてあちこちから怒号が聞こえ始めた。
「これほどの光景は久しぶりに見ますね。あの時以来ですかね」
脳裏に去来するのは、かつて一つの街を壊滅させた時の、圧倒的な光景。死ぬ、死ぬ、死ぬ、誰も彼もあっさりと死んでいく。
そんな光景が、今起きている惨劇に重なる。
無論のこと、白き闇を名乗る狂気の演出家は、その事について何らの呵責も覚えない。誰が死のうが誰が生きようが、知ったことではない。重要なのは、それが自分にとって面白いか、否か。それだけだ。
そして、この事象は、それなりに面白い部類と言えた。
悲鳴と怒号の交錯するその光景を眺めつつ、ふむ、と顎に手を当てて考える。
「仕込みがなくてはこの程度ですか。やはり、多少の手間と時間はかけねばなりませんね」
良き事例として思い返したのは、いつぞやの星の魔術師の一件。あれは、近年でも滅多にないほど上手く行った舞台だった。
役者を選び、仕込みを入れ、条件を整え、幕を開ける。その手順を踏めば、大体は上手くいく。長年の演出で学んだ、経験則だった。
「基本こそが肝心。常道を外しては、何事も上手く行かないものですね」
いわゆる「奇策」や「妙手」と呼ばれるものは、裏を返せば基準となるものがあればこそ成立する。これも同じ、基本を疎かにしては演出の向上は見込めない。
「次は、もう少し仕込みを増やしてみますかね……」
そんな事を呟く、背後。
「む?」
ざっ、と砂利を踏む音がした。そして、その者が口を開く。
「ヴァイス=シュヴァルツ……」
今一方、狂乱の続く一角。
「こ、これは一体……!?」
「! あそこ、誰か……」
悲劇・惨劇・心鬼劇
(藍色は
闇の中)
(黒色は空に近く)
(それぞれに歩み寄るは……?)
最終更新:2013年04月06日 16:12