(ん? これは……)
登校してきたリオトは、自分の下駄箱に入っている一通の手紙を見つけた。
淡い水色の封筒に、封の為のピンク色のシール。「高嶺様へ」と丁寧な筆遣いが、書き手がどんな人物であるかをある程度、連想させた。
(……ラブレターか)
ため息をつきながら、リオトは手紙を鞄へ入れる。
ホウオウグループとは言え、そんなものは裏の肩書だ。世間一般における高嶺利央兎はあくまで、クールで真面目な優等生だ。ルックスも悪くは無い。見た目も中身も良ければ、当然人気はある。告白された事も、こうしてラブレターを渡された事も、一度や二度ではない。もっとも、彼には心に決めている人物がいるので、そうした少女らは眼中に無いのであるが――
「…………」
「…………」
何で朝っぱらから見たくも無い顔を目にしなければいけないのか、とリオトは思った。
下駄箱を入ってすぐ目の前。まるで彼を待ち構えていたかのように、壁に寄り掛かるようにして
AS2、アッシュが笑みを浮かべていた。
「いやー、リオちゃんってば流石だねー。イケメンで真面目とくれば、当然女の子は放っておかない訳で?」
「…………」
相変わらず、他人の神経を逆撫でするようなアッシュの語り。以前は思わず掴みかかったリオトであるが、ここは早朝の学校だ。下手に目立つ様な事はしたくない。彼を無視して、リオトは素通りしていく。
「――そのラブレター、さ。見て見ぬ振りした方がいいと思うよ」
「……っ」
口調から軽さが消え、まるで剣の様な重さが宿る。これは無視しきれず、反射的にリオトは振り返っていた。
「……何?」
「君の親友だから忠告しておくけどさ、そいつは止めておいた方がいい。それがお互いの為ってものだ。人間は三種類に分けられる。関わった方がいい人間と関わろうが関わらなかろうがどうでもいい人間、そして、関わらないのが一番いい人間だ」
「……意味が分からねぇ。何が言いたいんだよ、お前」
「……僕はね、こう思うんだ。人生において、『こんな奴と出会いたくなかった』って瞬間あるでしょ、どうしたって。誰もがそんな人間に合わずに生きられるようになれたら、それはそれで一つの幸せなんじゃないかな、って」
「ハッ……そうだな。それは確かにそうだ。お前や
ジングウなんかに会わずに生活出来たら、これ程楽な事はねぇよ」
「……冷たいなぁ、リオちゃんは。僕ら親友だろ?」
「誰が親友だ、誰が」
果たして故意なのか、それとも天然なのか。どちらにしろ、リオトは理解するつもりは無い。アッシュから離れ、彼は自分の教室を目指す。
その、背中に向かって、
「――ところで、ユウイちゃんにとっての君は、果たしてどれに当てはまるだろうね?」
「ッッッッ!?」
呪いが突き刺さる。
振り返ったリオトの表情。それは憤怒か、それとも驚愕か。その手には本人でも気付かないうちに、彫刻刀が握り締められていた。
「おお、怖い怖い」
リオトの突き出された右腕は、アッシュによって掴まれていた。その頬に浅く傷がついており、ぷつ、と赤い玉が浮き出る。
怪我を、下手したら死んでいた。そんな状況だと言うのに、アッシュの顔には笑みが張り付いていた。本当に――面白いものを、楽しいものを、見ているかのように。
「止そうぜ、リオちゃん。同じ仲間同士、争いあっても仕方が無い」
「誰がっ……!」
お前など仲間なものか、と言い掛けて、リオトは口を噤んだ。周りを行く生徒達が、通り過ぎながら好奇の視線を向けながら自分達を見ていた。これ以上、あまり目立つ事をするべきではない。
「…………チッ」
アッシュの手を払いのけ、彫刻刀を鞄へしまう。忌々しげな眼差しでアッシュを睨んだ後、リオトは背中を向けた。
――ところで、ユウイちゃんにとっての君は――
アッシュの言葉が、リオトの頭の中で反響する。彼に負わせた掠り傷に対して、リオトが負った傷の方がよっぽど深かった。彫刻刀よりも、ナイフよりも、それの言葉はリオトの心の奥を抉る。
(そんなの、決まってるじゃねーか……)
しかしそれを口に出す事は出来なかった。
――・――・――
放課後になり、屋上。そこに、リオトの姿はあった。
「今日の放課後、屋上に来て下さい、か……」
何と言うテンプレ、と言う言葉は呑み込む。
転落防止の柵に寄り掛かりながら、リオトは辺りを見回した。
かつて
シスイとアッシュが戦い、或いはミツと
ゼロ/アインの戦場になった場所。今はその痕跡が全く残っていない。噂だと、そう言った超能力者や超常現象の痕跡を揉み消す機関のようなものがアースセイバーにしろ、ホウオウグループにしろ存在しているらしい、と言う事だ。いかせのごれの解放から数年経っても超能力の存在が常識化しないのは、そう言った者達の存在があるおかげだと言ってもいい。
「ん?」
出入り口から聞こえた物音に、リオトは意識を思考から引き揚げた。
ゆっくりと戸が開き、一人の少女が屋上に入って来た。
「…………」
手紙は読んだ。当然、送り主の名も。それでもリオトは、いざこうして対面しても、内心で驚かずにはいられなかった。
「こんにちは、高嶺さん」
「こんにちは、妃乃さん」
ふわりと、その少女――妃乃彩萌は微笑んだ。
セミロングの黒髪、儚げな笑み。風に吹かれて散っていく、桜の花を連想させる可憐さ。リオトの想い人、榛名有衣に似ていて、しかしその実対極的。似て非なる、と言う言葉が当てはまる。
妃乃彩萌。2-3組の生徒だ。
「一応聞いておくけど、これ書いたの妃乃さん?」
「はい、そうですよ」
「これって、あれ? 友達とゲームやって、その罰ゲームで書かされたとか、それ系?」
「そんな、私は本気ですよ?」
少し不機嫌そうに、或いは拗ねたように彩萌は頬を膨らませる。不覚にもリオトは、可愛らしい、と思った。
「ふぅん……でもさ、何でオレなの? 妃乃さんだったら、もっと釣り合いの取れる奴いると思うけど」
「そんな事ありません……私、高嶺さんの事、本気ですよ?」
両手を胸に当て、真っ直ぐに彩萌はリオトを見つめている。瞳は潤み、頬に朱が差している。
「お慕いしております、高嶺さん。どうか、私と――」
「お付き合いしてください」。その言葉を言わすまいとするように、リオトは右手で彼女を制した。
「……悪い、妃乃さん」
「……そ、んな……」
彩萌の声が震えている。一体彼女は今どんな顔をしているのか。思わずリオトは、彩萌から視線を逸らした。
「君は、オレなんかじゃ勿体無い」
「そんな事ありません! そんな事!」
「それに、オレには好きな人いるんだ」
「!」
「悪い。だから、君とは付き合えない」
話はこれまでと、逃げるようにリオトはその場を後にしようとする。
「――あ?」
その瞬間、首筋に激痛が走った。
視界に入ったのは、自分の首から噴き出す赤い液体。まるでスプリンクラーの様に、血が飛び出している。
「あ、な?」
一体、何が起きたのか。それは分からなかったが、反射的にリオトは傷口を手できつく押さえ、そして自分の能力で止血に入る。しかし傷が深いせいか、すぐには塞がらない。
(何だ、突然。オレ、切られた?)
あまりにも唐突過ぎる展開に、しかしリオトの「戦士」としての脳は、冷徹に状況を分析していた。
「――……あは」
「ッ!?」
「凄い……凄いです、高嶺さん……頸動脈切られたのに、まだ動けるんですね……」
リオトの血を浴びながら、少女は陶酔したように呟く。
左手は、自分の頬を押さえている。その手も血で濡れており、少女の白い肌に赤い跡を残している。瞳は熱く、潤んでおり、高揚から頬は桃色に染まっている。
そしてその右手には、
短刀に見紛うばかりの、
銀色に輝く、
大きな鋏が握られていた。
「…………!」
左手で首を押さえながら、リオトは彩萌を見た。自分の想い人に致命傷を与えていながら、彼女はあまつさえ笑みを浮かべていた。
「妃乃、さん……なん、で……」
「妃乃、なんて、他人行儀よしてください……彩萌、って呼んでください」
「…………っ」
「いい眼です、高嶺さん……凄く、恰好良い、です……」
彩萌が、自分の左手の指を舐めた。細く白い、しなやかな指に、ぬらりとした舌が絡み付く。左手に張り付いたリオトの血を、舐めとっていく。清楚な彼女とは正反対のその淫靡な仕草は、ぞくりとする程扇情的だった。
「美味しい……これが、高嶺さんの味なんですね……覚えました」
「妃乃さ、ん……何でこんな事を……」
「分かってますよ、高嶺さん」
「っ……?」
「嘘、ですよね? 好きな人がいるなんて、そんな事?」
リオトの問いかけに応えず、恍惚の表情を浮かべたまま、彩萌が言う。その顔は蠱惑的な笑みを浮かべているが、瞳は違う。ぎらぎらと輝くそれは、まるで獲物を狙う捕食動物のそれだった。
「嘘、じゃない……オレには、好きな奴――ガッ!?」
右足にに激痛が走り、リオトはその場に崩れ落ちそうになるのを堪えた。右手で柵を掴み、どうにか倒れないようにしている。見れば、太腿の部分が切り裂かれ、ぱっくりと開いた傷口から血が流れていた。
「そうやって、嘘をついて……私を、困らせたいんですよね?」
彩萌が右手を振る。刃についた血が払われ、地面に赤い弧を描く。
(まずっ……これ……)
視界も思考も、白くなりかけている。血が足りない。首に受けた傷が深く、足の傷も無視できない。戦闘しようにも、逃走しようにも、今のリオトにはその為の余力が無かった。
「高嶺、さん……」
はぁ、と熱い吐息を吐きながら、高揚する姿を隠そうともせずに彩萌が近付く。その姿は真実、恋に焦がれる少女そのものであるが、その右手に握られているのはそれとは不釣り合いな大鋏だ。リオトの血を吸った二枚の刃は、まるで肉食獣の顎斗を思わせた。
「好き……好き、です……高嶺さん……お慕い、しております……」
好き、と言う好意を漏らしながら、右手の凶器/狂気はリオトの命を狙っている。己が行為/好意に一切の矛盾も破綻も感じていないように、彩萌が笑う。その表情は、恍惚に溶けきっている。
「う、あ……」
その狂気に当てられるように、リオトはその場に崩れ落ちた。腰に力が入らず、立ち上がる事が出来ない。そんな彼に覆い被さるように、彩萌は近付いた。
「高嶺、さん……」
恋に曇った眼差しで、愛で潤んだ瞳で、彩萌は自分の想い人を見つめる。
「貴方を、離しません――」
「――いやぁ、そんなつまらない男じゃなくて、僕にしない、彼女ー?」
リオトの耳に場違いな、それでいて聞き覚えのある声が飛び込んで来た。ハッとしたように、彩萌が顔を上げる。
「貴方は……っ!」
外見からはとても想像出来ないような身軽さで、彩萌はリオトから離れた。リオトが反応出来なかったのも、この速さ故だろう。
「あははは、リオちゃん見事な位に血塗れだねぇ。文字通りの修羅場ってやつ?」
「おまえ、は……」
リオトは頭上から振って来た軽薄な口調に、しかし今は安堵していた。普段嫌っている相手の声がこんなにも心強く感じる日が来るとは、彼も夢には思っていなかった。
「都さん……」
「やっほー、彩萌ちゃん。元気ー?」
ひらひらと手を振りながら、アッシュはリオトの傍に立つ。当然と言えば当然であるが、水を差された彩萌は冷たい眼差しを送っている。
「何の、つもりですか? 邪魔をするなら……」
「僕も切り刻むかい? でも、君の速さじゃ僕には通じないよ」
余裕綽々と、「天子麒麟」のオーラさえ纏わずにアッシュは言う。だが、ハッタリなどでは決してない。そう思わせるだけの気配が、彼の言葉や姿から滲み出ていた。
「女の子の相手は、出来るならあまりしたくないんだよねぇ……退いてくれたら、嬉しいんだけどなぁ……」
「…………」
笑みを浮かべるアッシュと、冷淡な眼差しの彩萌。
しばらく睨み合う二人だったが、やがて彩萌の方が動いた。
「――!」
アッシュの視線が、屋上の扉へと動く。一瞬の内に彩萌の姿は、そこまで移動していた。
「……今回は、ここまで」
「今回は、ね……リオちゃんには好きな人はいるんだし、諦めて貰えないかな、ぶっちゃけ」
「――――」
「……ま、諦める訳無いよね――それ位で諦める理屈なんて、無いものね」
にぃ、とアッシュの口が弧を描く。それを見て、リオトは思い出した。こいつも、目の前の少女と同類なのだと言う事を。
「高嶺さん……」
ため息を零しながら、彩萌がリオトを見る。その仕草、その眼差し、その心。狂気さえなければ、それは純粋に恋する乙女そのものだった。
「待っていて、くださいね……」
そう言い残し、彩萌は屋上から去って行った。
――・――・――
「頸動脈切られても息をしているとか、リオちゃんなかなかタフだねぇ」
リオトに応急処置を施しながら、アッシュが軽口を叩く。リオトが持つ血液を操る能力、それにアッシュの「天子麒麟」が合わさって、首に出来た傷は塞がっていた。
「で、どう? 狂う程相手に想われた気持ちは?」
「…………」
言葉で答えずに、目線で語る。能天気なアッシュに向かって、リオトはジト目で睨んだ。
「まぁ、ある意味ラッキーじゃない? 彩萌ちゃんって美人だし、中身もそこまで悪くないし? まさに才色兼備ってやつ? いやぁ、羨ましい! 実に羨ましい!」
「……嘘つけ。お前、そんな事これっぽっちも思ってないだろ」
「そんな事無いよー? 少なくとも僕が君の立場であれば、あれ位なら十分に乗りこなせる」
「じゃあ変わってくれよ。オレはお願い下げだ」
「いやぁ、だって僕関係無いし」
「…………」
他人の気持ちなど分かっていないような言動を取れば、その実深い部分を見透かすような物を言う。本当に、こいつの神経は一体どうなっているのかとリオトは思った。
「……しかし、アレだね。恋する事は幸せだって言うけどさ、あれって幸せ者の理屈だよね……恋って感情は、そんな甘ったるくて優しいものじゃない。もっと辛くて激しいもの――毒薬か、呪いの類だよ、ホント」
アッシュの言葉に、リオトは彩萌の姿を思い出す。
想い人を傷付ける狂気。その癖、嘘偽り無い曇りの無い愛情。常人ですら、恋と言う凶暴な感情の前には冷静な判断能力を奪われるのだ。アレはそう、まさしく毒に侵された姿だった。
(……もしかしたら、オレも、)
アレは鏡に映った自分自身なのだと、リオトは思った。うすら寒くなる。彩萌と同じ表情を浮かべながらユウイを傷付ける自分を想像し、リオトは背筋が凍りつくようだった。
『――ところで、ユウイちゃんにとっての君は、果たしてどれに当てはまるだろうね?』
朝方、アッシュに言われた言葉が再び心を抉る。そんな事、言われるまでもなく、
(オレは、ユウイの傍にいる資格なんて――)
「あ、そうそう。僕が言った言葉を気にするようなら、そいつはお角違いだぜ」
「ッ――!?」
こいつ、実は心を読めるんじゃないか。そうリオトは思わずにはいられなかった。以前にも言っていたように、これ位は彼にとって普通の技能なのだろう。
「確かに、人間には三種類いる。関わった方がいい人間。関わろうが関わらなかろうがどーでもいい人間。そして、関わらない方がいい人間。でもね、もう手遅れなんだ。君とユウイちゃんはもう出会ってしまっている。その時点でもう、手遅れだ。君達にはもう縁が結ばれている。例えユウイちゃんにとっての君が、関わらない方がいい人間だったとしても、手遅れだ。もう君達は出会って、そして関わってしまっている」
だから手遅れなのだと、アッシュは言った。
「――は、はは」
乾いた笑いが、思わず零れた。何だそれは、と、リオトは思う。既に関わってしまっているから、もうどうしようも無い。なんだそれは。とんでもない、暴論ではないかと。
「はははは……何だそりゃ、無茶苦茶じゃねぇか」
「無茶苦茶でいいんだよ。そもそも、僕ら人間の存在自体が理不尽なんだ。それなのに、僕らがご丁寧に条理を守らなきゃいけないなんて言うのは、間違いなんじゃないかな?」
リオトの治療を終え、アッシュが立ち上がる。
「……お前、妃乃さんに会うなって言ってたけど……知ってたのか?」
「まぁね」
「……知ってたなら、こうなる前に手を打ってくれたって良かったんじゃないか。オレよりも、お前の方が女の扱いうまいだろ……」
「……ハッ。おいおい、本気で言ってるの、リオちゃん? 色恋沙汰だぜ? 腐っても、当事者達による一対一の対決だ。それに水を差すなんて、僕には出来ないよ。馬に蹴られたくないもの……僕はね、基本的にフェミニストなんだよ」
そう言って、アッシュは背を向けた。
「……なぁ、一つ教えてくれよ」
「なんだい?」
「オレと妃乃さんさ、クラス違うからほとんど接点無いんだけど……彼女、オレみたいなのの何が良かったんだろうな」
「さて、そればかりは僕にも分からないな。でも、自分でも気付かない内に誰かに好かれていて、自分でも気付かない内に誰かに嫌われている……人間って、大体そんなものだろ?」
≪恋愛致死毒-トキシック・フラワー-≫
最終更新:2013年05月14日 11:04