施設内に警報が鳴り響く。
異常の発生源は閉鎖区画。と言っても、施設にいる人間は皆「またあいつらか」と言う顔をするばかりで、誰も駆け付ける気配は無い。日常茶飯事とまでは言わないが、
千年王国が起こす警報沙汰は既に珍しくない回数になりつつあった。
しかし、この時は違った。
誰も駆け付けない閉鎖区画の入り口。そこが今、かつてそうなっていたように、封印の為のシャッターで閉ざされている。
その中で起きている事に、誰も気が付かなかった。
ただ、その場にいる者達を除いて。
――・――・――
「これは……」
警報を聞きつけて、
ジングウはハンガー内へと走って来ていた。
異常の発生源は、バイオドレスや生物兵器を調整する為の培養漕があるエリア。彼が駆け付けた時には、現場は白い蒸気に包まれていた。
「――■■……」
唸り声が聞こえる。獣の、しかしどんな生物の鳴き声にも当てはまらない様な声。
「ジングウさん、これは……」
「
サヨリさん、私から離れないように。おそらくこれは、生物兵器の仕業です」
「生物兵器の? ですが、どの生物兵器も未使用時は封印されている筈じゃ……」
「たまにいるんですよ。封印破って出てくるちょっとやんちゃなのが」
白い蒸気の向こうで、何かが身動ぎしたのが見えた。普段飄々としているジングウの表情が引き締まり、相手の出方を伺っている。
「■■……」
唸り声を上げながら、白霧のカーテンを潜って『それ』は姿を現した。
まるでドラゴンの様だと、サヨリは思った。或いは、白亜紀に地上を支配した竜の末裔だとも。
赤黒い体色。頭には背中側に向かって伸びる二本の角があり、その形は爬虫類を大型化し、更に凶悪な形に歪めている。おそらくは、自然界においてここまで凶悪な顔付きをしている生物はいないであろう。その点においては爬虫類と言うよりも、昆虫や魚類に近いかもしれない。背中には折り畳まれた翼膜があり、下半身には太く長い尾が伸びている。体躯は巨大で、三メートルはある。
「何これ……こんな生物兵器、目録には……」
格納庫に存在する生物兵器に、こんな姿をしたものは存在しなかった筈だった。自身に覚えのない存在を前に、思わずサヨリはたじろぐ。
「……馬鹿な」
「え?」
意外な声を聞いたと思い、サヨリは隣を見た。そこで彼女は更に驚く。普段滅多に驚いた様子を見せないジングウが、心から本気で驚いた表情を見せていたのだ。
「何故、お前がここにいる……お前は私が自ら破棄した筈だ……」
「ジン……グウさん? 知って、いるんですか……?」
普段とは違うジングウの様子に、サヨリも少なからず動揺する。感情が滅多に揺らいだりしないジングウが、これだけ驚いているのだ。今ここで起きている事が、自分が思っている以上に異常なのだと言う事を、彼女は感じ取った。
「■■■■――ッッッッ!!!!!」
「「ッ!?」」
怪物が吼えた。その凄まじい振動で、格納庫内の空気が震える。鼓膜を劈く衝撃に、二人は反射的に耳を押さえた。
と、その時だった。
「――!? サヨリさん!!」
「え?」
突然、サヨリはジングウに突き飛ばされた。一体何が起きたのか分からず、彼女は茫然とジングウの方を見つめながら倒れていく。
そんな彼女の目の前で、ジングウの身体に何かが突き刺さった。
「あ……がっ……」
「じ……ジングウ、さん?」
ジングウの腹を突き破り、背中まで貫通しているソレ。ソレは怪物の尾だった。一体どんな風に動かせばそんな風に動くのか、怪物は自分の尾を槍の様に伸ばし、ジングウの身体に突き刺したのだ。
「■■■■――ッッッッ!!!!!」
「――ごふっ!?」
咆哮を上げ、怪物が尾を振った。その勢いで、ジングウの身体は吹っ飛び、格納庫の壁に叩き付けられる。その衝撃は凄まじく、激突した壁がクレーター状にヘコんでいる。
「ジングウさん!!」
サヨリが駆け寄ると、ジングウの身体は血塗れだった。生物兵器が暴れた位では簡単には壊れない壁面が、抉れてしまう程の衝撃なのだ。むしろ、身体がまだ原型を留めている方が驚きだ。
「痛ぅ……」
「ジングウさん、大丈夫ですか!?」
「この状況で大丈夫な訳が無いでしょう……」
この状況で、軽口を叩くだけの元気はまだあるらしい。『ジェネシス』で得た再生能力は伊達ではない、と言う事か。
「取り敢えずサヨリさん、私の事は良いから逃げなさい」
「怪我人が、何を馬鹿な事言ってるんですか!」
言うが早いか、サヨリはジングウに肩を貸して立ち上がらせようとする。だが彼の足はだらりとしており、力が全く入っていない。
「ジングウさん、足が……」
「脊髄をやられました。下半身が、ごふっ……参りましたね、感覚が全くありません」
内臓もやられているのだろう、ごぼりと口から血を吐き出す。ジングウが歩けないと判断すると、サヨリは彼の身体を抱き上げた。所謂、お姫様抱っこの形である。
「……まさか、この齢になって女性に抱き上げられるとは思いませんでしたよ」
「こんな時に茶化さないでください!」
実際、サヨリの表情に余裕が無い。自分の衣服が汚れるのも構わず、彼女はジングウを抱き抱えて逃げようとする。その行く手を阻むように、怪物の巨体が立ち塞がった。
「く――」
『――サヨリさん、伏せて!!』
濃紺に近い色の装甲服が、怪物の身体を蹴り飛ばす。頭部には二本の角があり、その形は馬の頭部にも、或いは悪魔の顔の様にも見える。胸部には赤い光球が光っており、床を踏みしめるその音はまるで、馬の蹄の音にも似ていた。
「バイコーンヘッド――アッシュさん!?」
『サヨリさん、大丈夫!?』
胸の転送装置から槍を取り出し構えると、アッシュはサヨリを庇うようにして立った。心強い援軍の出現に、彼女は胸を撫で下ろした。
「アッシュ……サヨリさんの心配する前に、私の心配してくださいな……」
『いや、減らず口が出る内は全然平気でしょ、父さん』
「全く、一体誰に似たのやら……」
軽口を叩きながらも、アッシュは目の前の相手への警戒を怠らない。蹴り飛ばされた怪物は、全く効いている様子も無く平然と立ち上がっていた。
『結構本気で打ち込んだんだけどなぁ……取り敢えずサヨリさん、父さんを連れてここから離れて』
「は、はいっ!」
ジングウを連れ、サヨリはその場から退避する。それを見送って、アッシュは改めて構え直した。
『はぁっ!』
「■■■■――ッ!!!!」
アッシュと怪物の戦闘が始まった。アッシュの武器と怪物の爪が切り結ぶ。
『こいつ、強い……!』
数刻の打ち合い。それだけで、アッシュは相手の力量をある程度図っていた。
まず、膂力が違う。アッシュは強化服に天子麒麟の力を合わせた相乗効果により、強力な力を得ている。そうやって生み出したアッシュの膂力に怪物の怪力は拮抗、或いはそれを上回っていた。アッシュの渾身の一撃が、捌かれ、或いは弾き返されてしまう。
『なんて馬鹿力なんだ、こいつ……!』
そもそも、攻撃がまるで通じていない。例え当たっても怪物の身体は固い装甲に覆われており、傷を付けてもそこがすぐさま再生を始めている。麒麟の力を得て名刀にも匹敵する威力を得た武具が、ことごとく破られていく。
このままでは負ける。そう思い、離脱を考えていた時だった。
「お、ま、え、かああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
『!?』
横薙ぎの一撃が怪物を吹っ飛ばした。突然の事態にアッシュは一瞬呆気にとられたが、すぐに状況を把握した。巨大なジェット付きのハンマーを握り締める少女が、目の前に立っていた。
「ジングウ様に怪我させたのはお前かあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
『あ、やばいな、あれ。完全にスイッチ入っちゃってるじゃん』
瞳は狂気に濁り、更にいつもと違ってその表情は憤怒で歪んでいる。般若の形相だ。最近の彼女は『
狂戦士の首輪』の影響で大人しくなっていたが、久々の『狂気化』だった。能力が暴走しないようにと嵌めてあった首輪は無く、その能力を完全に発揮している。
危機が去ったと見るや、いつもの調子を取り戻すアッシュ。彼女の様子を見る限り、おそらく怪物にやられたジングウの姿を目撃してしまったのだろう。彼に恋い焦がれる彼女の行動としては当然のものだろう。ジェットハンマーの破壊力も相まって、怪物を滅多打ちにしている。
「死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ねえぇぇぇぇぇぇぇ!!! ジングウ様はボクのものだ! お前なんかに横取りされてたまるかあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
『……父さん、とんでもないのに好かれてるわね』
まさに狂戦士。『狂気化』はその精神が狂気に浸されれば浸される程効力を発揮するが、うまい具合に怪物への破壊衝動が能力とリンクして通常よりも破壊力が増している。加えていつも使用しているハンマーと違い、使っているのはジェットハンマーだ。殺る気がヒシヒシと伝わってくる。
『……だけど、相手もとんでもないな』
頃合いと思ったのか、アッシュは転送装置で鞭を取り出すと、それをマキナの身体に巻き付けて自分へと引き寄せた。注意が怪物にだけ向いていたせいか、思ったよりもあっさりと彼女の身体は鞭に縛られる。何をする、と抗議の眼差しをマキナが向けて来たが、それを無視して鳩尾に一発。マキナの意識は奪われ、彼女の身体から力が無くなった。
『悪いね、マキナちゃん。君とアイツじゃ相性が悪過ぎる』
のそり、と怪物が起き上がる。マキナの連続攻撃でその装甲や身体の部分部分は大きく抉られているが、アッシュの目の前でその破損も再生していく。
『……おいおい、自己再生って言ってもゲームみたいに無料回復って事は無いでしょうに。その肉体を造る程のエネルギーが、一体どこに納めてあるって言うのさ』
マキナの攻撃力ですらこれだ。あのまま攻撃を続けても、肉体は常人並でしか無い彼女では一発貰っただけでアウトである。アッシュは撤退すべきと判断し、マキナの身体を抱き上げるとその場から走り出した。
「■■■■――ッッッッ!!!!」
逃がさない、とでも言っているのだろうか。怪物が咆哮を上げると、その背中の折り畳まれた翼膜が左右に広がった。元々巨体であったのが、広げられた翼のせいで更に巨大になったように見える。
数回、本当に数回。それだけで、怪物の身体が浮かび上がった。
『ちょっとちょっと……飾りじゃないのかよ、それ』
仮面の下で、アッシュの頬に冷や汗が流れた。轟音と共に、翼を広げたドラゴンが迫ってくる。まるで獲物に狙いを定めた猛禽類の様な速さで、怪物は迫ってくる。
『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!』
『■■■■――ッッッッ!!!!』
格納庫の出口を目指すアッシュ。そしてそれを追う怪物。アッシュが通路に飛び込むのと、怪物がそれに激突するのはほぼ同じタイミングだった。
――・――・――
「ジングウさん、大丈夫ですか?」
格納庫から脱出したジングウとサヨリは、実戦訓練場の近くにある研究室にいた。取り急ぎの処置で、ジングウの傷の手当てを済ませている。見た目は何時ものジングウだが、その全身に巻き付けてある包帯が通常よりも締め付けてあるのは当然の事だろう。
「サヨリさん、キツイです」
「そんな事言わないでください。お腹に穴が空いているんですよ? 脊髄だって損傷してますし……」
「いえ、それはもう治りましたし」
言うが早いか、ジングウはその場に立ち上がってみせる。普段よりゆっくりとし、ふらついているものの、しかし先程のように立てない訳では無い。
「…………ジングウさん、人間止めてますよね、もう?」
「アナボリズムを連続で受けて無傷の絶対者に並ぶんだったら、むしろこれでも足りない位です」
言いながら、ジングウは肩を竦めてみせる。彼自身が開発したプロウイルス・ジェネシス。それは人間のDNAを書き換えてしまう魔のウイルスは、確実にジングウの身体を人間とは違う、別の生き物に変えていたのだった。
「ところでジングウさん、聞きたい事があるんですが」
「あの赤い怪物の事、ですかね」
「ええ、そうです――」
サヨリが言いかけている最中に、どこからともなく爆発音が聞こえた。二人は研究室の窓から実験場の方を覗き込む。すると、格納庫と実験場を繋いでいる通路部分から煙が上がっており、その傍に倒れている装甲服姿の人と中学生くらいの少女が見えた。
「アッシュさん! マキナさん!」
サヨリの声が届いた、と言う訳でもないが、よろめきながらバイコーンヘッドが立ち上がる。出入り口の方に身構えると、煙の中からあの怪物が姿を現した。その身体には一切傷は無く、誰が見ても無傷だった。
「そんな……バイコーンヘッドを装備したアッシュさんでも勝てないなんて……」
「これ位当然ですよ。『アレ』には、それを成し得るだけのスペックがありますから」
アッシュが劣勢だと言うのに、ジングウはまるで彼を心配している様子を見せない。それどころか、その成り行きをまるで観察するかのように見下ろしている。籠の中で殺し合う二匹の虫を見ているかのように。
「何なんですか、あれは!」
「……バイオレンスドラゴン。六年前の私がかつて製造し、しかしその危険性から自ら破棄した怪物ですよ」
「バイオレンス……ドラゴン……」
その名前を聞いて、サヨリは即座にアーカイヴにアクセスした。データは、あった。確かに製作者はジングウであり、その破棄が彼の手で行われた事が記載されている。
そしてその性能は――
「装着者と融合し、吸収……その肉体を乗っ取って活動……周囲のものを取り込み、自己進化・自己成長していく……ですって……!?」
デルヴァイ・ツァロストが可愛く思えてくるような、悪夢のテンプレみたいなスペックだった。まるで鎖で繋がれていない猛獣だ。こんな物使ったら最後、例え敵を殲滅出来ても自分達まで滅ぼされてしまうではないか。
「本当にこれ、ジングウさんが……?」
「ええ。まさか、生まれたのがあんな鬼子とは思いませんでしたが。何せ言う事を聞かない、勝手に暴れる。とても使い物にならないので破棄した……筈なんですけどね」
訓練場で戦闘を繰り広げるアッシュと怪物――バイオレンスドラゴンを見比べる。アッシュは防戦一方であり、ドラゴンはそれを蹂躙していくだけの一方通行になりつつある。おそらくアッシュは、転送出来る武装をすべて使い果たしたのだろう。こうなってはもはや、彼に出来るのはドラゴンの攻撃から逃げ続けるより他にない。
「本当に……破棄したんですか?」
「ええ、間違いありませんよ。私が極秘に保管していた訳ではありません……実に興味深い。アレは自ら、バイオドレスを憑代に蘇ったんですから」
「……どう言う事、ですか」
「実を言うとですね、バイオドレスはアレが元になっているんですよ。言うなれば、バイオレンスドラゴンはバイオドレスの試作機であると言ってもいい」
「……まさか、同じ構造で出来ているものだから、バイオドレスが突然変異してああなった、と?」
「いいえ、もっと呆れますよ。奴は、自分の設計図をバイオドレスに流し込んで、自分の身体に再設計したんですよ」
「――……!?」
ジングウの言葉に、サヨリは息を呑んだ。
確かにアーカイヴには、バイオドレスに関する設計情報が存在した。ジングウはあろう事か、『そのデータが自らの意思でバイオドレスにアクセスし、その形状を自分と同じ物に組み替えた』と言っているのだ。
「そんな事ありえません! 自我を持つ私達擬人兵ならともかく、アーカイヴにあるのはただのデータなんですよ!? 魂も無ければ知性すらない、言わば紙面に描かれた文字と同じものです! それが、自分の意思で動いたなんて……」
「ではサヨリさん。聞きますが、貴方の自我とやらはどこに存在するのですか?」
「え……」
「……失敬、今の言葉は忘れて下さい」
「失言だった」と言わんばかりに、ジングウは自分の口元を手で押さえた。サヨリは、と言えば、ジングウの言葉の意味が分かっていないようだった。
視線を二人とも、眼下で繰り広げられる戦いに目を向ける。丁度その時、アッシュの身体をドラゴンの尾が捉えたところだった。
――・――・――
(う……)
微睡にも似た意識の中で、花丸は意識を取り戻した。
(こ……ここは……?)
水の中に浮いているような浮遊感。しかし、手足に力を込めても自由には動かない。
(僕は……何を……)
意識を失う以前の記憶を思い出そうとする。ずきりと頭痛が走ったが、どうにか思い出す事が出来た。瞬間、その時の事を思い出して背筋が震えた。自分は、見た事も無い怪物に吹き飛ばされたのだ。
(あれから、僕はどうなったの……?)
怪物に殺されてしまった。まず、その事が頭に浮かんだ。あんなに強く吹き飛ばされたのだから、自分が無事でいられる訳が無い。しかし、たった今感じた頭痛を思い出して、その考えを否定した。痛みがある、つまり痛覚があると言う事は、まだ生きている証拠だ。実際のところ、頭痛を言い訳にしてまだ自分は生きている事にしたかったのかもしれないが。
(ここはどこ……僕は、一体……)
その時花丸は、自分の目の前に何かが映っている事に気が付いた。まるでそこにテレビか、或いは窓が存在しているかのように、くっきりと四角く空間が切り取られている。そこ映っているものが何であるかを確認しようとして、
(……え、)
彼は、言葉を失った。
映っていたのは、バイコーンヘッドを装着したアッシュの姿があった。だが、その頭を守っている筈のメットが割れ、顔が半分露出している。頭から血を流し、剥き出しになった肌を濡らしているのが目に映った。
(アッシュさん、何で……)
『はぁ……はぁ……くそ。こいつ、エネルギー切れ無いのかよっ!』
(え……?)
花丸はアッシュが何を言っているのか分からなかった。混乱する彼を余所に、画面の中でアッシュが横へ移動した。そして彼の行方を追おうとした花丸の視界に、奇妙な物が映り込んだ。
(何……これ……?)
それは、巨大な腕だった。花丸の腕の何倍も大きく、指の太さだけで彼の掌ぐらいある。その腕が先程までアッシュがいた場所に振り下ろされていた。あたかも、アッシュを押し潰そうとしたかのように。
(え……何、これぇ……?)
訳が、分からなかった。画面の中でアッシュは逃げ惑うように動き回り、それをまるで追いかけるかのように画面の主は動く。そして画面はあたかも、花丸の視界であるかのように存在している。
(うあ……あぁ……)
花丸の脳裏にとある考えが浮かび、彼はそれを信じたくないと思った。だが、そう願えばそう願う程、その考えは実像を帯びて彼の中で大きくなっていく。
ここは一体どこなのか。そして今、自分はどう言う状態なのか。
すべては、目の前の画面が物語っている。すべては、この状況が教えている。
画面が動く。その中心に、アッシュが捉えられた。彼がこちらを振り返る。剥き出しになった顔に、僅かであるが恐怖の色が浮かんでいるのが見えた。画面の端に、赤い腕が構えられたのが見えた。思わず花丸は逃げて、と叫び、それと同時にアッシュが跳ねる。避け損なったアッシュの身体を、巨大な腕が殴り飛ばすのが見えた。
(あぁ……ああ……)
地面に身を投げ出しているアッシュに、ゆっくりと画面が近付いて行く。画面は揺れ、あたかも自分が大きく足踏みをしているのだと錯覚する。いや、錯覚ではない。感覚は無いが、そうなのだ。自分は確かに、アッシュに向かって近付いている。
(止めて……止めて……)
画面がまるで、アッシュを見下ろすかのような視点になった。ぐぐっ、と画面が動き、まるで片腕を大きく振り上げたように感じられた。
次の瞬間、アッシュが潰れて赤い飛沫を上げたように見えた。
(――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!)
花丸の精神はその光景に耐え切れず、喉の奥から絶叫していた。
――・――・――
「ぐ……」
怪物の攻撃に吹き飛ばされ、アッシュは一瞬意識が飛んでいた。
恐ろしい一撃だった。バトルドレスの衝撃吸収機能が無かったら確実に死んでいたと実感する位に、凄まじい怪力だった。
シスイの天士麒麟に敗れた時よりも、正直恐ろしいとアッシュは感じていた。
「は、そりゃそうか……殺す気の無い奴の攻撃と、獲物としか見ていない奴の攻撃なんて、怖さは全然違うよね……う……」
起き上がろうとして、全身に激痛が走った。末端の感覚が鈍く、痛覚が鈍い。その癖、「やばい」と実感する部分に熱を感じる。おそらく、骨の数本は折れたに違いない。
だが、泣き言を言って膝を抱えている場合ではない。このままここにいても、怪物に殺されるだけだ。
「この……根性出せ、くそ……」
天子麒麟による治癒を行うが、治りが遅い。能力を酷使し過ぎた反動なのだろう。傷を負っている場所以外の体温が冷たく、手の震えが止まらない。立って逃げるのは無理と見るや、アッシュはその場を這い出した。
「はぁ……はぁ……」
のろのろとした、緩慢な匍匐移動。まだ芋虫の方が速いのではないか、と思わせる位だ。やるだけ無駄、大人しく諦めてしまえばと思ってしまう位に、誰から見ても無意味だと分かる行いだ。
それでもアッシュは生にしがみつく。無駄だと分かっている、無意味と分かっている。それでも、最後の瞬間まで生きる事を諦めない。生き汚いと言わば言え。尊厳などくそ食らえだと、その背中はまるで語っているかのようだった。
だが、もがいただけで現実が変わる程、世界は脆くない。アッシュの身体に、覆い被さるように影がかかった。
「……やれやれ、ここまでか」
力無く笑みを零すと、アッシュは振り返って相手の姿を見た。明かりの無い実験場の中に浮かび上がる威容。赤黒い装甲に包まれた竜。その全身はまるで、返り血を浴びてその色を帯びているのだとアッシュに思わせた。
「どうせ殺されるならさぁ、君みたいな不細工なんかじゃなくて、トキコちゃんに殺されたかったぜ」
おどけながら、アッシュは怪物を睨み返す。その眼差しに変化は無い。否、最初から変化が無い。爬虫類よりももっと無機質な、昆虫を思わせた。
「――そのくせ嗤うのか、お前」
それは、アッシュの見間違いだったかもしれない。拳を振り上げた怪物の口元。半開きになったそれが、彼には嗤っているように思えたのだ。自分よりも脆弱で矮小な存在をすり潰す快感を隠し通せないかのように。
拳が迫る。次の瞬間、アッシュの身体はそれに押し潰され、床一面に赤い花が咲くように赤い飛沫が――
『――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!』
「!?」
突然、まるで怪物の内側から反響してきたような叫び声が聞こえた。瞬間、怪物の腕がぴたりと止まる。アッシュの鼻先スレスレだった。
「今の声……」
アッシュは、信じられないものを見るように、怪物を見上げた。
「花丸……ちゃん?」
怪物はまるで、彫像になったかのように動かなかったが、ややあってまるでよろめくように動き出した。
「■■……■■■■――ッッ!!」
「うわっ!?」
怪物の様子がそれまでと違う。アッシュを狙うのではなく、辺りをやたらめったら攻撃し始めた。両手を振り回し、尾を出鱈目に叩き付ける。まるで、苦しんでいるようにアッシュには思えた。
「伏せなさい、アッシュ!」
「ッ!?」
頭上から聞こえた声に、アッシュは言われた通りにする。視線を向けると、上にある研究室の窓に眩く輝く光の塊が見えた。
「ッ――!!!!」
ジングウの手から、収束されたエネルギー波が放たれる。その一撃は怪物を呑み込み、その全身を焼き尽くす。数秒間のエネルギーの照射が止まると、そこには原型こそ留めてはいるが、黒焦げとなった怪物の姿があった。
「…………」
まだ動くのではないか。そう思って、アッシュは最後の力を振り絞って立ち上がる。
花丸はどうなってしまったのだろうか。怪物と一緒に死んでしまったのか。そもそも、怪物は死んだのか。様々な思考が、アッシュの脳裏を掠める。
その時、怪物の腹部が崩れた。
「あれは……!」
黒焦げになった肉の下から、小さな手が覗いているのが分かった。
「花丸ちゃん!」
ボロボロの身体を引き摺って、アッシュは怪物の傍まで駆け寄った。
最終更新:2013年06月03日 22:22