トマス・ハーディ
(Thomas Hardy)
(1840~1928)

略歴

 イギリス、ドーセット州出身。元々は敬虔なキリスト教徒で、日曜日には家族揃って教会に行き、ヴァイオリンを演奏することもあったという。しかし、1859年に発表されたダーウィンの進化論が、彼の人生を大きく変えることになった。彼は[メレディス>ジョージ・メレディス]とは対照的に、そこにネガティヴなイメージを受けた。彼は自分自身が生まれ育ったウェセックスの、のどかで美しい牧歌的な景色と、自然と共に生きる農民たちの生活を描いた。しかしそういった自然や生活の全てが暗く無目的であり、人間の力の及ばない、不可解な宇宙の内在意思(Immanent Will)によって支配されていると考えた。彼の一連の作品はその舞台の名をとって「<ウェセックス・ノヴェル」と呼ばれるが、書く毎に彼の厭世観は暗く落ち込んでいった。その作品に対する評価は、当時から大きく二分されており、熱烈な賛同者も集めたが、それ以上に非難の声は激しかった。ハーディの作品で繰り返し描かれたのは、理性や良心に従って行った行為が、実は全て宇宙の内在意思の行わせたものであり、その上その結果は常に裏目に出るのである。それは彼が西欧人の伝統的な思想、理性の優位と個人の自由意志の尊厳を否定するものであった。と同時に当時の人々の心中にあった、ダーウィニズムによって植え付けられた不安感を鋭く突くものでもあったのだろう。それ故に彼にはごうごうたる非難の声にさらされた。最後の小説が酷評され、世に受け入れられないことを知ると、彼は小説家としては筆を折り、以後は詩作に専念した。晩年にはその評価も正当なものになり、国民的な作家としてその死去の際には国葬が行われた。

作品

 『貧乏人と貴婦人(The Poor Man and the Lady,1868)が処女作であるが、メレディスの目に留まったものの彼の忠告によって出版を断念した。『荒療治(Desperate Remedies,1871)は匿名で自費出版されたものの不評だった。本格的に作家として成功するのは次作からになる。
 『エセルバータの手(The Hand of Ethelberta,1871)は社交界を描いた作品。
 『緑の木陰(Under the Greenwood Tree,1872)は美しい田園恋愛小説。続く『一対の青い眼(A Pair of Blue Eyes,1873)は悲劇的な恋の物語。このあたりから次第に影を帯びてくる。
 『狂乱の群を遠く離れて(Far from the Madding Crowd,1874)は牧歌的描写は非常に美しい作品だが、その中にはすでに暗いものが見えている。そして盲目な自然は同様に盲目な、素朴で善良な田舎の人々を翻弄し、悲劇へと陥れる。また『帰郷(The Return of the Native,1878)もよく知られている。パリから帰郷した青年と都会に憧れる娘を中心とした恋愛ものである。背景となるウェセックスの荒野の描写も評価が高い。
 『ラッパ長(The Trumpet-Major,1880)はナポレオン戦争を題材とした郷土物語。後の大作の先駆的存在。
 『冷淡な人(A Laodicean,1881)は女主人公ポーラの名誉と恋の顚末を描いた。
 『塔上の二人(Two on a Tower,1882)は青年天文学者と地主の未亡人との恋物語。
 中期の傑作とされる『キャスタブリッジの町長(The Mayor of Casterbridge,1886)がある。ヘンチャードは、かつて酒に酔った勢いで妻子を売り飛ばしてしまい、それを深く後悔してそれからの日々は生まれ変わったように自制心と努力、そして節制によって精進し、18年後にはキャスタブリッジという町の町長になっていた。しかしそこにかつての妻子が姿を現し、ヘンチャードは破滅への道を辿っていく。
 『森林地の人々(The Woodlanders,1887)はウェセックスの森林地帯を舞台に、森の男ジャイルズと高等教育を受けて帰郷した娘グレイスとの恋愛を中心に描いた牧歌的作品。
 『テス(Tess of the D'Urbervilles,1891)は、最もよく読まれている作品の一つ。美しく純粋な女性テスが運命の力にもてあそばれる、悲劇である。彼女に愛を捧げる男たちも、身勝手であったり、タイミングが悪すぎたり、と彼女をより不幸にしていく。しかし彼女を破滅へと導いたのは何も外部からの力、あるいは見えざる神の手によるものばかりではない。それは彼女の内面からの力、本能によって突き動かされていったのである。
 『日陰者ジュード(Jude the Obscure,1895)は、ハーディ最後の小説である。学問によって身を立てようと志す青年ジュードは、ことあるごとに自らの本能によって呼び覚まされる欲望によって裏切られ、挫折し転落していく。この作品によって極限まで達したハーディのペシミズムは、世の読者からの非難を散々に浴び、筆を折った。
 『ウェセックス詩集(Wessex Poems and Other Verses,1898)には51編の詩が収められているが、その中にはごく初期のものまで含まれている。彼の文学活動は詩作からだったのだが、詩集が出版されたのはこの時が初めてであった。詩集では他に『過去と現在の詩集(Poems of the Past and the Present,1901)、『時の笑い草(Time's Laughingstocks,1909)、『境遇の風刺詩(Satires of Circumstance,1914)、『幻の瞬間(Moment of Vision,1917)、『人間の見世物(Human Shows,1925)、死後出版の『冬の言葉(Winter Words,1928)などがある。
 『覇者(The Dynasts,1903~1908)はかねてから興味を覚えていたナポレオン戦争に関する資料を丹念に集め、じっくり構想を練って書かれた作家人生の集大成とも言うべき大作詩劇である。第1部が1903年、続いて第2部が1906年、第3部が1908年に完成したが、着想から完成までは実に32年を費やしたという。ナポレオン、ピット、ネルソン、ウェリントンなど各国の指導者たちと、名もない一兵卒や農民、民衆などを巧みに対比させ、無益な権力闘争によって無名の人々が踏みにじられることを表現し、歴史と運命に対する作者の人生観を明らかにした。




最終更新:2008年07月01日 19:13