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##ネタバレ(ほとんどオーラスまで)注意!##

指標を簡単に。

すごく:非エロ
やや:欝

実に自己満なお話を読んでくださった方、どうもありがとうございました。
とりあえず満喫したので次からは普通のエロ書きます。

最後に、斑鳩の便利リンクなどを。

動画
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm5816012

Final chapter [輪廻 Metempsychosis]


■2月14日18:34 H国海防軍正規空母“鶉”艦長室

「――艦長、彼らの提案を、どうされるおつもりなのですか」
「どうもせんよ。我々はただの軍人に過ぎん。この国では、軍人の指揮を執る
のは国法が定めた文民だ。あやつらに指揮権はない」
「は、はあ。仰るとおりですが」
「それに、そもそも我々では竜には勝てん」
「しかし」
「もちろん、非常事態となれば民間人の救出に最大の努力を払わねばならん。
それだけは心しておいてくれ、副艦長」
「イエス・サー。ですが、その、お言葉ですが」
「なぜ儂が勝てないと言うのか、わからんか」
「……はい。本艦には最新鋭の軍事衛星、“不動明王”のコントロール権があ
ります。巡航ミサイルも十分なストックを持っていますし、護衛となる飛行隊
は高い錬度にあります。むしろ我々が先制攻撃に参与しないことによって、民
間人への最終的な被害は拡大するものと推測されます」
「最終的、と言うかね。最終的には人間はみな死ぬ」
「それは極論です」
「いいかね、副艦長。覚えておきたまえ。人間が犯す最大の過ちは、いつだっ
て『緊急時における特別な措置』から始まるのだ。それは、臨機応変とは異な
る。臨機応変というのは、十全な準備があった上で、準備の範囲内で対応を変
えることを言う。準備の範囲を超えるのであれば、それは負け惜しみの無駄な
足掻きと言うのだ」
「……は、心します」
「すまんな、年寄りはすぐに説教臭くなる。それよりどうかね、将棋でも一局、
打っていかんか」
「申し訳ございません、まだ軍務中ですので」
「仕方ないな。またコンピューター相手とするか」
「失礼いたします」
 副艦長が敬礼して出て行くのを、艦長は退屈げに見送る。だが艦長室の扉が
閉められたあとも、艦長の視線は扉を見つめたままだった。彼はしばらくそう
していたが、やがて手元のコーヒーカップに手を伸ばす。
「まったく。臨機応変についてのお説教をしたばかりだというのに、臨機応変
な対応ができんとは」



■2月16日04:43 防衛戦線中央司令室

「その後、α6からの通信は?」
「約51時間前にアクセスを試みた形跡がありますが、それが最後です」
 乱雑に散らばった書類が層を成しているテーブルを前に、エメルは厳しい表
情で立っていた。
「α6の現在位置は」
「追跡不可能」
「なんだと?」
「約60時間前から、彼ら自身に搭載された通信機からのパルスが、まったく感
知できません。こちらのセンサーにも反応なし」
「なぜ報告しない!」
「問題発生時に報告されています」
「――そうか、すまない。彼らが任務遂行不能状態になっている可能性は?」
「計算不能。データが少なすぎます」
「分かった。H国の動きは」
「探知不能」
「――後手を踏みすぎているな、我々は。連絡途絶時のデータと、51時間前の
アクセス記録を見せてくれ」
 エメルの手元にあるディスプレイにデータが並んでいく。とても人間の眼で
は追えない速度だが、彼女はそのすべてを理解しているようだった。
「第6軍を緊急動員しろ。どれくらいかかる」
「18時間以内に75%が動員可能です」
「十分だ。第6軍に命令、ヘイズおよびH国の竜を攻撃する」
「ですが――」
「評議会の意向など知ったことか。今動かなくては間に合わん。タケハヤは回
復したか?」
「アイテルからの報告では、まだ不十分だと」
「タケハヤに第6軍の指揮を任せる。4時間以内に出頭させろ。それから、基地
の全員に通達だ。第6軍の上陸から24時間以内に、本部をH国首都に移転する。
引越しの準備を始めろ」
「アイ・サー」
 無表情なオペレーターたちが、命令を伝達していく。エメルは重いため息を
ついた。30分とたたないうちに、ヒステリーを起こしたアイテルを引きずって
タケハヤがここに来るだろう。鎮静剤を用意させるか? いや、無駄だ。まっ
たく、なぜこんなことまで考えねばならん。
 エメルは歯を食いしばると、拳を固めた。
「敵は、竜だ。我々は断固として彼らを殲滅する」



■2月17日12:23 H国山岳地帯

 4人の男女が、崖の上にいた。全員匍匐体勢で、カモフラージュネットを被
っている。
「シュヴァルツ、あれがヘイズさんのお宅の入り口だ。分析しろ」
「分析中です――熱探知の結果から、地下5階前後まで掘り下げてあると推定
されます」
「思ったより浅いな」
「各フロアの床厚は相当のものです。ちょっとした核シェルターですよ」
「そこはまあ、想定済みだ。念のため聞くが、例のアレが貫通しない確率はど
れくらいある?」
「ほぼ皆無です、隊長。ヘイズ本人が妨害しない限り、この程度の防壁では話
になりません」
 シンラはやや落ち窪んだ印象のある目を細め、口をへの字に結んだ。
「使わずに済ませたいもんだな」
「シンラ。迷いがあるなら、ここで引くのも勇気よ」
「それはできない。俺たちはこの国のタカ派の連中に、突入すると宣言してる。
その約束を違えれば、防衛戦線とこの国の関係はさらに悪化するだろう。俺た
ちの突入を契機として防衛戦線が上陸作戦を展開し始めた段階での、再離反ま
であり得る。やるならそのタイミングしかあり得ないからな」
「そうね。彼らは――やりかねない。でも、本当にいいのね?」
「お前らこそどうだ。状況が状況だ。一人でも拒否するなら、俺は作戦を撤回
する」
「ここまできてそれはありえないですよ。やりましょう、隊長」
「シンラの見解に賛成します。それに、タカ派のクーデターは規定の路線です。
その前にヘイズに一定以上の打撃を与えておかないと、タカ派の要請で到着す
るであろう防衛戦線の主力が、上陸中に襲撃される危険性が高まります」
 カガリは、沈黙していた。目を閉じたその姿は、まるで眠っているかのよう
だ。
「……あたしは、あなたが行くところに行く。作戦を撤回したら、あなたは一
人で突入するつもりなんでしょう? あたし、その手の後悔をするのは絶対に
イヤ」
「分かった。すまん、迷ってたのは俺だけだったみたいだな」
「いつものことじゃない。指揮官なんて迷うのが仕事みたいなものなんだから、
いまさら謝らなくていいわよ」
「りょーかい。移動するぞ。今のうちに食っとけ。18:00に作戦を開始する。1
4:00の段階でトラップを確認しておけよ」
「アイ・サー」
「で、シュヴァルツ」
「なんでしょう?」
「そこの山小屋の自販で缶コーヒーを買ってきてくれ。人数分な。俺とカガリ
は無糖のブラックで暖かいやつ。釣りはお駄賃にくれてやるよ」
「サー・イエス・サー。ふふ、なんだか遠足みたいですね」



■2月17日13:16 H国某所

 正しいか間違っているかで問われれば、儂はおそらく間違いを犯した。

 この国は、まもなくその長い歴史に終止符を打つ。その場に居合わせること
になった我が身の不幸は嘆くに値するとはいえ、それでいて自分がただならぬ
興奮を覚えていることもまた告白しなくてはなるまい。

 世界は変容している。我々が用いてきた旧式の理論は、細密化によってその
再現力を高めているように見せかけつつも、実際には偽りしか描けていない。
偽の水晶球に移るのは、何をどうしたってまがい物だ。

 時代はうつろい、世界は変わった。もはや、1/2と1/2を足し合わせる計算で
すら、かつてのような結論では間に合わぬように感じる。
 老人の妄言と思うか? 1/2と1/2を足したら1、そんなことは小学生だって
知っている、そう思うか? そう思うのであるならば、それは我々がまさに今、
限界に向き合っているということの証左だ。我々は、1/2と1/2を足した本当
の答えを、探さねばならない。人と人ならざるものを足しあわせて生まれた彼
らが、単純にそれの合計や、あるいはその合計以上以下であるといったところ
とは違う世界に飛び立とうとしているように。



■2月17日17:00ごろ H国首都

「まもなく小学生が下校する時刻となります。できるかぎり子どもたちに目を
配り、安全に帰宅できるよう、皆様のご協力をお願いいたします」



■2月17日17:58 H国海防軍正規空母“鶉”メインブリッジ
「副艦長、ちょっとよろしいでしょうか?」
「何だ」
 副艦長は何気なく返事をしたものの、電子戦オペレーターの困惑した表情を
見て眉をひそめた。
「どうも……何か妙な感じがするのです」
「感じ、ではわからん。正確に報告したまえ」
「は、はい。失礼しました。4日ほど前から、アメニティ関係のネットワーク
が重くなっておりまして」
「ウィルスのチェックは」
「もちろん行いました。おそらくは物理的な機材の損傷があると思われるので
すが、なにしろアメニティ部門ですので」
 副艦長の表情が曇る。アメニティ・ネットワークは、艦のあらゆる部分に繋
がっていて、部分的には戦闘コンピューターとのリンクも行われている。今す
ぐ致命的な何かが起きることもないだろうが、根が深い問題になっている危険
性はある。
「何か悪影響が出ているのか?」
「いいえ。いまのところ、若干のネットワーク遅延が発生しているだけです」
「空調関係は」
「異常ありません。緊急気密処理や、対放射能汚染対策装置にも干渉は確認で
きません」
「問題ない、ように思えるな」
「はい。しかし」
「気持ちが悪い」
「そうです。平均すると遅延は200μs程度ではあるのですが」
「……分かった。艦長に報告して、この週末のシステム再起動時に徹底してネ
ットワークの調査を行うことにしよう」
「なんだか余計な予算を使ってしまうようで、申し訳ございません」
「貴官が謝罪することではない。むしろ不具合を発見したことを誇るべきだ。
だが、次は4日前に報告するように。200μsが20μsであっても、だ」
「イエス・サー」

 耳をつんざく戦闘警報が鳴り始めたのは、まさにそのときだった。
「どうした! 何が起こった!」
 副艦長が叫ぶ。
「不明!」
「不明とは何だ! そんな馬鹿なことがあるか!」
「ほ、本艦は、攻撃を受けています! 艦橋の防御シャッター起動しました」
 艦橋のガラス窓が、一斉に真っ黒なシャッターで覆われる。
「ミ、ミサイル! ミサイル接近、フレア間に合いません! 着弾!」
 ミサイル接近の声に全員が対衝撃姿勢をとるが、船はいたって静かなままだ。
「何が起こっている! ミサイルはどうなった! 不発か?!」
「わ、わ、わかりません」
「ミサイル着弾の衝撃を検出できず。外部装甲に損傷ありません!」
「第一級戦闘態勢を宣言する。事態の把握を急げ」
「イエス・サー!」
「無駄だよ、副艦長」
「無駄とは何だ、無駄とは!……し、失礼しました、艦長。冷静さを、欠きま
した」
 いつの間にか、艦長が艦橋に置いてあったパイプ椅子に座っていた。オペレ
ーターは必死に制御卓をチェックするが、あらゆる情報が矛盾を訴えている。
混乱は広がるばかりだ。艦長だけが、一人泰然としていた。
「副艦長。いつからかな、軍人が――いや、危機に瀕した人間が、真っ先にや
ることが、電子機器のスイッチを入れることになったのは」
「艦長、申し訳ございませんが今は」
「副艦長。無駄な努力を今すぐ止めて、儂の話を聞きたまえ。そして私の質問
に答えてくれないか。
 なぜ君の部下は、いつまでもその無用の長物と向き合っているのだね。彼ら
には二本の足がついていないのか? ミサイルが着弾しただと? 君は着弾し
たという事実を、着弾衝撃だの損害自動報告だのを見て信じるのかね? 着弾
したのは、この船だ。君の身体は、着弾を感じたのか? 君はなぜ、目に見え
るものを信じずに、目に見えないものを信じようとする」
「は、はっ……それは」
「なぜ君は、君の命令を正確に伝えているという保障もないその無線機に向か
って、声をからしているのかね。冷静に観察したまえ。我々は、もう負けてい
るのだ。この船は電子的に制圧された。違うかね? だのになぜ君は、この船
の電子機材を使って命令を出そうとしてる」
「そ、それは……その、いえ、私の失態です」
「君の、ではないよ。儂のミスだ。この船には伝声管を取り付けないと聞いた
とき、もっと真剣に抵抗しなくてはならなかった。手旗信号用の旗を積まない
と聞いたとき、乗員が手旗信号を知らないと聞いたとき、儂が自分の金で手旗
を仕入れて、部下を教育すべきだった。晴れた日にでも、甲板の上で、皆で旗
を振るのだよ。楽しいぞ。だが、遅い。我々は、目も、耳も、口も失ってしま
った」
「艦長――」
 オペレーターたちは次々に報告を叫び、互いの報告を否定しあっている。艦
橋はまるで機能していなかった。
 のそり、と艦長が立ち上がる。
「儂らが未だ生きておるということ、船の指揮権すべてを奪われているわけで
はないこと、周囲に竜の気配がないこと。これらを鑑みるに、この船を乗っ取
った輩には、この国の誰とも共通しない目的があるのだろうな」
「それはつまり、まさか防衛戦線が」
「それ以外にあり得ん。しかるに彼らの軍隊の姿も見えぬことを考えれば、お
そらくはあの政治屋どもが言っていた、『防衛戦線の使者』とやらが仕組んだ
のではないか」
「そんなことが可能なのですか? 彼らはたった4人であるという情報が」
「飛行機をハイジャックしてビルに突っ込むには、テロリストが4人いれば十
分だった。まあ、いい。犯人探しをしたところで詮無いことだ。今は、我らに
できることをしなくてはならん」
「は、はい。しかし」
「どれどれ、そこの女の子、ちょっとそのテーブルの上に登らせてもらうから、
場所をあけてくれんかね。それから、この無意味な防御シャッターを開けてく
れ。今すぐにだ」
「その席を外せ。艦橋の防御シャッターを開けろ。偏光設定も解除だ、急げ!」
 オペレーターたちが機材と5分ほど格闘して、ようやく艦橋のシャッターが
開いた。混乱は、飛行甲板にも広がっている。あちこちでパイロットと整備員
が口論し、なかには殴り合いの喧嘩をしている者もいた。
 艦長はオペ卓の上に立つと、甲板の上を眼で追う。と、誰かの姿を見つけた
ようで、手を振った。そして一呼吸置くと愛用の双眼鏡を目に、なにやら複雑
な身振り手振りをする。
「……艦長は、その、何をやっておられるのでしょう……?」
 席を失ったオペレーターが不安そうに副艦長に囁く。
「おそらく、甲板にいる誰かと手話で通信しているのだ。原始的だが――クソ、
艦長が何を伝えていらっしゃるのか、私にはわからん。なんということだ」
「わ、わたしも、ハンドサインを覚えたほうがよかったのでしょうか」
「貴官が、ではない。我々全員が、だ。なんと――なんという、ことだ。艦長
の仰られた通りだった。我々は、戦争などできる状態ではなかった」

 しばらくして、艦長は机から降り、盛大にため息をつく。
「話はつけた。飛行甲板は儂の代理が仕切る。艦載機を対竜装備に換装、順次
発艦させる」
「か、艦長、お言葉ですが、それは」
「できる。飛行甲板のエレベーターはシステムが独立しておる。弾薬庫周辺の
機材は完全に独立させるべし、と儂が強硬に主張したからな」
「申し訳ございません、存じませんでした――」
「暇ができたら、一歩でも多く艦内を歩いておくことだ。散歩がてらにな。健
康にもいい」
「赤恥ついでに伺いたいのですが、飛行甲板で艦長の代理を務めてられている
のは、どなたでしょうか」
「おお、そうだったな。勝手に人事を差配してしまってすまんの。甲板を仕切
っているのは、ナナミ二等海兵だ」
「ナナミ――二等海兵?」
「おうよ。名前に聞き覚えくらいあるだろう」
「――いえ、二等海兵となりますと……しかし、ナナミ――ま、まさか、その、
本艦の設計者の、ナナミ博士ですか!?」
「ああ。途中で主任設計者を外されてしまったがな。儂の力不足だ。しかし奴
は最後まで『自分の船』を見届けると言い張ったから、1週間ほど前に儂のコ
ネで乗船させておいた」
「こうなることが、わかっておられたのですか?」
「ナナミの奴は予想しておったよ。だが、儂がタネを仕込めたのはここまでだ。
ここから先は、英雄様たちのお慈悲にすがる以外、できることはない」
「そ、そんな、この絶望的な状況で、艦載機だけでも救出できるなど、そのほ
うがよほど英雄的であります、艦長」
「絶望か! いいかね、こんなものはまだまだ絶望的な状況とは呼ばん。
 おっと、どうやら次のリクエストが届いたようだな。ふん、派手にやってく
れる。ここまでおおっぴらに負けると、いっそすがすがしいというものよ」
 艦橋の統合ディスプレイに、赤い文字が浮かんだ。全員がその文字を見上げ、
そして呆けたように口を半開きにする。

 カウントダウンが始まった。



■2月17日18:26 H国山岳地帯
 ヘイズが根拠地としている穴倉には、一面にフロワロの花が咲き乱れていた。
人間の侵入を阻むのであれば、これが一番面倒がないということだろう。もっ
とも、ここの主人はフロワロだけでは飽き足らなかったのか、入り口付近には
いかにも剣呑そうな雰囲気を漂わせる竜が守りを固めている。
「ヴァイス、着弾まであとどれくらいだ」
「1分以内です。誤差30秒前後」
「オーケー、そろそろ衝撃に備えろ」
 そのとき、地平線の彼方で何かが光った。遠目には数機の飛行機が飛んでい
るように見える。見張りに立っていた竜たちが、威嚇するような顔になって、
飛翔体群を睨みつけ――

 次の瞬間、天と地がひっくり返った。

 正規空母“鶉”から発射された巡航ミサイル6発は、ヘイズの基地の地表部
分を一瞬で焼き尽くした。地上にいた竜たちは、悲鳴をあげる時間すら与えら
れなかった。音速を超える速度で飛来した裁きの矢のうち、数発は最後の最後
で急上昇し、そのまま急降下するように軌道を変更、大地に深々とした穴を抉
る。

 崖の上で着弾を観測していたシンラたちは、想像した以上の破壊力に一瞬絶
句したが、次の瞬間には翼を生やしたシンラにつかまって全員が宙に舞い上が
っていた。
「すげえな、こりゃ。さすが一発2億だけのことはあるぜ」
「そんなするの!? じゃ、じゃあ今の一瞬で12億!?」
「おう」
「なんかもう、一生分の浪費をした気分」
「給弾システムがジャックできれば第二波も撃てたんですが」
「十分だ。これ以上は俺ら庶民には弁償しきれん」
「今だって無理でしょ、12億なんて」
「連帯責任って言葉があってな、一人4億だろ、頑張ればもしかして……と、
あの穴から中に入るぞ。環境シールド起動まで3秒。起動、いくぞ!」
「アイ・サー」
 彼らが突入した先は、闇に包まれた通路だった。ミサイルは地下2階までの
ショートカットを作ってくれた一方で、爆心地近くは天井の崩落も激しく、あ
まり安全とはいえない状況だ。
 それでもなんとかシュヴァルツが瓦礫の隙間を見つける。シンラが通り抜け
るのに一苦労したものの、辛うじて彼らはヘイズの拠点内部への侵入に成功し
た。さすがに、彼らの表情からも余裕の色は消えている。ここは文字通りのパ
ンデモニウムであり、ヘイズが待つであろう最下層までは地獄と遜色のない世
界が待ち受けていることを、彼らは知っていた。
「シンラ、やばいのが来る気配がする」
「ヴァイス、シュヴァルツ、周辺警戒だ。カガリ、ステルスモードを起動」
「ステルスモード起動完了。ダメね、こっちに来てるみたい」
「余計な雑魚がついてこないだけでも十分だ」
「隊長、敵影確認。データにはないタイプです」
「わかるのは、厄介だってことだけか。二人とも、正面を取るなよ。俺が攻撃
をひきつける。あとはいつもどおり、だ。武運を」
「ご武運を」
 じゃらり、じゃらりと、鎖を引きずるような音ともに、闇の向こうから巨大
な刀身を模したような姿の竜が現れる。シンラは理力楯をかざして走り、ヴァ
イスとシュヴァルツはその姿を闇へと溶かした。カガリは精神を安定させる効
果のあるフィールドを展開していく。
「来い、バケモノめ! 貴様のその刃が伊達じゃねえってなら、かかってくる
がいい!」
 シンラが咆えるように絶叫する。

 かくして、絶望的な消耗戦が幕をあけた。



■2月17日21:48 H国山岳地帯
「……! ……ラ! シンラ!」
 耳元で自分の名前を呼ぶ声を聞いて、シンラは意識を取り戻した。頭蓋を捻
じ曲げるような鋭い頭痛と、全身を苛む鈍痛に、顔をしかめる。
「クソ、頭ん中で……魔女の婆さんが、ルンバを踊って……やがる。状況の、
報告を」
「仮称『ヘイズ・シールド』は倒したわ。あの壁みたいな奴。あなたは最後の
一撃を受けきれなくて、私の治療も間に合わなかった。幸い、ヴァイスとシュ
ヴァルツのカウンターで始末できた。あなたは心肺停止状態だったけど、蘇生
を試みて、今ようやく成功したところ」
「死んでたのか――どうりで」
「精神汚染が進んでる?」
「――脳みそを、万力にかけてる、みたいだ。っと、シュヴァルツ、絶対に―
―共有回路を、開くなよ? 発狂しかねん」
「で、でも」
「すまん、時間がないのは、わかってるが、1分だけ、休ませてくれ。それか
ら、動こう。ステルスモードは――維持、できているな? 環境シールド、は、
今ちょうど……動かしたところだ」
 シンラは荒い息をついて、背を壁にもたれかからせる。カガリは彼の額に手
をあて、僅かでも苦痛を緩和しようと治療フィールドを活性化させた。ヴァイ
スとシュヴァルツは不安そうな顔でそれを見守っている。

 彼らは、限界に達しつつあった。

 もとより彼らは敵陣に深く潜入し、そこで長期間活動することを前提に編成
されたチームではあったが、この場所は彼らをして常識外れの消耗を強いられ
る場所だったのだ。治療フィールドを維持しているカガリも顔面は蒼白で、ヴ
ァイスとシュヴァルツは全身のあちこちに怪我が目立つ。
 だが、一番状態が悪いのはシンラだ。彼が生きているのは、皮肉にも、意識
を失ったことによって体内の竜が活性化したためだ。その代償は大きく、彼の
右手は竜のような鍵爪に変形したままになっている――もっとも、そういうこ
とがあり得るから、彼らは時代錯誤にも思える剣や斧といった武器を得物とす
るのだが。
「あと……どれくらいで……ゴールだ」
「現在のペースで進軍した場合、推定で2時間です、隊長。敵の襲撃が激しく
なることは予想できますので、3時間はかかると思われます」
「3時間は……まずい」
「なるべく戦闘を避けるしかないわね」
「だな……よし、オーケー……動ける」
 シンラはよろよろと立ち上がった。どうみても大丈夫ではないのは明らかだ。
しかし、彼にはそれしかなかったし、チームメイトにしてもまた先に進む以外
の道を持ち得なかった。

 だが、ヘイズが用意した防御網は、疲弊しきった彼らに追い討ちをかけ続け
た。シンラの護衛能力は、レーザーですら「見てから止める」と言ってはばか
らないほど高度なものだったが、『ヘイズアーム』と名づけられた巨大な剣型
の竜が振りかざしてくる一撃は、彼をして片膝をつかせる威力がある。
 さらに問題になったのが、『ヘイズシールド』だ。ヴァイスとシュヴァルツ
が振るう、単分子ワイヤをコートしたナイフは、あらゆる竜の装甲をやすやす
と切り裂くが、この巨大な壁にも似た竜は彼女らの一撃を受けてなお平然とし
ていた。大地をゆるがすような衝撃波は彼らを打ちのめすのに十分な破壊力を
持ち、身をもってその攻撃を受け止めるシンラはほぼ常に極限状態での戦いを
強いられている。
 連戦に次ぐ連戦のなかで、一番焦りを感じていたのはカガリだ。彼女は数回
に渡るヘイズシールド戦の中で、彼女の内に潜む竜が持つ力をほぼ使い切って
いた。竜の力を借りて医療用ナノマシンを通常の100倍近い効率で働かせるそ
の技は、文字通り奇跡そのもののような威力を発揮するが、この「奇跡」には
タネも仕掛けもあるぶん行使できる回数に限界がある。

 それでも、彼らはひたすらに前に進んだ。群がる敵をなぎ倒し、切り払い、
叩き潰して、返り血と自らの出血に塗れながら、ただ、前に進んだ。誰一人と
して、絶望の言葉を漏らすものはいなかった。彼らには、勝利か、さもなくば
死しかないのだから。

 ――だが、ついに彼らの足が止まった。地下5階、ヘイズが待ち受けると推
測されるフロアに下りる階段の前に、ヘイズシールドが鎮座していたのだ。シ
ンラは音速で振動する刃を備えた剣を起動しようとして、カガリにその手を止
められる。誰もがわかっていた。やれば、倒せるだろう。けれどそれは、ほぼ
相打ちに等しい勝利になる。ヘイズに立ち向かう余力は一滴たりと残るまい。

 彼らは来た道を若干引き返し、そして、誰からともなくその場に座り込んだ。
「……俺が、あいつを引きつけよう。お前らはヘイズを直撃するんだ。それ以
外に手はない」
「シンラ、それは無理です。シンラのサポートがなければ、私たちは一瞬で殲
滅させられてしまいます」
「わたしも同意見です。あれを全員でなんとかするほうが、任務達成の可能性
は向上します」
「それで、全員でヘイズの顔を拝んで、一斉に死ぬか?」
「それは……」
「シンラ、落ち着きなさい。この子たちの言う通りよ。シンラ抜きでヘイズと
対峙しても、あたしたちには何もできない」
「じゃあみんなでここで死ぬのか?」
「――シンラ。あたしに作戦がある。ただし、成功する確率はかなり低いわ。
それでも、成功すれば全員がほぼ無傷であそこを通り抜けられる。どう?」
「勿体ぶるなよ、プランを話してくれ」



■2月17日23:19 H国山岳地帯
 彼らは、ヘイズシールドの近くまで忍び寄った。ヘイズシールドがさほど高
度な知覚能力を持っていないのは、これまでの戦闘で確認している。
『始めよう。準備はいいな?』
『……アイ・サー』
『いいわ』
 シュヴァルツが熱光学迷彩を起動する。彼女の姿が闇に溶けた。
『いきます、カガリさん』
『ひと思いにお願いね』
 ヴァイスはきっと奥歯を噛みしめると、ナイフを閃かせた。音もなくカガリ
の左手が付け根から切断される。間髪いれずカガリは医療フィールドを起動、
大量出血を抑止した。
 シュヴァルツは(傍目には透明人間だが)切断されたカガリの腕を握ると、
通路に飛び出し、ヘイズシールドに向かって投げつける。

 ヘイズシールドは、突然、自分の目の前に投じられた人肉の断片を見つけた。
「この状況で、何の前触れもなく人間の肉が放り出されるなど、罠以外にあり
得ない」という思いと、「ひさびさのご馳走だ」という本能が交錯し、一呼吸
ほど闘争を繰り広げた結果――本能が勝利した。
 ほんのちょっとだけ。ほんのちょっと、目の前の肉を拾って食うくらいのこ
とで、何が変わるだろうか!
 ヘイズシールドは触手をはためかせ、カガリの腕を拾い上げた。

 その瞬間、翼を展開していたシンラは、3人の仲間をぶら下げ、ヘイズシー
ルドの上にわずかに生まれた空間に飛び込む。触手が侵入者を叩き伏せるべく
振り上げられるが、間に合わない。コンマ数秒の差で、シンラたちはヘイズシ
ールドの頭上をフライバイすることに成功していた。
 階段に着地したシンラたちの背後で、怒りの咆哮が響く。シンラは3人をぶ
らさげたまま、躊躇なくもう一度宙を舞った。飛ぶというよりは、ジャンプす
るのに近い。あちこちの壁に派手に身体をぶつけながらも、彼は長い階段をす
さまじい速度で降下していった。徐々に咆え猛る声が遠くなっていく。

「ここ、が、最下層、か――カガリ、大、丈夫、か?」
 カガリの白い顔は、輪をかけるように蒼白になっていた。出血を止めた直後
の激しい運動で、塞いだばかりの傷が開いたのだ。医療フィールドによる治療
で出血を食い止めているが、またいつ傷口が開いても不思議ではない。
「酔った。でも大丈夫」
「は、は、す、まん――な」
「あなたたちは怪我はない? ひどい運転だったから」
 カガリが床にしゃがみこんでいるヴァイスとシュヴァルツに声をかける。
「だ、大丈夫、です」
「……うう、ちょっと酔いました……」
「あなたこそ大丈夫、シンラ? こんなに長時間翼を出してる予定じゃなかっ
たのに」
「大丈夫、ダ。っく、どこガ、だな、クソ。侵食、されテ――いく、のガ、止
まラん」
 シンラの呂律が怪しくなってきた。カガリは、彼の舌が爬虫類を思わせる尖
り方をしていることに気がついく。シュヴァルツがシンラに手を伸ばすが、カ
ガリが慌ててそれを止めた。
「やめなさいシュヴァルツ。いま何の外部サポートもなしにシンクロしたら、
即死しちゃうわ。シンラ、翼を戻せない?」
「……だめ、っポい、な。急ゴ――う。ソれしか、なイ」
 シンラの両手は、完全に竜のそれに変化していた。顔にも鱗のような模様が
浮かび上がっている。裂けたボディーアーマーから垣間見える皮膚は、やや緑
がかって見えた。一歩を踏み出そうとして、よろける。背骨も微妙に変形して
いた。
「シンラ……」
「ダいジょうブ、だ――
 雨の、よウナモ……のさ、やガ――ては、過ギ去、ってイく。そンな、こと
モアッタ、なト、思イ出し――消えテいク……
 さあ、イく、ぞ、コれが、ラス、と、ダ」
「ええ――いきましょう」
 あたかも竜のように、やや前のめりの姿勢で歩くシンラの後を追いながら、
カガリは心の中で絶叫した。
 これが、人類の業だとでもいうの!? 竜に会っては竜と成りてこれを殺し、
人に会っては人と成りて人を殺す。それが、そんなことが、人類の歴史だとで
もいうの!?
 彼女は情動制御回路をコールし、とめどなくこみ上げてくる感情を押し殺し
た。今は、泣くなどという贅沢は許されない。そしてきっと最期まで、そんな
贅沢は、仲間たちの誰にも許されない。

 ならば――ならば、それでいい。涙を流すのは、別の人に任せよう。
 あたしたちは、血を流すので十分なのだから。



■2月17日23:37 H国山岳地帯
 地下5階には、敵の姿は見えなかった。フロワロは咲き乱れているが、シン
ラが放出する環境シールドが彼らを守っている。4人は真紅の花畑を踏みしめ
ながら前進し、やがて通路の突き当たりにある巨大な扉の前にたどり着く。
「これ、かしらね」
「間違いありません。内部から強烈な竜の反応。ヘイズか、さもなくばヘイズ
級の竜である確率は95%を越えています」
「ヘ、いズ、だ、よ――オレには、わカる。ヨんでルのが、きこエ、ル」
「『良くここまで来たな、虫けらども。褒めてやろう』って感じ?」
「せイかイ」
「お呼ばれとあっては仕方ないわね。行きましょう。覚悟は――いいわね?」
「はい。想定よりも我々の消耗は小さいです。現時点での任務達成確率、3%」
「お姉ちゃん、もうちょっとサバ読もうよ。マニュアルにも、士気が鼓舞でき
ることが予想されるならば倍くらいまでは嘘を言っていいと書いて」
「あー、もう。元気ね、あなたたち。
 ……さ、みんなやる気マンマンみたいだし、始めましょうか、シンラ」
 シンラは無言でドアに力を込めた。音もなく、扉が開いていく。

 扉の向こうは、広大な空間が広がっていた。打ちっぱなしのコンクリの壁が
寒々しさを感じさせる。天井は高く吹き抜けていて、この部屋の主が悠々と過
ごせるだけの空間が確保されていた。
 部屋の真ん中には、全身を武装した巨大な竜の姿があった。どこかぬめりを
帯びたメタリックな輝きは、竜と人間の技術を融合させて作った合金だろう。
あちこちに大口径の機関砲がマウントされている。

「良く来たな、人間ども。ちょうど退屈していたところだった。ここまで来れ
るとは思っていなかったが、少しは楽しませてくれそうだな」
「月並みな脅し文句ね」
「貴様らの『月並み』は、我々が作ったものだ。所詮、貴様らは我らの餌よ。
ニアラの命令ゆえ、やむなくつまらん政治屋の真似事をしていたが――今日で
終わりにしても良いというわけだ。貴様らは、祝杯代わりにしてくれよう」
「御託は十分よ。政治屋みたいに無駄口叩いてないで、ちゃっちゃとやること
をしましょう」
「いいだろう。安心しろ、すぐには殺さん」

 4人は一斉に散開する。シンラは剣と楯を構え、カガリは片手に拳銃を抜い
た。ヴァイスとシュヴァルツの手には、鈍く光るナイフ。
『ヘイズは強力なECMを展開している。可能なタイミングがあれば、ECMを潰し
ていけ。うまくいけば、“鶉”からの支援砲撃が期待できる。奴がここから逃
げ出した場合も、追跡が容易になる』
 シンラが生体通信で指令を下す。3人は、シンラの内部で渦巻く狂気を通信
ごしに感じ、彼が生体通信においては普段と変わらない口調を保てていること
に改めて驚嘆していた。
 ヘイズが30ミリ機関砲を乱射する。あちこちでコンクリがえぐれていくが、
カガリへの着弾はすべてシンラがカバーしている。ヴァイスとシュヴァルツに
は、かする気配すらない。
 シンラが左手に持つ楯は、実体としての楯ではなく、空間の連続性を量子論
的に遮断する兵器だ――その威力と効果範囲は、彼の内部に渦巻く竜の力に比
例して大きくなる。
 シュヴァルツとヴァイスが熱光学迷彩を起動する。彼女たちの姿が消え去っ
た。カガリは自分とヘイズの間に常にシンラが入るような位置をキープしなが
ら、空間全体にナノマシンを発散させていく。
 銃撃では埒があかないと悟ったヘイズは、まずは邪魔な壁を排除すると言わ
んばかりに、シンラに向かって巨大な鉤爪で襲い掛かった。
 が、その懐でシュヴァルツの姿が実体化する。カウンター気味に打ち込まれ
た一撃は、ヘイズの装甲をやすやすと切り裂き、傷跡からは緑の体液が噴出し
た。一瞬の隙もなく、ヴァイスがヘイズの背後に姿を現し、背中に搭載してい
た武装ラックを叩き斬る。火花が散って、コンデンサーが焼ける特有の匂いが
充満した。
 ヘイズは、そんな彼女たちを無視して、シンラに向かって巨大な鉤爪を振り
下ろす。シンラは楯をかざし、真っ向からその一撃を受け止めようとした。
「おおおおおオオッ!」
 シンラの雄たけびが響く。楯の構造的に、物理的な衝撃が彼に伝わることは
ない。だが楯への打撃は、そのまま彼の精神を揺さぶる。無意識のうちに彼は
両足を踏ん張り、ヘイズの巨体を支えるように全身に力を込め――

 そして――ヘイズの鉤爪は、シンラのかざした楯の前で静止した。禍々しい
色に染まったヘイズとシンラの瞳が、互いの瞳を凝視する。シンラは楯の効果
範囲をコントロールすると、空間の隙間から剣を振るう。ヘイズの鉤爪が1本、
ゴトリと重たい音をたてて地面に転がった。
 状況の不利を悟って、ヘイズは大きく飛びのく。だがそこにヴァイスとシュ
ヴァルツが襲い掛かった。彼女たちは血に飢えたジャッカルのようにヘイズの
手傷に向かって攻撃を集中するや否や、シンラの援護可能範囲から飛び出すぎ
ないように素早く後退する。ヘイズは苦痛と不快感に低く唸った。
「ここまで来るだけのことはある、ということか。面白い。面白いぞ。どれ、
その楯は初めて見るな。どんな武器なのだ」
 ヘイズがシンラを凝視する。シンラは反射的に楯で自身をカバーしたが、想
像されたような攻撃は来なかった。口から火炎もなければ、目から怪光線もな
い。ヴァイスとシュヴァルツはシンラを睨みつけるヘイズに対して更に攻撃を
加えたが、何があるか分からないという判断が彼女たちに深入りを避けさせた。

「……ふん。玩具としてはなかなかだ。どうれ、お前たちにこいつの使い方を
教えてやるとするか」
 ヘイズの正面に、空間の歪みが出現した。その中心には、シンラが持つ楯と
同じようなものが見える。
『シンラ、あれは、まさか』
『ヴァイスは分析を急げ。シュヴァルツ、無理に手を出すなよ』
 ヴァイスは軽く後退して、ヘイズがかざした楯の特性分析に入る。シュヴァ
ルツは散開して、ヘイズの隙を伺った。
「どれ、人間どもは、これをこうやって使うのだろう?」
 ヘイズは尊大に言い放つと、左の鉤爪を大きく振った。その動きにあわせて
楯が動く。本能的に危険を察知して、シュヴァルツが大きくサイドステップを
踏んで――そして突然、すさまじい勢いで跳ね飛ばされた。投げ捨てられた人
形のように地面を激しく転がり、ぴくりとも動かなくなる。
 カガリはシュヴァルツの生命機能に重大な損傷が発生したことを感知し、緊
急蘇生措置を起動した。ややあって、激しく咳き込みながらシュヴァルツが上
体をもたげる。彼女は口から大量の血を吐いていた。ヘイズは彼女を踏み潰そ
うと突進したが、行く手をシンラに阻まれる。
『分析完了、あれはシンラの持っている理力楯とまったく同じものです!』
『そんな。あの楯は最高機密クラスの』
『事実は変えられん。シュヴァルツ、動けるか?』
『大丈夫です』
『二人で180度逆側から攻撃を続行しろ。この楯は、ニ方向を同時には止めら
れん。殴りつけてくるようなら、俺がフォローに入る』
『アイ・サー』

 戦況は彼らにとって一気に悪化した。ヴァイスもシュヴァルツも、あの一撃
があることを前提にすると、思い切った踏み込みができずにいる。シンラもま
た、チームの打撃力である彼女たちの半分を封じられた上、いつどちらが狙わ
れるか分からない状況にあって、思うようなポジショニングができずにいる。
カガリは治療と回復フィールドの維持にかかりきりだ。
「ハッ、どうにも飽きてきたな。ニアラの好物でも試してみるとするか」
 ヘイズは楯を防御的にセットすると、高らかに咆哮する。その身体が青白い
光に包まれた。
『シンラ、ヘイズが回復フィールドを張ったわ』
『カガリ、こちらの打撃速度と、やつのフィールドの回復速度を比較しろ』
『ヘイズの回復力の方が上よ』
 シンラの顔が険しさを増す。今のところシュヴァルツが一度大打撃を受けた
以外、失策といえる失策はないものの、このままではジリ貧だ。それに全員が
無視しようと務めているが、ここまで来る間に彼らが負ったダメージは深い。
どこかで誰かの緊張の糸が途切れたが最後、一瞬でチームは全滅しかねない。
 シンラはヘイズが次々に繰り出す攻撃を捌き、受け止め、チームに指示を下
しながら、打開策を考え続けた。だが少しずつ、頭の回転が散漫になっていく。
竜の狂気は、戦闘という好物を与えてなお、彼の内面を激しく蝕んでいた。

 集中を途切らせないように、途切らせないようにと意識しながら戦うシンラ
に、再びヘイズの鉤爪が振り上げられた。気を引き締めなおして、鉤爪のコー
スを読み、楯を構える。図体が馬鹿でかいぶん、フェイントだの攻撃の変化だ
のを考えなくてもいいのはありがたい――
 次の瞬間、シンラは壁に叩きつけられていた。脊髄が軋み、息がつまる。カ
ガリの叫びが彼の脳裏に木霊する。
 地面に倒れたシンラの耳に、ヴァイスの悲鳴が聞こえた。立ち上がろう、立
ち上がらなくてはならない。どんなにそう念じても、彼の身体はまるで動かな
い。むっとする血の匂いが鼻をつく。



■2月17日23:46 H国山岳地帯
 カガリは、シンラが見当はずれなところに楯をかざしたのを見て警告の声を
あげたが、間に合わなかった。精神汚染が、彼の視覚に再び影響したのだ。ヘ
イズの鉤爪に直撃されたシンラは戦闘続行不能なダメージを受け、そしてカガ
リが動く隙もなく尻尾の一撃がヴァイスを捕らえた。装甲版がヴァイスの首筋
から右顔面をざっくりと切り裂き、彼女は脳震盪と出血性のショックでぱたり
と仰向けに倒れる。
 チームが半壊する事態にあってなお、カガリは落ち着いていた。意識を集中
させて自分の内に眠る竜を刺激すると、大気中に散布しておいた治療用ナノマ
シンを一気に活性化させる。シンラは本能が命ずるままに立ち上がり、ヴァイ
スもまた、片目は失ったままだがショック状態からは脱した。
 シンラは翼を羽ばたかせると、一足で戦線に復帰する。シュヴァルツを狙っ
たヘイズの一撃は、彼の楯が食い止めた。そしてチームは再びシンラを中心と
したフォーメーションを組みなおす。ヴァイスの顔に刻まれた深い切り傷は、
カガリが展開した回復フィールドによって迅速に修復されていった。

 カガリは、内心で敗北を意識し始めていた。今の「奇跡」で、奇跡のタネは
打ち止めだ。あと1回、なんとか捻出できないことはないが、そのためには彼
女の内なる竜を無理矢理たたき起こす時間が必要になる。現状、そんな時間的
余裕はどこにもない。
 だがそれでも、彼女は諦めなかった。チームの誰か一人でも諦めれば、その
諦観はチーム全体に波及する。決壊寸前まで追い込まれた状況であるとはいえ、
そんな無様な最後を迎えるなどということは、彼女のプライドが許さなかった。
 無意識のうちに下唇を噛みしめていた彼女の脳裏に、シンラの声が響く。

 シンラは、事態の打開策を悟っていた。実のところそれは、ヘイズがあの楯
を出現させたその瞬間から、彼の脳裏によぎっていたものだ。しかしそれはあ
まりにも馬鹿げた、リスキーな策であり、彼はそれを竜の狂気の産物として却
下してしまっていたのだ。
 そして今、彼は奇妙に冴えた頭の中で、その直感が正しかったことを――正
確には、それ以外の手がないことに気づいていた。
 ヘイズの猛攻を受け流し、チームのカバーに走りながら、彼は作戦展開図を
脳裏にまとめ、生体通信で画像を共有させる。彼の内側で一層激しく荒れ狂う
竜の狂気は、あわや画像リンクに接続したチーム全員の脳を焼くところだった
が、それでも彼らはそのプランが勝利に続く唯一の小道であることを直感的に
理解した。
 そしてシンラは、このプランの要となる一手が打てるのかどうか、カガリに
問い……

 ――カガリはただ一言、「できるわ」と答えた。



■2月17日23:47.5 H国山岳地帯
 彼らはフォーメーションを変更し、攻撃正面を固定した。ヴァイスとシュヴ
ァルツは同じ方向からヘイズに襲い掛かり、巧みなフェイントとコンビネーシ
ョンで楯による防御をかいくぐる。
 ヘイズは、シンラがやってみせたように、理力楯の一部に任意の穴を開ける
ほど扱いに慣れているわけではない。いきおい、二人の猛禽類からの攻撃を防
ごうとして楯を展開すると、攻撃は防げるがヘイズもまた彼女たちを攻撃でき
なくなる――シンラとカガリは攻撃陣の背後を完璧にキープしており、ヘイズ
はイラつき始めていた。
 かくして、ヘイズの頭に自明の結論がよぎる。二人が同じ方向から襲い掛か
ってくるのだから、その二人をなぎ倒すように楯を振ればいいではないか。ま
さに一網打尽。勘違いした小蝿二匹が壁の染みになるところは、さぞ爽快であ
るに違いない。
 このアイデアは、ヘイズを魅了した。そして、さして深く考えることもなく、
それを実行することに決める。もう勝負は決しているのだ。攻撃力を失った防
御チームだけをじっくりいたぶって殺すのもオツなものだろう――ニアラは
「この絶望感こそが、最大の美味」と言うが、一度それを徹底的に試してみる
のも悪くない。
 ヘイズは一歩後ろに下がると、執拗に追いすがるヴァイスとシュヴァルツに
向かって楯を振り上げ、そして、全体重を乗せて振り下ろした。

 そのとき、シンラが飛び出した。彼は楯を可能な限り広げると、ヘイズの楯
に向かって叩きつける。

 突然、ヘイズは自分が罠にかかったことを知った――そして、罠から逃れる
にはもはや手遅れだということも。

 量子化された二つの隔離空間が、凄まじい速度で衝突する。

 ひとたび、その2つは何事もなかったかのように互いを通り抜けさせ、
 しかし本来そのようなことがあり得ないということを思い出したかのように
激しく排斥しあい、
 そんなこともあっていいんじゃないかと言わんばかりに空間があいまいに捻
じ曲がり、
 負荷に耐えかねた空間そのものがガラスのように砕けて、
 風景そのものが細かく舞い散り、降り積もっていき、

 そして、一瞬でも不可能が可能になったことを糊塗するかのように、現実世
界において大爆発が起こった。



■2月17日23:48.2 防衛戦線中央司令室
「エメル総指揮官、H国にて空間断裂の振動が確認されました」
 珍しく、オペレーターが緊張した表情を浮かべる。
「シンラだな。無茶をする。本当に、無茶をする」
 タケハヤが呟く。
「振動だけか。ふむ、我々が幸運だったのか、それとも彼が不運なのか、判断
に悩むな。私の試算では、空間断裂が共鳴して、7割程度の確率で地球がブラ
ックホール化するはずなのだが」
 エメルが悠然と言う。
「モニタを続けろ。今のはただの――ただの、『臨機応変』の範疇だろう。あ
いつらの蛮行が、この程度で終わるとは思えん」



■2月17日23:49 H国山岳地帯
 カガリは、シンラのダッシュにあわせて大きく後退すると、対量子障壁を展
開していた。爆発の威力は凄まじく、彼女は派手に吹き飛ばされ、左肩からは
大量の出血が始まったが、それでもなんとか彼女は生きていた。第一段階はク
リアだ――そして、彼女にとってのすべてのステップはクリアされた。
 爆発の粉塵が吹き上がるなか、彼女のセンサは仲間の命が重篤な危機にある
ことを探知し、脳に埋め込まれたプラントはその情報に基づき自動的にアドレ
ナリンを噴出させる。

 ――まったく、あんな大爆発に巻き込まれて、身体が残っているってほうが、
そもそも奇跡よね。ま、シンラが守ったのだろうけど。

 唐突に、妙な嫉妬心がカガリの心をよぎる。まったくもう、あたしのことは
守ってくれないんだから。
 この期に至って自分がそんな感情を抱くことに苦笑しながら、カガリは自分
の内なる竜を覚醒させるべく集中する。粉塵の向こうで、深手を負ったヘイズ
がゆっくりと立ち上がるのが見える。
 ヘイズは苦痛の雄たけびをあげ、辛うじて生き残っていた30mm機関砲をカガ
リに照準した。禍々しい銃口が、カガリを捕らえる。

「それ故に……悔いの残らぬよう、やり遂げなさい。我、生きずして死すこと
なし。理想の器、満つらざるとも屈せず。これ、後悔とともに死すこと無し…
…わかっていたはずだった……あたし達は、自由を見られるかしら?」

 機関砲の最初の一発が発射される前に、カガリは内なる竜の狂気を完全に解
放し、空間に残滓のように残っていた医療用ナノマシンを活性化させた。視界
の隅で、三人が蘇生したことを告げるメッセージが点滅する。

 その直後、ヘイズが放った直径3センチの弾丸はカガリの右足を捕らえ、足
そのものを吹き飛ばした。そして次の一発が左半身を直撃し、彼女の身体の半
分を大穴に変える。
 彼女は着弾の衝撃で跳ね飛ばされ、地面に転がったが、その身体が最初のバ
ウンドをする頃には既に息絶えていた。



■2月17日23:49.7 H国山岳地帯
 カガリが死んだ瞬間、意識の奥で、シンラは自分の絶叫を聞いた。それなの
に、身体はどこまでも冷静に、彼がすべきことを進め続ける。
『シンラ、制御装置の解除を申請します』
 シュヴァルツの声が聞こえる。
『解除を許可する』
 自分がそんなことを言えることが信じられなかった。一度。一度しかできな
いのだ。この意味がわかっているのか!? そう、心が叫んでいた。だが、そ
の声が心の外に出ることはなかった。
『制御装置を解除。生体の持つ特殊機能が一時封鎖されます。
 ...Good luck, Shinra』

 カガリを血祭りにあげたヘイズは、全速力で間合いを取ろうととするヴァイ
スを次の獲物と決めたのか、機関砲を撃とうとする。しかしヘイズが照準を定
める寸前、シンラはヘイズに生体通信を繋げた。そんなことをすれば普通なら
ば即座に発狂して死ぬところだが、限りになく竜に近づきつつあった彼は、そ
の不可能を乗り越えた。
『ヘイズ。神を自称する者が、人間の武器で大火傷をした挙句、それでも最後
は人間の武器頼みか。語るに落ちたとはこのことだ』
 ヘイズはぴくりと動きを止め、シンラを睨みつける。
『自称ではない。我らは人間の創造主。神そのものだ。貴様らが何をやったと
ころで、我らには勝てん』
『しゃらくさいことを言うなよ、ヘイズ。お前たちが神でなどないことは、簡
単に証明できる。お前たちは、命の危険を冒してまで、俺たちを食いにやって
きた。確かに、なかにはお前のような戦闘狂のスリルジャンキーもいるが、大
半は俺たちを食うのが目的だ。ニアラすらそうなんだろう?』
『――大半、ではないな。俺以外の竜はみなお前らを食うのが最大の目的よ。
今更、何を言っている』
『命がけで狩りをして、生きるために食う。そんな神がいてたまるか。お前ら
は、ごく普通に、食物連鎖の上のほうにいるというだけに過ぎん。この宇宙の
どこかを探せば、きっとお前らを捕食する生物だっているだろう。神だ? 馬
鹿馬鹿しい。お前らもまた、どこにでもいる、弱い生物の一員さ』
『遺言はそれだけか、餌よ。さて、いよいよもって――死ぬがよい』
『はは、俺はね、意外とお前のことを尊敬してるんだよ。お前は、あらゆる竜
のなかでただ一匹だけ、食うことよりも戦うことを好む。さぞ、肩身が狭かろ
う。だが――お前だけは、神を名乗る資格を持っていると思うぜ。たった一つ
の問題を除けば』
 ヘイズは奇妙な表情を浮かべた。あるいは、それはシンラに対する不思議な
共感だったのかもしれない。それでも、ヘイズはその感覚を無視して、機関砲
の照準をシンラに合わせた。楯を失ったシンラに、この攻撃を耐える術はない。
『なあ、ヘイズ。お前、神を名乗るには、注意力散漫過ぎるんだよ。ママに習
わなかったか? 喧嘩ってのは相手を殺すまでが喧嘩です、途中でお話し合い
なんかしちゃいけません、ってな。
 神竜ヘイズよ……そして、さようなら、だ』

 ヘイズは、はっとしたように周囲を見渡した。そういえば、あの蝿どもはど
こに――

 シンラの目の前で、白い光と黒い光が交差する。ヴァイスとシュヴァルツだ。
彼女たちは持てる身体能力すべてを解放し、目にも止まらない速さで次々にヘ
イズを突き刺し、抉り、破壊し、切り刻んでいく。
 白い光は次の瞬間に黒い光と入れ替わり、黒い光は白い光を導くように入れ
替わる。最初から人間離れした速度だったそれは、徐々に速度を上げていく。
ヘイズは必死で攻撃に対処しようとしたが、ヘイズの繰り出したあらゆる攻撃
は空を薙ぐだけだった。

 そして二人がヘイズの頭上に立って、その頭蓋にナイフを打ち込んだ瞬間、
シンラは脳裏に無機質な声を聞いた。

"System boot... Final check. Energy max"
   "2 seconds after shooting from the sword of Fudoumyouoh"

"You did your best. Was I helpful for you?"
   "I am deeply grateful to you."

 シンラは左手をかざすと、人間の理性と竜の狂気を調和させ、ドーム型の空
間遮断壁を構築する。究極を極めれば、楯は飾りに過ぎない。そう言っていた
戦士の言葉を、ふと思い出す。



 攻撃型軍事衛星「不動明王」から放たれたエネルギーの束は、大気圏を貫き、
正確にヘイズを――より正しくはヴァイスとシュヴァルツをマーカーとして、
地上を撃った。ヘイズを電子的に守っていたECMは二人の猛攻によって破壊さ
れ尽くされており、ヘイズは照準波に対し完全に丸裸だった。
 衛星に蓄積されていたエネルギーは、5層の地殻を貫通し、ヘイズを直撃す
る。シンラは、あまりのまばゆさに思わず目を閉じる。
 光の後を追うようにして高熱が押し寄せ、あらゆるものを溶かし、蒸発させ
ていった。空間障壁に守られていない世界が、瞬く間に崩壊していく。

 エネルギー照射は、プログラムどおり、正確に2秒間行われた。



■2月17日23:52.6 H国山岳地帯
 シンラが目をあけると、周囲は灼熱の地獄と化していた。彼が生きているの
は環境シールドと空間障壁が機能しているからに過ぎず、その空間障壁はまも
なく効果を終える。
 シンラは、がっくりと膝をつくと、激しく吐血した。いままさに、彼は一匹
の竜に変容しようとしている。そしてそれを拒もうとする人間の理性とのせめ
ぎあいのなかで、身体が崩壊しつつあるのだ。

 そのとき、彼の視界の隅で、大きな影が動いた。
 ヘイズは、まだ生きていた。

 シンラはぎこちなく立ち上がると、剣を構えなおす。
 ヘイズはボロボロになった身体を引きずりながら、シンラの前に立った。

 シンラは確信する。ヘイズは、本当に馬鹿なのだ。本当に、本物の馬鹿なの
だ。ほぼ竜と同化しているシンラの頭の中には、ニアラが状況の報告と至急の
帰還をヘイズに求める声が響いている。
 だが、ヘイズはシンラの前に立った。

 シンラは確信する。俺は、本当に馬鹿なのだ。本当に、本物の馬鹿なのだ。
ヘイズには、もうまともに動く力は残っていない。このまま頭上に空いた大穴
に向かって飛べば、俺は生き延びる。
 だが、シンラはヘイズの前に立った。

 言葉は、必要なかった。

 ヘイズはいまだに燃えている己の鉤爪を、緩慢な動作で振りかざす。シンラ
は、両手で剣を構えなおした。
 ヘイズの鉤爪が振り下ろされ――シンラは、凍りついたような時間の中で、
それをがっちりと受け止めた。衝撃で腕の骨が砕け、内臓がはじける。それで
も、彼は巨竜の一撃を受け止めた。
 そして、コマ落としのように流れる時間の中で、渾身の力を込めて、ヘイズ
に己の剣を叩きつける。

 怒りも、憎しみも、なかった。
 悲しみも、絶望も、なかった。
 ただ、すべてを失った彼に残されたすべてが、そこにあった。

 その一撃はヘイズの胴、心臓の真上を直撃し、
 そして――

 鈍い音を立てて、剣は折れた。



■2月17日23:55 H国山岳地帯
 ヘイズは去った。

 シンラは剣の残骸を投げ捨て、そしてふと、自分の心臓がもう動いていない
ことに気づく。

 折れた右足を、前に差し出す。動いた。いいぞ。その調子だ。
 そして左足を出そうとして、転倒する。左足は、原形を留めていなかった。

 地面に倒れた彼は、ぐちゃぐちゃになっているがなんとか動く左手と、折れ
た右足を使って、ずるずると這い進む。

 シンラの視線の先には、カガリの青ざめた死体があった。
 死んだら、さすがに静かだな――そんな戯言がシンラの脳裏によぎる。

 もう、あらゆるものは問題ではなかった。
 人類の未来も、
 竜との戦いも、
 暴走する理性も、
 内なる竜の狂気も、
 そんなものは何一つ問題ではなかった。

 シンラは意識を極限まで集中させ、人間だった頃の自分の手を思い出そうと
する。ゆっくりと、しかし着実に、彼の左手はごく普通の、ありふれた人間の
手に変容していく。

 よし。第1ステップはクリアだ。

 彼は止まってしまった心臓を叱咤しつつ、
 のろのろとカガリの体に這い寄り、
 混濁する意識のなかで、
 思い切り腕を伸ばして、
 カガリの手に、
 自分の手を、
 重ねようとする。



(完)




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最終更新:2013年05月04日 21:40