「汚いところですまないな。姉の名前は、チンクという」
「チン……ク……ぐぅう!?」
ストーム1は体を起こそうとした。
瞬間、体中に激痛が走り、顔面が引きつった。
とてつもない痛み。まるで、熱した油を体中にぶっかけられたようだ。
滲み出る脂汗。悲鳴をなんとか口の中に押し留め、ストーム1はゆっくりと体を戻した。
(まいったな。ちょっと動いただけで、まさかこれほど痛むとは……)
今、自分の体はいったいどうなっているんだろうか。
ストーム1はなんとか首だけを持ち上げ自分の体へ目を向けると、全身が包帯で覆われているのがわかった。
割られた額は鉢巻のように包帯を巻かれ、起きあがったときにシーツからはみ出た両手は、ギプスをつけられ鍋掴みのようになっている。
さらには寝巻きの下の胸板。所々が赤く染まった包帯が呼吸に応じて上下に動いていた。
声が出にくいのは、喉だけではなく肋骨もやられているからだろう。
寝巻きとシーツで見えないところも、感触からして包帯だらけになっているに違いない。
一見すると酷い状態だが、じっとしていれば痛みはさほどではない。
それだけが、只一つの救いだろうか。
「まだ動くことも出来ないか」
ベッドの側で彼を見下ろしていた少女が独り言のように呟いた。
「まあ、しょうがないか。そんな怪我で、それに――」
それから少女は顎に手を当て、思い出したかのように付け加えた。
「――それに、一ヶ月も眠っていたのではな」
(なに、一ヶ月だと? そんなに長い間、俺は眠っていたのか?)
体の痛みと時間の経過が脳を揺さぶり、意識が完全に覚醒した。
聞かなければならないことが山ほどある。
二人は無事なのか。彼女等は何者なのか。ここはどこなのか。何故自分はここにいるのか。
そして――世界はいったいどうなってしまったのか?
だけど、喋ろうとする度に激しい痛みが喉と胸を焼き、うまく言葉を発せられない。
起きようとすれば、あちこちが悲鳴を上げて、全身が強張る。
それでも出来るだけ体へ負担が掛からぬよう、小さな声で簡単に尋ねた。
「こ……こは……おれは……なぜ……?」
言い終えた直後に吐いた、盛大な溜息。
もっと色々聞きたいが今はこれだけで精一杯だ。
ストーム1が尋ねると、少女はなぜか眉をひそめて「……一ヶ月前のことだ」と静かに語り始めた。
「あの日、とある事情で出かけた二人が帰ってこなくてな。通信も繋がらなくて、姉が心配になってセイン――セインとは姉の妹のことだぞ――と探しに行ったのだ。
そしたら二人と一緒にお前も倒れていた。皆凄い怪我だった。血まみれで、ボロボロで、あのまま放っておいたら、確実に全員死んでいた」
お前は今もあまり変わらんがな。と付け加えて少女は続ける。
「それから、二人に自分達を助けたのがお前だと聞いてな。姉はお前なんかを助ける気は無かったが、妹達の恩人を放っておいては目覚めが悪い。
だからしかたなく、お前も我々のアジトに運んできたというわけだ。二人も生きているぞ。今はまだポットの中だがな」
そうか、あの子達は生きているか。
ポットが何かはわからないが、少なくとも、今は死んでないことは確かなようだ。
とにかく、生きていてくれて本当によかった。こんな自分にもまだ守れるものがあったのか。
「そ……か……よ……か……た……」
ストーム1はガーゼを張られた頬を緩めて安堵した。
「よかっただと? 何を言っているのだ、本当に苦労したのはここからだというのに」
すると少女は瞳に怒りの色を浮かべ、ストーム1をまっすぐに見据えた。
「―――ふん、よく聞いておけ、姉達はお前を連れかえったせいで上の姉達から説教されたのだ。物凄くな!
ウーノ姉様には『そんな理由で部外者を連れてくるな』と叱られ、トーレ姉様には『お前らはそんなにお人よしだったのか?』と呆れられ、
クアットロには『へぇ~これがニコポってやつなのねぇ』と馬鹿にされ……くそッ! 思い出しただけで腹が立つ!」
そう捲くし立てて、少女は顔を伏せた。
「それにお前は、姉達の体のことを知ってしまった。管理局の者ではないという確実な証拠もない以上、生かしておくには危険過ぎる。
……そう姉達に諭されてからはみんな頭が冷えてな、お前のことは処理することに決まりかけていたが……」
眉間に皺寄せ、少女は再びこちらを睨みつける。
「ドクターがお前を助けろとおっしゃった。だから姉達は、不本意ながらもお前をここで治療したというわけだ」
そこまで言うと、少女は大きく息を吐いてこちらへ背を向けた。
「お前の事は世話は姉とガジェットがやる。死なせはせんから安心しろ。後、お前の装備はドクターが研究してる。
それが一段落したら話したいことがあるそうだ。まだ質問したいことがあるならそのときに聞いてくれ」
説明が終わったのか、そのまま少女はドアへと歩みを進める。
「あ、そうそう忘れてた」
途中で振りかえり、少女は言った。
「この部屋は常に監視されている。だから、絶対に妙なマネはするなよ」
そこまで言うと、少女は「こいつのせいで姉のイメージが……」とぶつぶつ呟きながら鉄扉を開けた。
灰色のコートがふわりと揺れて、腰の辺りにナイフを差しているのが見えた。
そのまま閉じられる鉄扉。今度は照明まで落とされた。
部屋中を支配する暗闇。
何もない、誰もいない、耳を聾したような静寂の中、ストーム1はそっと瞼を閉じた。
眠りのためではない。ただ、考えるために。
限られた情報で一番考えやすいこと、『彼女等が何者なのか』を考えるために。
彼はまず、一番無難な予想と最悪の予想を立てて考えてみることにした。
なぜ最悪の展開も考えるかというと、予め考えておいた方がいざと言うときに対策を立てやすいからだ。
彼がストームチームの隊長をしているうちに身についた知恵だった。
まず初めに考えられることは、彼女等がEDFか民兵組織の特殊部隊であることだ。
確か、EDFでは『異邦人』の技術を応用した、女性限定の特殊部隊設立を計画していると聞いたことがある。
彼はそれを、プラズマ兵器装備の飛行部隊と予想していたのだが、まさかサイボーグソルジャーだったとは。
だけどこれでは説明できないこともある。
なぜ、ドクターとやらは彼の装備を研究しているのか。
EDFの装備は、今や世界中の軍隊で正式採用されているはずだ。
自軍にある装備を今更調べる必要がどこにあるというのだ。民兵組織だったとしてもEDFからの援助があるはずなのに。
それに、なぜ彼女等は自分を処理しようとしたのだ?
例えどんな理由があろうとも、同胞を問答無用で処理しようとするか? 全人類が共闘している今のご時世で?
それに加えてさっきの少女はナイフを携帯していた。怪我人の見舞いには不必要な道具だろう。
話によれば、この部屋も四六時中監視されているらしい。
なぜ、ただの怪我人をそれほど警戒する必要があるのだろうか?
この予想は不明瞭な点が多すぎる。理想的であるが、可能性としてはあまり高いものではない。
そして最悪の予想は――彼女等が『異邦人』であるということだった。
恐ろしいことに、そう考えると全ての疑問に辻褄が合ってしまう。
機械の体も、装備を研究する理由も、自分を処理しようとした理由も、警戒されてる理由も。
あの洞窟のことは奴等の仲間割れ、生かされている理由も、この体を実験か何かに利用するためだとしたら――
考えれば考えるほどに、脳がただの予想を残酷なる結論へ変えようとする。
もしかすると、自分はとんでもなくヤバイ状況にあるのではないだろうか――。
(……ヤメだヤメだ。何を考えてるんだ、俺は)
ストーム1は自分の愚かさに苦笑した。
どちらにしても、情報が不足している今では結論を出すことなど出来ない。
推測だけで物事を決めつけるのは大馬鹿者のすることだ。
それなのに、説明出来ないからと言って彼女等を『異邦人』だと決めつける?
バカバカしい。トンでもない暴論だぞ、それは。
一体俺は、何時からこんな馬鹿げた考えをするようになったのだ。
……どうやら、怪我のせいで頭が馬鹿になっているらしい。
ここは大人しくドクターとやらが来るのを待ったほうが得策だな。
聞きたいことがあるならその時に聞けばいい。
今は早く回復できるように眠ろう。考えることは後でも出来るんだから。
そこで彼は、疑問を持つことを止めた。
疑問の代わりに脳を支配しようとしているのは、眠気。夢の世界からのまたとない招待状。
やっぱり体は、今一番必要なものがわかっていたようだ。
(それにしても、姉は姉はって、自分の事は何も言わなかったな、あの子。
今度会ったときは、名前くらいは聞ければいいが……)
その思考を最後に、ストーム1は夢の国へと旅だった、
自分が一つだけ重大な勘違いしていることにも気付かずに。
――
――新暦七十五年 三月十一日 十時一分 スカリエッティアジト――
「ふむふむ……ほぅ……これはなかなか……」
中央に浮かぶホロスクリーンと座椅子以外は何もない、だだっ広い空間。
ジェイル・スカリエッティは座椅子に腰掛け、スクリーンを見ながらクスクス笑っていた。
視線の先では、荒野の中で兵士達が銃を手に取り化け物達と戦っていた。
兵士達が銃を乱射しながら突撃していく。カメラの主も一緒になって駆けて行く。
画面の左側にでは別の兵士が手にした銃を敵群に向けて引き金を引いた。
銃口からは無数の小型爆弾がばら撒かれ、蟻の群れを木っ端微塵に吹き飛ばす。
携帯火器から放たれる絨毯爆撃のような攻撃。これには流石のスカリエッティも感嘆せざるを得ない。
響く銃声。怒号。爆音。化け物達の断末魔。
巨大な黒蟻が吐き出した赤い液体を、画面右側で戦っていた兵士が頭から被ってしまった。
兵士は、聞くに堪えられない断末魔をあげながら、あっという間に焼け爛れ、天を仰ぐかのよう両手を掲げ、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
『伍長ーーッ!』
倒れた兵士は知り合いだったのか。
カメラの主は獣のような絶叫を発し、酸を放った黒蟻に銃口を向け――
そのとき、急に画面が乱れて、止まった。
砂嵐のようなノイズが画面に広がっていき、ピーっという音を最後に、真っ暗になって消えた。
「やれやれ、やっぱりまだ全ては見られないか。解析が完了するまでは……」
呟いたスカリエッティは、傍らに置いてある、修復されて傷一つ無くなり、何本ものコードに繋がれたヘルメットに目をやった。
スクリーンに写っていたのは、ヘルメット内のカメラに記録されていた戦闘映像だった。
プロテクトの解析がすんでないせいで全体の二割くらいしか再生できないが、それでもこの映像は充分過ぎるほどの価値を持っている。
巨大蟻を一斉射で破壊するアサルトライフル。高層ビルを単発で崩壊させるロケットランチャー。
蟻の群れをあっという間に蜂の巣にする自動式の重機関砲。
別の映像であの女性兵が使った敵軍を街ごと消滅させるレーザー砲。どれをとっても素晴らしい。
映像だけではない。ヘルメットの持ち主が所持していた装備品も凄まじい。
ライフル銃は、データ上では艦船用の複合結界すら撃ちぬけるほどの威力を持ち、
未知の合金で作られたアーマーはBJと同等かそれ以上の強度を誇る。爆弾は、内部からならXV級艦船すら轟沈できるほどだ。
質量兵器とはこんなにも恐ろしい物なのか。
管理局が躍起になって排除しようとしているのもわかるような気がする。
「装備のデータは取れている。部品のコピーも完了した。あとはそれを元に映像の兵器を再現するのみ。
私の技術も加えればかなり近いところまでは再現できるだろう。チンク達はよい物を持ってきてくれたよ。
これで私の作品達はもっともっと強くなれる。だが――」
スカリエッティは今までの笑みを消し、けわしい顔で座椅子のコンソールを操作。
スクリーンに、チンク達が連れかえった男――ストーム1のカルテを映し出した。
「この男は大ハズレだな。たしかに予想身体能力はかなり高そうだが、それでも一般人でも鍛え上げれば充分辿りつけるレベル。
リンカーコアの有無も調べたが、見事に欠片すら見けられなかった。まったく、治療して損した気分だよ……」
表情を変えることなく、スカリエッティはスクリーンを消した。
「ま、それでも目覚めたら話くらいはしてやらんこともない。私も聞きたいことが山ほどあるしな。もっとも、あれが話せる状態だったらの話だが」
白衣に手を入れ、スカリエッティは一枚の銀板を取り出した。ストーム1の懐に入っていた銀板。
ミッドチルダ語によく似た言語が刻印された、兵士ならだれもが持ってる身分証明。
「そうだな、まずは名前から聞かないといけないか」
それは、『NAME』の項目だけが真っ黒に焼け焦げた、ストーム1の認識票だった。
スカリエッティがストーム1の目覚めを知ったのは、それから十分後のことである。
『星舟』活動再開まで後――67日――
To be Continued. "mission6『魔法の世界』"
最終更新:2008年07月03日 13:01