魔法少女リリカルなのは Strikers May Cry 番外編 Bad End(後編)
悪魔の支配する世界に希望など欠片も無い、あるのは死と破壊そして圧倒的な絶望だけ。
最強無敵を誇った古代ベルカの戦船聖王のゆりかご。その巨大なロストロギアも魔界の王の振るう剣の前には成す術もなく紙細工のように刻まれて数多の残骸と散った。
バージルは自分の刻み尽くした聖王のゆりかごの残骸の上に一人で立っている。この程度の物を斬り裂く事など今の彼には造作も無いものだった。
アーカムを含め敵とすら呼べぬ有象無象を殺しても感慨など皆無であり、彼の脳裏にはアーカムの吐いた言葉が駆け巡っていた。
“…悪魔の餌にしてしまったよ”
あの時見捨てた筈の少女の死を実際に眼前に突き付けられ、バージルの心にかつて失った母の面影があの少女の姿に被る。
自分を兄と慕った少女が、その小さな手でこの悪魔の手を弱弱しく握ってきた少女が……母と同じように虐殺されたのだ。
バージルは虚ろ気な瞳でまるで今の彼の心のように曇った空を仰ぎながら小さな声で呟いた。
「あの娘は……きっと泣いたろうな…」
本当によく泣く子供だった、少し転んだだけでも泣いたのだから見知らぬ者に連れ去られ、そのうえ悪魔の贄になったのならばきっとひどく泣いただろう。
バージルの耳には聞こえぬ筈の幼子の鳴き声がいつまでも響いていた。
それからのバージルはまるで狂ったように戦いを求めた。
次々と強大な悪魔を作っては腕試しという名の虐殺を行い、文明の発達した人間の世界特に強力な軍事力を持つ様々な次元世界に侵攻した。
目の前の生きとし生きる者の絶命する断末魔を聞く瞬間だけは耳に響く幻聴から、あの少女の泣き声から逃れられたから。
既にバージルの滅ぼした人間の文明は手足の指の数では数えられない程であった。
この鬼神の如き所業により数多の世界は悪魔達の手に落ち、彼等はその喉を人間の血潮で潤し大地に人骨の山を築き続けた。
とある次元世界に悪魔によって作られた闘技場がある。
それはまるで中世の世に人間が作ったコロッセオに似てはいるがその目的はまるで違う、そこで行われるのは戦いとは呼べないのだから。
それは魔王が闘争の渇きを癒す為の場所、生贄が一方的に殺されるだけの祭壇だった
そこに新たなる魔王の生贄として一人の人間が悪魔に連れられて来た。
鎖に繋がれたその者の名はファーン・コラード、かつて管理局の訓練校にて多くの局員を育てた魔道師だった。
スカリエッティとアーカムの起こした聖王のゆりかごの事件により管理局は消滅さらにその後悪魔の出現により管理世界の秩序は崩壊したのだ。
そしてコラードは力無き人々や家族を元管理局の仲間と共に守っていたのだが圧倒的な物量の悪魔の軍勢に遂に敗れ去り、こうして敵の手に落ちたのだ。
(ここはいったい…)
心中で呟くコラードに彼の手に繋がれた鎖を引く悪魔が人外の低さを持つ声で語り掛けてきた。
「おい人間。そろそろお前にここの意味を教えてやる…」
悪魔はそう言うとコラードの手の鎖を解き、あろう事かコラードにデバイスしかもそれはかつてコラードが使っていた愛用のものを渡したのだ。
「お前にはこれから魔王様を相手に戦ってもらう…」
「魔王? 私如きが勝てると思っているのか? 意味の無い…殺すのなら早く殺せ! どうせ家族はもう…」
激情に声を荒げるコラードに悪魔はその異形の顔を歪めて笑い、まだ言葉を続けた。
「おいおい、早とちりするなよ人間。あの方に勝てる奴なんている訳ねえだろ? お前は全力で戦ってあの方を満足させれば良いのさ……
もちろん戦うのはお前一人じゃねえし、もしあの方を満足させれば家族もお前の命も保障する」
悪魔はやけに饒舌にコラードに言った、正に悪魔の甘言だった。僅かな希望がコラードの心に火を灯す。
「……分かった」
そう呟くと共にコラードは闘技場の門を潜る、その彼の背中に悪魔が笑いながら呟いた。
「てめえの家族はとっくに喰ったつうの。いや~やっぱり人間が希望を持ったり絶望したりするのを見んのは面白えな~♪」
闘技場の中央に二人の人の影が立っている。一人は先ほどのコラードであり、もう一人は彼のパートナーとして連れて来られた男だった。
それは黒髪の男性で両手には小太刀と呼ばれる短刀を持っていた。コラードは知らない、彼が教え子である高町なのはの兄である事を。
そしてコラードがそれを知ることは永遠にないのだ。
「あなたも家族を?」
「……ええ」
「私はファーン・コラードです」
「俺は高町恭也と言います」
「高町ですか…」
「どうしました?」
「いや…昔の教え子にそんな名前の子がいて…」
そんな会話をする二人の前に宙から巨大な大鷲が舞い降りる、その背には黒衣に身を包んだ銀髪の男が立っていた。
その男は優美とすら思える動作で闘技場に下り立つとコラードと恭也の二人を見る、それはまるで肉屋に吊るされた肉塊を見るような目だった。
距離をおいても感じる圧倒的な気迫に二人はこの男こそ魔界の王だと理解した。
魔王は眼前のコラードと恭也を見定めると静かに口を開く。
「今日はなかなかのモノを揃えたな……さて人間、貴様らは体調も完璧、得物も最高の物が渡されている。
それを以ってこの俺と戦いそして満足させれば望みを叶えてやろう、お前らの命も家族の命も自由もな」
その魔王の言葉にコラードは眉を歪めて吼えた。
「何が望みを叶えるだ……どうせ戦う意外に道は無いのだろうが! この悪魔め!」
激昂するコラードを鎮めるように恭也が短刀を構えながらコラードの前に立った。
「落ち着いて下さいコラードさん。とにかく俺が近づいて斬りますから援護をお願いします」
「……分かった。必ず生きて帰ろう、恭也君!」
その言葉と共に恭也が駆け出し、コラードが射撃魔法の術式を展開した。
その生贄の哀れな様子に魔王はその美貌を歪めて笑った、今日も血飛沫と絶叫が魔王の一時の癒しの為に流れる。
バージルは服に付いた返り血や肉片をトリッシュに拭かせながら今日の生贄の意外な奮戦振りに喜び、微笑さえ浮かべていた。
「今日の人間は素晴らしかったな……まだあれ程の使い手がいたとは…」
「そうですか。確かあの魔道師はミッドチルダという世界で捕らえた物です」
「ミッド……か」
ミッドチルダ、その懐かしい名前にバージルは何故か胸に鋭い痛みを感じる。
その刺すような鋭い痛みと共にバージルの脳裏にはかつてのミッドでの記憶が思い起こされる。
それは機動六課で過ごした日々の記憶、彼を慕った者達の残像が目に浮かぶ。
どういう風の吹き回しか、その日バージルは何年ぶりになるのかミッドチルダに降り立った。
あのミッドの魔道師を殺したからなのか、久方ぶりにその名を聞いたからなのかバージル本人にも分からなかったが何故か自然と足が向いた。
あの日ミッドを去ってから避け続けた事だった、この世界に関する情報は聞くこともしなかった。
故にその惨状にバージルは少しばかりの驚愕に目を奪われた。
地上に君臨する法の守り手として高くそびえていた地上本部は半ばから折れて崩壊していた。
その周囲の街並みも破壊の限りが尽くされ、とても人が住んでいるとは思えない程の有様である。
バージルは懐かしい道を歩きかつての地上本部へと向かった。
バージルの歩くその道はアスファルトが剥がされ、夥しい人骨が転がり数年前の平和な様子など欠片もなかった。
地上本部に着いたバージルの目に飛び込んできたのは磔や串刺しとなった大量の人骨と屍の列だった。
その惨状を興味など無さそうに眺めていたバージルだがその目が一つの串刺しの白骨化した屍に止まる。
その骨にはある物が鎖骨の辺りにぶら下がっていた。
バージルは魔力を使い離れた場所にあったそれを手元に引き寄せて確認する、それは記憶の通りに彼女の使ったメガネだった。
「やはりフィニーノか」
それはかつて六課のデバイスマイスターの少女の物だったメガネ。
いったい何年放置されたのか、白骨化したその屍が無常に過ぎた年月を語っていた。
そしてバージルは開けた場所にたどり着く、そこには木で作られた大量の十字架が刺さっていた。
一目で分かる。それは墓場だった、その数えきれないほどの圧倒的な数の十字架を眺めていたバージルに懐かしい声が響いた。
「久しぶりだな…バージル」
振り向いたバージルの目に映ったは烈火の将の二つ名を持つベルカの騎士、シグナムの姿だった。
何年かの間にシグナムの様は随分と変わっていた。
シグナムの顔は幾分か痩せ細って見え、かつては長く美しかった彼女の髪は肩口まで切り揃えられ髪質も酷く荒れて痛んでいる。
だがその瞳は以前と同じ燃えるような意思を持っていたことがバージルに一瞬でその女性がシグナムであると理解させた。
シグナムの言葉にバージルは幾分かの間を置いて静かに答える。
「ああ…久しいな」
そのバージルの言葉にシグナムは辺りの墓を仰ぎ見ながら口を開いた。
「凄い数だろう? どれだけ埋めても足りないのだ、遺体の数が多すぎてな…」
バージルはその時ふと気づいた、そう言うシグナムの手には花束が握られていた。
シグナムはおもむろに歩き始め一つの墓の前で立ち止り、その質素な十字架の下に花束を置いた。
「…誰の墓だ?」
「ヴィータ…それにシャマルとザフィーラだ、ここは八神家の墓でな」
バージルはその言葉に少しばかりの驚愕を覚えるがシグナムの言葉はまだ終わらなかった。
「左にあるのはテスタロッサとハラオウン家の墓、右はスバルとナカジマ家の墓だ。この辺りは六課の者の墓ばかりでな……」
辺りを見渡せば懐かしい名前が十字架に刻まれていた、なのは、エリオ、キャロ、ティアナ、
その他諸々の機動六課の人間の名前がそこにはあった。
「お前が六課を去ってから、ゆりかごとの戦いで管理局は敗れてな……その戦いでみんな死んだよ。ここに眠る者達も大半がその時死んだ者だ…」
「……八神はどうした? お前の話ではまだそこには埋まっていないようだが…」
「死んではいない……ゆりかごでの戦いで傷を負って二度と歩けなくなってな、まだ人間が生きていける平和な世界で元管理局員の者達と一緒に生活している」
シグナムの口から語れたミッドチルダの惨状、機動六課の人間達の哀れな結末を聞いてしばらくの間その場を沈黙が支配した。
そしてバージルが静かに言葉を漏らしその沈黙を破った。
「……烈火よ、お前は今何をしている? 管理局は無くなったと言っていたが…」
バージルのその問いにシグナムは物言わぬ墓標に下ろしていた視線をバージルへと向ける、その眼光に込められていたものは紛れも無く殺気だった。
「最初はスカリエッティの手の者達と戦っていたよ……管理局が滅んでも私はベルカの騎士だからな……そしてスカリエッティやゆりかごがどこかへ消えた今は…」
葉を紡ぐと共にシグナムの身体をバージルにとっては懐かしい姿、バリアジャケットが覆った。
手にした炎の魔剣レヴァンティンをバージルへと構えながらシグナムは殺気と敵意そして悲しみに溢れた眼差しと言葉を投げかけた。
「…人々を脅かす悪魔を屠る者、悪魔狩人……それが今の私だ、魔王ギルバ」
「………その名を知っていたのか?」
そのバージルの言葉にシグナムは怒りにその心を燃え上がらせる。
「いったい幾つの世界を滅ぼし、どれだけ人間を殺した!? 今どの世界の人間も魔王ギルバの名を知らぬ者などいない!!!!」
怒りを叫びながら炎を纏った魔剣を構えるそのシグナムの姿を見たバージルは頬を吊り上げて笑った。
ひどく濁った目で以って笑うバージルの顔は邪悪な悪魔そのものであった。
「くくくっ。ここへ来て正解だったぞ烈火よ……最近は特に闘争の渇きが酷くてなぁ……さあ非殺傷設定もリミッターも無いお前の全力を俺に見せてみろ、俺の渇きを癒してみせろ…」
バージルは頬を吊り上げて笑いながら指を鳴らす、すると次元の隔たりを破って大量の刀・剣・槍といった武具が現われる。
触れずとも無数の武具から溢れる魔力や禍々しいオーラが、その全てが魔剣・妖刀と呼ばれる物だとシグナムに悟らせる。
バージルは滅ぼした様々な世界や魔界に眠っていた魔性を宿した武器の数々を手に入れ、その戦術を限りなく無限に広げていたのだ。
だがバージルは数多の武器の中から迷うことなく一つの刀を手にした。
「では踊るとしよう……恋焦がれた貴様との剣舞を」
魔を喰らう妖刀、閻魔刀を抜刀の型に構えたバージルは悲しみと怒りに燃える烈火の将に踊りかかった。
十字架の並ぶ死者の園の上空を二つの刃を持った戦士が舞い踊る。
一人は正義を、悲しみを、怒りを以って炎の魔剣を振るう烈火の将シグナム。もう一人は、ただ一時の渇きと享楽を癒す為に妖刀の刃を繰る悪魔の王バージル。
火花を散らしながら繰り広げられる刃の舞踏が静寂である筈の墓所に響く。
「紫電一閃!!」
シグナムはカートリッジを再装填して愛剣に魔力を満たし、横薙ぎの斬撃をバージルに見舞う。
だがバージルはこの一撃をカートリッジ再装填の段階で先読みし、これに高速移動から繰り出す閻魔刀の抜刀術疾走居合いで受け止める。
空中で二つの刃がぶつかり火花と共に甲高い金属音が鳴り響く。
両者は軋みを上げる刀身に力を込めて鍔競るが、徐々にその拮抗はシグナムの劣勢へと変わっていく。
「くっ!」
閻魔刀に込められる圧力に負けて後退を強いられるシグナムにバージルが邪悪な笑みを近づいて言葉を吐く。
「どうした? お前の力はその程度か? もっと俺を熱くさせてみろ」
バージルはそう言うと同時に周囲に魔力で作られた無数の幻影剣を展開、その照準をシグナムに向ける。
その幻影剣の刃はかつてのバージルのものとは比べられない程に巨大で、込められた破壊力もまた比例して跳ね上がったものだった。
数多の幻影剣は照準が定まった瞬間に射出され鍔競りに動きを殺されていたシグナムに襲い掛かった。
「げほっ! はぁ…はぁ」
幻影剣の刃を受けて墓地の一角に落ちたシグナムは大量の血潮を大地に吐き散らしながら裂かれた傷に手を当てる、だが傷は深く傷口を押さえた指の間からドス黒い血が溢れる。
魔王と成り、数多の世界で飽くなき闘争を続けたバージルの力は戯れに振るうものでさえシグナムを絶対的に凌駕するものであった。
そのシグナムの前にバージルが下り立つ。
「どうした烈火、もう終わりか?」
そのバージルの挑発にシグナムは口元の血を拭いながらまだ諦めを知らぬ目で不敵に答える。
「…それはこちらのセリフだ…貴様の力はその程度か? やはり半魔の悪魔などたかが知れるな…」
そんなシグナムの言葉にバージルは余裕に満ちた表情を怒りに変えた、久しぶりに自分を愚弄する言葉を吐いた相手に戯れでない殺意を抱く。
「言ったな烈火…」
バージルは言葉と共に腰に収めた閻魔刀の柄に手を伸ばし、その妖刀に莫大な魔力を注ぎ込む。
バージルが放たんとするのは絶命必至の絶技、閻魔刀を用いた最強の技の一つ広域次元斬である。
「死ね」
次の瞬間、空間を斬り裂く異様な音と共に大量の斬撃がシグナムに襲い掛かった。
シグナムは全速力で以って空間ごと斬り裂く魔の斬撃を回避し続ける。
広域次元斬のその威力は一撃でも受ければその瞬間にシグナムの戦闘力を絶望的に奪うと予感させるものであった。
だがしかしこの攻撃こそシグナムの待っていた反撃の機会だったのだ。
広域次元斬は射程も威力も半端ではないが必ず技の終わりに大きな隙が来る筈である、シグナムはその瞬間に勝負を仕掛ける算段をしていた。
(それまで逃げ切れば勝機はゼロでは無い!)
心中で呟きながら全てのカートリッジを使い魔力を高めたレヴァンティンに最大の大技の準備をさせる。
それは隼の如き速き矢を射る鉄弓、シュツルムファルケンであった。
そして遂に妖刀の魔の剣舞が終わりを告げ、魔王が無防備な姿を晒す。
高速の回避動作に急制動を掛けたシグナムは手の魔剣を即座に鉄弓へと変形させ、その短くなった桜色の髪を振り乱しながら叫んだ。
「駆けよ隼!! シュツルムファルケン!!!!!!!」
魔力で形成された矢が音速の壁を越える程の速度で魔王に向かって飛翔する、矢の凄まじい威力に爆炎が舞い上がり周囲を土煙が満たした。
例え最強の魔王とて烈火の将の誇るこの最強の技を受ければ無傷では済むまい。
だがそれは“当たれば”の話だった、シグナムの背後で空間転移の発動により大気が歪み妖刀の白刃が閃いた。
「ごふっ…」
シグナムの身体を閻魔刀の刃が貫き、彼女は口から夥しい血潮を吐いて宙に鮮やかな朱の華を描いた。
黒衣に身を包んだ銀髪の魔王が濁った目でその哀れなベルカの騎士を見ながら小さく呟いた。
「惜しかったな烈火…もう少し変形に掛ける時間が早ければ当たっていたぞ。まあ当たったとしても今の俺を倒すには至らぬ威力であったがな…」
バージルは言い終わるとシグナムの身体に埋まった閻魔刀の刀身を引き抜き、一瞬で血を振り払って鞘に戻した。
白刃を身体から引き抜かれたシグナムは力なくその場に倒れて、彼女の身体に纏われていたバリアジャケットが消え去る。
「だがこの死合いは久しぶりに楽しめたぞ烈火」
「……バージル…」
そのバージルの言葉にシグナムは口から止めど無く血を吐きながら、その目に涙を流し始めた。
バージルはその光景に驚愕した、シグナムのような烈女が死を前に涙をみせるとは考えもしなかったのだ。
「どうした? やはりお前でも死は恐ろしいか?」
「げほっ……違う…私は最後まで………救えなかった」
バージルの言葉にシグナムは血と涙にその美しい顔を汚しながら答える。
「……高町やテスタロッサの事か?」
シグナムのような誇り高い騎士ならば仲間を救えぬ事を恥と思っての落涙かという考えがバージルにそんな言葉を吐かせた。
「違う……私は…」
だがシグナムの答えは否であった。
「私は……お前を助けたかったんだ…バージル」
「……何だと?」
そのシグナムの言葉にバージルが目を見開き眉を歪める。
シグナムの涙と声は酷くバージルの心を揺り動かし、凍った筈の心に熱いものが込み上げられてくる。
「助け? 救う? 何を下らん事を……死を前に気でも触れたか?」
「下らん…か……ではバージル…お前は何故…」
シグナムは涙に濡れる瞳に今までのどんな眼差しよりも悲しい想いを込めてバージルを見つめながら言った。
「…泣いている?」
魔界を総べる最強の魔王が泣いていた、その目から静かにだが確かに水の雫を零して泣いていた。
それは彼自身にも理解も制御できない事だった。
「何?…これは…いったい」
バージルは自分の目から零れ続ける涙の雫を手で拭った、しかし流れる涙は彼の意思に関係なく流れ続けた。
自分でも制する事の出来ない感情の濁流に狼狽するバージル、その彼にシグナムもまた涙を流しながら語りかける。
「ごめんなバージル……あの時私が…お前をちゃんと止められていれば…お前がそこまで堕ちる事など無かったのにな…」
あろう事かシグナムの吐いた言葉は恨みでも怒りでも無く謝罪だった、それも何年も前のバージルの離脱への謝罪。
その涙交じりの謝罪の言葉はバージルの心に今まで感じたどんな痛みをも上回る激痛を与えた。
「すまない…バージル」
そのシグナムの言葉にバージルは思わず声を上げる、これ以上この痛みには耐えられない。
「……黙れ」
それでもシグナムの言葉は続き容赦なくバージルの心を抉る。
「許して…くれ」
遂に激昂したバージルは地に倒れ伏したシグナムに駆け寄るとあらん限り吼えた。
「黙れええええええ!!!!!」
だが魔王の咆哮は無駄に終わる、彼女の瞳は既に生命の光を失っていた。
「烈火………死んだ…のか…」
「うあああああああああああ!!!!!!!」
烈火の将の死に魔王は濁流の如く溢れる激情に駆られ涙を流しながら天に吼えた。
大地に魔王の涙が落ち、天に魔王の慟哭が響く。
こうして彼は本当に全てを失う。
絶対最強の力と引き換えに得たのは未来永劫に終わることなき悲しみと絶望の世界。
その世界に救いなど欠片もありはしなかった
終幕。
最終更新:2008年01月29日 22:34