その男は、クラナガン郊外のとある自然公園の駐車場で、
第97管理外世界では『ジープ』と呼称されている車に寄りかかっていた。
 寄りかかりつつ、右手に収まっているものを見つめている。
 通信端末のようだ。
 ディスプレイと覚しき緑色の液晶画面に、文字が流れる。
「〈RTB〉、か」
 頬に一筋切傷痕のある男は、そう呟いて、端末を運転席に放り出し、荷台に置いていたブーメランを手にした。
 ジーンズのポケットから折り畳みナイフを取り出し、荷台に腰掛け、おもむろにブーメランを削り出す。
 森の住人達のざわめきをBGMに、黙々と削る。

 シャッ、シャッ、シャッ……。

「相変わらず、熱心だね」

 聞き覚えのある声。
「待ち人来たる、か」
 顔を上げる。
 中肉中背で、一見すると冴えない中年の男が、目の前にいた。
「ええ、こういう時の暇つぶしには、丁度良いですから、ヤン提督」

 男は、笑みを浮かべ、中年の男――ヤン・ウェンリーに言った。

「そうして、完成形に近づけていくんですよ。その過程が、たまらなく楽しくてね」
「なら、私は本日、そのまだ発展途上の、そいつのテストフライトに付き合わされたと言うことかい、ブッカー少佐」
 そう言いながら近づき、作業を続ける男の傍まで来て、ジープにヤンは寄りかかる。
「フム……」

 そう言われて、男――ジェイムズ・ブッカーは作業の手を止め、瞑目して、肩をすくめた。

「否定はしません」
「会心の出来だと言って、無理矢理、私を連れ出しておいて……」
 やれやれといった様子で、頭を掻いた。
「提督には、いつもとは違う休暇を、楽しんでいただきたいと思いまして」
 悪びれた様子はない。
「無限書庫で一日過ごすのも良いでしょうが」
 削る手を止め、ヤンを見つめる。
「偶にはアウトドアを楽しむってのも、悪くないものですよ」
「……まあ、結果として悪くはない休暇だったかな」
 ヤンは、微笑んだ。
「あの子達とも、知り合いになれたし」
 今しがた別れた旅人たちを思い出していた。
「それに」
 スラックスのポケットに忍ばせていたものを取り出す。
「これを渡してもらえるとは、ね」

 一枚の、データチップだった。

「提督に、直接お渡しした方が良いかと思いまして」
「独断?」
「しわしわ婆さんの許可は、すでに」
「おいおい、仮にも自分の上司を……」
 苦笑する、ヤン。
「それにしても」
「はい」
「『彼ら』の動きは、思ったよりも活発になっているのか……」
「正直、我々の予想より、『奴ら』が活動的になっているのは確かです」
「FAFの総合的な見解?」
「全ては、その中に」

 ブッカーは、ヤンの手にしたチップに目をやった。

「……解った。持ち帰って早急に分析の上、管理局としても対策を練ろう」
「ありがとうございます」
 ヤンは改めて、ポケットにデータチップを忍ばせた。
 ブッカーは再び、ブーメランを削りだした。
 少し強めの風が、吹き抜ける。
 森が、一層ざわめいた。

「――つかぬ事を聞くようだけど」
「はい?」
「そのナイフのエンブレム、モチーフって……」
「フェアリィ星にあった、ヴァルキア基地訪問者用の、記念品の一つですよ」
「成る程、それでワルキューレなのか」
「なかなかよく切れる奴でしてね、ブーメラン作りに重宝してるんですよ」
「ふぅん……」

 また少し強めの風が吹く。

「それにしても」
「はい」
「ああいった時空転移の事例も、本当にあるのだねぇ」
「そのようですね」
「君の持つ端末にあの通信が入らなければ、私は、なのはに彼らの保護を依頼することは出来なかったろう」
「雪風は、ああいうことには特に敏感に反応できる、戦闘知性体ですから」
「成る程……」
 そう呟き、物憂げな表情で腕を組むヤン。

 しばしの沈黙。

「提督」
「何だい?」
「今は、また別のことを考えておられますか」
「どうして、そう思う?」
「何となく、ですが」
 ヤンは嘆息し、頭を掻いた。
「……なのはから、彼らのことを聞いてた時に、
彼らがテルヌーゼンという村に行く途中だったと聞いてね、思わず若い頃を思い出したんだよ」
 ブッカーは黙々と削っている。
「士官学校時代の親友の婚約者でね、その彼女は後に同盟の代議員になったのだけど」
 ヤンは、空を見上げる。
「その選挙区が、テルヌーゼンって言ったのさ」
「……その彼女に、思いを寄せておられてた、とか」
「過去の話さ」
「フム……」

 また、しばしの沈黙。

「それで、そのお二人は、今も仲むつ――」
「もう、二人とも、この世にはいない」
「……」
「親友は戦死、彼女はクーデター騒ぎの最中に殺されたよ」
 ブッカーの手が止まる。
「申し訳ありません……」
「別に、私が勝手に思い出してただけさ」

 風が、また少し強く吹いた。

「さて、そろそろ本局に戻ろうか、少佐」
「いえ、帰りは別々の方が良いでしょう」
「うん?」
「そろそろ、来る頃です」
 それから暫くしない内に、黒塗りのセダンが滑るように駐車場に侵入してきた。

「これも、あの准将の指示?」
「私の独断です」

 ヤンは肩をすくめる。
 セダンのドアが左右どちらも開く。

「ヤン提督」
 見るからに力士のような巨漢の男が出てきた。

「お迎えに上がりました」
 グレーがかった髪と瞳の、長身で洗練された容姿の男が出てきた。
 そして、管理局の青い制服に黒いベレー帽を被るという、何ともアンバランスな出で立ちをした男達は、ヤンに対して敬礼した。

「おいおい、……パトリチェフ准将に、シェーンコップ一佐、何で君たちがわざわざ」

「何、我々、暇を持て余しておりましたもので」
「ははッ」
 ワルター・フォン・シェーンコップが冗談めかし、フョードル・パトリチェフは笑った。
「全く……」
「お二人とも、ご苦労様であります」
 ブッカーはブーメランを置いて荷台から腰を上げ、二人の前まで歩み出て敬礼した。
 二人は、返礼する。
「君こそ、お勤めご苦労」
 パトリチェフが言い、
「全くだ、あのしわしわ婆さんの相手は、骨が折れるだろうに」
 シェーンコップがおどけて言った。
「ははッ……」
 ブッカーは苦笑するしかなかった。
「さて、それでは戻るとしようか」
「「はッ」」
 ヤンの言葉にパトリチェフはセダンの運転席のドアを開け、シェーンコップは後部ドアを開けた。

「すでに、今回の件に関する会議の招集について、リンディ提督とレティ提督に早期に開催できるよう、根回しを始めてもらっております。
また、あなた以上に局内の人望が高いあの伝説の三提督とメルカッツ提督に対して、
あなたのこれからの行動に対する支持を取り付けられるよう、ムライ参謀長に働きかけてもらっております」
 シェーンコップが耳打ちする。

「お疲れさま」
 ヤンは、肩を軽く叩く。
「とは言え、まだ君達には何も――。」
「FAF絡みとあっては、用心に用心を重ねるに越したことはありませんから」
 そう言って、シェーンコップはブッカーに目をやった。
 ブッカーは苦笑して肩をすくめる。
 それを見て、ヤンは笑みを浮かべ、
「じゃあね、少佐。今度は、本当に会心の出来のブーメランを見せてくれよ」
 そうブッカーに声をかけ、
「あと、しわしわ、……じゃない、クーリィ准将に宜しく伝えておいてくれ」
 と付け足して、セダンに乗り込んだ。
 シェーンコップが恭しくドアを閉める。
「じゃあな、ジャック。提督が世話になった」
 シェーンコップ、ラフに敬礼。ちなみにジャックとは、ブッカーの愛称である。
 ブッカー、きびきびと軍人らしく、敬礼。
 そして、シェーンコップは助手席に消え、セダンは静かに滑り出し、駐車場を出て行った。

「ブラックベレー・マフィアが行った、か」
 セダンを見送りつつ、呟く、
「さて、おれもそろそろ」

「そろそろ、何するつもりですのん?」

 上空から声がする。批難めいてはいない、むしろからかうような声だ。

「……ねぐらに帰ろうと思いましてね、八神二佐。お一人ですか?」
「私だけやない、他のみんなも一緒です、少佐」

 顔を上げる。
 そこには、八神はやてと、彼女の守護騎士達がいた。もちろん、全員、騎士甲冑着用で。
「久しぶりの休暇中に、呼び出しを受けまして。……て言うか、あまり上官扱いせんといてください。何や、むず痒いです」
 からからと笑うブッカーの目の前に降り立って、はやてが言った。

「上官も部下も関係ない。それがFAFの伝統と違いますの?」
「一応、それが礼儀だよ、はやて。とにかくご苦労様。んっ、ザフィーラは、いないのか」
「ザフィーラには、別の任務を与えております。現在は、その任務の遂行中であります」
 ヴォルケンリッターの将、シグナムが言った。
「フムン」
「おー、相変わらずのブーメランオタクですか、少佐。何処に行くにも、やっぱりブーメランは手放せないかぁ」
「ちょっと、ヴィータちゃん、仮にも上官なんだから……」
 ヴィータのブッカーに対するなれなれしさを、シャマルがたしなめる。
「かまわないさ。うちの零だって、そうさ。FAFはとにかく、普通の軍隊とは違うというか」
「ずれてるな。特殊戦なんて、特にそうだ♪」
 ブッカーの言葉に、ヴィータがおどけて応じる。

 ボカッ!

「いったた……」
 はやてのゲンコツを受け、頭を押さえるヴィータ。
「ヴィータ、いくらジャックさんがああゆうてはるからて、調子に乗ったらあかん」
「……『親しき仲にも礼儀あり』、か」
 肩を大げさにすくめて見せて、ブッカーは言った。

「相変わらずの日本通ぶりですね、少佐」
「そう言う君は、相変わらずの『天真爛漫さ』だな、リィン」
「えへへ、ですぅ」
 照れる、リィンフォースⅡ。

 その時、

「へえ、本当に一から木を削って作ってるんだなぁ……」
 感心するような、しかし、始めて聞く声。 ブッカーは目を向ける。

 そこには、一見すると小悪魔にも見える、背中にコウモリのような羽をはやしたリィンくらいの小さな女の子。

「ん、……そうか、あの子が」
「はい、私らの新しい家族、アギトです」
 はやてが、紹介する。
「ど、ども……」
 始めてブッカーを眼にして、どぎまぎするアギト。

「おいアギト、初対面の人物に対して、そのような態度は」
「慣れていけばいいさ」
 シグナムの言葉を遮り、ブッカーは言った。
「少なくとも、彼らと暮らしていけば、他人との上手い付き合い方も解るだろう」
「……ブッカーの、旦那」
 手のひらで、アギトの頭を優しくぽんぽんと叩くブッカー。

「おれ達みたいには、なるなよ」

「えッ……?」
「言ったとおりさ、おれ達、特殊戦のようにはな」
 ポカンとする、アギト。
 構わず、ブッカーはジープに乗り込む。

「そう言えば君達は、何でここに?」
「まあ、ちょっと人に会いに、ね」
 はやてが答えた。
「フム、……やはり、そうか」
 ブッカーは、おもむろにエンジンに火を入れる。
 ジープが、目を覚ました。
「じゃあな、おれも忙しくてな。ゆっくりしゃべる暇もないんだ」
 そして、ギアを入れ、サイドブレーキを倒そうとした時、 
「あの、ヤン提督を無理矢理連れ出した、ッてゆうんは、つまり」
「はやて、つまりは、そう言うことだ」
「……一つ、聞いて良いですか、ジャックさん?」
「主はやて?」
「何だい、はやて」
「FAFにとって、……『ジャム』って、一体何なんですか?」

「おれ達の目の前にある現実、ッて所かな」

 困ったお嬢さんだ、――そんな顔だった。
 しかし、同時にもの悲しそうにも見えたのは、はやての思い過ごしか。

 そして、
「また会おう」
 ブッカーは、、ジープと共に駐車場を出て、公園をあとにした。

 風が強く吹き付ける。
 森のざわめきは、更に激しさを増す。

「なあ、シグナム?」
「はい」
「機動六課のために尽力してくれた人達に対して、私ら、何をしてあげられるんやろ……」
 シグナムは、答えられなかった。
 他の家族も同様であった。

 森は、彼らの心に敏感に反応しているかの如く、激しく、ざわめき続けていた。

 それとも、この森のざわめきは、
新たなる戦いの序曲(OVERTURE)に戦慄する、この世界の心の表れなのだろうか――。




                                         『リリカル旅話・インターミッション・2』
                                                           CMPL

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最終更新:2010年01月10日 02:05