時空管理局次元部局艦隊ステーション「タイコンデロガ」(旧名:時空管理
局本局)には、本局時代に作られたWWMCCS(世界軍事指揮統制システム)
がある。
それは、軍事ネットワークの指揮と安全を担うのと同時に、敵対世界での
あらゆるメディアによる通信の監視と分析を可能としている。
タイコンデロガ中央センターにあるそれは、NORADを遥かに凌ぐ巨大な施設
で、部屋の大部分を無数の空間モニターが占め、次元部局と陸上部局の
職員が各員自分のモニターを見つめながら、各時空世界内外を行き交う様々
な通信に聞き耳を立てている。
音声信号と映像信号は記録された後、解析処理の専門班がいる部署へ回され、
そこで分析や過去の記録との照合が行われた上で、上層部への報告書として
まとめられる。
その席の中で、ブラウンのロングヘアーに眼鏡をかけた二十代前半の女性次元
部局々員が、背伸びをして眼鏡を外し、眼を瞑って鼻柱に指を当てて揉んだ。
彼女のモニターに映るのは、先の基地襲撃の際、管理局の軍事ネットワークへ
クラッキング攻撃を掛けられたときに流れた信号音の波形である。
最初は、フェイトの安否が不明という不安と、未知の信号パターンへの好奇心
から一生懸命に信号音に聞き入り、波形パターンの解析に取り組んでいたが、
何時間も根を詰めて仕事をしていると流石に疲れてきた。
各次元世界で使用されている信号・暗号パターンで該当するものがなく、何も
閃きが浮かばない事も疲れに拍車をかけている。
「シャーリー、何か分かった?」
青色の次元部局技術士官の制服を着た、オリーブグリーンのショートヘアで
眼鏡をかけている、なのはより少々年上な二十代半ばの印象の女性が、
シャーリーことシャリオ・フィニーノ三等陸曹に尋ねる。
「ダメですね。無限書庫から暗号のライブラリーを取り寄せたんですけど、
符合するものは何一つ…」
シャーリーは疲れきった表情で、眼鏡をかけ掛け直しながら答えた。
「マリエル技官の方はいかがですか?」
マリエル・アザンテ精密技術官は、両手を上げて首をすくめる“お手上げ
のポーズ”を取りながら答えた。
「こっちも同じく、どんな信号か見当も付いてないわ」
マリエルはそこで言葉を切ると、背伸びをしてから話を続ける。
「で、しょうがないから一旦食事にしようって話になったんだけど、一緒
にどう?」
マリエルの言葉にシャーリーは少し笑うと、自分の空間モニターを切って
立ち上がった。
「そうですね、あまり根を詰めても仕方ないですし」
シャーリーの返答に、マリエルはにっこりと笑った。
次元航行艦が常時出入りしている港湾エリアは、昼夜の区別無く、(元々
次元空間上にあるので、昼も夜もないのだが)人と物資が忙しく動く不夜城
である。
あるドックでは、今、一隻のXV級大型次元航行船が、出港の準備におおわらわ
だった。
「エグザビアに積み込むのは、これで全部か?」
食料や薬品を満載したパレットをフォークリフトで運ぶ、ヘルメットを被り
作業着を着た、ジャガイモを思わせるゴツゴツした顔の港湾作業員が、荒縄
を束ねたような長い首を持つ同僚に尋ねる。
彼は、空間モニターを起動してリストを確認する。
「えーと、積み込む分はそれで終わりだ。で、向こうで降りる乗員の荷物を
受け取ってきてくれ」
「分かった」
同僚の言葉に頷くと、作業員はフォークリフトをエグザビア船内へと走らせる。
エグザビア乗員の誘導の下、船内倉庫の定められた場所に荷物を降ろし、下船
する乗員の荷物が載ったパレットを引き取る。
船から港へ戻ろうとした時、引継ぎで乗り込んだ、蛸と人間が半分ずつ混ざり
合った姿の交代要員が、触手にしか見えない腕を振りながらラジカセを持って
作業員のところへ駆けてきた。
「誰か忘れてったらしい、持ってってくれ」
作業員はラジカセを受け取りながら、物珍しそうに言う。
「ラジカセか、今時珍しいな」
作業員の言葉に、交代要員は興味なさそうにそっけなく答えた。
「懐古趣味の奴が居るんだろ。じゃ、頼むぜ」
遺失物保管所は、国際空港のチケットセンターを思わせる巨大なカウンターと
なっており、そこでは遺失物の届け出又は引き取りに来た局員や作業員たちに、
何千人という専属の職員たちが忙しく応対している。
「エグザビアのうっかりさんが忘れてったらしい、置いといてくれ」
作業員がラジカセをカウンターに載せ、灰色の肌に巨大な頭と細く釣り上がった
目を持つ職員に言う。
職員は細くて長い腕を動かして、作業員の目の前に空間モニターを表示させた。
「じゃあ、この遺失物届けにサインをお願いします」
作業員がモニターに打ち込みをしている間、職員はラジカセを手にして珍しそう
にしげしげと眺めた。
「音楽プレーヤーっぽいですけど、見たことのないヤツですね」
「お前さんあたりだと分からんか。こいつはラジカセって言うんだ」
作業員の言葉に、職員は感心したように言う。
「へぇー、これがラジカセですか」
「誰のもんか分からんし、骨董屋にでも持ってたらどうだ? 結構高値で売れる
かも知れんぞ」
入力を終えた作業員がニヤリと笑いながら言うと、職員は首をすくめて苦笑した。
「冗談。モノがモノだけに訴えられかねませんよ」
「違いねぇ」
作業員は大笑いしながら保管所を出て行き、職員は引き取ったラジカセを抱えて、
一時保管所の棚へと向かった。
一時保管所は、次元航行艦や港湾エリアから届けられた膨大な遺失物の管理の
ために、高さ十メートル、幅約百メートルほどの巨大な鍵つきの棚が何十列
にも渡って続いている部屋である。
部屋に入った職員は、飛行魔法で浮き上がると真正面の棚の最上段へと上昇する。
何も荷物の入っていない保管場所の鍵を開けると、ラジカセをその中に置いて
扉を閉めた。
職員が立ち去り、静かになった棚の中で、ラジカセが突然分解を始めた。
中央部から青い光を放つ四つの目が現れ、両側のスピーカーからは腕が現れ、
後部からは脚が現れ、たちまちのうちに一メートル四十センチの程度の人間型
機械へと変形する。
“フレンジー”という名を持つ、人間型でありながらカマキリのような肉食
昆虫の雰囲気を感じさせる機械生物は、周囲をスキャンして人の気配が無い
のを確認すると、格子の隙間から指を出し、マニピュレーターで器用に鍵を
外して静かに扉を開ける。
そして音も無く棚の上にのぼると、天井を見上げて通気口の位置を確認した。
フレンジーは天井に飛びつき、パイプや電灯などの突起物を頼りに、テナガザル
の様に枝わたりをして通気口の下にぶら下がった。
両足で天井の突起につかまってぶら下がりながら、通気口の格子を止めている
ネジを二つに分かれる両腕の上半分で器用に外していく。
ネジがすべて外れると、腕の下半分で格子をつかん落ちないようにしながら、
通気ダクトへ入り、格子のネジを元通りに締め直した。
ダクト内へ侵入したフレンジーは、歯軋りとも唸り声とも取れる奇妙な音を
立てながら、キョロキョロと首を動かす。
その様は、意味の分からない事を呟きながら周囲を見回す不審者にしか見え
ないが、実際はダイコンデロガの図面を開いて現在位置を確認しているところだ。
目指す中枢区画がどの方向にあるかを確認すると、音を立てないようダクトの
両端に足を乗せて、静かに歩き始めた。
フレンジーは、侵入地点を基準に記録したルートと見取り図を比較して、常に
自分の現在位置を確認しながら、確実に中枢区画へと近づきつつあった。
タイコンデロガ全体に無数に配置されている、末端の空調施設のうちの一つに
近づいた時、突然フレンジーは動きを止め、ダクトの天井に飛びついた。
フレンジーの位置から少し先、空調施設の手前にあるT字路から、鼠と同じ
大きさの、ゴキブリとサソリの合いの子みたいな不気味な生物が出てきた。
生物は天井に貼りついているフレンジーには気付かず、触角で周囲を探ると、
空調施設の方へと向かっていく。
入り口少し前まで来たとき、突如生物の足元にミッド式魔方陣が展開され、
光の輪が体に巻きついて動きを封じる。
生物は、ガラガラヘビの鳴き声みたいな悲鳴を上げて戒めを解こうと暴れるが、
輪は強固に体を締め付けて離さない。
少し経ってから魔方陣が赤く輝き出し、生物を包み込む。
輝きはどんどん増し、人間の眼ではまともに見ることが出来ない程になる。
次の瞬間輝きは消滅し、魔方陣も一緒に消える。
後には僅かな塵だけが残り、それも空調施設からの風で吹き散らされていった。
天井からその様子を眺めていたフレンジーは、先程の様子をもう一度再生して
魔方陣の位置とその効果を確認する。
魔術を用いた害虫駆除用のトラップ。
フレンジーはそう判断を下すと、両手から数個の金属片を曲芸師のようにジャグ
リングしながら取り出して、左右の壁と天井の三箇所へ手裏剣のように投げる。
投げた金属片は、先程と同じようにミッド式魔方陣のバインド魔法に囚われ、
赤い光の中に消えていった。
録画した映像を繰り返し再生して、警備システムの突破口を探す。
傍目では腕を組み、顔を傾げて考え込んでいるように見えるその姿は、人間と
ほとんど変わりない。
今度は、空調設備入り口を塞いでいる網格子へ投げた。
網格子に当たった欠片は、ピシッと音を立てて跳ね返り、床に落ちた後で再び
バインドされて消滅する。
そこだけセキュリティが何もかかっていない事を確認した後、フレンジーは一旦
後ろへ下がった後助走をつけてジャンプし、格子に飛びつく。
フレンジーは、腕から武器兼接続端末のニードルを出して格子を切り取り、空調
設備内部へと入り込んでいった。
緻密に配置された警備システムを跳び越え、欺きながら、フレンジーはタイコン
デロガ全体を網目状に張り巡らされた通気ダクトの迷路の中を、確実に中枢部へ
と迫りつつあった。
フレンジーは、タイコンデロガ中央センターに近づいてきたことを現在位置から
確認すると、今度は降りる場所を探して、行く先の通気口から外の状況をマメに
確認するようになる。
中央センター前の廊下。人が多すぎてすぐに発見される。
中央センターの施設。最も理想的な場所だが、上記と同じ理由で降りるのは不可能。
倉庫。隠れる場所は多いが、クラッキングできる端末がない。
クラッキング出来る端末があって、身を隠せる理想的な場所を探すフレンジーの
眼前に、上下階に通じているダクトが現れた。
フレンジーは、せわしなく首を振ってダクトの様子を確認すると、ヤモリのように
壁に貼り付いて、静かに下へと降りて行った。
下の階のダクトが見えて来ると、フレンジーはダクトから見えない位置に止まり、
そこからレーダー波を放つ。
波の反射からダクト内に人が居ない事を確認すると、フレンジーは音も無くダクト
に降り立った。
少し先に通風孔があり、淵に立って下を覗くと、眼下に大型コンピュータが置いて
あるのが見えた。
格子の隙間から眼を出して、周囲の様子を観察する。
部屋には数台の最新鋭スーパーコンピュータ(フレンジーから見れば原始的で能率
の悪いガラクタだが)が置かれていて、フクロウ顔で尻尾を生やした作業員が左隣
に居る猿の作業員と、コンピュータのパネルを外して、マザーボードの交換をしな
がら雑談していた。
「オレのご先祖様は数百年前に第97管理外世界から来たんだが、その理由って
のが土着の神として信仰されていたのが、外部から絶対神ってのが入ってきて、
悪魔として排斥されるようになったかららしいんだな」
「今まで神様だったのが、都合が悪いからって悪魔にされたのか? ひでぇ話だな、
そりゃ」
フレンジーは彼らの背後へ音もなく降りると、右横にあるケーブル収納棚の中に
身を潜める。
作業と雑談に夢中な作業員たちは、背後で棚のフレームに溶け込んだ人間型機械
の事には微塵も気付かない。
やがて、修理を終えた作業員たちが話を続けながら出て行くと、フレンジーは
そろそろ収納棚から出てきた。
一番近くのコンピュータへ近づくと、その表面を四つの眼でスキャンしていく。
フレンジーは、ミッドチルダ公用語およびそれ以外の数ヶ国語で、「アクセス
パネル 関係者以外使用禁止」と書かれているプラスチックパネルに眼を留めた。
パネル上に指を這わせて丹念に調べ上げ、鍵がかかっている箇所を見つけると、
フレンジーは右手のマニピュレーターで鍵を壊す。
強引にパネルを引き剥がすと、中から現れたのは通信端末だった。
フレンジーは満足そうに頷くと、端末の電源スイッチを入れる。
突然眼前に空間モニターとキーボードが出現したとき、フレンジーは一瞬仰け
反るが、すぐに慣れて操作を再開する。
複数の腕を持つ生物はミッドチルダでも珍しくはないが、それに加えて機械特有
の正確さと速さを持ち合わせるフレンジーは、如何なる次元世界の生物でも為し
得ない驚異的な速度でタイピングを行い、次々とモニターを開いてシステムを
解析していく。
空間モニター上に“これより先最重要セクション パスワードを入力して下さい”
と表示が出ると、フレンジーは空調設備で使ったニードルを再び出して、端末の
接続ポートに差し込む。
画面下に、“デバイスに接続”と表示が出ると、フレンジーは変調した甲高い
騒音を発する。
それをシャーリーが聞けば、セギノール中央基地の襲撃時にブラックアウトが
発した信号音と同じだと気付いただろう。
信号音と同時に、モニターに“システムエラー発生”と表示された後、至極
当然ように、管理局のネットワーク最深部へ接続が行われた。
最終更新:2008年01月17日 21:56