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 この世でもっとも生物を殺したのはなんだろうか。
 それは刃か?
 それは火か?
 それとも銃弾か?
 いや、毒である。
 肉体を蝕み、血肉を腐らせ、悶え苦しんだ後に残酷に息を止める。
 無念にも毒で死んだ者。
 諦めの果てに服毒した者。
 勝てぬ化け物に挑み、毒を持って打ち勝った者。
 毒とは総称だ。
 それは体を蝕むもの。
 それは心を蝕むもの。
 痛みを、苦しみを、誰かが望むがままに与える痛みの塊である。


                             ――煙草の焼け焦げを残した紙片より



【AnrimitedEndLine】

 外伝 『Biscuit・Shooter/2』

  その日、別れを告げた



 ……ニコチンは毒だ。
 煙草に付随するタールもまた毒だ。
 体を蝕み、肺を黒く汚して、毛細血管を収縮し、舌を麻痺させ、体力を削る。
 どう足掻いても吸うことに意味はない。
 けれど、手を伸ばすのは……もはや中毒なのだからだろうか。

「プハ~……」

 武装隊の詰め所にある喫煙所。
 そこでヴァイスはいつものように煙草に火をつけて、紫煙を吸い込んでいた。
 喫煙所には他には誰も居ない。
 元々肉体勝負の武装隊には禁煙を心がけている奴も多いし、それ以前に今は武装隊の一チームが出動したばっかりだ。
 ヴァイスは、その出動する人員には……含まれていない。

「今日でここもおさらばか」

 煙を吐き出して、紫煙を揺らめかした煙草の先端を見つめながら、ヴァイスは天井を見上げた。
 普段にはないだらけた姿勢で、スプリングの壊れたまま修理申請の通らないソファーに背を預ける。
 ギシギシと軋んで休めない固いソファー。
 これも今日でおさらばだ。

「そう考えるとなんだか名残惜しく……はならねえな」

 座り心地最悪のクッションに思い出なんて求めちゃいない。
 この一本を吸い終わったら、行くか。
 そう考えて煙草の先端を見る見る灰に変えていった時だった。

「誰かいるのか?」

「あ?」

 ガチャリと煙から隔離するための扉を開けて、見覚えのある赤いポニーテイルが見えた。

「ヴァイス、か?」

「シグナムの……姐さん?」

 そこに居たのは同じ航空武装隊の同僚であり、先輩とも呼べるシグナムだった。




 窓を開け、換気扇を回す。
 そうすることで部屋一杯に立ち込めていた紫煙の煙が薄れていく。
 大して高級でもない安い煙草はただ煙臭い香りと苦々しい味しか齎さない。
 そんな中に煙草を吸わない非喫煙家のシグナムには厳しいだろうという配慮だった。

「すまないな」

 ヴァイスが座っていたソファー。
 その対面に当たるやはりスプリングが利いていないソファーにシグナムは腰掛けていた。

「いや、大したことでもないすから……ところで姐さんはなんでこんなところに?」

 喫煙家どころかあまり煙草の煙自体を好んでいないはずのシグナムが、喫煙所にやってきた理由をヴァイスは尋ねた。

「そうだな……率直に言えば、お前に会いに来た」

「へ?」

「武装隊から部署換えするのだろう? なんでもヘリパイロットを目指すらしいな」

「参ったな……知ってたんすか?」

 ガリガリと頭を書き上げて、煙草の端を噛みながら苦笑するヴァイス。
 それを見ながら、シグナムは内心不安を感じていた。

(例の誤射事件から顔を合わせていなかったが……随分とやつれているな)

 同じ航空武装隊とはいえ、別の班の所属だ。
 大掛かりな任務でもなければ任務で顔を合わせることも無い。
 最後に顔を合わせたのは数ヶ月も前の話だ。

(ティーダが亡くなった時もそうだったが……さらに悪化しているな)

 たった数ヶ月前の記憶と現在を見比べてみると、愕然とする。
 過酷な任務で疲労の色はあったものの軽口を叩きながら笑っていたヴァイスの面影は殆ど残っていない。
 確かに口調や態度は記憶のままだが、どこかで違和感を覚える。
 無理して取りつくろっている。
 そんな気がするのだ。
 笑いたくもないのに笑っていて、苦しいのに苦しくない振りをする。

「ところでヴァイス。体調の方は……どうだ?」

「は? 姐さん、なにを藪から棒に」

「いや、な。又聞き程度だが、お前の調子が悪いと聞いてな。違う部署に行くのだ、調子を崩していたら最初から躓いてしまうだろう?」

「うー、いや確かにちょっと調子は悪いすけど。大したものじゃないっすよ」

 調子が悪い。
 そんなレベルではなかった。
 少なくともシグナムが知っている限りでは、そんなレベルではない。
 初めに聞いたのは銃がマトモに握れなくなったという話。
 射撃場でガタガタと震える腕を押さえつけて、デバイスの引き金を引いていたという噂。
 任務が終わるたびに嘔吐し、誰とも口を利かないまま姿を晦ますという。
 昔はまったく手を出していなかったはずなのに飲酒に手を付け、決して吸おうとしなかった煙草をシグナムの前で吸っている。
 おそらく煙草や酒は不安感やイラつきを抑えるためにやっているのだろう。
 明らかなPTSD(心的外傷後ストレス障害)の傾向だった。
 明らかな重病人であり、本来ならば心身共に酷使する武装隊になど続けられるはずのない状態だった。
 なのに、ヴァイスはそれでも武装隊をやめようとしなかった。
 昔のままに……否、以前よりも鬼気染みた雰囲気と態度で戦歴を挙げ続けた。
 壊れたように、狂ったように働き続けていた。
 いつか死ぬんじゃないか? とまで囁かれていた。
 そんな彼が唐突に転属願いを出した。
 それも荒事とはさほど関係のない運搬部への転属願い。
 良い傾向だと思った。
 確か昔ヘリが好きだと聞いていたから、本当に好きなものに熱中することが出来るのならば多少は傷を癒せるかもしれない。
 そう考えていた。

「そうか……それならいい」

「えっと、それだけすか?」

「ああ。ちょっと心配になっていてな」

 シグナムは何気なく成長した同僚であり、後輩のヴァイスを見つめた。
 二年だ。
 新米として武装隊に入ってきた十代の少年は二年の月日でここまで成長し、そして変わり果てた。

(私は未だに成長も衰えもしないのにな……)

 闇の書――否、蒼天の書の防衛プログラムとして生み出された仮初の命。
 記憶はある。
 心もある。
 命もある。
 けれども、それは不変だった。
 おそらくは十年経っても、二十年経っても、主が年老いても自分は同じままなのだろう。
 そして、目の前の後輩であり同僚だった若者はこれからも成長し、変わっていくのだろう。

(少々羨ましくもあるがな)

「姐さん? ……なんか用があるんすか?」

 そんなことを考えていたら、ヴァイスがこちらに目線を合わせていた。
 どうやら無意識に見つめていたらしい。

「いや、少し考えごとをしていただけだ」

「そうすか……」

 そうヴァイスは呟くと、ゴソゴソと胸ポケットから取り出した煙草を咥えようとして――不意にシグナムに眼を向けた。

(吸ってもいい? ということか)

 シグナムは苦笑しながら、手を振って構わないという態度を取ろうとした時だった。

『臨時ニュースです』

「ん?」

『市民街で起きた違法魔導生物の脱走事件ですが、武装隊の迅速な対応で無事確保されました。しかし、その際に市民に数名の軽症者が出ており、地上本部の治安体制に抗議の意見が殺到しており――』

 ブツン。
 喫煙室に取り付けられていたディスプレイが、ヴァイスの握った端末によって電源を落とした。

「……どこもかしこも文句しか出ないすね」

「ああ。ただでさえ地上本部は忙殺されるほど動いているというのにな」

 度重なる治安問題。
 未だにはこびる違法魔導師や管理局への反テロ運動。
 異常とも言える管理外世界への勢力拡大に、性急な動きによって海はより広まる活動範囲に人手と人材が足らず、それによって引き抜かれた地上本部はより深刻な人材不足と戦力不足に悩む。
 急激な運動に管理局という組織自体が軋みを上げて、その動きに耐え切れずに組織のパーツ……すなわち人材が磨耗して擦り切れていく。

「上層部は何を考えているんすかね……」

「さあな。少なくとも私達程度では口の出せない領域だということには変わりあるまい」

 如何にSランク魔導師といえども、所詮組織の端末だ。
 重要性と戦力という意味では重宝されているかもしれないが、自分たちヴォルケンリッターは闇の書の収集行為という
度重なる重罪を犯し、本来ならば何の関係もない主ともども管理局に組している。
 時折、組織の方針に疑問を抱くこともある。
 ヴィータは特に気づいていないだろうが、シャマル或いは少なくともザフィーラも同じ心境だろう。

 ――“完全無欠の正義”など存在しないことに。

 けれども、この管理局は主が夢見る願いを叶えるための組織であり、数多くの恩人が所属している組織だ。
 鎖に繋がれた囚人も同然とはいえ、自らが幸せを望む主と友人たちのために剣を振るい続けることは間違っていない。
 決して間違っていない。

 少なくとも私はそう信じている。

「……口は出せない、か。いつまで続くんだろうな、こんな事件が」

「ヴァイス?」

 私が思案にふけていると煙草を噛み潰し、ディスプレイを見上げたヴァイスが居た。

「え? あ、いや、ちょっと……イラついただけっす。すいません」

「腹立たしいのは分かる。しかし、ここでお前が怒る理由にはなるまい?」

「あー、そう……すね」

 噛み潰した煙草の根元を指で掴み、ヴァイスはライターを取り出す。
 カチンカチンと鳴らして、火を出そうとするのだが、オイルが切れたらしく火が出ない。

「っ、くそ」

「ちょっと貸してみろ」

 私は立ち上がり、ヴァイスの口元に手を運んだ。

「姐さん?」

 眼を丸くするヴァイスの前で、軽く魔力を放出し、変換資質で火へと変質させる。
 パチンと指を鳴らすように、指の間から躍り出た火が煙草の先端を焦がした。

「おー。シグナムの姐さんがいると、ライター要らずっすね」

「そういわれると、途端に安上がりな気分になるな」

 シグナムは軽く苦笑し、ヴァイスもまた笑みの形を取り繕いながら紫煙を吸い込む。
 そして、ゆっくりとシグナムには掛からない位置に煙を吐き出して、喫煙所に備え付けられた灰皿で折れ曲がった煙草の先端を揉み消した。

「それじゃあ、俺はそろそろ行きますわ」

「ああ」

 よっこいしょっという声と共に、ソファーにおいておいたのだろう肩下げバックを腕にかけ、ヴァイスは喫煙所の扉を開けた。

「じゃあ、シグナムの姐さん。またなんかの機会があったら会いましょう」

「ああ。楽しみにしている。いずれはまた模擬戦でもするか」

「そいつは勘弁を。勝てないですって」

 苦笑しながら、ヴァイスは最後に手を振って、喫煙所の扉を閉めた。




 そう告げて、ヴァイスは武装隊の宿舎から姿を消した。
 シグナムはそれを見届けた。

 彼は知っている。
 近き日か、遠きいつかの日に起こりえるであろう事態を。

 彼女は知らない。
 近き日か、遠きいつかの日に起こる出来事を。

 かつての同僚にして、先輩。
 かつての同僚にして、後輩。

 同じ部隊に所属するであろう烈火の騎士と落ちぶれたエーススナイパー。

 二人の信念をかけた激突を。


「シグナムの姐さん。悪いが、ここで墜ちてくれ」

「ヴァイス! お前はぁあああああああ!!!」


 万物一切の敵を断つ烈火の騎士。
 万物一切の障害を撃破するビスケット・シューター。
 剣と銃。
 真っ向から打ち破る騎士と死角から仕留める狙撃手。
 相反する存在の対立。


 彼と彼女の激突は、遠き六年後に演じられることになる。

 そう、それは燃え上がる噴煙と爆炎の戦場で。



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最終更新:2008年04月21日 02:24