人は何かを思い出しながら生きている。
現在は過去の終着点であり、未来は過去の延長線。
日を浴びながら歩いていても、その背後から付き従う影のように、過去を振り切れるものなんてこの世にはいない。
過去は追ってくる。
過去は刻み付けられる。
過去は迫ってくる。
記憶は、思い出は、降り積もる雪のように膨大な記録に埋もれていくだろう
けれども、いつかは雪は溶ける。
そして、その下に芽吹く過去は春の兆しを浴びる新芽のように、或いは迂闊に足を乗せた地雷のように。
その者の前にそれは姿を現すのだ。
――脳漿をぶちまけた遺骸の手に握られた手帳より
そいつのことは一目見た瞬間から理解出来た。
ティアナ・ランスター。
特徴的なファミリーネーム。
誰かを思い起こさせる赤毛。
だから、ヴァイスは彼女を見た瞬間、息を飲んだ。
かつて失った親友の面影を、かつて取りこぼした悲劇を突きつけられたような気がして。
「平和と法の守護者、時空管理局の部隊として事件に立ち向かい、人々を守っていくことが私達の使命であり、
為すべきことです」
本来ならば聞かなければいけない部隊長の挨拶を殆ど聞き流してしまっていた。
だから彼は、パチパチと続く拍手の音に、慌てて手を鳴らし始めた。
そして、同時に思い出す。
今いる場所。
――古代遺失物管理部【機動六課】本部隊舎。
そして、目の前で手を振るっているのは八神 はやて。
若き天才指揮官として目される才女だった。
【AnrimitedEndLine】
外伝 『Biscuit・Shooter/3』
その日、過去と出会った
……機動六課。
そこに所属することになったのは俺の意思ではなく、一つの誘いからだった。
「えっと、シグナム姐さんもう一回言ってくれるか?」
運搬部隊の宿舎からの散歩道。
非番の日に懐かしい声で呼び出された先に居たのは、鮮やかな髪をなびかせた見覚えのある女性。
数年ぶりに顔を合わせた元同僚であり、先輩でもあるシグナムの姐さん――“ヴォルケンリッター”のシグナムは相変わらず何一つ変わらない顔つきで告げた。
「主……いや、私たちが創る新設部隊に入らないか? ヴァイス・グランセニック」
「新設……部隊?」
「ああ。詳しい話はまた今度するが、ある試みを持った実験部隊になるだろう」
「試み?」
ヴァイスが首を傾げると、シグナムは少しだけ鋭さを秘めた瞳を浮かべた。
「ヴァイス。お前は今の武装隊の事件への対応をどう考えている?」
「今の武装隊って……俺が武装隊にいたのはもう二年も前ですよ? 状況なんてわからないっすよ」
「外部の人間としての感想でいい。どう思う?」
「そうっすね……海の方は相変わらずよく分からないっすけど、地上のほうは相変わらず人手不足みたいすね。
発生する事件に対応しきれて居ないというか……」
ヴァイスは空の彼方に自分の思い出すべきことがあるというように空を見上げながら呟いた。
そんな……彼の手は小刻みに震えていた。
煙草が欲しい。
控えめにしているが、どうしてもやめられない煙草を吸いたくなった。
思い出そうとする思い出を殺し尽くすほどの苦々しい毒を吸いたくなってくる。
「お前もそう思うか……」
そんな彼の手先の震えに気が付いたかのように、シグナムはヴァイスの言葉の終わりを待たずに結論を言った。
「地上では頻発するテロや治安に追われ、海では広大な管理世界に慢性的な人手不足に悩まされ、常に対策は後手に回り、
重要度の低い事件は後に回されている。ヴァイス、私達はそんな状況を変える一石を投じたいのだ」
「……一石?」
「ああ。そのための実験部隊、優れた高ランク魔導師と高い成長性を持った新人たちによって構成された広域機動部隊。
既存の管理局にはありえないほど充実した部隊になるだろう」
高ランク魔導師によって構成された部隊。
高い成長性を持った新人。
それはすなわち選りすぐりのエリート部隊とも呼べるものだろう。
「そんな部隊に……俺なんか誘っていいんすか。優秀なヘリパイロットが欲しいなら、Aランク試験落ちたばっかの俺じゃなくて、
他の奴を紹介しますよ?」
ヘリパイロットとして最高位のAランクライセンス。
その取得試験にヴァイスは落ちた。
勉強もした、腐るほどシミュレーターもやって、輸送用ヘリから軍事ヘリまで動かしても届かないAランクライセンス。
それが手に入れられなかったのはただ単純に才能がなかったのか、それとも今だにヘリの操縦桿を握る自分に
違和感を覚えているからだろうか。
いや、それは単なる言い訳だ。
「確かに単なるヘリパイロットが欲しいならAランクの者を紹介してもらったほうがいいだろう。
けれど、私はお前を誘っているんだ。いや、お前にこそ来て欲しいと思っている」
シグナムの言葉に、ヴァイスは不審げな表情が浮かんだ。
「……なぜ俺なんすか?」
疑惑の目でヴァイスはシグナムに目を向けた。
ヘリパイロットとして特別でもない、自分を誘うメリットが読めなかった。
武装隊も止め、“表向き”には引退したも同然の自分に誘う価値なんてあるわけがないと思っていた。
けれど。
「ヴァイス……私はな、お前に夢を見せたいのだ」
「夢?」
「ああ。お前の妹の悲劇……それを食い止められるかもしれない可能性を見せたいのだ」
可能性?
「“救えなかったはずの誰かを救える部隊”、“助けられなかった誰かを助けられる力”。
つまらない夢物語かもしれないが、そんな可能性がある。だからこそ、お前に見届けて欲しいのだ」
その言葉は、その時の彼にはあまりにも眩しかった。
まるで太陽のようで、もし少しでも違う俺だったら希望を携えて頷いていただろう。
雨の日に引き金を引き続けていた俺だったら、多分涙を流しながら惹かれていたかもしれない。
けれど、“もう一つ信じるべき正義を持っていた俺は”。
太陽ではなく、月明かりのような“もう一つの正義”を知っている俺は。
「少し……考えさせてください」
即答も出来ずに、そう答えるので精一杯だった。
あの時とは違う空が見上げた視界に見えた。
同じ晴れた日。
「そうやって二年前の俺は結局頷いて来たわけで……」
これからの任務を共にする武装隊用の新鋭機【JAF04式】の装甲に背を預けながら、ここに来るまでの経緯を思い出し、
自分の情けなさに呆れた。
(自己嫌悪に陥るぐらいなら、最初から断れっつう話だよな)
先ほどの部隊長挨拶の時のスーツから着替え、専用のフライトジャケットと皮製のグローブを身に付けた手で
眉間をつまみながら、ヴァイスはため息を吐いた。
自己嫌悪。
そうなのだ。この機動六課に入ったのはなにも自分の意思だけが全てではなかった。
レジアス・ゲイズ中将。
あの人からの指令もあったのだ。
「――彼女達の正義の行く末を見極めろ。もしお前の正義が間違っていると思った時には、
それを“止める”力になれ」
たった数行の言葉と渡されたデータベースへのアクセスコード。
それだけを手に、俺はここにいる。
阻むためでも、排除するためでもなく、“止める”ために。
(まったく大将は難しい注文をするよな)
ただ単に瓦解されるだけならまだしも、それを止める、或いはその進路を逸らす。
それがいかに難しいことか、分かりきっているだろうに……
(レジアスの大将も期待しているんだろうか……彼女たちに)
天才には頼らない。
奇跡には祈らない。
それを公言し、レアスキル保持者に対しては嫌っているとまで誤認されているあの人はどこまで
厳しい道を歩むのだろうか。
ただの手足としか望まない自分だけれども、心配になる。
あの人が実現させる【100年の平和】の足掛かりを築き上げるまでの幾多の苦難に。
『――Friend』
「ん? ああ、もうこんな時間か」
ストームレイダーの声に気が付いて、時計を見ると既に八神はやて部隊長とフェイト・T・ハラオウン隊長の
輸送予定時間まで五分を切っていたことに気が付いた。
「よしっ」
顔を軽くはたいて、気合を入れる。
見れば、隊舎内から出てこようとしている二人の少女を見て、俺は笑みを浮かべた。
「あー、ヴァイス君。もう準備出来たんか?」
「準備万端。いつでも出れますぜ」
心の葛藤を押し潰し、焼き潰し、押し込めて。
俺はただこの場にいる人間として相応しい笑みと言葉を作っていた。
首都クラナガン 中央管理局。
地上本部の中心部とも呼ぶべき場所に、ヴァイスは足として二人と……あと忘れていたが、リインフォースⅡ空曹長を
運び終えていた。
業務を終えた三人の再輸送まではまだ時間がある。
JAF04式から起動キーでもあるストームレイダーを引き抜いて、隊舎だと吸えないニコチンを
補給するため駐機場から立ち去ろうとした時だった。
「あ、すみませんがちょっと待ってください」
ヴァイスを呼び止めたのは変哲もない作業服を着た男。
油にまみれ、世話しなく働き続けているであろう整備員の一人。
「ん? なんだ」
「あ、9番駐機場の申告されている時間での航空規制なんですが……」
そういって、その整備員はヴァイスに歩み寄り――“一枚の紙を握らせた”。
誰にも見えないように、不自然ではない動きと角度で、ヴァイスの手に一枚の紙が収まる。
「ん? もしかして、また航空ルートに指定が入ったのか?」
それにヴァイスは気づいて、軽口を叩きながらその紙切れを裾に仕舞い込んだ。
「ええ。最近はクラナガン上空の航空規制も厳しいようで、このレポートに書かれたルート通りに
離陸してください」
そう告げて、整備員は脇の下に挟んでいたバインダー付の航空ルートについて書かれた書類を
ヴァイスに渡すと立ち去っていった。
「なるほど、ね」
周囲を一瞥し、駐機場で邪魔にならない壁際に背を預けると、ヴァイスは手に持ったバインダーを前に立て、
周囲の視線から隠すように裾から出した紙切れを広げる。
そこに書かれていたのは簡素なアクセスコードと参照すべきデータベースのアドレス。
その文面をヴァイスは頭の中で数度反芻すると、紙切れを音を立てないように細かく千切った。
そして、あくびを隠すような動作でその紙切れを口の中に放り込む。
(まずっ)
当たり前だが、美味くもなんともない味にヴァイスは一瞬だけ眉間に皺をよせた。
メモに使われている繊維もインクも人体には影響がなく、唾液で溶ける特殊な紙。
何度も同じ手段で処分してきたからわかっているものの、この不味い味にはいまだに慣れない。
……慣れたくもないが。
「……ストームレイダー」
『YES』
待機状態の己の相棒に呼びかけて、ヴァイスは思考操作によって先ほど覚えたばかりの
アクセスコードとパスワードを入力する。
静かな駆動音と共にストームレイダーが、複雑なヘリの操縦システムも扱える高精度の処理能力を稼動させて、
地上本部のデータベースにアクセスを開始する。
その際に本来ならば出現するはずのディスプレイは浮かばない。
その代わりにヴァイスの網膜に、浮かぶべきディスプレイの映像が投影されていた。
もし注意深く、彼を観察しているものが居たら気づいたかもしれない。
ファイルを読んでいるだけにしては激しく動き過ぎている、彼の眼球の動きに。
(なるほど……ようやくフォワード陣のデータが提出されたのか)
他の誰にも見えずとも、ヴァイスにだけは見えるディスプレイには本日配属されたばかりの
新人フォワード陣四名のデータが写っていた。
(スバル・ナカジマ……あのゼスト部隊の所属のクイント・ナカジマの娘で――戦闘機人?
しかも、タイプゼロシリーズかよ。隊長たちはそれを知っててスカウトしたな)
蒼い髪の凛々しい決意を秘めた瞳を浮かべる少女を見て、ヴァイスは僅かな息を吐いた。
彼は知っている。
ライトニング分隊の隊長であるフェイト・T・ハラオウン捜査官が誰を追っているのかを、いずれぶち当たるであろう必然という名の偶然に皮肉を感じられずには居られない。
(それとキャロ・ル・ルシエとエリオ・モンディアルは……フェイトさんの保護対象だってのは知ってたけど、
こんなに幼くて大丈夫なのか? 片方はレアスキル持ちみたいだが、もう片方は魔力適正の高いだけの子供だぞ?)
魔力適正の高さは年齢や身体能力の差を軽々と凌駕する。
才能は経験の差を簡単に覆し、力を与える。
それを知っているとはいえ、ヴァイスはどこか嫌悪にも似た感覚を抑えることが出来なかった。
幼い子供。
それだけで彼のトラウマを連想させて、吐き気がする。
(それで最後に……ティアナ・ランスター。やっぱり、アイツの妹か)
データベースに登録された情報を見て、半ば確定事項だった予想を確信する。
ティーダの妹、ティアナ。
同名同姓の別人だという希望は崩れ去った。
苦々しい思いと溶けきったはずのインクの混じった唾液が苦い。
彼は気づかない。
その手が僅かに痙攣するように震えて、バインダーの上の用紙が見えないほどに震えていることに。
(やっぱりアイツの後を追うつもりか……)
何度も何度も聞かされていたアイツの夢。
――オレは執務官になりたいんだ。
――だけど、それまではお前と一緒の戦場で飛んでいたいな。
いまだに夢に見る友人の顔。鋭く刻まれた傷の一つ。いまだに後悔し続ける悪夢。
彼女は目指しているのだろうか。
執務官という選ばれた者にしか成りえない高い道を、まるでティーダの道をなぞるように彼女は歩むのだろうか。
(かんべんしてくれ……)
彼女達の身体データ、経歴、地上本部に提出されているだけの情報と裏づけされた事実。
それらを総合し、頭の中であることを実行するためのデータとして咀嚼しながら吐き気を堪える。
(オレに、友の肉親を撃たせないでくれ)
――知りうる限りの戦闘機人の急所と重要臓器の位置。
――竜という生物が持つ臓器の箇所と生体データ、及びそれらに通用する毒物の情報。
――高速機動を行う魔導師に対する狙撃方法。
――幻術魔法に対する解析プログラムの用意手段とその脳漿をぶちまけた時の想像図。
二年間の武装隊での従軍経験が、六年間の“対テロ経験”が、必要無いと叫ぶヴァイスの意思に反して、
冷徹なまでの狙撃手段を模索させる。
骨の髄まで染み込んだ肉を撃つ感触と匂い立つ硝煙の幻嗅に、手を震えさせながらヴァイスは祈った。
誰に?
それは彼にも分からない。
ただ――
彼女たちの道と己が歩む道が違わないことを祈っていた。
しかし、彼は知らない。
その願いは叶わないことを。
二つの正義があった。
太陽のように眩しく、誰もが引き付けられる輝かしい正義。
夜闇のように暗く、輝かしくもないけれど必要な正義。
二つの正義が交わり続けることは決してありえない。
太陽と月が同時に重なるかのような奇跡。
それがこの運命の果てにあるのかどうか、それは誰にも分からなかった――
軋みを上げる信念の咆哮は今だ時は訪れず。
ただただ噛み合わない歯車が回り続けるのみ。
盲目の正義。
理想の正義。
現実の正義。
重なり合う正義は歪な悲鳴を上げて、破綻の時を待つばかり。
最終更新:2008年03月20日 21:21