訓練室。
まだ明朝の筈のそこに、一人の男と一人の少女が立っている。
十メートル程の距離を挟み二人は真剣な表情で睨み合う。
男の手には一丁の拳銃。
この場に於いては、本来ならば有り得ない武器。
それを右手に握り、男は正面に立つ少女を見やる。
対する少女は素手。
何も持たずに男の正面に立っている。
突如、男は腰に掛かったホルスターへと拳銃を差し込む。
そして首を縦に振り、頷く。
それを見て少女も首を縦に振る。
瞬間、少女の足元に円と二つの三角形が組み合わさった桜色の模様が現れる。
――魔法陣。
魔導師が魔法を使う際に発生する力場。
そして魔法陣が現れて数瞬後、少女の頭と同じ高さの位置に桜色の光球が発生する。
「いきますよ」
少女が問う。
「OK」
男が頷く。
その言葉と同時に、光球がはじけるように動き出した。
光球が上下左右、縦横無尽に男の周りを駆け巡る。
それでも男は微動だにせず、ただ立ち尽くす。
「アクセル」
少女の言葉を受け、光球のスピードが上がる。
もはや光球が何処にあるかなど予測不可能。それ程のスピードで駆け回る。
不意に光球が軌道を変え、その矛先を男へと向けた。
桜色の魔弾が右下から浮き上がり、男に迫る。
申し訳程度に開いていた距離が瞬時に消失――――するより早く、男の拳銃が火を噴いていた。
――轟音。
――霧散する光球。
少女の目が見開かれる。
でも――これで終わりではない。魔力弾はもう一発ある。
――それで倒す!
少女は瞬時に気を切り替え、もう一つの光球の操作に専念する。
それと共に光球が動きを変える。
高速で男の頭上へ移動。そこから直角に滑降。
人間から見れば真上は死角。更に男は攻撃をしたばかり。
タイミングとしてはこの上ないはず。
少女の判断は、この状況では完璧といって良い程の判断だった。
――だが、男の早撃ちはその完璧な解答をも押し潰す。
――この時の少女の気持ちを一言で言い表すのなら『見えなかった』。
これが最適だろう。
銃を持っている右手が一瞬ぶれたと思ったら、次の瞬間には轟音が鳴り響いていた。
魔力弾は弾丸に貫かれ消滅し、少女はそれを呆然と見ている事しか出来なかった。
「よし、いい感じだ」
そんな少女を尻目に、拳銃をホルスターへて差し、男――ヴァッシュ・ザ・スタンピードは嬉しそうに呟いた。
■
「本当に凄いんですね、ヴァッシュさん……」
ヴァッシュと並行して歩きながら、なのはが口を開いた。
その口調には感嘆が込められている。
「あっちの世界じゃ色々あったからね。あれくらい出来ないと」
飄々とヴァッシュが答える。
その言葉に、なのはが苦々しい表情になる。
『あの攻撃で、あれくらいですか……』そんな事を考えているのだろう。
それを察したのか、ヴァッシュが慌てたように言葉を付け足そうと口を開く。
「いやいや、なのはも凄かったよ!
それになのはは病み上がりじゃないか。本調子だったらああはいかなかったよ」
「そうかもしれませんね……」
実際ヴァッシュの早撃ちが規格外なだけなのだが、生真面目な性格が影響してか、なのはの表情が少し暗くなる。
「あ、なのはちゃんにヴァッシュさん!」
と、その時二人に声を掛ける者が現れた。
二人が振り返ると、駆け寄って来るエイミィの姿が目に入った。
「朝から訓練?二人共精が出るね~」
笑いながらそう言うエイミィに二人は苦笑する。
「あ、それでね艦長が、アースラ全乗組員集合だってさ。何か大事な話があるみたい」
二人は顔を見合わせ首を捻る。
「大事な話って?」
「多分、闇の書に関する事だど思うけど……」
闇の書という単語に二人の顔が知らず知らずの内に引き締まる。
――――闇の書。
あの模擬戦から数日後、リンディから知らされた謎の襲撃者達の正体。
曰わく魔導師の魔力の源、リンカーコアを蒐集し、それを媒介にし次元にまで影響を及ぼす力を発揮するデバイス。
曰わく様々な世界を永遠にさまよう破壊不可能のデバイス。
あの謎の襲撃者達は闇の書自身とその主を守るプラグラムとの事だ。
「まぁ詳しくは集合してからのお楽しみってことで!……じゃ、二人共まだ回復したばかりなんだから無理しないでね!」
エイミィはそう言い手を振り、去っていく。
「闇の書か……」
ポツリとヴァッシュが呟く。
――今までは四人の魔導師を捕まえるだけの話かと考えていた。
だが、それは世界を賭けた戦いへと昇華した。
闇の書の主が闇の書を完成させるのが先か、こちらが守護騎士を捕獲し、主の居場所を特定するのが先か。
負ければ、世界は滅び、闇の書は再び転生する。
負けられない。
あの平和な世界を殺させはしない。
ヴァッシュはホルスターに掛かった銃を強く握りしめた。
■
管理局・休憩所、自動販売機と一つの机、三つの長椅子が存在するだけの部屋にアースラスタッフは集合した。
長椅子にはなのは達が座り、その後ろにアースラスタッフが立ち並んでいる。
リンディはアースラスタッフを見回し、口を開く。
「さて、私達アースラスタッフは今回、ロストロギア闇の書の捜索、及び魔導師襲撃事件を担当することとなりました。
ただ、肝心のアースラが暫く使えない都合上、事件発生地の近隣に臨時作戦本部を置くことになります」
そしてリンディはアースラスタッフの分割を指示していく。
普段はどこか抜けている様に見えても、やはり艦長だ。
淡々と内容を指示していく。
「――で、肝心の臨時作戦本部の場所ですが、」
と、そこまで真剣そのものだったリンディの表情が弛まる。
「ヴァッシュさんとなのはちゃんの保護を兼ねて、なのはちゃんの家の直ぐ近所になりま~す!」
そして、最高の笑顔でそう言った。
「え?」
なのはが目を見開き、フェイトと顔を合わせる。
そして、ワンテンポ遅れて――
「やった~~~!!」
これまた最高の笑顔で歓声を上げた。
■
その次の日の夜、なのはとヴァッシュは海鳴市を歩いていた。
――あのミーティングから早速引っ越しの準備が行われた。
流石は鍛えられたスタッフと言ったところか、引っ越し作業はほぼ一日で終わり、次の日には引っ越し先――つまり海鳴市にまで来てしまった。
当然それにはなのはとヴァッシュも着いてきており、二人は約一週間振りに海鳴市に足を踏み入れた。
本格的な機材の運び出しは明日にやるらしく海鳴市に着いた時点で、今日のところは解散となった。
そして二人で帰路についている訳だが――
「……どうしたんですか?何か不安そうですけど……」
――どうもヴァッシュの様子がおかしい。
喜びを顔に出しているのだが、何か考え込んでいる。
その微妙な違和感をなのはは感じ取り、指摘した。
「……いや、士郎さん達に連絡いれてないから、怒ってそうだなぁって思って」
「あぁ、その事なら大丈夫ですよ。ちゃんとお父さん達には留守にするって電話しておきましたから」
ヴァッシュの悩み事に、なのはは平然と答えた。
「え、そうなの?」
ずっと言い訳を考えていたヴァッシュにとっては朗報だ。
ヴァッシュは顔を弛ませ、安堵する。
と、そこで、ようやく目的のそれにたどり着いた。
見慣れた古めかしい門。
表札には『高町』の二文字。
そう二人は帰って来た。
なのはにとっては我が家。
ヴァッシュにとっては、自分に暖かい世界を教えてくれた、そこに。
「ただいま~!」
なのはが元気に玄関を開け、家へと上がる。
その後にヴァッシュもついて行く。
「なのは!ヴァッシュさん!」
そう言い二人を迎えたのは、眼鏡をかけた少女――高町美由希だった。
「驚いたよ。いきなりフェイトちゃんの家に泊まる、だもん」
「えへへ、ごめんね」
苦笑しながら頭を下げるなのは。
――なるほどそういう設定か。
なのはの後ろでヴァッシュは理解する。
「ヴァッシュさんもご苦労様。なのはの子守、大変だったでしょ」
美由希はその後ろで黙っているヴァッシュへと話しかける。
「いや、全然。二人共しっかりしてたしね」
ヴァッシュは両手を振り答えた。
「そう?なのはが大人ねぇ……って、どうしたのその左手!?」
無かった筈のヴァッシュの左腕を指差し、美由希が驚愕の声を上げる。
驚くのも無理はない。
娘の友達の家に付き添いで行き、帰って来たらが腕が生えているのだ。
誰でも驚く。
「い、いやーこれは……」
途端にしどろもどろし始めるヴァッシュ。
チラリとなのはを見て助けを求める。が、なのはも義手の事を忘れていたのか慌てた様子で頭を捻っている。
気まずい空気が三人を包む。
「フェ、フェイトちゃんの家はお医者さんなの!だから無料で義手付けてくれて……」
「そうそう!優しいご両親でね!」
その空気を払拭するようになのはが大声で答える。
苦しい言い訳なのは分かっているが、これしか考え付かなかった。
なのはとヴァッシュは苦笑いをしながら、この嘘でこの山場を乗り切れるよう願った。
「ふーん、そんなものなのかな……」
ギリギリでその願いは通じた。
訝しげな表情をしているが取り敢えず納得してくれたのか、義手についての言及は止まった。
二人が安堵のため息をつく。
「そういえばね。二人が久し振りに帰って来るって聞いて、お母さん喜んじゃってさ。
めっちゃ豪華だよ、今日のご飯」
その言葉にヴァッシュの眼が輝く。
「へぇ、それは楽しみだなぁ」
嬉しそうに歩を進めるヴァッシュを先頭に三人は食卓へと向かった。
■
「うんまぁ~い!」
いつぞやと同じ歓声を上げ、ヴァッシュが片っ端から料理を口に運ぶ。
その顔は至福に満ちている。
それを高町家の面々が微笑ましく眺める。
これでも一ヶ月近くを共に過ごしたのだ。こんな光景は慣れたものだ。
「いやーやっぱり桃子さんの料理は最高だなぁ!」
そう言ってる間も手の動きは止まらない。
皿から皿へ縦横無尽に箸が動き回る。
見る見るうちに皿から料理が消えていくが、そこは高町家の面々も慣れたもの。
隙を見て、自分の皿へと料理を取っていく。
「にゃはは……」
そんないつも通りの食卓を見てなのはが微笑む。
――楽しそうだ。
やっぱりヴァッシュさんには笑顔が似合う。
管理局の事や異世界の事で悩んでいる時より、模擬戦に向け真剣に特訓している時より、ずっとずっとヴァッシュさんらしい。
――良かった。
心の底からそう思う。
そしてなのはは密かに決意する。
――ヴァッシュさんの笑顔を守ろう。
闇の書事件だって直ぐに解決して、争いのないこの世界を思うがままに楽しんでもらおう。
ずっとヴァッシュさんには笑っていて欲しい。
今まで辛かった分を取り戻せるぐらい、笑っていて欲しい。
――心優しい少女はひっそりと心の中で願いを唱えた。
■
真っ暗なリビング。
ヴァッシュはボーっと闇に染まった天井を眺めていた。
背もたれに寄りかかり手をブラブラと垂らし、足を伸ばし、脱力しきった様子で何をするでもなく天井を眺める。
「……まだ起きてるのかい?」
そんなヴァッシュに声がかけられた。
少し驚いた様子でヴァッシュが天井から声のした方へ、顔を向ける。
「明日からは今まで休んだ分、しっかり働いてもらうんだ。寝といた方が良いよ」
「いやーそれが眠れないんですよね、何か……」
体を起こし苦笑するヴァッシュに士郎が呆れた様にため息をつく。
「まったく……子供か君は?」
「はははは……」
「仕方がないな…………ここに眠気をもたらしてくれる最高の薬があるんだが、どうだい?」
そう言い士郎は手に持っていた瓶を机の上に乗せる。
それを見てヴァッシュがニヤリと笑う。
「いいですね~」
「だろう?」
そう言う士郎の顔もニヤリと笑っている。
士郎は何処からともなく栓抜きを取り出し、『薬』の蓋へと伸ばした。
■
窓から入る月灯りが高町家のリビングを照らす。
こんな月が出てる日には蛍光灯もある意味をなくす。
自然が作り出した柔らかい光が、二人の男達を包んでいた。
「いやー美味しい薬ですねぇ、これは!」
「そうだろう!やっぱ眠れない夜にはこれしかない!」
そんな優しい光に包まれている二人の男は、大笑いしながらコップを掲げ、ぶつけ合っていた。
足元には空になった『薬』の空き瓶。
当然この『薬』は薬品の事を指すわけがなく――
「やっぱ大人の『薬』って言ったら酒以外にありませんよねぇ!」
「その通り!これこそが最高の『薬』さ!」
――二人は酒を飲み合い最高の高揚感に包まれていた。
それから数分後、流石に限界が来たのか、不意にヴァッシュが机に突っ伏した。
「……何だヴァッシュ君、もうダウンかぁ?」
そう言う士郎も脱力しきり背もたれに身を任せている。
「まだまだ元気ですよ、僕はぁ……」
ヴァッシュは、突っ伏したまま右手を上げて、気の抜けた声で答える。
その姿は誰がどう見ても限界そうだった。
それきり静寂が二人を包む。
聞こえるのはまだ元気に働き続ける車の音や、遠くから聞こえる市街地の喧騒のみ。
「………起きてるかい、ヴァッシュ君……」
「………何ですかぁ?」
不意に上げた士郎の言葉にヴァッシュが体を起こす。
対する士郎は椅子によたれかかったたままだ。
「…………良い表情になったな」
「…………えーっと言ってる意味が良く分からないんですけど」
ヴァッシュはアルコールにより赤みがかった顔を困惑に歪める。
「……迷いが消えてる」
「はぁ……?」
ヴァッシュの困惑の色が濃くなっていく。
「……君がなのはと出掛ける前まで、君はいつも何かに迷っている様に感じた」
不意に士郎が身を起こした。
真剣な顔に微笑みを浮かべ、ヴァッシュを見つめる。
「君だけじゃない……なのはも何かに迷っていた……君と出会ってから、ずっと……」
ヴァッシュは何も答えず、黙ったまま士郎の言葉に耳を傾ける。
「…………だけど、今のなのは、そしてヴァッシュ君は良い顔をしている……フェイトちゃんの家で何があったか知らないけど……良かったよ」
そう言うと士郎は立ち上がり台所へと向かう。
そして数秒後、冷えた数本のビール瓶を手にし戻って来た。
「聞きたい事は沢山あるさ…………何でなにも言わず夜中にいきなり出掛けたのか、何で義手を付けてもらったのか………
でも、本当に楽しそうな君となのはを見てそんな疑問はどうでも良くなった」
「……士郎さん」
ドン、とヴァッシュの前にコップが置かれる。
そのコップには並々とビールが注がれている。
「細かい事はいい……今夜は良い夜だ……こんな日に飲まないでやってられるかい?」
「……ですよねぇ!」
二人はコップを掲げる。
「「……乾杯!」」
ヴァッシュは今までの長い人生の中でも最高の一杯を飲みながら、思った。
――絶対に消させない、この世界を、この最高の家族を。
――俺は負けない。絶対に阻止してみせる、闇の書の完成を。
■
次の日、なのはは信じられない光景を見た。
床に転がる大量の空き瓶。
思わず鼻を抑えたくなる強烈なアルコール臭。
そして「レム……レム……」「桃子……桃子……」と、意味不明な寝言を呟きながら机に突っ伏し熟睡している二人。
この光景を見たなのはは深くため息をつき、桃子の眠るに寝室へと向かった。
――――この日の二人の目覚ましは桃子からの熱い一撃だったとか。
最終更新:2008年04月30日 21:07