―――5

聖王教会大聖堂。
遥か頭上の巨大なドーム上の天井には、魔力によって浮かんでいる水晶のシャンデリアがほのかな明かりを放ち、今はなき“ゆりかご”を中心に、
無数の星々がとそれらを仰ぐ次元世界の様々な生物が描かれた宗教画を照らし出している。
部屋を三百六十度囲むように配置されている窓には、聖王の守護騎士たちの絵をあしらったステンドグラスがはめ込まれ、入り口から見て真正面
には、粗末なローブに身を包み、右手に杖を持ち左手は天を指差す、白く長い髪と髭の狂気を孕んだ眼を持つ眼鏡の男“聖王”の巨大なステンド
グラスが、圧倒的な迫力を放っている。
聖王が示す先には、透明なガラスの日輪をイメージした丸い穴があり、そこから差し込む陽の光が、重厚な装飾の施された大型のパイプオルガン
を演奏する、金髪にカチューシャをつけた、ロングスカートのドレスを着た女性を照らし出していた。

「今日の騎士カリムが弾く曲は、いつにも増して素晴らしいですな」
顔中碁盤の目の如く縦横に彫られた刺青の線と、線の交点総てに金属製の釘のような角が生えたに修道士が、おかっぱ風の髪形の修道女に言った。
彼女は、一心不乱に演奏する聖王教会騎士カリム・グラシアを、不安げな表情で見つめている。
「シスターシャッハ、どうかされましたか?」
修道士の問いかけに、教会シスターのシャッハ・ヌエラは我に返って振り向く。
「何だか、騎士カリムの様子がおかしくないですか?」
「様子…ですか?」
怪訝な顔で修道士が言うと、シャッハは頷いて先を続ける。
「今の演奏には、何かに追われているかのような切迫感が、私には感じられるのですが…」
シャッハの言葉に、修道士は目を細め、床に視線を向けながら考え込む。
「確かに、騎士カリムは何かに憑かれたように必死に演奏されてますが、それはいつもの事ですし、シスターの考えすぎ―――」
修道士がそこまで言ったとき、それまで流暢に流れていたオルガンの重厚なリズムが、突然両手を鍵盤へ叩きつけたかのような不協和音に取って
代わられた。
驚いた二人がが振り向くと、カリムが肩で息をしながら呆然と宙を仰いでいるのが見えた。
唐突な出来事に、それまで厳かに祈りを捧げていた信者たちがざわめく中、カリムは呆然とした表情のまま、聖王のステンドグラスへと視線を向ける。
「騎士カリム!?」
ステンドグラスを凝視したまま何事かブツブツと呟くカリムに、シャッハが恐る恐る声を掛けてみた。
カリムはピクッと身を震わせると、今度はシャッハの方へ顔を向ける。
シャッハの方を向いているのに何も見ていない虚ろな瞳に、二人が戦慄を覚えた瞬間、カリムは白目を剥いて両膝を付いた後、横向きに倒れこむ。
「騎士カリム!!」
シャッハが倒れたカリムへと駆け出したのをきっかけに、聖堂内は騒然となった。

三m近い身長の、平べったい顔に三白眼に細長い胴体がゴキブリを髣髴とさせる、六足歩行の管理局将校が前足を動かして空間モニターを操作すると、
電磁ロックの外れる音がして自動ドアが開き、ゲラー長官以下管理局首脳陣が現れる。
「盗まれたデータは何か分かったか?」
向かい側の、総ガラス張りになっている会議室へ歩きながら長官が尋ねると、将校は触角と首を横に振りながら答える。
「まだ不明ですが、管理局はおろか最高法院や元老院のかなり深部まで探られたのが判明しました。
現在は、機密性及び重要性の高いファイルとプログラムをネットワークから分離する作業にかかっています。
完了次第、ベルカ自治領にある非常時用のバックアップコンピュータに移す予定です」
「ネットワークに侵入しているウイルスについては?」
長官の次なる問いかけに、カタツムリに大きい眼と牙をつけたような姿をした将校が答える。
「技術部が調査しておりますが、ワームと似ている以外はまったく不明です。
というのも、分析や駆除をしようとすると、ウイルスが処理プロセスを解析して対抗策を編み出している所為です」

「…で、思い余って“無限書庫”に、同じものがないかどうか問い合わせたんです」
様々な階級・種族の武官・文官たちが忙しく動き回る廊下を歩きながら、シャーリーは一緒に歩いている機動一課首都公安部特別捜査官の八神はやて
一等陸佐と、なのはの二人に話していた。
「何か分かったんか?」
はやての問いかけに、シャーリーは首を横に振った。
「いえ、手がかり一つも見つかっていないと聞いています。調査は続行するそうですが…」
「ユーノ君のところでも見つからないなんて…」
シャーリーの返答に、なのはは驚きの表情を見せた。
「“世界の記憶を収めた場所”と言われる無限書庫で、そんな事があるんかいな?」
はやてが首を傾げた時、彼女の左肩に乗っている身長30cmぐらいの腰まで伸びたラベンダー色の長髪に、前左側にはやてと同じヘアアクセサリーをした
つぶらな瞳の十代前半の少女に見える小型亜人種生物が、外見相応の子供っぽい声で言った。
「ありえない事ではないですよ」
「リイン曹長、どういう事ですか?」
シャーリーが質問すると、首都公安部特別捜査官補のリインフォースⅡ曹長は、はやての肩から飛び上がり、三人の前を滑空しながら身振り手振りを
交えて説明を始める。
「まず考えられるのは、敵対勢力の故郷である世界が既に滅びているケースです。
この場合、記録や文献の殆どは滅亡時に失われてしまうので、実態を把握するのは極めて難しくなります」
「古代ベルカと同じ…か」
はやてが言うと、リインは嬉しそうに顔を輝かせる。
「ご名答です、流石はやてちゃん♪」
大げさにリインが手を上げた次の瞬間、彼女のすぐ横を、身長一.三mで短い象のような鼻に不揃いな牙を生やした口とずんぐりした体型の局員が、二枚
の小さな羽を忙しく動かし、かなりの速さで通り過ぎた。
「バカヤロー! 後ろ向いて飛んでんじゃねぇ!」
悲鳴を上げて跳び上がるリインに、局員は罵声を浴びせて飛び去る。
慌ててはやての肩に戻ったリインに、なのはが質問してきた。
「もう一つ考えられるケースって何?」
リインは気を取り直すと、なのはの問いに答え始めた。
「あ、はい。ええとですね、敵勢力の起源が古過ぎて、データがまだ整理されていないケースです」
四人はいつしか、ゲラー長官たちが討議をしている会議室の近くまで来ていた。
「何しろ“無限書庫”ですからねぇ…私たちの探索がまだ及んでいないデータがあっても不思議ではないです」
突然、はやては歩くのを止め、腕を組んで考え事を始めた。
「はやてちゃん(さん)?」
三人が訝しげに声をかけるのにも応えず、はやてはぶつぶつ呟きながら思案を巡らせる。
「無限書庫で見つからん、自己進化するプログラム…。
…リインの言う通りだとすると…?
…ありえるな。いや、しかし…」
突然、はやては何か意を決したような表情で顔を上げると、なのはとシャーリーの手を取る。
「三人とも、これは何が何でも上に報せんとあかんかも知れん。
危険な橋を渡る破目になるかも知れんけど、責任は私が取るさかい堪忍してや」
そう言うなり、はやてはなのはとシャーリーの手を取って会議室へと入る。
突然の出来事に、三人は声を上げる事もできなかった。

会議室内部では、幕僚たちの意見が紛糾しており、外からなのは達四人が闖入して来た事にまったく気付かない。
「ちょ…! ちょっとはやてちゃ――」
「しっ!」
なのはが文句を言おうとした時、はやては人差し指を自分の口に当てて黙らせ、議論を続けている首脳陣へ向けて、顎をしゃくる。
「我々にこれほど大規模な攻撃を仕掛けられる敵となると…」
会議室中央部の席に座ったゲラー長官が両手を顔の前で組んで考え込み始めた時、その前に立っている大きなギョロ眼に鼻のない、眉間に皺を寄せた蛙
みたいな顔の将官が、くぐもった声で意見を述べる。
「まず間違いなく“分離主義者”を剽窃する身の程知らず共に違いありません。
即刻機動一課を動員して、主要メンバーを一網打尽にすべきと考えます」
蛙顔の意見に対して、老人のような顔付きをした首が長くて寸胴の将官が、細長い手を振り回して反論する。
「確たる証拠も無しに、いきなり逮捕するのか!? それはミッドチルダの建国理念を否定する愚挙だぞ!!」
「愚挙だと!?」
蛙顔は激高し、大きな怒鳴り声で老人顔に食って掛る。
「自らの身を守れぬ愚か者共が、我らと対等の権利を求める方が愚挙ではないのかね!?
我々の保護下で生活できるだけでも、余りある恩恵だと言うものだ!!」
「貴様は古代ベルカ人か!? 力に驕って滅びた彼らの台詞だぞ、それは!!」
つかみ合い寸前の両者の間に、一つ目で六本の触手状の腕を持つ将官が割って入る。
「まぁまぁ、今の言葉は幾ら何でも言い過ぎだとして、第738管理外世界で、分離主義者と反管理局武装勢力が結託して一触即発の情勢という報告が
入っているのは無視出来ないと思いますが、どうですか?」
「お言葉ですが、今回の一連の事件と、それとは無関係だと思います」
その言葉に、それまで激論を戦わせていた幕僚たちがはやてに振り向く。
「何だね君は!?」
蛙顔の将官が胡散臭そうな表情で睨みながら言うと、はやては彼に敬礼して自分の身分を名乗る。
「陸上部局機動一課首都公安部特別捜査官、八神はやて一等陸佐であります」
それを聞いた途端、幕僚たちのうち数人の表情が一気に不快感を顕にしたものに変わり、何人かはヒソヒソと話しこむ。
「八神一佐、我々は今、ミッドチルダの安全保障に関わる重大な会議を行っているところだ。
佐官クラスと言えども、この場に居る権限はないのだぞ」
嫌悪感を露わに言う蛙顔の将官に、はやては怯まずに言う。
「それに関する極めて重大な情報がありまして、無礼を承知で参りました」
必死に食い下がるはやてへ、まぶたが眉のように垂れ下がった、石仏のような彫り顔に黒土の肌色をした将官がやって来る。
「それならば、部局長のベイラム大将に話を通してからになさい」
彼は、なのは達のほうを振り向いて言った。
「君たち、八神一佐を連れて出てってもらえるかな?」
なのはとリインは頷くと、なのはがはやての右腕を、リインは左肩を掴んで外へ連れ出そうとする。
「はやてちゃん、早く行こう」
「そうですよはやてちゃん」
二人に引っ張られながら、はやては首脳陣に大声で呼びかける。
「今回のクラッキング攻撃の第一発見者をここに連れてきました!!
現在、ネットワークを侵食しているウイルスについても、一番情報を持っております!!」
「待て!」
ゲラー長官が立ち上がって鋭い声で言うと、なのはとリインはビクッと身をすくませて動きを止める。
「第一発見者…と言ったな?」
はやては頷くと、事の成り行きを呆然と見ていたシャーリーの方を振り向く。
「シャーリー」
「え!? は、はい!」
はやてに呼ばれたシャーリーは、緊張気味にゲラー長官へ敬礼して自分の身分を名乗る。
「陸上部局技術部士官、シャリオ・フィニーノ三等陸曹であります。
タイコンデロガにてマリエル・アザンテ技官と共にセギノール基地のクラッキング信号を解析していた時、敵のネットワークへの侵入を発見いたしました」
ゲラー長官は、左横の一つ目ヒトデ型生物の将官へ振り向く。
「間違いないか?」
ヒトデの将官は、空間モニターを開いて事件当日の記録を確認する。
「はい、確かに敵のクラッキング信号の第一発見者として名前が載ってあります」
ゲラー長官はシャーリーに再び顔を向けた。
「話を聞こう」
シャーリーは一呼吸入れて気分を落ち着けてから、話を始める。
「今回の事件で私が指摘したいのは、侵入者がネットワークへ入り込むまでにかかった時間は、僅か十秒であると言う事です」
シャーリーはそこで一旦言葉を切り、幕僚たちの反応を見る。
ゲラー長官が真剣に聞き入っているので、幕僚たちも神妙にしている。
話を続けて大丈夫と判断して、シャーリーは再び喋り始める。
「総当り法による正面攻撃では、最新鋭のスーパーコンピュータでも突破するには最低二十年は掛るよう設計されているファイアウォールがあるにも
関わらず、たったそれだけの時間で突破されてしまった」
鬼のように角が二つ突き出た、紅いつり目に皺だらけの顔の将官が、シャーリーに言う。
「で、君たちは何を言いたいのかね!」
シャーリーが振り向くと、はやては頷いてシャーリーの前に出てくる。
「要するに、今回我々管理局が相対している敵は、技術の粋を集めて構築された鉄壁の防御を誇るネットワークを、僅か十秒で難なく突破できる相手
であるという事です」
はやての助けに力を得たシャーリーは、ここぞとばかりに一気に喋り始める。
「しかも敵がネットワークに放った信号は自己学習し、絶えず変化と進化を繰り返しています。
これは、我々が普段使っているフーリエ変換と同じに考えるべきことではありません、むしろ量子力学の領域かも知れない」
ここで一呼吸入れた後、シャーリーは結論を結ぶ。
「私の見解を言いますと、あのウイルスプログラムは、コンピュータと同じ学習能力とバクテリア並の強力な増殖力を持つ一種の生物であります。
分離主義者による犯行と考えるには、余りにも高度すぎると思いませんか?」
シャーリーの意見に、かぼちゃのような大きな頭と怒り肩のような瘤が両肩に付いた将官が、呆れたように首を横に振りながら異を唱える。
「君たちはどうもドラマと現実を混同しているようだな。
いいかね? 管理内外の全次元世界内に、そんな複雑かつ即応性の高いシステムを持つ世界など存在せんのだよ」
それに対して、はやてが幾分感情的になりながら反論する。
「我々が知りうる世界ではそうでしょう。しかし、今まで存在を知られていない未知の次元世界から来たとしたらどうでしょうか?
現在までに確認されている次元世界は推定五千億、管理局が把握しているのはそのうちの0.005パーセントの二千五百万、更に管理内外のランク
付けが完了しているのは0.005パーセントの千二百五十。
世界のほんの一端しか知っていない―――」
そこまで言いかけたとき、ゲラー長官が二度両手を叩いてはやての話を遮った。
「わかった、もういい充分だ」
話を途中で遮られて不機嫌そうなはやてと、
「八神一佐、フィニーノ陸曹、君らの意見はよく分かった。だが、分離主義者の脅威がすぐそこに迫っている現状で、未知の勢力についてあれこれ
論じている余裕は我々にはない。
君らの仮説を裏付ける証拠が見つかった時、また話を聞かせてもらおう。
だが、それまではいたずらに騒ぎ立てないで欲しい、ここで話した事ももちろん他言無用だ」
長官は背後を振り向いて声をかける。
「ギーズ一佐、彼女たちを送ってもらえないか?」
首脳陣の後ろにずっと控えていた、片顔が隠れるほどの長髪に精悍かつりりしい顔立ちの、はやてと同じ佐官用の制服を着た白人、シャルル・ド・
ギーズ一等陸佐が、長官の言葉に前へ出てくる。
「私も、ちょっとご一緒してよろしいですか?」
それまで事の成り行きをじっと静かに見守っていたゲンヤがそう言って立ち上がった時、はやてはビクッと身を竦ませた。
ゲラー長官がゲンヤに頷くと、ギーズ一佐はドアを開けて退出するよう促す。
なのは達は敬礼して会議室を退出する。と、入れ替わりに通信将校が駆け足で部屋へと入って行き、長官に敬礼して何か報告を始めた。
外へ出てしばらく歩いた後、突然ゲンヤははやての頭を軽めながらも、拳骨で殴った。
「バカヤロ。お前、幾らちびダヌキでも、今回はムチャし過ぎだぞ」
両手で頭を押さえ、涙目になりながらはやては言う。
「す、すみません。でも、この話はどうしてもしとかないと、無関係の次元世界で戦争になりかねないと思って…」
「そん時の為に俺が居るんだ、何もお前が心配する必要はなかったんだぞ」
厳しい表情で言うゲンヤに、はやての反論も尻つぼみになる。
「は、はい…」
「それに、騎士カリムやクロノ提督の立場も考えろ。ったく、高町とフィニーノのお嬢まで巻き込みやがって」
「うう…」
すっかりしょげかえったはやてと不機嫌に腕を組むゲンヤに、ギーズ一佐が取り成すように
「まぁまぁ、ナカジマ少将。長官は彼女たちの話に興味を持たれたようですから、あながち無駄ではなかったと思いますよ」
その言葉に、はやては相好を崩してギーズにすがり付く。
「ギーズ一佐、ありがとな~。あんたは私の恩人や~」
ナカジマ少将は困った表情で額を押さえ、目を閉じながら言う。
「ギーズ一佐、あんまりちびダヌキを甘やかさないでくれ。増長されて元老院まで行かれてはかなわん」
「以後は自重しますよ」
肩をすくめて会議室へと戻るゲンヤへ敬礼を返すギーズに、今度はなのはがやって来て右手を差し出して握手を求める。
「ギーズ一等陸佐ですね、噂は聞いております。陸上部局のストライカー級魔導師として勇名を馳せているとか」
ギーズ一佐は、なのはと握手しながら笑って言う。
「エース・オブ・エースに名前を覚えていただけるとは、光栄の極み」
なのはとギーズのやり取りを横目に、シャーリーは何か深く考え込んでいる。
その眼には危険な光が宿っている事に、誰も気付かなかった。

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最終更新:2010年04月27日 00:44