魔道戦屍 リリカル・グレイヴ Brother Of Numbers 第十二話 「DOCTOR」
彼が目を覚まして一番最初に見たのは真っ白な天井。そして次いで脳に伝えられた情報はツンと鼻をつく消毒液の匂い。
周囲に視線を巡らせれば、自分の身体に伸びる点滴のチューブや医療機器が見える。
そして全身に走る痛みが“まだ自分が生きている”という実感をゼスト・グランガイツに与えた。
「旦那!? 起きたのか!?」
彼が目を覚ました事に気付き融合機の少女、アギトが嬉しそうな声をあげて飛んで来た。
その小さな身体で彼にすり寄ると、涙で濡れた顔をこすり付ける。小さな彼女が流す涙では大した量ではないが、それでも零れた雫の感触は確かにゼストの肌を刺激した。
「すまんなアギト・・・心配をかけた。しかし、ここはいったい・・」
「それは私がご説明します、騎士ゼスト」
言葉と共にドアを潜って病室に入ってきたのは白衣の男だった。
低く落ち着いた声とシワの刻まれた顔にかけたメガネがひどく知性を感じさせる。
状況から、ゼストは彼が一目で医者と判断した。
「医者か? ここは病院なのか?」
「ええ、私は医者でここは病院です。ただし普通の病院とは少し違いますがね」
男の言葉にゼストは一瞬眉をひそめて怪訝な表情をしたが、即座に理解をした。
それは自分の存在と立場を考えれば当然の帰結だった。
「そうか・・・ここは最高評議会の用意した・・・」
「ええ。ここは最高評議会が作った非公式施設です。表沙汰にできない治療の場合に使われるような場所なんですよ」
「だろうな」
ゼストは公式には既に故人である、彼があのまま通常の医療施設に収監されて身元が明るみになれば最高評議会にとっては面白くは無いだろう。
先の戦い、地上本部内部で倒れた自分を秘密裏にこんな場所に収監するのは考えれば当然の事だった。
そして自分の現状を確認したゼストは常に自分と共にいた少女の安否を確認した。
「ところでアギト、ルーテシアはどうした?」
「え? そ、それは・・・」
ゼストの問いに融合機の少女は表情を悲しく歪めて言い淀む。
彼女の様子にゼストがもう一度問いただそうとした時、医者の男が口を開いた。
「ルーテシア・アルピーノは行方不明です。おそらくは、この騒動の元凶であるレジアス・ゲイズの手に落ちたのでしょう」
淡々とした口調で男から伝えられた事実。
彼の目からそれが嘘偽りのない真実だと瞬時に判断したゼストは苦虫を噛み締めたような苦渋の顔をする。
「それは本当か?」
「ええ、ついでに言うならスカリエッティの機人も何人か捕獲されたようです」
「そうか・・・」
「ところで騎士ゼスト、あなたの知るスカリエッティの施設や計画の詳細を教えていただけませんか?」
男の唐突な質問にゼストは逡巡し、思わず言葉を噤んだ。最高評議会の手の者にそう心を許す気にはなれなかった。
だが男はそれもかまわず言葉を続ける。
「今最高評議会のお歴々も手を尽くしてレジアス・ゲイズの行方を探っているのですが、まったく手がかりがないようなのです。どうか教えてください、ルーテシア・アルピーノの身の安全の為にも」
「・・・・・・・・・良いだろう。俺の知っている事で良ければ全て話そう」
ルーテシアの名前を出されてそれ以上黙ってはいられなかった。
ゼストは自分の知る多くの情報、スカリエッティの保有する各施設・研究所、そしてゆりかごの計画等を包み隠さず伝えた。
△
地上本部襲撃時にファンゴラムより受けた傷を癒し、ビヨンド・ザ・グレイヴが目を覚ます時よりも少しだけ時を戻そう。
研究所内部の実験区画、そこに立つ5つの影、スカリエッティと対峙するレジアスと彼の部下達である。
ティーダ・ミッドバレイ・エバーグリーンを引き連れたレジアスはスカリエッティに再び自分と手を組まないかという誘いを持ちかけていた。
レジアスのこの誘いに対し、スカリエッティの反応は決して拒絶の色は強くは無かった。
彼にとってこの提案はある意味、現状で最良の選択でもあったのだから無理もあるまい。
「なるほど、確かに悪い話ではない・・・」
スカリエッティはそう言いながら顎に手を当ててしばし瞑目。
そして顔を上げると含みを込めたようないやらしい笑みを浮かべてレジアスに笑いかけた。
「その提案を呑もうじゃないか・・・」
「良い判断だ。これで双方無駄な血を流さずに済む」
「ああ、待て待て。ただし条件がある」
「条件?」
満足したようなレジアスの言葉を遮ってスカリエッティは口を挟んだ。
そして白衣を揺らしながら、それこそ手を伸ばせば届くような距離までゆっくりとレジアスに近づく。
レジアスの眼前に立ったスカリエッティはその異様に輝く金の瞳で彼を捉えると、小さなだがしっかりと聞こえる声で囁いた。
「聖王の器とゆりかごは私の自由にさせてもらう。そして君が奪ったナンバーズやルーテシアも返してもらおう」
「・・・・なに?」
「言葉通りの意味だが? 何かご理解いただけなかったかな?」
スカリエッティの提示した条件とやらを聞きレジアスはその勝手な要求に顔をしかめて怪訝な顔を呈した。
無理もない、聖王のゆりかごは対管理局の戦いにおいて重要な戦力でありそれをスカリエッティに自由にさせるなど許せる筈が無い。
だがスカリエッティはレジアスの鋭い眼光などまるで気にもしないような態度で慇懃無礼ともとれる口をきいた。
「ふざけるな! そのような要求を聞ける訳がなかろうが!!」
「そうか。まあ、なら仕方がない・・・」
スカリエッティはそう言いながら軽く髪をかき上げると次の刹那、その手に鉤爪型をしたデバイスを装着し魔力糸を形成しレジアスの五体を絡めた。
絡みついた赤い魔力糸は強靭な繊維の如く強く、レジアスの身体をガッチリと拘束する。
もはや常人には抜け出すことの出来ない戒めが瞬時に完成した。
後方に控えていたティーダが即座に拳銃型デバイスを構えたがスカリエッティは上手くレジアスの身体を遮蔽物にして隠れる。
そしてレジアスに余裕を持って口を開いた。
「レジアス、君は少しばかり私に対する理解が足りていないようだ。あんな面白そうなオモチャをそう易々と人に譲れる訳がないだろう? 君を人質に交渉でもすれば事は簡単に済むさ」
「“オモチャ”か。あのような兵器を玩具扱いとはな・・・」
レジアスの言葉にスカリエッティないやらしい笑みで答えた。それは自身の有利を確信したが故の表情だった。
そして彼はそのまま、この空間でISを用いて姿を隠していたクアットロに通信を繋いだ。
『よしクアットロ、このまま私の周囲の像もシルバーカーテンで隠してくれ。このままレジアスを人質に距離をとる、それから奴らにガジェットをぶつけろ』
『りょうか~い♪』
クアットロがいつも如く軽い口調で答えると既に展開していた幻影を弄りスカリエッティとレジアスの姿を消した。
スカリエッティとレジアス達のいる半球状の実験用隔離室には最初からクアットロのISシルバーカーテンにより幾重にも幻影を張り巡らされていた。
あとは幻影であちこちに隠したガジェットを襲わせれば“たった3人の敵”など容易く屠りされる筈だ。
そう、その筈だった・・・
「やれやれ、では状況は殲滅戦に切り替えで良いな?」
サクソフォンを担ぎ純白の白いスーツを着た伊達男、ミッドバレイ・ザ・ホーンフリークは答えが返るのは気にせずそう呟く。
そして次の刹那、彼は顔を傾けて見た、確かにその視線で見えぬ筈のクアットロを捉えた。
いや、正確にはその“耳”で捉えたと表現するのが適切だったか。
音界の覇者の名を持つ彼にとって、その異常なまでに発達した聴覚で以ってすれば姿の見えぬだけの相手を捕捉する事など造作もない事だった。
「・・・え?」
魔人の視線に射抜かれ、背筋に形容し難い怖気を感じたクアットロは普段の彼女ならば決して漏らさないような間の抜けた声をその口から零した。
そしてミッドバレイがサクソフォン、愛器シルヴィアに口付けたその刹那それは起こった。
凄まじい肺活量から起こる空気の流入が金色の音響兵器に流れ込む、そしていくつかのプロセスを踏み外界へ放たれた。
それは楽器が発する筈の心地良い音色等とは比べようも無いほどの音の暴力。人間の可聴域を遥かに超えた音の激流が目標となった戦闘機人に目掛けて一直線に進む。
そうして暴虐の音は彼女に喰らい付いた。
「がはぁぁっ!!」
音の速さ、すなわち音速で以って到達した殺人音響は慈悲も容赦も無くクアットロの脳髄を揺さぶった。
空気を震わせる凄まじい振動にメガネが粉々に砕け散り、突然頭蓋に発生した凄まじい衝撃に意識を寸断されたクアットロは目・耳・鼻・口から夥しい血潮を撒き散らしながら倒れる。
血の赤によって彼女の羽織っていた白いケープが鮮やかな朱に染まった。
彼女の意識が絶たれれば、自然とそのISで形成されていた幻影は跡形もなく消え去り、スカリエッティの姿も配置していたガジェットの姿も露になる。
「後のゴミ掃除は任せたぞ」
ミッドバレイは愛器シルヴィアから口を離すと傍にいた二人にそう告げる。だがその言葉が届くか届かないかという間に既に行動は遂行されていた。
エバーグリーンは一瞬で肩に担いだ長大な十字架を左右二つに分割し、二丁のマシンガンに変形させて周囲のガジェットに鉛弾の雨を振り撒く。
その長大な銃の重さをまるで感じさせない動きでエバーグリーンは軽やかに動き、鉛弾で次々にガジェットを破壊。
二丁の十字架銃の吐き出す大口径ライフル弾の前にガジェットの装甲は紙の如く脆く貫かれる。
そしてもう一人の男、ティーダは両手に黒い大型二丁拳銃型のデバイスを手にスカリエッティとレジアスの下に向かって駆け出した。
「くっ!」
ティーダの二丁銃の照準で捕捉されたスカリエッティは拘束したレジアスを盾に使用と魔力糸で手繰り寄せる。
相手はレジアスの部下だ、彼を盾にされれば下手な攻撃などできはしない。
少なくとも時間稼ぎにはなる筈だ。
だが手繰り寄せた魔力糸から返ってきたのは、人間の体重の重み等ではなく虚空を切るような抵抗感の無さだった。
「なっ!?」
スカリエッティらしくも無い疑問符を孕んだ声がその口から漏れる。巡らせた視線の先では、強靭な筈の魔力糸が呆気無く切れていた。
それこそ蜘蛛糸が容易く人の手で破られたように虚しく宙を舞っていた。
そして死人が持つ二丁の銃はその口腔から無情の咆哮を上げた。
閃光と轟音を上げて魔力で練られた無数の凶弾がスカリエッティに襲い来る。
それはまるで数多の光の雨。
瞬間的に張られた防御障壁を死の弾雨はまるで紙のように貫通し、その先にあったスカリエッティの胸も同じく穿ちぬいた。
「ぐうぅっ!!」
スカリエッティの身体を貫いた閃光が血飛沫を巻き上げて背中から抜けていき、口から血泡を伴った呻きが漏れ。
無数の弾に身体を蜂の巣にされ、各所の臓器を甚大に傷つけられた科学者は後方に大きくたたらを踏んでよろめくと口からさらなる鮮血を吐き流して膝を突いた。
「がはっ! レジアス・・どうやって私の拘束を・・・」
血の泡を吐き苦悶の表情で顔を歪めながらスカリエッティはレジアスに口を開いた。そして、流血と共に薄れ行く視界でレジアスの姿を見たとき疑問は即座に解消する。
彼の手はオーグマンと同じく結晶のような透ける白い色の異形、まるで肉食獣の鉤爪のように変形していた。
レジアス・ゲイズ、彼もオーグマンと同じくシードの力で既に“人”という存在を捨てていたのだ。
「残念だが、あの程度の拘束ではシード化されたワシを捕らえる事などできはせん」
「ははっ・・・どうやら私もツメが甘かったようだね・・」
「科学者は前線になど出ぬ方が良かったという事だ、スカリエッティ」
レジアスがそう吐き捨てた瞬間、ティーダが手の二丁銃から再び魔力弾の閃光を放った。
無数の光の雨が巻き起こす嵐がスカリエッティの身体をさらに蜂の巣へと変える。
威力は先ほどの比ではない。
左手は前腕部半ばから吹き飛んだ、腹部は著しく破壊され内蔵をまるで火薬でも詰めたように爆ぜ散らかした。
もはや過剰殺傷という表現が正しい程の狂った破壊の宴。
スカリエッティは薄れ行く意識の中で明確に近寄る死神の息吹を感じ取った。
(・・・これまでか)
逃れようの無い確実な死に、スカリエッティの心に重い諦念が宿る。
その時だった、一つの影が軽くウェーブを持つ紫の髪を揺らして砲火とスカリエッティの間に割って入った。
(馬鹿な・・・ウーノなの・・か?)
スカリエッティの意識はそこで途切れた。
後にはただ鉄と臓腑がまるでオブジェの如く鎮座していた。
ガジェットの群れはほとんど抵抗らしい抵抗もできずエバーグリーンの繰る二丁のマシンガンの餌食となり、既にその全てが単なる鉄屑へと変わり果てていた。
その中でただ一人、クアットロは音響攻撃の影響で血まみれになりながらも五体満足の状態である。
その彼女にミッドバレイが近づき、目を細めて血濡れの顔を凝視した。
「やはり・・・か」
ミッドバレイはそう呟くとスーツの懐に手を挿し入れ、脇のショルダーホルスターに吊っていた愛用の拳銃を引き抜くとその照準をクアットロの頭に突きつける。
そんな彼にエバーグリーンが二丁のマシンガンを合わせて元の十字架に戻しながらおもむろに声をかけた。
「どうした?」
「いや、少しばかり加減をしすぎたようでな。僅かではあるがまだ息がある。今トドメを刺す・・」
「待て」
ミッドバレイが続けようとした言葉を壮年の男の強い意思を孕んだ声が遮る。彼が顔をそちらに向ければレジアスがクアットロの様子を見ながら歩み寄ってきた。
レジアスはクアットロに近寄ると乱暴に首を掴み持ち上げるとその首元、ナンバーⅣの数字をじっくりと観察する。
「これは機人の4番か、なるほど・・・使えるな」
レジアスの呟きにミッドバレイは拳銃を静かに懐に仕舞いながら怪訝そうな顔つきでレジアスに声を掛けた。
「どういう事だ?」
「なに、ティーダが殺(や)りすぎたせいでスカリエッティはもう使い物にならん。例の2番の情報ではこいつはゆりかごの指揮担当らしい。
せっかくのゆりかごも我々だけの技術では運用するのに時間がかかるからな。せっかくだ、こいつはきちんと利用してやろう・・」
レジアスはそう言いながら、ドス黒い笑みで意識を失った血濡れの少女を眺める。
それはまるで獲物を視界に捕らえた肉食獣のように獰猛だった。
そして、レジアスはその獰猛な瞳のまま振り返り、三人に命令を下した。
「よし、ティーダはこいつを外へ運び出せ。ミッドバレイはワシと一緒にゆりかご軌道に必要なものを捜索する。エバーグリーンは後からくるオーグマンと共に施設内の残存戦力を掃討しろ。時間を見て動力から爆破しここは完全に潰す!」
△
それからどれくらいの時が経っただろうか。
目を覚ましたスカリエッティが見たのは暗闇だった。施設全体に何かしらの異常が起こっているのか照明が落ちている、降りた防火壁の為に外の明かりもない。
そしてあちこちから伝わる爆発音と振動に施設自体が崩壊しつつあると理解できた。
恐らくはレジアスが目的を終えてここを完全に破壊しようとしているのだろう。
苦痛すら感じない身体にどこか冷静に死が近い事を悟った。
スカリエッティがあと一歩、本当に“あちら側”に落ちる寸前まで死に近づいた時だった。
非常時に対応して自動で降りていた防火隔壁が軋む音を立てて開いていく。
開いた扉の向こうから眩い光が差し込んで、まだうっすらと見えるスカリエッティの眼に痛いくらいに入る。
その開いたドアから小さな影と大きな影のひどく不釣合いな二人組みが入ってきた。これにスカリオエッティは即座に彼らが誰なのか察しが付いた。
そして穴だらけになった肺腑でなんとか空気を吸い込んで声を発した。
「ああ・・・・チンクか・・・遅かったね・・」
喋った拍子に口元にこびりついた乾いた血が剥がれ落ちて不快感を誘ったが、流血によって鈍った感覚はあまり明確に脳には伝えられなかった。
「ドクター!!」
スカリエッティのあまりに凄惨な姿にチンクは隻眼を驚愕と悲壮で染めて駆け寄った。
彼女に続きビヨンド・ザ・グレイヴもまた両手のケルベロスを構えて警戒しながら中へと侵入する。
スカリエッティに駆け寄ったチンクは彼の凄まじい傷を間近で見るや、薄暗がりの中でも分かるくらいに顔を青ざめさせた。
「ドクター、これは・・」
「ああ・・・レジアスに・・こっぴどくやられたよ・・ごふっ!」
「ドクター!!」
スカリエッティは言葉を言い切ることもできず、口から新たな血潮を吐き散らした。
その色は既に生命の色、鮮やかな紅色を失い僅かにドス黒くなっている。
もはや彼の生命が尽きるのは時間の問題だった。
「チンク・・・私は・・・もう限界だ・・」
「だ、大丈夫です! クローン素体を今からでも生体素材保存スペースに行って確保すれば・・」
「それはダメだチンク・・・」
チンクが言いかけた提案をスカリエッティは即座に否定した。チンクはその言葉にまるで虚を突かれたように唖然とする。
「今から向かっても・・・施設の崩落が先では意味が無い・・君達は早く逃げろ・・他の姉妹を連れて・・」
「で、でもドクター・・・そんな・・」
スカリエッティの言葉にチンクはその片方しか開いていない金色の瞳を涙で濡らして哀しげに表情を歪ませる。
そんな彼女を見た瀕死の科学者は僅かに苦笑。唯一動くまともな五体、右腕を上げてそっと彼女の頬を撫でた。
「なあ・・チンク・・頼むから・・私の言葉を聞いてくれ・・・」
「・・・ドクター」
「私にとっては・・・自分の命と同じくらい・・・君達が大事なんだ・・・」
「・・・・・」
スカリエッティの言葉にチンクはそれ以上言葉を繋げることが出来なかった。
少女は嗚咽を堪えながら、ただ綺麗な隻眼の瞳を涙でうんと濡らして小さく頷いた。
「なあチンク・・・ウーノは・・・クアットロはいるかい?」
「え?」
スカリエッティの言葉にチンクは周囲を見回す。するとスカリエッティの正面、数メートルのところに彼女はいた。
いや正確には彼女であったモノとでも表記した方が正しいか・・・
それは酷いものだった。
うつ伏せに倒れたウーノはスカリエッティと同じく腹部への被弾で内蔵をぶち撒けられ、衝撃にへし折られた手足は歪に曲がり、皮膚を突き破った人工骨格が上腕部の肌を引き裂いて腕から露出している。
夥しい死臭、離れていても彼女が既に絶命していると即座に理解できた。
その凄惨な死に様にチンクは唇が裂けそうなほど噛み締めた。そうでもしないと、哀しすぎてここで泣き叫んでしまいそうだったから。
チンクは必死に嗚咽を堪えながらスカリエッティに答える。
「クアットロは見当たりません。ですがウーノなら・・・います・・・そこに・・・」
「そうかクアットロは奴らに・・連れ去られたようだな・・・ではウーノをこちらに連れて来て・・・くれないか・・・」
彼がそう言った時、既にウーノの骸はビヨンド・ザ・グレイヴの手によって抱き上げられていた。
死人は流れる血潮も気にせずただ彼女を抱き上げる。
彼の表情が悲しみに歪んでいるのか、影が重なった薄暗がりの中では見えなかった。
グレイヴはウーノの骸を抱えてスカリエッティに近づくとそのまま彼の隣に彼女をそっと寝かせる。
露になった彼女の顔は血まみれではあったが、ひどく穏やかだった。
それはまるで童話の眠り姫のように・・・
「ははっ・・・馬鹿な子だ・・庇ったところで・・意味など無かったのになぁ・・」
スカリエッティは隣のウーノに顔を向けると、そう言いながら心から愛おしそうに彼女の髪を梳き頭をそっと優しく撫でた。
ウーノを見つめるスカリエッティのその瞳は、今まで誰も見た事がないくらい慈愛に満ちたものだった。
彼はしばらくウーノを見つめると、その視線をチンクに戻して口を開いた。
「チンク・・・さあ、早く行きたまえ・・・私は・・ここでこの子と一緒に死んで上げなければいけないようだ・・」
「ドクター・・・・」
「早くなさい・・・私からの最後の頼みだ・・」
「分かりました・・・」
チンクは短く搾り出すようにそう言うと、グッと涙を拭い去りそのままスカリエッティに背を向けた。
もうこれ以上、彼に自分が情けなく涙を流す様など見せたくは無かったから。
そして背中越しに静かに最後の別れを告げた。
「では・・・・さようなら・・ドクター」
「ああ・・・さようならチンク・・・」
チンクはそのまま顔を伏せ、必死に涙を堪えながらゆっくりと歩き去っていった。
だが彼女が歩いた後には透明な水の雫がいくつも後を残していた。
グレイヴもまたチンクの後の続き場を去ろうとする。
その時、彼に向けて死を目前にしたスカリエッティが最後の力を振り絞って声をかけた。
「待ってくれ・・・グレイヴ・・」
その言葉に死人は黙って立ち止まり、視線を血染めの科学者に向けた。
「・・・・」
「最後に・・・私の頼みを・・・一つだけ聞いてくれないか?」
「・・・・」
縋る様な言葉だった。
いつものふざけた調子でも、見下すような風でもない余裕の無い言葉。心の底から吐く純粋な意思。
グレイヴは何も言わずに、ただ静かに頷いて答える。この返答にスカリエッティは満足そうな笑みを零しながら言葉を繋げた。
「彼女達に戦う事を強いておきながら・・・こんな事を言うのはおこがましいだろうが・・どうか・・・あの子達を・・あの子達の世界を・・・守って欲しい・・」
何度も口から血を流して言い淀みながら、スカリエッティはそう言った。
彼は偽らざる言葉で心からの懇願を死人に頼み込む。
グレイヴはスカリエッティの言葉を聞くと、しばしその言霊を噛み締めるように瞑目して静かに目を開いた。
そしてその隻眼、澄んだ右の瞳で真っ直ぐにスカリエッティを見据えながらグレイヴは口を開く。
「分かった・・・ドクター」
静かな声だった。だがどこまでも澄んだよく通る声で、芯のある強い意思を内包しているそれは、確かにスカリエッティの耳に届いた。
スカリエッティはこの返事に思わず嬉しそう破顔する。
「そうか・・ありがとう・・グレイヴ・・・・はははっ、しかし君に“ドクター”なんて呼ばれたのは初めてだな・・・」
「・・・・」
グレイヴはほんの僅かな時間、スカリエッティを悲しげな眼差しで見つめると踵を返して彼に背を向けてチンクの後を追った。
なにも言葉は掛けなかった、掛ける必要もなかった。
死人はただ静かに心の中で二人のファミリー(家族)に別れを告げた。
並び立って去り行く二つの影を見送り、スカリエッティは静かに呟いた。
「行ったか・・・・」
そう言うと、外へ消え行く二人の影から視線を隣のウーノへ移した。
血濡れに不釣合いな安らかな死に顔を再びそっと愛おしそうに撫でる。
「不思議なものだ・・・死ぬ時というのは苦痛と後悔があるとでも思っていたのだが・・・さしてそうも感じはしないよ・・・」
こびりついた血が乾き、ゴワゴワになったウーノの髪を梳きながらスカリエッティはそう呟いた。
誰も聞く者などいないと分かってはいても自然と口からは声が紡がれていく。
「私が死んでもナンバーズが残ればそれで良い・・・私がこの世に生きた証だ・・・・グレイヴが一緒なんだ・・・きっとみんなを守ってくれるさ・・・・・・それにしても・・・」
そう言葉を続けて、遂にウーノの髪を撫でていた手が止まる。もうそれ以上身体を動かす力はスカリエッティに残っていなかった。
闇に包まれる視界の中、脳裏に思い起こされるのは自分達をファミリー(家族)と呼んだ死人。
最後に最高の笑顔を称えてスカリエッティは言葉を紡いだ。
「ファミリー・・・・か、それも中々・・・悪くないものだ・・」
その言葉の残響が周囲の空気に消えた時、彼の生命はその機能を停止した。
続く。
最終更新:2008年06月24日 14:57