リリカル・ニコラス 第二話「パニッシャー」


青い空と輝く白い雲の下に男はいた。
彼は入院患者が着るようなパジャマを着ており、全身のあちこちに包帯を巻かれている。
傍らに置かれた松葉杖と相まって、大怪我をしたらしいと容易く連想させる。
彼はボンヤリとした表情で、どこか心を吸い込むような青い空をただ静かに眺めていた。

男の名はニコラス・D・ウルフウッド。
かつてまったく別の世界で超異常殺人能力集団GUNG-HO-GUNSとして、ミカエルの眼の殺し屋として、そして人間台風と呼ばれた優しいガンマンの朋友として生きた男である。

ウルフウッドは呆けたような顔で青空を見上げながら、ふと口を開いた。


「ああ、調子狂うで…相変わらずの青さや…」


青空を仰ぎながら火の消えた吸いかけのしけったタバコを咥えてウルフウッドはそう呟いた。
場所は聖王教会に属する病院の屋上、空はどこまでも青く雲は白く輝いている。その光景に、彼はかつての世界で最後に見た空を否応無く思い出した。


「しっかし、どこの世界でも空は青いんやなぁ。しかも“魔法の世界”て……悪い冗談も良いとこやで……実際…」


ウルフウッドはこの世界の人間ではない。
彼が生まれ育ったのは暴力そして銃がものを言う世界。プラントに縋り、乾いた砂の上で生きることを強いられた惑星“ノーマンズランド”。
だが彼は今ここにいる、魔法というものが存在する秩序のある世界、ミッドチルダに。

最初は信じられなかった。
なにせ昨日まで緑も水も無く、手に銃を取り鉛弾の雨を掻い潜るような世界にいたというのに、いきなり平和と秩序のある世界に飛ばされたのだ。
その上“魔法”なんてメルヘンなものまである、彼にとっては悪い冗談以外の何物でもなかった。

「しっかし……なんでワイはこんな場所におんねんやろな…」


何故こんな所に飛ばされたか、詳しい理屈や理由など彼に知る由など無かった。
まあ、検討くらいはついていたが。


「やっぱアレか、トンガリやナイブズの力の影響なんか? ったく…面倒な奴っちゃで、ホンマ…」


あの地での最後の記憶は定かではないが、恐らくこの次元間移動は自立型プラントであるヴァッシュ・ザ・スタンピードやナイブズの影響であると簡単に推測は出来た。
彼らの力以外にこんな天変地異のような現象は起こりえない。
ウルフウッドはもう一度深く溜息を吐いて空を見上げる、脳裏に駆けるのは元いた世界に残してきた友と弟分の二人。


(トンガリ…リヴィオ……すまんわ、しばらくそっちに戻れそうもあらへん…)


ナイブズやレガート達を相手に、きっと壮絶な戦いの中へと向かったであろう仲間を思ってウルフウッドは沈痛な面持ちで瞑目。
傷ついた身体に頼る当ても無い漂流者である彼に今できることはそれくらいだった。


そうしていると、突然ドアを開けて誰かが屋上にやって来た。振り返るまでもなく彼にはそれが誰か理解できる。

毎日顔を合わせていれば嫌でも気配を覚えるというものだ。


「あ! ウルフウッドさん、またここにいたんですか?」
「お前も飽きずにようこんな男に会いにくるなぁ、カリム」


ウルフウッドは、口に咥えたシケモクをピコピコと動かしながら自分を見舞いに来た金髪の美女に向かって呆れたような声をかけた。
彼女はミッドチルダに流れ着き、満身創痍で虫の息だったウルフウッドを助けた命の恩人、聖王教会騎士であるカリム・グラシア。
カリムはウルフウッドを助けてからというもの彼の容態を気にかけて、時間を見ては見舞いに来ていた。二人は今ではもうすっかり顔馴染みである。

ウルフウッドは火のないタバコを口先で揺らしながら、馴染みの顔に軽く会釈した。
そして、カリムはウルフウッドの口の先に咥えられたそれを見るとツカツカと彼に近づいて、むすっとした表情を見せると彼の咥えた煙草を手で奪う。


「病院で喫煙なんて以ての外です!」


整った眉をほんの少し歪めてそう言う彼女の言葉に、ウルフウッドは思わず昔似たような言葉を言われた事を思い出した。


「火ィは点けてないねんけどな」


ウルフウッドは苦笑しながらそう答える。彼のその様子にカリムはまた一段と表情を険しくした。


「もう! 全然反省してませんね? 一応ケガ人なんですから少しは自分の身体の事を考えてください!!」
「ああ…まあ、そう怒るなや……」


ズイと顔を近づけて注意するカリムの気迫に押されてウルフウッドは顔を引きつらせて二・三歩引いた。普段は大人しい印象のあるカリムだが怒るとそれなりに恐い。
そんなウルフウッドとカリムのやりとりに付き添って来ていた尼僧は思わず苦笑した。


「まったく……また騎士カリムに怒られているんですか、ウルフウッドさん?」
「おう、シャッハかいな。ちょい助けてくれや? 恐い姉ちゃんに捕まっとんねん」


ウルフウッドに声をかけたのは、カリムの秘書である聖王教会のシスター、シャッハ。彼は丁度良いところに来たシャッハに、助け舟を求めて手を振る。
そんなウルフウッドの言葉に、カリムは顔を真っ赤にして詰め寄った。まあうら若い美女が“恐い姉ちゃん”呼ばわりされては無理も無い。


「ちょ! 誰が“恐い”ですか!?」
「そんな息巻くなや、それが恐いっちゅうねん」
「またそんな事を言って! そもそもあなたがですね!」


カリムは澄んだ声を荒げてウルフウッドの胸倉を掴むと、彼の身体をガクンガクンと揺さぶった。
彼女の乙女心は大層傷ついているようで、ケガ人のウルフウッドが相手だと言うのに手加減を忘れている。


「イタタっ! ちょ! 傷開く!! シャッハ、助けてくれや~!!」


大いに身体を揺さぶられたウルフウッドは、揺れる度に疼く全身に刻まれた傷の痛みに涙目になってシャッハに助けを求めた。

彼女はヤレヤレと言った風情で苦笑いし、お手上げのポーズを取る。


「お手上げです、あなたの発言にも問題ありますから」
「そう言わんといてえな、いい加減にワイが逝ってまうわ…」
「ヤレヤレですね……騎士カリム、そろそろ本題に移っては?」


シャッハの言葉にカリムはようやく我に返り、ウルフウッドを締め上げていた手を離すと、オホンと小さく咳をして気を取り直した。


「そ、そうですね…」
「ったく、あやうく教会の女に殺されるとこやったで…」
「そんな事を言うから騎士カリムが怒るんですよ?」
「ああ、ハイハイ……分かったわ、今度から気ィつける。 で、ワイになんか用なんか? さっき“本題”がどうこう言うてたやろ?」


そのウルフウッドの言葉にシャッハとカリムは顔を見合わせる。それはまるで、今までの騒がしくも和やかだった雰囲気に少し影が落ちたようだった。


「その……ここではしにくい話ですにで、病室で良いですか?」
「ああ、別に構へんで。ほんなら行こか」


カリムにそう促され、ウルフウッドは松葉杖を付きながら屋上の階段入り口へと向かった。




つんと鼻を突く消毒液の匂いにある程度人が寝起きしている事を感じさせるすえた体臭が混じり、ウルフウッドの入院している病室に独特の匂いを漂わせていた。
まず部屋に一番最初に入ったシャッハが窓を開けて、清涼とした空気を病室に迎える。
少しばかり淀んだ空気が入れ替えられ、たちまち外から爽やかさが入り込む。涼やかで気持ちの良い風を感じつつウルフウッドもまた病室へと足を踏み入れた。
だがその風のもたらす気持ちの良さは一瞬で霧散した、部屋の中に鎮座するある“モノ”の為に。


「これ……どないしたんや?」


目を怪訝に細め、思わずトーンが一つ下がった声でウルフウッドはそう尋ねた。
それを見れば嫌でも血と硝煙の匂いにまみれた殺しの記憶が蘇る、口中には図らずもかつて嫌と言うほど味わった血の味が蘇る。

病室の中央、運ぶ為に使われた台車の上に鎮座する半壊した十字架。
それはかつて彼の手により鉄火を振るった最強の個人兵装。名を“パニッシャー”処刑人の名を冠せられた十字架型重火器。
そして銃はもう一丁、彼の愛用していた拳銃も十字架型の兵器の横に鎮座していた。
この二つの武器はそれこそ己が手足と感じられるほどに長い時をウルフウッドと共に死と破壊を行使してきた得物である。

自然、ウルフウッドの心には複雑なものが宿り表情はひどく曇った。
彼のその様子にカリムもまた表情を強張らせながらも言葉を繋げる。


「あなたが倒れていた場所で見つけました。拳銃はあなたの服に…」
「そうなんか…」

「では、そろそろお聞きしてもよろしいですか? あなたの事を…」


一命を取り留めてからというもの、今の今までウルフウッドは自分の身の上をほとんど話してはいない。
彼の負った傷の深さもあって、身体に負担をかけぬ為にも事情の説明は先送りにされていた。
今まではただの漂流者の民間人であったが、容態が落ち着きコレが見つかってはそうも言ってはいられない。
この世界ではこんな物騒な代物はご法度も良いところだった。

そうして“ナニから話そうか”とウルフウッドが思案して少しばかり黙っていると、カリムがおもむろに口を開いた。


「あなたを手術した医師が驚いていました……その…あなたの身体の傷と…施された数々の施術に…」


カリムは俯き途切れ途切れになりながらそう言った、シャッハもまた顔を伏せて複雑そうな表情になる。

ウルフウッドの身体を治療した医師は彼の身体に刻まれたあまりに凄惨な傷とまともな人間ならばありえない改造処置に言葉を失った。
肉体に無数に撃ち込まれた数十発の銃弾、常人なら数度死んで有り余るほどに投与された代謝促進剤。
管理世界なら、いや、正常な精神を持つ人間ならばあのような処置を人にしはしない。

カリムのその言葉に、自分がどういう存在であるか既にある程度知られたと察したウルフウッドは自分と言う存在の本性を告白し始めた。


「そうやなぁ…ほんなら、まぁ……ワイが孤児院入ったあたりから話そか…」


身寄りの無い、何も持たないどこにでもいる孤児だった。
そして彼は辺境の孤児院に受け入れられた、そこは楽園だった。ドブ泥にまみれずとも、奪わず逃げ回らず生きられる世界。

それがある日終わった。


「ミカエルの眼?」
「ああ……殺し屋の…寄りあいみたいなもんや…」


教会からの誘いと言う隠れ蓑で引き入れられた殺人集団、暗殺結社“死天使(ミカエル)の眼”。
そこであらゆる殺しの手管を血と肉と心に深く深く刻まれ……幼く脆弱な子供から洗練された殺人者へと変えられた。
そして更なる戦闘存在へと昇華させる為に行われた改造処置。

治癒機能・骨格強度・筋力の増強・感覚神経の鋭敏化、戦う為の殺す為の性能を追求され身体を異形へと変えられた。


「代謝機能の強制促進のせいで年をとるのも早い……昔の知り合いに会っても、ワイやと気付くかどうか…」


カリムは絶句した。
いちおうは管理局に籍を置く彼女ではあるが、直に犯罪や血生臭い事象に対峙した経験は皆無である。
そんな彼女に彼の話す半生はあまりに壮絶が過ぎた。

カリムは言葉を失いながら自身の軽率な行為を恥じた。
ウルフウッドの瞳は忘れる事など叶わぬ古傷を抉られて、形容し難い悲しみに満ちていた。
殺人・苦痛・絶望・悲哀、そして濃密な血と硝煙の匂い。それら全ての過去と言う名の鎖が肉体と同化し、彼を縛り付けている。

そこに触れれば鮮血を滴らせ、骨や筋まで剥ぎ取っていく程に……

それは他人が安易に穿り返して良いモノではない、だが自分はそこに軽率にも触れてしまった。
深い後悔の念と罪悪感がカリムの胸中を駆けた。


「すいません……そのようなお話を無理矢理聞いてしまって…」
「ええって。別に気にしてなんかあらへん」
「でも…」
「だから、ええって。どうせその内話さなあかん事やったろ? そないな事いちいち気にすんなや」


カリムの哀しそうな表情にウルフウッドは僅かに悲しみの滲んだ笑顔でそう言うと、彼女の頭をそっと撫でた。
それは、病人と見舞い客との絵にしては妙な光景だった。


「そんでワイはどうなんねや? もしかしてお縄になったりせえへんのか?」
「そんな事ありませんよ。というか…どうしてそうなるんですか?」
「いや、この辺りはああいう物騒なモン持っとるんはご法度なんやろ? ワイめっちゃ違法やん」
「いいえ、そもそも管理外世界に対しては過度の干渉はしないのが常識ですから。そんな心配は無用です。でもそれらの武器はちょっと…」


カリムはそう言いながら巨大な十字架型の重火器と拳銃に目を移す。
ウルフウッドの身柄が法的に罰せられる事は無い、だが彼の持つ最強の個人兵装は別だ。
質量兵器、つまるところ通常火器全般が法的に禁止されている昨今、この馬鹿げた得物はあまりに違法な存在だった。


「そうか…まあ、しゃあないやろな……」


ウルフウッドは苦笑しながら長年愛用した鋼鉄の十字架を軽く手で叩いた。
中身に大量の弾薬を仕込み、多重硬質金属装甲で覆われた十字架銃は鈍い金属音の残響を響かせる。
そして、何故か彼の顔にはどこか寂しげなモノが張り付いていた。


「……」
「ウルフウッドさん、どうなさったんですか?」
「いや……おかしな話なんやけどなぁ…コイツはもう二度と見たぁないって思っとったんや、正味の話。でもな、おかしなもんで…いざ別れるとなると少し寂しいなんて思うとる…」


師に手渡され、殺人と破壊に従事した禍々しい鋼鉄の十字架。
疎ましく思いながらも、土壇場ではいつも信頼してきた戦場の相棒だった。
ウルフウッドはこの歪な兵器に、どこか自分の半生と歩んだ生き方を重ね合わせてしまう。


「まあ…この生き方もワイの人生の一部や……ただ恥るんは…間違ってんのかもしれへんな」
「ウルフウッドさん……」
「でもまあ、ご法度のシロモンやったら仕方あらへんわな。まあスクラップにでもなんでもしたってや」


ウルフウッドはそう言いながら苦笑した。

カリムは思う。
これは単なる武器だ、破壊以外にもたらすものなどありはしない違法な武器、それは変わらない事実だ。
だが、ウルフウッドにとっては違う。この鋼十字には彼のその半生が刻み込まれている。

これ以上彼から奪って良いのか?
理不尽に蹂躙された半生を送り、見ず知らずの場所に飛ばされて、誰も頼る者のいない彼からさらに奪って良いのか?

カリムは一瞬そう思案すると、一つの結論を導き出した。


「ウルフウッドさん、もし良ければこれをあなたにお返しします」
「はぁ!? いや、それ無理やろ?」
「この武器の存在を知っているのは私とシャッハだけですから。口外しなければ大丈夫です」


カリムはそう言いながらシャッハに視線を向ける。
その瞳に込められた意思を感じたのか、シャッハは即座に反論するのを諦めた。
管理局員として、法に従う者としては間違った考えかもしれなかったが、カリムの想いにもまた間違ってはいないと感じたから。


「そうですね、使わなければただの大きな十字架ですし」
「と、言う訳です」


了承の意思を込めたシャッハの返事に、カリムはちょっと悪戯っぽくウインクして微笑んだ。


「そうか。堪忍なぁ、迷惑かけるわ」


ウルフウッドは二人に心からの感謝を込めて礼を言う。
忌まわしい記憶かもしれないが、自分の分身とも言うべきこの長大な武器を捨てずに済んだ事が嬉しかった。


「でも流石にこのまま運ぶんは無理やろ。なんか包む布とかあらへんか? 前はそうして運んどったんやけど」
「それでしたら病院からシーツでも借りましょう」
「あんがとなシャッハ、あと縛るんでベルトとかもくれや……ん?」
「どうしました?」


十字架と拳銃を懐かしげに眺めていたウルフウッドがある事実に気付いた。
彼の記憶、あの砂の星で演じた死闘、最後の戦いの中で自分の装備はまだあった筈だった。


「なあ、ワイの荷物ってこんだけやったんか?」
「え? ええ、確かそれだけでしたよ。何か足りないのですか?」
「ああ、まあな…」


(確か拳銃がもう一丁と薬があと一回分はあった筈やけど……もしかして向こうに置いて来たんか?)



自分が持っていた装備には他にも45口径の愛用の拳銃がもう一丁と回復用代謝促進剤があった筈なのだが、それは影も形も無かったらしい。
あるとしたらやはり故郷に残してきたのだろう。


(置いて来たんやったら有効に使って欲しいわ……無駄にせなよトンガリ、リヴィオ)


遥か彼方、まったく別に次元の星で、ウルフウッドの胸に去来したその願いは叶う事となる。
ダブルファングの二つ名を持つ弟分はウルフウッドへの義理と矜持を貫き通し、彼の残した装備の助けを借りて最強と呼ばれた13番(ロストナンバー)を倒したのだ。

それは、今の彼には知る由も無いことだった。


続く。


アナザーワールド




砂の惑星ノーマンズランド、最後の七都市オクトヴァーンでその男は武器の整備をしていた。
愛用の二丁銃“ダブルファング”にかつての兄貴分が残した拳銃を。
すると、唐突に彼は鼻にむず痒いような感覚を覚えた。


「ヘックション!!!!」
「おいおい、凄いくしゃみだな? 大丈夫か?」
「いえ! 大丈夫ですよヴァッシュさん」
「誰か噂でもしてんのかねぇ」
「ええ、案外ウルフウッドさんかもしれませんね……」
「ああ、ありえるな。あいつならどこかで生きてて、存外そういう事言ってるかもしれない」
「そうですね」


この星に住む人間の命運を賭けたナイブズとの戦いまであと僅か、ダブルファングことリヴィオはウルフウッドの残した得物を手に、彼への思いを馳せた。


(見ててくれよニコ兄、あんたの分も俺はこの星の人を救うよ)

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最終更新:2008年07月17日 20:41