リリカル・ニコラス 第三話 「聖王教会」


「へえ…中々ええやんか、コレ」


ウルフウッドは袖を通した服の襟元を正しながらそう呟く。
入院患者用のパジャマから着替えたそれは、彼が前いた世界で着ていた物とほとんど同じ黒いスーツだった。
ただし以前ウルフウッドが着用していた物よりも数段上等な生地で仕立てられている上物である。
彼はしばし袖を通した感触に満足げな顔で襟や裾を何度か正す。
そんなところにドア越しに澄んだ女性の声がかけられた。


「ウルフウッドさん、着替えは終わりましたか?」
「ああ、もう終わったで~」


ウルフウッドのその返事を受けて軽くドアが開けられ、そこから輝く金髪をなびかせた頭が現れる。
少しだけ子供っぽい仕草で顔をちょこんと出してウルフウッドの姿を確認するのは、彼を助けた恩人である聖王教会騎士カリム・グラシアだった。
こちらを伺うカリムの顔を横目で確認すると、ウルフウッドは正した襟元を見せて着替えが済んだ事をアピールする。
そして彼は壁に立て掛けてあった巨大な十字架、白い布切れに包まれた長年の相棒を担いだ。


「ほんなら行こか」


その言葉と共に、彼はこの数ヶ月間生活していた病室を後にした。




「うっひゃ~、ホンマに緑があるんやなぁ、それにぎょうさん人もおる」


ウルフウッドは初めて目にする管理世界の姿に、目を丸くしてそう感嘆の言葉を漏らした。
退院した彼がカリムに連れられて向かったのは聖王教会本部、管理外世界からの遭難者である彼はカリムを後見人として教会で保護される事になったのだ。
いままで砂と荒野に覆われた乾いた世界しか知らなかったウルフウッドにとってミッドチルダのような世界は新鮮だった。
初めて目にする世界を物珍しそうに眺める彼の姿はひどく童心を感じさせるもので、カリムは思わず苦笑する。


「そんなに珍しいですか?」
「当ったり前や、この前まで荒野だらけのとこで生活しとったんやで? こんな場所向こうじゃそう見られへんかったわ」
「それは大変な世界ですね。でも、ここではこれが普通ですよ」
「うはぁ……早速カルチャーショックや」


未知の世界の常識にウルフウッドは感嘆して空を見上げた。昼間でもうっすらと目視できる二つの月がまた一段とここが異世界である事を伝えている。
教会本部の正面玄関を潜り、広大な敷地を持つ教会内部に足を踏み入れた二人を最初に出迎えたのは見慣れた修道女だった。


「おかえりなさいませ騎士カリム。そしてようこそウルフウッドさん」
「ええ、ただいまシャッハ」
「おう、まあ今日から世話になるで」


シャッハに案内されてウルフウッドが通されたのはカリムの執務室。
広いその部屋には彼女一人が使うには大きすぎるほどの豪奢な机が鎮座し、その両隣を本が敷き詰められた大きな本棚が並んでいる。
正に組織の重役が使うための部屋である、ウルフウッドは初めて目にする上等な部屋の調度にため息を漏らした。


「はぁ~、随分豪華なもんやなぁ。カリムってもしかしてお偉いさんなんか?」
「ええ、騎士カリムはこれでも教会代表者のお一人なんですよ」


ウルフウッドの質問にシャッハがお茶の用意をしながら答える。
彼は少し感心したような顔をするが、当のカリムは恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「ちょ! シャッハ、そんな風に言ったら私が教会の重鎮みたいじゃない…」
「でも教会代表者の一角である事は事実でしょう?」
「そんな……私なんて、まだただの小娘よ」
「なんやぁ? 謙遜かいな。えらい貞淑なんやな~、なんか意外や」


からかうようなウルフウッドの言葉にカリムは顔をさらに真っ赤にして彼に詰め寄る。


こんな風に異性から弄られる事などほとんどなかった彼女にとって、ウルフウッドのからかい半分の冗談は乙女心を簡単に揺さぶってしまう。


「ウ、ウルフウッドさん!? それはもしかしなくても失礼じゃないですか!? ま、まるで私が少しも淑やかじゃないみたいじゃないですか!」
「ああ~、ただの冗談やがな。あんまり怒っとるとシワ増えるで?」
「シ、シワなんてありません!!」


とうとうカリムは少しばかり涙目になってウルフウッドの襟元を掴みガクガクと揺らし始める。
ウルフウッドは冗談を言われて面白いくらい反応する彼女の様子に意地悪そうに苦笑。
そんな二人のやりとりを見ていたシャッハが、そろそろ良い塩梅とばかりに助け舟を出した。


「ウルフウッドさん、あまり騎士カリムを苛めないでください」
「“苛める”って人聞きの悪い、ただの軽い冗談やって。ほれカリム、少し落ち着きや」
「むう…」
「なら良いのですが。それでは立ち話もなんですからとりあえずお座りください」
「ああ、すまへんな」


顔を赤くして胸倉に掴みかかっていたカリムを宥めつつ、ウルフウッドは部屋の隅にパニッシャーを立てかけると、シャッハが引いた椅子に腰掛ける。
いい加減に機嫌を直したカリムも、シャッハが引いた椅子に腰を下ろし彼の正面に座る。
いつの間に用意したのか、シャッハがすかさず二人の前にカップを置いて紅茶を注いで差し出す、温かい湯気を立てて美味しそうな香りが部屋に満ちた。
カリムは“ありがとう”と小さく礼を言ってカップを傾けて少しだけ喉を潤す。
そしてカップを下ろすと共に息を整えてウルフウッドに視線を向けた。


「それでは、ウルフウッドさんの今後のお話をさせて頂きますね」
「ああ、頼むわ。っていうか、ワイはその辺の詳しい話よう分からんのやけどな」


カップに注がれた紅茶を品も何もあったものでない、といった感じに音を立てて飲みながらウルフウッドはそう漏らす。
この世界に来てしばらく経つ彼だが、そのほとんどは入院生活だった。
ミッドチルダや次元世界の言語や社会機構に対する軽いレクチャーを受けてある程度の常識は覚えてはいるが、自分がどのような処遇となるかはチンプンカンプンだった。
元いた星で受けた重傷の治療に見ず知らずの惑星の常識や言語を覚えるだけでも精一杯だったのだ、それは無理も無いことだろう。


「別にこれと言って難しい話はありませんよ。私が後見人となります、今日からはこの教会を自分の家だと思って生活してください」
「そうか……ありがとうな。こないな行き倒れがホンマ迷惑かけて」


先ほどまでカリムをからかっていた雰囲気を一変させて、ウルフウッドはすまなそうな顔で礼を言う。
何かとカリムに冗談を言う彼も、何も頼る者のない世界で救われた恩義には思うところがあるようだ。
彼らしくないしおらしい態度に、カリムは慌てて口を開いた。


「い、いえ! そんなにかしこまらないでください。寄る辺無い人を放ってなんておけません、私は当然の事をしたまでですから」
「そか……なんや、そんな事言っとったらホンマに教会のお偉いさんやな」


カリムの言葉にウルフウッドはまた冗談めいた返事で返した。
そんな態度に彼女は少しだけへそを曲げたように眉を歪める。


「むう…茶化さないでください」
「ああ~、そないな顔すなや。ただのジョークやがな」
「もう…」


ウルフウッドの苦笑にカリムもつられてカリムも思わず表情を綻ばせた。




「よっこらせっと」


担いでいた十字架を壁に立てかけ、ウルフウッドは部屋の電灯のスイッチを入れた。
しばしの明滅の後に点いた電灯の光が部屋に満ちれば、随分とホコリ臭い部屋の全貌が現れる。
人が住まなくなってある程度経っているらしい部屋には最低限の家財道具以外にはなにもない。
ウルフウッドに宛がわれたその部屋は教会の中にある居住区画にある宿舎の一室、本来は修道士や司祭が使う為の部屋である。


「ふい~、ちょいと疲れたわ」


ウルフウッドは緊張感に欠ける声を漏らしながら備え付けのベッドに倒れこむ、少々ホコリが舞うが気にはしない。


退院の手続きや教会やこの宿舎に関する注意事項を説明されたりと色々と忙しい事が続いて、病み上がりの彼に少しばかり疲労を刻んでいた。
あとはゆっくり寝て休むだけだ、一応部屋に寝巻き用に着替えが用意されていたがそれに着替えることさえ面倒だ。
ウルフウッドはホコリ臭いベッドの上でも構わずそのまま睡眠の欲求に忠実に目蓋を閉じようとする。
だが、そこで睡眠とはまた違うもう一つの欲求が生まれた。


「そういえば、もう随分と吸っとらんな…」


タバコが吸いたい、それも無性に。
本来彼は結構なヘビースモーカーである、だが入院生活では病院の売店で買おうにも金が無く、カリムやシャッハに頼んでも彼女達は非喫煙者だった。
懐を探っても、無論の事だがタバコの感触はない。
数ヶ月間おあずけを喰らったヘビースモーカーの喫煙衝動は、自由の身となって抑えがたい程に強くなっていた。


「よし、買ってくるか」


ウルフウッドは気だるい気分を気合で捻じ伏せ、喫煙の願望の赴くままに立ち上がる。
事前に受けた説明で近所にスーパーや日用雑貨を取り扱う店がある事は知っている、金銭面の問題も既にクリア済みだ。
カリムから“もし必要な物があったらこれで買ってください”と幾らか渡されている。
ただ、何から何まで面倒を見られて金まで工面されるのは少しだけ彼の自尊心を傷つけていた。


「ああ~、しっかし……寝食世話されて、金まで貰っとるって……なんやヒモみたいやがな…」


ウルフウッドは少しぼやきながら立ち上がると、ボリボリと頭を掻きながら部屋を後にする。
魔人と恐れられたGUNG-HO-GUNS、ミカエルの眼の選りすぐりの殺し屋がヒモ同然の生活をする。
まるで悪い冗談みたいな話だ。
彼は部屋を後にすると、あらかじめ教えられていた教会の裏口に向かう。
裏口からの出入りに関して教会関係者用のカードキーを渡されているし、監視カメラや警備の人間にも彼のことは伝えられているらしいので障害は特にない。
頭に軽く叩き込んだ地図に従いウルフウッドは迷わず裏口へと向かう。
ちなみに“外出の際には一言声を掛けろ”とも言われていたが、面倒なのでこの際却下する。

そして突如、ウルフウッドは長年に渡ってその身に刻み込んだ鋭敏な戦闘感覚に訴えかけるものを感じた。


『なんや? これは……視線?』


“誰かに見られている”単なる思い込みではなく確実であるという確証を持ってウルフウッドはそう感じた。
どうも部屋を出たあたりから首筋に疼きを感じていたが、それが確信に変わる。
半生の多くを鉛弾が飛び交い血の海が広がる修羅場に置いた彼には、常識や理性の外にある本能の部分で敵を感じる野生的な勘が備わっていた。
その勘が告げる、誰かの視線を、自分を監視する者の意思を。


『誰や? 警備の人間か? いや、それはありえへん。それならわざわざコソコソ監視する必要はあらへん。なら誰が何の目的でワイを監視しとる?』


自分を見つめる謎の視線に思いを巡らせる。
だがこの世界にまだ疎い彼に推理可能な疑問ではない、あまりに未知の部分が多すぎる。


『まあ考えてもしゃあない、直接会って吐かせれば良いだけの話や』


考えるが先か動くが先か、ウルフウッドはその場で突然駆け出した。
病み上がりとは思えぬ俊足、監視者の目も当然追ってくるが、いかんせん突然のダッシュにペースを狂わされたのか瞬く間にまかれてしまう。
監視者の目をいくらか離したウルフウッドはそのまま感じた気配の所へと駆けていく。
まるで野生の狼が嗅覚を頼りに獲物を追うが如く、正確に迅速に距離を詰める。
そして発見したのは緑色の長髪が特徴的な白いスーツの青年。
骨の髄まで染み込んだ殺し屋の習性を最大限に生かして死角を突き足音を殺して近づく。相手はこちらの接近に気付かず無防備な背中を晒している。
そして手を伸ばせばすぐに相手に手が届くような距離まで近づくと、ウルフウッドは気迫を込めた、だが静かな声を発した。


「そこまでや」


ウルフウッドの言葉に青年は驚愕で身体をビクリと震わせる。
それはまるで大型の肉食獣の咆哮に貧弱な草食獣がたじろぐ様に、彼は振り返ることはおろか手を動かす事もできない。
背後から浴びせられるウルフウッドの気迫はそれほどまでに凄絶だった。
殺気だけで動けなくなる、そんな相手が存在する事を彼は生まれて初めて知る。
だが青年は気迫で身動きを封じられながらもウルフウッドに向かって口を開いた。


「一体……何を根拠にここへ? 足がつくようなモノは何もなかった筈ですが…」


青年がウルフウッドを監視するのに使っていたのは“無限の猟犬”と呼ばれる希少技能により魔力で形成した不可視の犬。


魔力はおろか物理的なセンサー類も簡単に察知する事はできない筈だ。
だがこの男、ニコラス・D・ウルフウッドは魔法も何も使わず自分を見つけ出した。
普通ならば考えられぬ事態である。
ウルフウッドは青年の問いに逡巡も淀みもなく、アッサリと答えた。


「そうやな、あえて言うなら勘や」


そう言い切るウルフウッドの言葉に青年は言葉を失った。
およそ戦いの場で対峙して、最も厄介なのはこの手あい。戦略・戦術の一切を捻じ伏せ、ただ闘争の神に愛されているが如くにじり寄る悪鬼。
そう形容してもおかしくはない程にウルフウッドの索敵は悪魔染みていた。
“下手な真似をすればただでは済まない”その認識に青年の背には自然と冷たい汗が流れる。
青年は耐え難い緊張が場を支配し、まるで白刃を喉元に突き付けられるような錯覚すら感じた。

そして静寂は唐突に破られる。


「あっ! ウルフウッドさん何してるんですかこんな所で!?」


空気を読まない黒衣の法衣を纏った金髪の美女が、不機嫌そうな顔でウルフウッドの下に駆けてくる。
彼女はウルフウッドに詰め寄ると、ビシっと指を彼の顔に突き付けた。


「もしかして一人で勝手に外出しようとしてましたね!? “一言声を掛けてください”って言ったじゃないですか!」
「ちょ、カリム…お前空気読めや……これ割り込める空気ちゃうやろ」
「いいえ、割り込ませてもらいます! そもそもあなたは私の言う事をもっとちゃんと…あら? ロッサじゃない? どうしたのこんな所で?」


カリムはプンスカ怒りながらウルフウッドに詰め寄りしっかりお説教をしようとするが、そばにいた義弟の存在にようやく気付いた。


「ああ…カリム……助かったよ」
「なんや、カリムこいつと知り合いなんか?」
「知り合いも何も、私の弟ですよ」
「ええっと…ヴェロッサ・アコースです……どうかよろしく」


緑色の長髪と白いスーツの青年は、ウルフウッドから発せられる気迫が消えてようやくそう自己紹介をする。
彼の名はヴェロッサ・アコース、カリムの義理の弟である管理局の査察官だ。
彼のその顔は魔人とまで呼ばれたGUNG-HOの気にあてられて幾らか蒼白に染まっていた。


「あら? そういえばなんであなたがここにいるのロッサ?」


何故か青い顔をして冷や汗を流している弟の様子を特に気にする風でもなく、カリムは尋ねた。
彼が教会に寄るという話は聞いていなかった、いつもは来る時に一言声をかけるのが普通なだけに当たり前の疑問ではある。


「いやね、カリムが後見人になったっていう身元不明の漂流者さんを一目見ようと…」
「…仕事をサボって遊びに来たと?」
「そうそう、サボって……って! シャッハ!?」


いつの間にか背後を取っていたのは聖王教会一の武闘派シスターことシャッハ・ヌエラ。
そして何故か満面の笑みでトンファー型双剣デバイス、ヴィンデルシャフトを構えていたりする。


「あ、あの…シャッハさん? 何故にそんなモノを持ってらっしゃるんで?」
「それはですね、仕事サボってやって来た査察官にオシオキする為ですよ♪」


シャッハは天使の如き笑みと共にその細い身体から先ほどウルフウッドが発していた気迫に勝るとも劣らぬ強烈な怒りのオーラが噴出してヴェロッサににじり寄る。


「ちょ! シャッハ落ち着いて…これには深い事情が…」
「問答無用!!!」


そして始まる折檻という名の拷問、この日から一週間ヴェロッサが全身打撲の激痛に耐える事となるが、それはまた別のお話。


閑話休題。
ウルフウッドはシャッハの意外な一面に目を丸くする。


「おお…シャッハって意外と容赦ないんやなぁ」
「まあ、彼女はロッサの教育係でしたから。じゃなかった! ウルフウッドさん、あなたのお説教も終わってませんよ!?」
「ちょ……勘弁したってぇな。タバコ買いに行こうとしただけやがな」
「言い訳はいけません!」


こっちもこっちで、プンスカと不機嫌そうに詰め寄ってお説教タイムを始めるカリム。
どうやらこのままでは今日中にタバコを買いに行くのは無理そうだ、そう思いながらウルフウッドはその胸中でヤレヤレと深く溜息を吐く。

ニコラス・D・ウルフウッドが聖王教会で迎えた初めての夜はなんとも騒がしいものになった。


続く。

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最終更新:2008年08月15日 11:11