リリカル・ニコラス 第四話 「Lightning Boy」
聖王教会本部のとある一室、柔らかく温かい木漏れ日が窓から差し込み麗らかな陽気が満ちているその部屋にはカリカリとペンの走る音だけが部屋に響き渡る。
ペンを走らせて書類に必要事項を書き込むのは美しく輝いている金髪を揺らし黒い法衣に身を包んだ美女、聖王教会騎士カリム・グラシア。
カリムはふとペンを動かす手を止めるとそっと顔を上げる、そうすれば目の前にはここ最近自分が後見人となり教会で保護する事となった異世界の男が座っていた。
彼の名はニコラス・D・ウルフウッド、銃と暴力が溢れかえる荒野の星ノーマンズランドからやって来た愉快なテロ牧師である。
ウルフウッドはカリムの執務室の窓辺に備えられたテーブルに腰掛けてブラックコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
聖王教会本部にやって来て一週間あまり、遭難者として管理局に戸籍の仮登録などを終えた彼は特にやる事もないのでこうしてマッタリと過ごしていた。
そしてカリムはペン立てに手にしていたペンを刺すと、おもむろに口を開く。
「ところでウルフッドさん」
「おう、なんやカリム?」
「あなたみたいな人の事を世間でなんと言うか知っていますか?」
「ん? なんやろな、普通に牧師とかやないんか?」
カリムの突然の質問にウルフウッドは手にしていた新聞を一度畳んで頭を傾げる。
彼女の言わんとする事は単なる言葉どおりの質問ではないと思えた。
その語調や笑みには何か裏というか、何か含みが感じられる。カリムは簡単な質問の中に真意を伏せていると直感というか経験で分かる。
ウルフウッドがしばらく考えていると、カリムの傍で資料整理をしていた彼女の秘書兼教会シスターのシャッハがこちらに振り返った。
「なんでも仕事をせずブラブラしている人の事を世間では“ニート”と呼ぶそうですよ?」
「ニート?」
「働かず怠惰な生活を送る無職の人の事だそうです」
「ぶっ!」
シャッハの言葉にウルフウッドは思わず吹き出した。それくらいに彼女の言葉はショッキングな代物であった。
「ちょ! ワイがそのニートなんか!?」
「毎日毎日なにもせずゴロゴロしてるばかりじゃありませんか」
「ヴェロッサだって少しは働いているんですよ?」
カリムとシャッハ、案外容赦ない事を言う。さしものウルフウッドも二人の言葉にはややショックを受ける。
しかしまあ確かに彼女達の言うとおりだ、ウルフウッドは現在絶賛無職、仕事もなくやる事もない。
ぶっちゃけ、プー太郎も良いところだった。
「まあ、そうやなぁ……確かにこのカリムに世話されっぱなしっちゅう訳にもいかんわ。でもなぁ……」
ウルフウッドは顎先を掻きながら思案する。このまま彼女達の厚意に甘えっぱなしというのではあまりに怠惰、せめて自分の食いぶちくらいは稼ぎたいものだ。
しかしその時“自分に何が出来る?”そんな疑問が彼の脳裏を過ぎる。
「ワイに出来る仕事なんぞあるんかいな? こっちで出来る事はそんな多くないで?」
「大丈夫です、そういう事も考えて実は一つ教会の仕事を用意してあるんです」
「へえ、なんや? ワイに出来る事なんか?」
「はい、きっとウルフウッドさんにあった仕事ですよ」
カリムはそう言うと引き出しを開けて一つの書類を出す、それをシャッハが受け取るとウルフウッドの前まで持って来た。
彼はそれを受け取ると一枚目の用紙に書かれた文字に目を通す、そこにはこう書いてあった……
「ウルフウッドさんは、確か孤児院で子供の世話をなさっていたんですよね?」
“聖王教会サンクルス孤児院”と。
△
ウルフウッドがカリムに仕事先を紹介されて数日後、彼は凄まじい戦場にいた。
そう、それは正に戦場と呼ぶに相応しいものだった。
巨大な長方形のテーブルに並ぶたくさんの椅子、そしてそこに座るのは小さい怪物共総勢28人。
彼らは口々に厨房にいるエプロン姿のテロ牧師を囃し立てた。
「ニコ兄~おなかへった~」
「ニコ兄~ごはんまだ~?」
「ご~は~ん! ご~は~ん!」
「あ~! ちょい待て、待てや!! いま作っとるから!!」
まるで小さなモンスターの叫び声のような子供達の催促の声に答えつつ、ウルフウッドはフライパンをせわしなく動かして調理に励む。
凄まじく大きなガス台の上に乗った凄まじく大きなフライパンの上では、これまた凄まじく大量に食材が炒められている。
なにせ食べ盛り育ち盛りの子供が二十数人はいるのだ、作る量は生半可ではない、それはもう気の遠くなるような膨大な量の食事が必要だ。
「ほい、出来たで!!」
ウルフウッドは特大フライパンから特大大皿に料理を盛り付けると、それを即座にテーブルの上に運ぶ。
ドンッ! と置かれたそれに子供達は餓えた獣のように群がった。
恐るべし腹ペコの子供、ウルフウッドが額に汗して作った夕食のおかずは瞬く間に幼い胃の腑へと消えていく。
「ニコ兄おかわり~」
「ニコ兄まだたりない~」
「ニコ兄うんちもれる~」
「ああ、ハイハイ、みんなして叫ぶなや。……っつうか、誰や今“うんち”言うたん!?」
「ケインがうんちもれそうだって」
「ちょ! 待てや!! 今トイレ連れてくさかい!!」
「も、もれる……」
「のわぁっ! 待て!! 男なら我慢せいや!!」
まあそんなこんなで、ウルフウッドはすっかり孤児院に馴染んでいた。
最高に騒がしい食事時を終えてひと段落したウルフウッドは早速憩いの一服をする為に懐を探り出す。
そんな時彼に子供の一人が声をかけた。
「ねえ、ニコ兄~」
「ん? なんやねん? 一応吸う時は外出るで?」
「違うよ、最近来た“あの子”また来てないみたいだよ?」
“あの子”という言葉にウルフウッドの脳裏には即座に最近孤児院に来た子供の姿が浮かんだ。
それはツンツンと逆立った赤毛の少年、ここへやって来てから数日経つがまったく馴染む気配がない問題児である。
「はぁ、例のチビトンガリか……しゃあない、ちょっとワイが見てくるわ」
ウルフウッドはそう言うと吸おうと思ったタバコをもう一度ジャケットの内ポケットに戻して食堂を後にした。
おそらく朝から大して食べていない少年の為に手には軽い食事を持ち、向かうのは孤児院の敷地の隅っこ。いつも彼が膝を抱えている場所。
足を進めること数分、着いてみればいつも通り少年はそこで膝を抱えて泣いていた。
彼にかける言葉を色々と道すがら捜していたウルフウッドだが、これには少しばかり呆れて言葉を忘れてしまう。
とりあえず彼に視界に入る程度に近づいてみた。
「よう泣くな、来たばかりは大抵みんな泣きよるけど3日ぶっ通しゆうのは記録やで?」
ウルフウッドの声に少年は顔をぬぐって顔を上げた。
随分と泣きはらしたらしく真っ赤になった目に思わず苦笑が浮かぶ。
「ニコラスや、とりあえずこれでも喰え」
とりあえず自己紹介をしつつ手に持っていたパンを差し出した。
だが少年はこれを一度顔を上げてチラリと見ただけで、すぐまた俯いて膝を抱える。
流石にこの反応にはウルフウッドも少しだけ腹が立った。
「またコレや、黙って頭低くしてやりすごすつもりなんか? しょうもない奴っちゃで」
このウルフウッドの言葉に、ツンツンとした少年の髪が少しピクリと動いた気がした。
そして今まで無言を貫いていた少年の口が動き、ポツリと言葉を零す。
「……わかるもんか」
「あ?」
「あなたに僕の気持ちなんか分かるもんか! ……自分が何も価値の無い人間だと思わされた事……あなたにあるんですか!?」
それは少年がこの孤児院に来て初めてした意思、心の中に溜め込んでいる鬱屈とした叫びだった。
彼の過去について、あまり表沙汰にはできない事実“プロジェクトF”等についてはぼかされてはいたが、最低限の過去は孤児院の人間に明かされていた。
少年が親から引き離され、親も彼を見捨てたと。
彼は愛していた両親からの裏切りに、自分というモノの存在を否定されたのだ。
しかし、ウルフウッドから言わせれば、自分自身の出自も含めてここでは珍しい話ではない。
溜息を吐いて一拍の間を置くと、ウルフウッドはあっさりと少年に返答した。
「あるな」
「……え?」
予想外の返事だったのか、少年は思わず素っ頓狂な声を漏らした。
そんな彼に、ウルフウッドはポリポリと頭を掻きながら言葉を続ける。
「親に捨てられたんは同情せんでもないが、ええ加減にしとけや。ここにいるガキ共も多かれ少なかれ同じ様な目にあっとる、たらい回しのお荷物で置き去られた上に流れてきたんばっかりや……」
ウルフウッドの視線と少年のそれがふと空中でぶつかり合う。
少年はこの男の瞳を濁らす色に息を飲む、それは言い様の無い哀しい色だった。
そしてウルフウッドは視線を中庭で遊ぶ子供達の方に向ける、少年も彼に習い顔をそちらに向けた。
「ええなお前は……言葉にして拗ねられるんやから……あいつらには表現できへんどんだけの穴があるか想像もできんわ」
トーンの低くなったウルフウッドの声に少年は何か言い出そうとして、でも言い出せなくて口ごもる。
可哀想なのは自分だけじゃない、ここにいる子供達は皆なにかしら問題を抱え込んでいる。そんな事言われなくても聡明な少年の知性は理解していた。
それでも、胸に巣食う悲しみが耐え切れなくてこうしてふさぎ込んで当り散らしたくなるのだ。
少年はもう一度顔を上げてウルフウッドに何か言おうとした。
「むぐぅ!?」
だがそれはできなかった。
少年の口にウルフウッドが持っていたパンをねじ込んだのだ。
「まあそれはともかくや、今は飯喰え」
「むぐぐ! い、いきなり何するんですか!?」
口に突っ込まれたパンを取り出しながら少年は怒るが、ウルフウッドはニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「何ってお前、最初に言うたやろ? 飯喰えって。おんどれがいつまでもグチグチ言うとるさかいワイが食わしたったんやないかチビトンガリ」
「ぼ、僕の名前はそんなんじゃない! っていうかなんですか“チビトンガリ”って!?」
「背がちっこくて頭がトンガットるからチビトンガリや、文句あるんなら名前教えや。ワイかてさっき名乗ったんやから」
ウルフウッドのその言葉に少年はプイとそっぽを向く。
彼がこの孤児院に務めえているのなら自分の事をある程度知っているのは確かだ。
今さら自分の名前を聞いたところで何になるのか。
「孤児院の子供の名前くらい知ってるでしょ」
「ちゃんと自分の口から言えや、礼儀やで?」
まずは最初に互いの名前を教え合う、自己紹介をする、人間関係の一番最初に行う関係構築。それをウルフウッドは求めていた。
少年は確かに世界に絶望していた憎悪していた、だがそれでも完全に人を拒絶しきっている訳ではない。
かつて生きた世界で、こんな風に心を荒ませながらも最後は自分の声に応えてくれた男をウルフウッドは知っていた。
そうだ、あの“泣き虫”も最初はこんな風に拗ねていた。
そして、ウルフウッドの言葉に少年は幾らかの逡巡を経て口を開く。
「エリオです……エリオ・モンディアル」
少年、エリオの言葉にウルフウッドは嬉しそうにニンマリと笑うと彼の頭を撫でた。
クシャクシャと逆立った髪を大きな手でもみくちゃにされてエリオは恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「なんや、ちゃんと言えるやないかエライで~」
「ちょ! こ、子供扱いしないでください!」
「何言うとるねん、子供やろお前は」
そう言うと、ウルフウッドはエリオの頭を軽くポンポンと叩いて踵を返す。
食事も取らせて言いたい事も言った、もう用は済んだのだろう。
立ち去る背中に声をかけようとしたエリオだが、その前にウルフウッドが背中越しに口を開く。
「まあアレや、自分の事グダグダ考えすぎる時間があるなら厨房の一つでも手伝え」
最後にそう言い残し、ウルフウッドは去って行く。
少年はその大きな背中を見つめながら、ただ彼の言葉を胸の内で何度も反芻した。
△
「ニコ兄ごちそうさま~」
「ごちそうさまでした~」
「ごち~」
「おう、よう喰ったな」
子供達が口々にそう言って食事の終わりを告げて手に食べ終わった食器を持って洗い場に並ぶ。
次々に差し出される食器の数々を受け取ると、ウルフウッドはガシャガシャと音を立てて洗っていく。
流石に子供の数が多いのか、食器洗いだけでもとんだ重労働だ。
ウルフウッドが額に汗を流しながらせっせこ食器を洗っていると、ふと彼の隣に小さな影が現れる。
そして小さな手が伸ばされたかと思えば、彼と一緒に汚れた食器を洗い始めた。
「助かるで、チビトンガリ」
手伝いに来た赤毛の少年にウルフウッドは嬉しそうな笑みを浴びせる。
少年は食器の汚れをスポンジで洗い落としながら、彼の言葉に少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
「その呼び方は止めてくださいウルフウッドさん……」
「そうか? なら泣き虫エリオってのはどうや」
「もっと嫌ですよ!」
「ハハ、そう言うなや」
ウルフウッドは無性にエリオの頭を撫でてやりたい衝動に駆られたが、流石に手がスポンジで泡立てた洗剤だらけなので我慢する。
「ならワイの事も他の子らみたいに呼べや」
「分かりました……その……ニコ兄」
「おう、これからよろしく頼むでエリオ」
恥ずかしそうに頬を赤らめたエリオにウルフウッドは心底満足したように笑いかけた。
続く。
最終更新:2008年10月06日 17:41