時は、待たない。始まりはいつでも唐突に、思いもよらない形で訪れる。
<01: Time of darkness>
機動六課。正式名称「古代遺物管理部 機動六課」は、その名の通りロストロギア関連の危険な任務を扱う古代遺物管理部の機動課、第六の部隊だ。10年前の闇の書事件の当事者、八神はやてが設立、部隊長を務めている。
時空管理局内でも特殊な位置付けとなっているこの部隊は、今。完全にシステムダウンしていた。
数分前、間もなく日付が変わろうとしている時刻。
時空管理局のエースオブエース、高町なのはは市街地に出現したガジェットドローンの殲滅に駆り出されていた。
任務自体は比較的容易なものだったが、なのはが駆り出される必要性は無かったと言ってもいい。単に部隊長であるはやての指示だ。その背景にはこんな時間に出てくるガジェットへの不満が少なからず絡んでいたのだろう。
『もう少しで殲滅完了です。がんばってください』
「うん。」
司令室からの通信を受け、微笑みながらそれに返すなのは。
カプセルに似た円錐形の機体を持つそれはガジェットドローンⅠ型と呼ばれる、最も多くみられる種類だった。量産性に富む機種というのは、往々にして性能は低い。なのはにとってⅠ型はただの玩具に等しかった。
戦地の只中とはいえ、無敵のエースは余裕を崩さない。崩れるはずもなかった。
そう、その瞬間までは。
「な、なに…?」
突如襲う、異質に足を突っ込んだ感覚。
体を包む不快な圧迫感。空は暗い緑に染まり、月は異様な存在感を持って辺りを明るく照らしていた。
足元に広がる染みが、夜空の満月を映し出す。
そして、周囲のガジェットは一機残らず機能を停止していた。
「どういうこと…?」
独り言とも司令室への問いかけともとれるその呟きに答えるものは、何もなく。
ただ静寂だけが世界を包んでいた。
「どういうことや!?」
その頃、八神はやて指揮するロングアーチでは、更なる以上事態が発生していた。
周りにいた筈の職員は、全員が棺のようなオブジェと化し、機器系統はすべてが動きを止めているのだ。
「敵の攻撃か…!?」
どんな?どんな敵が、どんな方法でここまで異常な状況を作っているというのだ?
『はやて、聞こえる?』
混乱し、焦るはやての頭に響いた念話は、なのはの出撃にあたり、待機状態であったフェイト・T・ハラオウンの物だった。その声がはやてを幾分か冷静にさせた。
「フェイトか!ってことはそっちも?」
『うん、たぶん、同じ状況だと思う。エリオとキャロが棺桶みたいなものに…』
「…どう思う、この状況?」
『…わからない。けど、まずい状況だとは思う。ライトニングで無事なのは、私とシグナムだけみたい』
「………」
フェイトの言葉に黙り込むはやて。状況がわからない以上、下手に動くこともできない。
職員のほぼ全員がオブジェと化してしまっている今、できることは皆無に等しかった。
なのはは、しんと静まり返った市街地で一人混乱していた。
司令室とも連絡はつかず、相棒であるレイジングハートも呼びかけに答えない。ガジェットも依然動きは見せない。故障か?ちらと思うが、
(そんなわけ、ないか)
全てのガジェットが一律に故障するというのも異様な話だ。
しかしガジェットどころか、まるで時が止まってしまったかのように、なのはの周りに動くものは何ひとつ存在しなかった。
物音もしない世界に変化が生じたのは、なのはがとりあえず移動をしようと歩を進めた時だった。
ぐちゅり。
背後に異様な物音を聞きつけたなのはは振り返り、
(なに、あれ…)
そして、凍りついた。
腕が生えていた。まるでゴムで表面全てを覆ったような、真っ黒な腕。
煌々と輝く満月の光を受けながら、だがその腕は、僅かな輝きも放たない完全な影のようにそこに存在していた。
物音は、それの背後から響いていた。
そして、現れる。十数本もの同じような腕。
「…!」
立ち尽くすなのはの前に、腕ではない別の何かが姿を現す。
その正体は、青白く光る一枚の仮面。
目と口の部分がくり貫かれ、薄い笑みを浮かべているようにも見えるそれが、一本の腕に掲げられている。
ゆっくりと腕が振られれば、まるで仮面が辺りを見回しているかのように見える。
いや、実際「見え」ているのだろう。
動けずにいるなのはを見つめるような形で、不意に仮面の動きが止まった。
微かな金属音と共に、全ての腕に瞬きもせぬ刹那に、銀色の輝きを放つ剣が握られていた。
影の様な腕の中にあって、その剣は異彩を放ち、なのはの目を釘付けにする。
そして、影は迫る。完全に無防備ななのはに向かい、白刃を煌めかせ。
「ひっ…」
悲鳴は出なかった。ただ凍りつくような恐怖に息を引きつらせる。
強烈な死の気配に当てられて、動くこともできない足が笑う。
「レ、レイジングハート!お願い、レイジングハート!!」
なのはは必死の想いで相棒に呼びかけるが、全く応答しないレイジングハートはますますなのはの恐怖心を刺激する。
膝から力が抜け、地にしゃがみこんだ。
仮面はますます狂喜の様相を呈し、射程内に捉えたなのはに向い、腕を振り上げる。
殺される。絶対的な予感がなのはを支配した。それでも尚、その腕に握られた白人から目を離せずにいた。そして、次の瞬間―、
「タナトス!!」
かざされていた腕は宙を舞った。
地面に落下し、べしゃりと音をたてた腕は、しばらく切り離された蜥蜴の尻尾のようにウネウネと動いていたが、やがて動かなくなり、黒い液体となってから蒸発した。
<オォオオオォォォォ!!>
足首程まである黒のロングコートに、獣の頭蓋骨のような上顎と下顎に分かれた銀の仮面。
目があろう場所にはただ空虚な孔があいているだけだ。
棺桶の様な物体を幾つも鎖でつなぎ合わせた外套のようなものを、その身を覆うようにして浮かべている。咆哮はその怪人が発していた。
手には長い剣が携えられ、月光を浴びてその刀身が不気味に輝いている。
その姿は、さながら「死神」。生命を刈り取る剣を携え、棺に入れた死者を冥界へ誘う漆黒の影。
いまだ動けずにいるなのはと異形の前に、黒い服を着た深い藍色の髪の青年が立ちはだかった。
その青年は、片手に銃を持っていた。細身の青年は真っ直ぐに異形を見据える。
そして、黒衣の死神が跳躍した。
一息に異形との距離を詰めると、何が起こったのか理解していないかのように動かずにいる異形の腕を、荒々しく何本かまとめて押さえつけた。
その細腕からは想像もつかぬほどの力を持っているのか、そのうち何本かがぐじゃりと奇妙な音を立てて潰れた。
怪人はそれも意に介さずに、剣を振りかざす。
と、ようやく己の危機に気付いたのか、異形は緩慢な動作で手に持っていた白刃を構えたが、既に遅すぎた。
キン、と僅かな金属音だけを残し、縦一直線に振るわれた剣の一撃で、全てが叩き折られる。
「五月雨切り」と呼ばれるそのスキルが、異形の剣を持っていた腕も、掲げられた仮面も、その全てを両断していた。
異形は辺りに飛散し、黒い液体のように溶けて、霧散した。
そして最後に、獣じみた荒々しい息遣いを上げていた黒衣の怪人の姿が不意にゆらぎ、消えうせた。
全てを終え、青年は銃をクルクルと手の中で回転させ、腰のホルスターに収める。
ただ眼を見開いてその光景を見詰めていたなのはの前に、腕が差し出された。
視線を上げると、端正な顔つきをした青年。なのはを安心させようとしているのか、微笑んでいた。
「立てる?」
その言葉に我にかえったなのはは、膝に力が入らない事に気づき、青年の手を取った。
魔術師は示す。すべての始まりを、物語の、始まりを。
最終更新:2008年09月25日 22:26