―――6

カリム・グラシアの視界に最初に入って来たのは、聖王医療院の真っ白に塗装された天井と、暖色系の光を放つ据え付け型の室内灯だった。
「騎士カリム?」
その声のした方に顔を向けると、カリムのベッドの傍らでシャッハ・ヌエラが椅子に座って心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。
「シャッハ…」
カリムは一言呟いた後、窓の方を振り向く。
空は夜の帳に覆われ、正面に見える大聖堂が、キャンドルライトで仄かにライトアップされているのが見えた。
カリムは、シャッハに顔を向けて尋ねる。
「私…どれ位気を失っていたの?」
「丸一日眠られてました」
「正確には10時間42分29秒です」
シャッハの後ろに控える、同じ修道士服を着たロングのストレートヘアーに感情の読み取れない表情をした若い女性が、空間モニターを操作しながらシャッハの言葉を訂正する。
「と、いう訳です。騎士カリム」
シャッハが苦笑しながら両手を広げて“お手上げ”のポーズを取ると、カリムも笑みをこぼしながら言う。
「相変わらず、ディードの体内時計は極めて正確ね」
「恐れ入ります」
ディード・ハルベルティルダは、丁寧に頭を下げた。

「失礼します」
ディードと同じ顔立だが、ショートヘアーと執事の格好で一見男女か判別の付かない、中性的な雰囲気の女性が、病室に入って来た。
彼女は、ティーポットと二つのカップに、食べやすいように切られた、赤い色の林檎のような実が並べられた皿の載るカートを持っている。
ディードが空間モニターを操作すると、窓側のベッドサイドから折り畳み式のテーブルが迫り出し、同時にカリムのベッドも上半身部分が持ち上がる。
デザートの皿をテーブルに乗せ、紅茶をカップに注いだ後、頭を下げて退出しようとする二人を、カリムは手で制した。
「オットー、ディード。あなた達も一緒にどう?」
カリムの言葉に、ディードとオットー・ハルベルティルダは顔を見合わせると、これ以上ない見事なユニゾンでカリムに尋ねる。
「よろしいのですか?」
カリムは微笑みを浮かべながら、首を縦に振った。

湯温、葉の匙加減共に完璧なオットーの紅茶と、ディードが選んだ丁度いい甘さのデザートがその場の空気を和ませ、暫くの間は和気あいあいとした雑談が続く。
頃合いを見計らって、シャッハは改めてカリムに朝起きた事についてを訪ねた。

「今朝は何故、気を失われたのですか?」
シャッハの言葉に、カリムは自分のティーカップに視線を落として考え込む。
「はっきり言って、私もよくわからない」
そこで一旦言葉を切ると、今度はシャッハの方を振り向いて言葉を続ける。
「起きた時から、目覚めているのに…まるで意識に靄がかかったかのような感じが…」
今度は天井を見上げ、目を細めて何かを思い出そうとする。
「…心が体から切り離されて浮遊しているかのような感覚…何て言ったかしら?」
「夢遊病…ですか?」
シャッハがそう言うと、カリムは頷いて話を続ける。
「そう、まさにそんな感じね。最後に覚えてるのは、礼拝所でオルガンを弾いてる途中、聖王様のステンドグラスを見なければ…という義務感が突然湧き上がった事。そこから先は覚えてないわ」
「そう言えば、陛下のステンドグラスを見上げられてた時、何か口走ってられる様子が見受けられましたが、その事は?」
ディードの問掛けに、カリムは首を横に振りかけたが、ふと何かを思い出したらしく、顎に手を当てて言った。
「ひとつだけ、覚えている言葉があるの」
「何でしょう?」
「“トランスフォーマー”」
「トランス…フォーマー?」
シャッハがオウム返しに答えると、カリムは頷いた。
「どういう意味なのでしょうか?」
シャッハが尋ねると、カリムは首を横に振った。
「私にも分からない。オットー、ディード、あなた達は?」
二人とも首を横に振って、“自分たちも知らない”と意思表示する。
「無意識の中でそれだけ覚えてた…って事は、相当重要な言葉なのでしょうけど…」

突然、カリムの目の前で金色の輝きを放つカードの形をした物体が現れた。
「“プロフェーティン・シュリフテン”!?」
カリムは自らのレアスキル“預言者の著書”が何の予告も無く突然発言した事に、戸惑いの表情を見せた。
「二つの月の魔力が揃っていないのに…、何故!?」
カードは二枚、三枚、四枚と次々に分裂し、やがてカリムの周囲を輪のように囲んでグルグルと回る。
しばらくして、その中からカードが一枚飛び出して、カリムの眼前で止まる。

旧い結晶と無限の欲望が交わる地
死せる王の下、聖地より彼の翼が蘇る
死者達は踊り、中つ大地の法の塔は虚しく焼け落ち
それを先駆けに数多の海を守る法の船は砕け落ちる

「これは…“JS事件”の予言!?」
発現されたカードの文を読んだシャッハが、怪訝な表情をする。
「すでに終わった筈の予言が、何故今になって―――」
シャッハがそこまで言いかけた時、カリムは何時になく厳しい表情で、ハルベル
ティルダ姉妹に言った。
「これから法王様へ拝謁に向かいます。オットー、ディード、急ぎ着替えの用意を」
二人が頭を下げて退出すると、シャッハが戸惑った様子でカリムに尋ねる。
「騎士カリム!?」
尋常でないカリムの様子に、シャッハが戸惑った様子で尋ねる。
「この予言が、“JS事件”を指していないとするなら…」
カリムの言っている意味を理解すると、シャッハは自分の顔から血の気が引いて行くのが分かった。
「予言は、まだ終わってない…?」
詰まり気味にシャッハが言うと、カリムは頷いて厳しい表情のまま言葉を続ける。
「もしかしたら、始まってすらなかったのかも知れない。いずれにしても、至急法王様に報告しなければ…」
オットーとディードが外出着を持ってやって来ると、カリムはベッドから降りながらシャッハに言った。
「シャッハ、あなたも立ち会い人として同行して」
「かしこまりました」
シャッハは頭を下げると、空間モニターを開いて法王直属の秘書官へ、至急法王への面会を取り次ぐよう依頼した。

シャーリーはコンソールに両肘を付いて、目の前でリピート再生されている、フレンジーのクラッキング信号をじっと眺めていた。
「これを解析できる可能性のある人間と言えば…」
シャーリーは独り言を呟くと、モニターから顔を上げて周囲を見回して、誰もが仕事に没頭している事を確認。それから空間モニターをもう一つ開いてコンソールを操作する。
「コピー完了」
その表示が出ると、シャーリーは次には右手首上の時計型空間モニターを操作し、タイマーを起動させる。
1:29:59
タイマーがカウントダウンを始めると、シャーリーは急ぎ足で部屋を出ていった。

ジーンズYシャツにジーパンという、シンプルな服装に着替えて本局ビルを出たシャーリーは、歩道や渋滞で動けない車の間を人々が歩く大通りを五分ほど走った後、何かを待つように路肩に立って大通りを見回す。
シャーリーが待つのは、交通渋滞著しいクラナガンで最近人気の、“シュランピーゲ(運び屋)”という動物や人力によるタクシー便。
暫くして、シャーリーが居る側の路側帯を黒衣のフードで身を包んだ人間を乗せた馬がゆっくりやって来ると、シャーリーは両手を大きく振ってその前へ出た。
「ねぇ、待って待って!」
馬が動きを止めると、シャーリーは騎手が何か言う間も与えず、後ろに素早く飛び乗る。
「どちらまで?」
フードで顔も見えない騎手が、低い、歯車の軋りのような声で行き先を尋ねる。
「43区のイトゥメヌゥ通り、大急ぎで!」
シャーリーの注文を受けて、騎手は馬の脇腹を軽く蹴ると、馬は軽快に大通りの路肩を走り始めた。
「時間はどれぐらい?」
シャーリーの質問に、騎手は前を向いたまま答える。
「大体30分ですな」
「チップは弾むわ、20分で行って!」
シャーリーはそう言って財布から高額紙幣を取り出し、騎手の眼前に突き出す。騎手はちょっとの間紙幣を見つめた後、それを受け取って言った。
「かしこまりました、しっかりおつかまり下さい」
騎手が気合いの声と共に手綱を激しく振ると、馬はそれまでとは段違いの速さで走り始め、シャーリーは振り落とされないよう騎手にしっかりしがみ付いた。

イトゥメヌゥ通りのある43区は、機能性を重視したモダン様式の建物が主流の行政・経済区域とは対照的に、アラビアや東南アジア様式が混ざりあったような、独特の民族様式の建物が密集する区域である。
その裏通りは、イスラム教のモスクと同じ形の屋根をした一軒家や、どこかの次元世界の神々のレリーフが壁一面に彫られた高層アパートなどが、所狭しと立ち並んでいて、陽は路面まで射し込む事はない。
蛙か何だかよく分からない生物の干物がびっしりと吊り下げられたり、得体の知れない不気味な生き物の切身や背開きが並べられた、怪しげな露店がズラッと立ち並んでいる。
露店で買い物または値段の交渉(中には揉めた挙句喧嘩)をしたり、屋台の飲食台で酒を飲み交して談笑(または喧嘩)を年末のアメ横を彷彿とさせる活況を呈する中を抜け、シャーリーは更に細い路地へ入る。
路端のゴミを漁っていた羽の生えた恐竜が、シャーリーに驚いて物陰に身を隠し、安楽椅子に座って水煙草を味わっていた、人間に似たゴキブリ型生物が触角を振るわせながら興味深く見やる。

タイの仏教寺院に似た尖搭の屋根をした、比較的大きな一階建ての家に来ると、シャーリーはチャイムを3回鳴らす。
ドアを開けたのは、黄緑色のTシャツにショーツ短パンの、シャーリーとほぼ同年代だが体格は彼女の三倍はあろうかと言う黒人男性。
シャーリーの姿を見た途端、男性は慌ててドアを閉めようとするが、シャーリーはすかさずドアに足を挟み込んで、それを食い止めた。
「シャ、シャーリー!? 何しに来たんだ」
男性はドア越しに、シャーリーを疫病神を見るような目つきでた尋ねる。
「グレン、あなたの助けが必要になったの」
シャーリーの言葉に、グレン・ホイットマンは表情を歪ませて言った。
「勘弁してくれ。以前、そっちの頼みで交通システムにクラッキングした時、危うくこっちの位置がバレそうになったんたぞ」
「だから、バルゴア社の超高密度チップをプレゼントしたんじゃない。あれ、幾ら掛ったと思ってんの?」
「そういう問題じゃ――」
グレンがそこまで言いかけた時、家の奥から老婆と思われるしわがれた、しかしドスの効いた低い怒鳴り声が響いてきた。
「グレンー! 誰が来たんだい!?」
「友達だよ、お婆ちゃん! 心配しないで!」
それに負けじとでかい声で怒鳴り返した後、グレンは意を決したように、ドアを開けてシャーリーを中に入れる。
「ったく、此処は俺の心の安息所なんだぞ。外界の面倒事は一切持ち込まない事にしてるのに…」
苦虫をつぶした様な表情でグレンが呟くと、シャーリーは若干申し訳なさそうに言った。
「突然お邪魔したのは悪かったわよ。でもそれだけの価値は――」
シャーリーの言葉を遮って、再び祖母の金切り声が廊下の奥から響いてきた。
「グレンー! ロダの実のジュースは何処だい!」
それに対して、グレンも負けず劣らずの大きい声で場所を教える。
「冷蔵庫の二段目の棚の奥だよ、お婆ちゃん!」
「…心の安息所?」
シャーリーの疑わしげな視線に、グレンは笑いで返した。
「ちょっとしたBGM、さ」

グレンはシャーリーと議論しながら、自分の部屋へと入って行く。
そこは、様々な次元世界から集められた品々が溢れ、ちょっとした博物館のような雰囲気を呈していた。
部屋には二人の他、グレンと同じような服装をした、外骨格型の体をした半漁人似の友達が、レイジングハートの形をしたコントローラーを両手で持って、大型の空間モニターにそれ向けてゲームをやっている。
彼はグレンを見ると、モニターを指差して叫んだ。
「おい見ろ! “ブラスターモード”まで来たぞ!」
それを聞いた途端グレンの眼が輝き、シャーリーを放ったらかしに、巨体に似合わぬ猛スピードで部屋を突っ切って友達の横に立つ。
「マジか!? 俺、“エクシード”が精一杯だったのに!」
「マジマジ!! もう少しでスターライトブレイカーが射てる!」」
「おおお! スゲェ!!」
エキサイトするグレン達を、シャーリーは呆れた眼で眺めながら呟いた。
「小学生か…」
そんなシャーリーの事など意にも介さず、二人はゲーム上のなのはが、ゆりかご内でスターライトブレイカーを放とうするのを夢中で見入っている。
「スターライト―――」
画面内上なのはが、クアットロに照準を合わせて永唱するのに合わせて、二人も唱和する。
「ブレイカーッ!」
なのはの凛とした声を、シャーリーの言う小学生レベルの青年二人組の野太いダミ声が掻き消す。
画面がピンク一色に染まると、グレン達は手の平を叩き合わせて、歓声を上げた。

余韻冷めやらぬまま、幾つも空間モニターが表情されている自分の席に座ったグレンに、シャーリーはフレンジーの信号が映る小型の空間モニターを開きながら
、猫撫で声で言う。
「ねぇグレン? 国家機密を覗いてみたくなぁい?」
次の瞬間、グレンの眼の色がまたしても変わり、シャーリーのモニターに手が伸びかけるが、何かを思い出したかのように手を停めた。
「いやいやいやいやいやいや、その手には引っ掛からないぞ! こないだので懲りたからな」
グレンは誘惑を振り切るかのように目を閉じ、首を横に激しく振るが、動揺しているのは誰の目にも明らかだった。
「あらそう? それは残念ねぇ」
シャーリーはそう言いながら、匆体付けた動作でモニターを消して席を立とうとする。
「待った、待ってくれ!」
グレンは慌ててシャーリーの腕を掴むと、ゲームを一時停止させる。
友達が難詰するような眼でグレンを見ると、肩をすくめて申し訳なさそうに言った。
「悪いが少し席を外してくれないか?」
シャーリーも、両手を合わせて頭を下げる。
「ごめんなさいね」
友達はグレンとシャーリーを交互に見比べると、肩をすくめて言った。
「データはセーブしといてくれよ」
友達が退出すると、グレンは周囲を見回してから、シャーリーに声を潜めて尋ねる。
「機密レベルはどれぐらいだ?」
グレンの問掛けに、シャーリーも声を潜めて答えた。
「あんたに洩らしたのがバレれば、あたしは軌道拘置所送りの後、どっかの管理外世界の無人惑星に永久追放されるレベル」
それを聞いたグレンの表情とリアクションは、一番欲しかった玩具を手に入れてはしゃぐ子供のそれだった。

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最終更新:2009年01月09日 23:34