自身に与えられた時空管理局の執務室で、ティアナは一人でコンソールに向かって指を動かしていた。
目の前で点滅する画面には管理外世界から現れた怪物、ワームと風間大介から拝借したマスクドライダーシステムの心臓部とも呼べる水色を基調とする蜻蛉を模した機械、ドレイクゼクターに関するデータが纏められている。
時空管理局全土に向けた広域次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティの発信した映像を見て以来、彼女は寝る間も惜しんで解析に急いでいた。
何故、拘置所に捕らわれていたはずのテロリスト達が脱獄出来たのか。答えは簡単だ、時空管理局に潜り込んだワーム達が拘置所で偽りの報告を本局に向け、その間に脱獄を手引きした――
現にあの映像の直後、管理局は拘置所に向かったが時は既に手遅れ。拘置所の警備をしていた管理局員も捕らわれたテロリスト達も一人としていなかった。
これを受けた管理局は急遽としてワームの対策に力を注ぐこととなる。彼女はまず、かつてワームの対抗兵器として充分な威力を誇っていたドレイクゼクターの解析を行った。
ティアナは送られてきたワームのデータとドレイクゼクターの機能を交互に見る、しかしワームの生体を見て彼女は頭を抱えていた。
視界に収めた生物に関する全ての生体機能を複製し、それに合わせて細胞を変化させた後に外見を変える。
このような非現実的で悪質な性質を持つ生命体など確認された例がない。それはフェイトとエリオを生み出した人造生命創造計画『プロジェクト・F』に酷似していた。
加えて体温を異常に上昇させた末に自身の肉体を強化する『脱皮』と呼ぶ形態変化、『クロックアップ』と呼ばれる高速移動。
唯一の希望が目の前にあるマスクドライダーシステムだろうが、相手はあのスカリエッティを手中に収めている。対策をしている可能性は充分にあった。
けれど、負けるつもりはない。こちらにとって不利な条件が大いに揃っているだろうが、ワームと戦うつもりだ。
コンソールを叩いていると、不意に扉をノックする音が聞こえた。
「お仕事お疲れ様、ティア。入ってもいい?」
声の主は訓練校時代から長年共に付き添ってきたパートナー、スバル・ナカジマだった。
ティアナは残業していることは彼女に教えていなかったはずだが、とほんの少しだけ頭を捻る。
しかし彼女は動かす手を止めて「どうぞ」と答える。
「飲み物持ってきたからちょっと休憩しようよ、あんまり頑張りすぎると体に悪いよ?」
扉を開けて入室してきた親友は、にっこりと笑いながらそう告げた。
救助隊員であることを示す銀色の制服に身を包み、マッハキャリバーを首にかけている彼女の手元には、湯気が昇るティーセットが乗っていた。
「悪いわね、そんなに気を遣わなくても良いのに」
「いいのいいの、それより一緒に飲も? もう朝だし」
ティアナは壁に掛けられた時計に目を向ける、見ると針は既に朝の時間帯を指していた。
どうやら時間を忘れて随分と仕事をしていたらしい。
本当ならば食事を取る時間も惜しいが、その好意を無碍にするわけにはいかない。
「そうね、折角だから頂くわ」
そう言いながらティアナは、スバルの持つ銀色のトレーからガラス製のマグカップを手に取る。その中には紅茶に満たされていた。
口に近づけようとしたその瞬間、湯気と共に昇るオレンジと思われる柑橘系の香りが優しく鼻腔を刺激していく。
その心地よい香りは、まるで全身に溜まった全ての疲労を癒すかのように穏やかで、閉塞的な空間に長時間もの間自分を閉じこめていたというストレスを払拭してくれるようだった。
ティアナはティーセットを自身が使っている机の上に置き、もう一つ備え付けた椅子に座っているスバルに目を向ける。
「良い香りじゃない、スバルが淹れてくれたの?」
「うん、最近勉強したから。このティーセットだってあたしが買ったの」
「へぇ……ちょっと意外ね。あんたにそんなイメージ無かったけど」
鼻で香りを楽しみながら穏やかな一時を楽しむティアナはスバルに語りかけながら、紅茶を口に含む。程よい熱と共に独特の甘みが口内に広がり、それを喉に流し込む。
唇を離した途端、暖かい吐息を無意識のうちに漏らす。体内に流れていく紅茶のように、微かながらの幸福感が彼女の中を駆け巡っていった。
「ティアってさ、最近あのワームって奴らとマスクドライダーって管理外世界で作られた虫みたいなあれについて調べてるんだよね?」
「そうよ、けどいくら調べても謎が増えるだけでゴールが全然見えてこない……正直前途多難よ。まああいつらの対抗策を探す為だから、いくら時間を使ってでも調べるけど」
「そっか、大変なんだね……でも、ティアはやっぱ凄いよ。こんなにたくさんあるデータを纏められるなんて」
「これくらい出来なきゃ、執務官になれないわよ」
そう言いながら、ティアナは備え付けられたスプーンを用いてひとさじ分のミルクを紅茶に入れる。白い波紋がティーカップに入れられた紅茶に広がっていく。
和気藹々としたようなティータイムの最中、ティアナはふとその手を止める。
「そういやさ、あんた最近少し変わったわね?」
「え? どんなとこが?」
「ほら、前だったらあたしがミッドに来たとき、あんたはよくひっついてきたじゃない。けど最近はそれをやってないから……」
「ああ、あれか~……」
スバルはにこやかな笑みを浮かべたままティアナの言葉を遮ると、口に付けていたティーカップをトレーの上に乗せる。中身は全て飲み干したのかもう残っていない。
「ほら、最近思うようになったの。あんなにひっついてるとティアが嫌がるかなって、だから直そうと思ったの」
「……まあ、確かに鬱陶しいと思ったことはあったわね」
「やっぱりか。ごめんね、今まで馴れ馴れしくて」
「でもいきなり何? あんたが……」
スバルがたった今言ったその言葉にティアナは少し違和感を覚え、口を閉ざす。彼女がこのような言葉を使うのだろうか。
自分のやった過去の行いを気にするような人間ではないはずだ、それなのに何故。
それにこのティーセットだって妙だ、いくら気遣いとはいえスバルがこのような物を急に用意するようになったこと自体おかしい。
もしや、ワームが彼女に擬態した――
ティアナがスバルの顔をまじまじと見つめると、彼女は口を開く。
「ん? どうしたのティア」
「いや、別に何でもないけど……」
「あ、もしかしてあたしはあのワームって奴が化けてると思ってるんでしょ。ひど~い」
その言葉によって、ほんの一瞬だけティアナに動揺が走る。
しかしそれとは対照的にスバルは意地悪な笑みを浮かべながら頬を膨らませていた。それは訓練校時代から、ティアナが見慣れているスバルが見せる表情の一つだった。
考えすぎだろうか。きっと、過度の仕事とワームの持つ能力のせいで苛立っているんだろう。
「……んな訳ないでしょうが。いくらワームみたいな能力を持ってる怪物がこの世界にいるからって、あたしはそこまで疑心暗鬼じゃないわ」
「ホントなの~?」
「本当よ本当」
その笑みを保ったまま詰め寄るスバルにティアナは億劫そうに答える。それを聞いたスバルは機嫌を良さそうに無邪気な笑顔を浮かべながら「わかった」と返す。
やはりそれはスバルが普段見せる笑みと何ら変わりのないそれだった。
(やっぱり、只の考え過ぎよね……大体あいつがそう簡単にワームにやられるわけないじゃない……何考えてたんだろ、あたし)
ティアナはそう結論をつけると、スバルの持ってきた紅茶が入ったティーカップに唇を付けた。
「あのさティア、あたしちょっと用事があるからティーセットここに置かせてくれない? 後で取りにくるから」
「ええ、別に良いけど……」
「ありがと。それじゃあ、お仕事頑張ってね」
そう言ってスバルは椅子から立ち上がり、部屋から出て行く。後には、微かな熱が残っているティーセットがあるだけだった。
ふと、ティアナは考える。やはりスバルに擬態したワームなど考えすぎだろうか。
仮に擬態されたとして、本当にワームが擬態したのなら自分を殺して他のワームとすり替えることなど可能なはず。
いや違う、もしかしたら他の可能性もあるかもしれない。
ワームはかつて管理外世界の組織、ZECTの人間すらも安易に殺さずに利用していたと以前ティアナは大介から聞いた。
まさかワームの対策案を練っている管理局を利用し、何かを企んでいる――?
その可能性を浮かべた途端、彼女は首を横に振りながら思考を現実へと引き戻す。
今やるべきことはこのような考案ではなく、ワームとマスクドライダーの解析のはずだ。ティアナは目線を画面へと戻す。
(馬鹿ねあたし……さっきから何なんだろ、こんな事ばっかり考えて……ストレスでも溜まってるのかしら)
胸の中にどこか疑問を抱きながら溜め息を吐くと、ティアナは指を使ってコンソールを叩き続けた。
執務官室から辞去し、建物から出てきた彼女は人気のない通路を歩いていた。
目的を達成し、満足げな表情を浮かべている。その笑みはスバル・ナカジマが浮かべるそれと寸分の狂いもなく同じだった。
いや、それだけではない。鮮やかで蒼いショートカット、エメラルドを思わせるような瞳の色といった身体的特徴から、身体を包む銀と青を基調とした救助隊員の制服。スバルが持つ全ての外見的特徴を再現されていた。
その首には水晶を模した空色のインテリジェントデバイス、マッハキャリバーが下げられている。
「マッハキャリバー、管理局に関するデータの収集は大丈夫よね?」
『問題ありません。ワーム及びマスクドライダー、対策会議の全貌、後日設立予定の機動六課に配置される戦力のデータは既にハッキングを完了しています。先程本部に全て送りました』
「ご苦労様」
『しかし何故ティアナ・ランスターを始末しなかったのです? あそこでワームと入れ替えることなど容易なはず』
自身の意見を述べるのと同時に、マッハキャリバーは輝きを放つ。
「あの女はドクター・スカリエッティがここの連中相手に予定してるゲームの駒の一つだから、ここで始末するわけにはいかないの」
『例のゲームのことですか?』
「そう。人間の一人や二人消えたところでどうってことないと思うけど、駒として見られてるみたいだし」
まあそれだけなんだけどね、と付け加えながら彼女はほくそ笑む。
「あれ、先輩じゃないですか! 探しましたよ」
背後から声が聞こえ、彼女は振り向く。
そこには、彼女がよく知る彼の姿があった。
「……おっと、ここじゃあ『スバルさん』って呼んだ方が良いでしょうか」
「いいや大丈夫だよ後輩君、いつもみたいに呼べばいいし」
彼女はスバルが普段浮かべる笑みと同じ笑顔を作ると、彼の肩を叩いた。
「後輩君、聞いてるよ。君の本物と親しい人間をみんな騙せたんだって」
「ええ、先輩の言う通りでどいつもこいつもちょろいです! あのキャロやルーテシアって化け物使いも、フェイトってクローンも、シグナムってプログラムもみんな僕を本物と思ってるみたいで!」
「あはは、それすっごいわかる! こっちだってみんなあたしのこと本物さんみたいな鉄屑だと思ってるんだもん!」
「ちょっとオーバーな演技をしただけで信じてもらえるなんて、いやもう本当にお笑いですね!」
二人は人間を嘲るかのように笑い声をあげる。
彼女は楽しげな笑みを浮かべている最中、何かを思い出したかのようにハッとした表情を浮かべた。
「おっと、忘れてた。君に渡す物があるんだった」
彼女はポケットの中に手を入れ、中から腕時計状のデバイスを取り出す。
そこには本来エリオ・モンディアルが扱うアームドデバイス、ストラーダが待機状態で彼女の手中に収まっていた。
それを見た途端、彼は興味ありげにストラーダを見つめる。
「これってあれじゃないですか、僕の本物が長年使ってきたデバイスですよね」
「そうよ、あたしのマッハキャリバーみたいに強化して貰ったから頑張りなよ? 今日から君が相棒なんだから」
「へぇ~………わざわざありがとうございます」
彼はストラーダを受け取ると、腕時計を巻くかのように左手首に取り付ける。
『お待ちしておりました、新しいマスター』
「うわっ、喋った!?」
「はいはい、驚かないの後輩君。君はこの機能を知ってたんじゃないの?」
時計が点滅するのと同時に、無機質な機械音声が発せられる。
それはインテリジェントデバイスとアームドデバイスに搭載された機能であることを彼は知っていたが、実際に目にするのは初めてだった為彼は驚いてしまう。
「そうですけど、実際に見るのは初めてで………で、何だい? ストラーダ」
『はい、今日は貴方にご挨拶がしたかったのです』
「ご挨拶?」
『ええ、優良生命体たる貴方は劣化クローンたるかつてのマスターを超える実力があると存じております』
彼の腕の中で、ストラーダは饒舌に語り続ける。
『私は貴方を期待しています、一瞬で先代マスターのあらゆる技を自身の物にしてしまうその技量に感銘を受けました』
「わかってるじゃないか、ストラーダ」
『故に、私は貴方と共に戦えることを光栄に思っております。先代のマスターなど、もはや過去の遺物にすぎません。私を巧みに使ってくれることを祈っています』
ストラーダの言葉は終わる。
途端に、彼の脳内に膨大なるデータが流れ込む。それはストラーダに関する機能、戦闘データ、先代所有者の戦い方に関する物だった。
加えて技の利点、欠点。欠点を補う戦い方。性質。
辺りに静寂が広まりつつある中、彼はそれら全てを一瞬で理解する。
「ねえ、後輩君。提案があるんだけど」
横から彼女の声が割り込み始まる。
彼が振り向くと、目の前に光を放つマッハキャリバーから仮想ディスプレイが開かれた。
そこにはフェイト・T・ハラオウン、キャロ・ル・ルシエ、ルーテシア・アルビーノ、シグナムを初めとした時空管理局、その中でも機動六課に関わりの深い人物が次々と映し出されていく。
「君が使うストラーダのテストとしてこいつらと君の本物を使ったゲームをやろうと思ってるんだけど、どう?」
「何ですか、それ?」
「まあこれを読んでみなよ」
画像が切り替わっていく。
そこに映し出されるのは羅列された多くの文字だった。
全てを読み終えた途端、一気に彼はまるで新しい玩具を得た子どものように瞳を輝かせる。
「……やっべ、これすっげー面白そうじゃないですか!」
「でしょ? 実は言うとあたしね、擬態した君の身体能力とかよく知らないの。だから良い機会と思ってね」
「いいじゃないですか、このゲームに乗ってみますよ!」
彼は心底から愉快そうな笑い声をあげながら、歓喜に震える。
それは、彼のオリジナルからは考えられない行動だった。
彼には整った顔立ちや炎のように赤く染まった赤髪といった外見的特徴が存在する。
それは数年前に時空管理局に設立された部隊、古代遺物管理部 機動六課のライトニング部隊に所属し数々の功績を成した魔導師、エリオ・モンディアル一等陸士と非常に酷似していた。
コンクリートに舗装された人通りの少ない川岸に、四人は佇んでいた。
僅かな暗闇に包まれた空は青みを増し、澄んだ色に満ちている。
頭上の太陽は時間の流れと共に輝きを増し、周囲の風景を照らしていく。 矢車と影山の二人はそれをわざと避けるかのように日陰に座り込み、対照的に剣は空を見上げている。
そんな中でエリオは、ただぼんやりと目の前で流れる川を眺めていた。以前戦ったワームとの勝利以降、鬱屈していた彼の心情はより一層沈み込んでいる。
ここ最近、彼は自分という存在について疑問を抱き始めていた。プロジェクト・Fの技術により、僅か数年でこの世を去った『エリオ・モンディアル』を模して生み出された人造生命体たる自分。人間の記憶と姿を複写し、社会の闇に紛れ込む異形の生物ワーム。
出来ることなら、奴らと同類の存在であると認めたくない。しかし否定することは出来なかった。
劣化クローン。あのワームが自分に対し言ったことは全て当を得ているような気がした。
しかし矢車達に対し、エリオはそれを一片たりとも口にしていない。言ったところでどうなるわけでもないからだ。
自己嫌悪に陥りながら、溜め息を吐こうとしたその時だった。
ーーヒュン。
突如として、空気を裂くような音が耳に入る。
エリオがそれを聞き取ることが出来たのは、プロジェクト・Fによって手に入れた常人を遙かに上回る聴力を持っているからだった。
音がこちらに向かって接近するのを瞬時に察知し、彼は背後を振り向く。刹那、耳をつんざくような爆音と共に目の前の地面が爆ぜる。
爆風によって吹き上がる粉塵は一瞬で風に吹き飛ばされ、周囲の視界は開けていく。すると煙の中から出てくるかのように、その男が姿を現す。
「何だ貴様は!?」
サソードヤイバーを片手に持って叫ぶ剣に続くように、四人は現れた男を睨み付ける。
猛獣を彷彿とさせるような体格を誇り、鋭い視線をこちらに向けながら笑みを浮かべている。
「GURURURURURURU………!」
その男は唇を半月型に歪めながら、まるで獰猛な肉食獣を思わせるような唸り声を漏らす。
黒いジャケットに覆われた岩のように厚く、引き締まった巨漢。肩にまで届くような長さを誇る黒髪。緑色のズボンと漆黒に煌めくブーツに包まれた巨木を思わせる脚。
望んだ物にようやく巡り会えたかの様な歓喜の視線を向けるその男の表情は、狂気の一言以外に存在しない。
原理は全く分からないが、たった今起こった謎の爆発はこの男の仕業だとエリオは判断する。
「お前達か、極上のゲームの相手とは!」
男の出した言葉は、まるでこちらを威嚇しているようだった。
ほんの一瞬、エリオの全身に悪寒が走る。理由はただ一つ、目の前の巨漢からは只ならぬ雰囲気が滲み出ていたからだ。まるでそれだけでも圧倒的プレッシャーを与えられるように。
この男は今まで戦ってきた相手とは格が違う。魔導師として戦ってきた彼はそれを瞬時に察知することが出来た。
他の三人と同じように彼は既に戦闘体型を取っていく。額に汗を流しながらも、空の彼方から羽を羽ばたかせながら現れたザビーゼクターを右手で掴む。
聞く者全てに生理的嫌悪感を与えるような音が響く。音と共にその男の首からはステンドグラス状の痣が這い上がる。
男の目は殺意と狂気に歪んでいく。獲物を狙う血に飢えた猛獣のそれに等しかった。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAーーーーーーーーーーOOOOOOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」
直後、男は天を掲げるように両手を広げながら吠える。辺りの大気を震撼させるような勢いを持っており、ほんの僅かでも気を抜くと吹き飛ばされてしまうようだった。
男の輪郭は陽炎のように歪み始め、形を変えていく。外見を変えたそれは、異形と呼ぶに相応しかった。
白い鬣を蓄えた百獣の王、ライオンを思わせるような頭部。弱者への完全なる蹂躙を許された鮮血に輝く双眸。ステンドグラスの如く鮮やかに彩られた巨岩のような体格。 それを守るかのような蔦を纏う城壁のような鎧。両肩に一つずつ乗っている、造形美を感じさせるようなラッパを吹く人型の頭部。 左肩に刻まれた『ROOK』の文字。
エリオは知り得ることはなかったが、その異形はワームとは別種の異形だった。人間のライフエナジーを餌とする魔の一族、ファンガイア。そして目の前に立つ異形はその中でも次元の違う実力を誇る怪物、ライオンファンガイア。
異形から放たれる圧倒的威圧感を浴びて、エリオはほんの一瞬だけ身震いしてしまう。しかしこのような怪物を相手に逃げるわけにはいかない。
彼は他の三人と同じようにゼクターを変身ツールに装着し、その言葉を告げた。
「変身……!」
『Hensin』
鳴り響く電子音声と共に、左手首に巻いている銀色のブレスレットから粒子が吹き出し、六角形の金属片を作り出す。
手首から肩に、肩から胴体に、胴体から頭部と脚部まで、金属片に包まれていった。やがてそこから銀と黄色を基調とした重厚な装甲が形成されていき、エリオの顔に蜂の巣を思わせるバイザーが装着された仮面が装着される。
そして全ての流れを終えた途端、仮面に付けられたバイザーが輝きを放つ。
同じように、他の三人も変身を完了させていた。
『Change Kick Hopper』
『Change Punch Hopper』
キックホッパーとパンチホッパーの変身ゼクターからは電子音が発せられ、仮面の両眼が鋭いほどに輝く。同時にサソードも、そのバイザーから輝きを放っていた。
四人に囲まれたライオンファンガイアは準備運動でもするかのように右肩を回し、構えを取る。
それが戦いを告げるゴングとなったかのように、ザビーとパンチホッパーは異形の元に飛び込んだ。
彼らはライオンファンガイアの胸部を目掛けて己の拳を撃ち出す。一撃目は空振るが、それに気を止めることなく次の一撃を放つ。
次は左右からそれぞれ肩を標準に定めて神速の速さで撃ち出すが、相手は体を僅かに反らしてしまい、ほんの少し掠めるだけに終わってしまう。
しかしそれでも彼らは目の前の異形を目掛けて二度三度と拳を打ち続ける。ライオンファンガイアの肩、腕、胸部、頬と次々と強烈な一撃を浴びせていく。
片や重量感溢れるマスクドフォームによるザビーの重い一撃。もう片方は威力こそはザビーに劣るものの、スピードに優れ手数の多いパンチホッパーの連撃。
種類の異なる二つの拳を用いれば、相手に付け入る隙を与えることはない。現に目の前の異形は為す術もなく攻撃を浴びてるだけだ。
彼らは拳に力を込めて、目の前の異形を吹き飛ばそうとした――
「ッ!?」
「何!?」
しかし、その一撃は寸前で止められてしまう。彼らはライオンファンガイアに腕を掴まれたのだ。
ザビーとパンチホッパーが驚愕の声を上げた途端、まるでゴミでも捨てるかのように投げ飛ばされる。
ボールが跳ねるかのように地面を数回跳ねてしまい、勢いよく転がってしまうが瞬時に体勢を立て直す。
続くようにサソードが勢いよく地面を蹴り、ライオンファンガイアの皮膚を目掛けて鋭い刃を斬りつける。しかし微かな火花が飛び散るだけで手応えは感じられない。
そのまま力任せに押し込もうとするが皮膚は岩のように硬く、一向に進行が進まない。
やがてライオンファンガイアはサソードヤイバーを片手で掴み、ミシミシと音を立てながら握り締めていく。サソードはそれを振り解こうとするが、ライオンファンガイアが動じることはない。
ライオンファンガイアの力が徐々に増していき、押し込んでくる。しかしサソードは仮面の下で笑みを浮かべていた。
こうも簡単に策に引っかかってくれるとは。
『Rider Kick』
『Rider punch』
サソードが思うのと同時に、聞き慣れた二つの電子音声が耳に入る。
同時に彼はサソードヤイバーを手から離し、横へ跳ぶ。瞬間、サソードがいた場所の背後からは空高く跳躍したキックホッパーとパンチホッパーが、急降下でライオンファンガイアに迫ってくる。
片やキックホッパーはタキオン粒子のエネルギーを込めた左脚を、片やパンチホッパーは渾身の力を込めた自らの右手を向けて、ライオンファンガイアの胸部に突撃する。
ライオンファンガイアはあまりにも唐突すぎる出来事に、サソードヤイバーを握り締めたまま呆然と立ちすくんでいた。このままでは攻撃を受けてしまう。
それは火を見るより明らかだったが、全く身体が動かなかった。
やがて飛蝗を模した二つの異形は、それぞれの武器を生かしてライオンファンガイアの胸を貫く。
「グッ!」
刹那、同時攻撃による派手な爆音を鳴らしながらライオンファンガイアは悲鳴を漏らし、身体が宙を舞う。
大量のタキオン粒子が流れ込むその巨大な体は、コンクリートで作られた灰色の壁に激突し、轟音を立てながら瓦礫に埋もれていく。
投げ捨てられた自身の武器をサソードが拾うなか、ザビーはこの三人をチームワークに感嘆する。サソードと共に再び駆け込もうとした途端、彼はパンチホッパーに止められた。
理由はこの同時攻撃を決める為。矢車達はエリオと出会う以前から、ワームと戦う際にこの戦い方で敵を倒してきた。サソードが止めている最中に、他の二人が必殺の一撃を叩き込む。単純だが、効果の強い作戦。
故にザビーは必要でなかった。もしも、ライダーフォームとなっていたなら話は違っていたかもしれないが、彼はそこまでライダーシステムを使いこなしているわけではない。
何処か複雑な思いを抱えていると、他の三人が構えを取りながら前に一歩踏み出していく。
「どういう事だ……!?」
驚愕が込められたサソードの言葉に、ザビーは粉塵に包まれた瓦礫の方向に目を向ける。瞬間、煙の中から瓦礫と共に飛び出すようにライオンファンガイアが起き上がってきた。
ライオンファンガイアはその身体に付着した土と埃を片手で払い落とし、鋭い眼差しでこちらを見つめる。その様子からはまるで先程の攻撃など何事もなかったことが伺える。
「面白い……面白いぞ!」
ライオンファンガイアの言葉を聞いた途端、ザビーの仮面の下でエリオは冷や汗が流れる。
この怪物とは戦ってはいけないと彼の本能が警戒を鳴らす。
かつて戦ったガジェットドローン、ナンバーズ、マリアージュのいずれをも簡単に凌駕するような威圧感に、無意識の内に彼の中に恐怖の感情が湧き上がっていた。
「モンディアル、ボサッとするな!」
ぼんやりとしていると突如としてパンチホッパーの怒鳴り声が耳に入り、ザビーは我に返る。
そうだ、こんな所で止まっている場合ではない。ここで倒さないと多くの人が犠牲になってしまう。こんな怪物を野放しにしてはいけない。
ザビーは「すみません」とパンチホッパーに謝罪すると、ゼクターウイングを反対側に倒す。途端に彼の全身を守る重厚な銀色のアーマーが浮かび上がっていく。
それに続くかのようにサソードがサソードヤイバーのフルスロットルを深く押し込む。瞬間、ガチャリという音を鳴らしながらザビーと同じように紫色の鎧が上半身から微かに外れていった。
「キャストオフ……!」
「キャストオフ!」
『Cast Off』
『Cast Off』
ザビーが右手をゼクター本体に添えて、百八十度の角度で回転させる。電子音声と共にザビーとサソードの身体を護っていた鎧は弾け飛び、異形に目掛けて走り出す。狙いが狂うことはなく、直撃した。
「ぬっ!」
予想外の攻撃によりライオンファンガイアは両腕で顔を覆う。その隙を逃すことはなく、ザビーとサソードはベルトの脇に備え付けられたスイッチに手を付ける。
『Clock Up』
『Clock Up』
無機質な機械音がゼクターから発せられるのと同時に、彼らの周りを覆う時間の流れが遅くなる。瞬間、ザビーとサソードは姿勢を低くしながら敵の懐に飛び込んだ。
その場に立ちすくんでいるライオンファンガイアを相手にザビーは四肢の全てを、サソードは渾身の力を込めて振るう刃を用いて攻撃を加える。
先程は進撃を押さえつけられてしまったが、今のように速度に差があるのならそれはないはず。
一撃を受けるその度に、ライオンファンガイアは微かながらに揺れる。
それを見たザビーは敵の顎を目的とし、拳を握り締めた。このままのペースで行けばアッパーだけでも吹き飛ばせるだろう。
先を進んでいるサソードの後をついて行くように両足をバネにして地面を蹴り出し、勢いよく目の前に駈ける。
ライオンファンガイアとすれ違うのと同時にサソードはその脇を斬りつけ、傷を付ける。そのままザビーも同じヶ所に拳をぶつけようとした。
しかしその瞬間、彼は自分自身の目を疑ってしまう。強烈な一撃を浴びせようとした途端、ザビーの拳が止められてしまっていた。
そのまま彼の身体は勢いよく空中に投げ飛ばされ、サソードに激突し、まるでボールが跳ねるかのように地面を数回転がってしまう。
『Clock Over』
『Clock Over』
ゼクターからの音声が鳴るのと同時に、彼らの体感時間は通常のそれと変わらない状態へと戻る。
元の時間へと戻ったザビーとサソードは瞬時に起き上がり、ライオンファンガイアへと視線を向けた。それから一呼吸を入れるほどの時間が経った後、その両腕がこちらに向けられる。
「GAAAAAAAAッ!」
その場にいる者全ての耳をつんざくような唸り声と共に指から放たれたのは、円錐型の爆弾。それはライオンファンガイアの周りを囲うように立っている四人の胸部に寸分の狂いもなく、浴びせていく。
直後、爆音と共に彼らの胸部が爆ぜる。しかしその痛みを感じる暇もなく、続くように数多くの爆弾がアーマーに襲いかかっていく。一瞬、ザビーには何が起こったのか理解出来ずにただ苦しむしかできなかった。
流れが止むのと同時に、マスクドライダー達は地面に膝をつけてしまう。激痛によって胸部から全身にじわじわと熱が広がり、仮面の下で視界が歪みながらもザビーはライオンファインガイアを睨む。
それに気付いたのかライオンファンガイアがザビーに視線を向け、殺意の込められた黒い瞳をギラリと煌めかせる。その途端、ザビーの身体にあの威圧感が再び襲いかかった。
あの怪物――ライオンファンガイア――はキックホッパーとパンチホッパーの同時攻撃も難なく耐え、クロックアップをしている自分の存在をも探知し、そこから当たり前のように攻撃を加えた。
加えて万力で潰されたかのような握力。恐らく実力はAAAランクの魔導師を軽く上回るだろう。もし今ここに自身の相棒、ストラーダがあったところで勝てる見込みは限りなく薄い。
やがて、彼の中である恐れがが芽生え始める。
このまま四人で戦ったところで、この怪物を倒すことが出来るのか――?
その途端、ザビーはハッとしたような表情を仮面の下で浮かべながら首を横に振った。いけない、ここで怖じ気づいてる場合じゃないはずだ。
ふと気がつくと、他の三人は既に立ち上がっていて、あの怪物を相手に戦っている。そうだ、今やるべき事はあの怪物を倒すことだ。
ザビーは胸の中に芽生え始めてきている恐怖を振り払うと、ライオンファンガイアの元に駈けだした――
最終更新:2009年07月29日 23:05