眼が眩むほどに美しい太陽の下。
どこまでも続く蒼穹の中、その翼を悠然と羽ばたかせ上へ上へと飛んでいく者が居た。
身に纏うは、白装束。背中から生える翼もまた、美しい純白であった。
大空を羽ばたけば羽ばたくほどに、眼下に見える村も小さくなっていく。
清々しい風が身体を吹き抜け、遥か天に輝く太陽の温もりにまどろみすら覚えてしまう。
今この時だけは、全てを忘れて空を羽ばたいていられる気がした。
それ程までにこの美しい空の心地は良く、彼の心を和ませるようだった。
だが、幸せな時間は長くは続かないものだ。
太陽へ近づくに連れ、彼はその身体に、次第に熱を感じるようになって行った。
このままではいけない。高度を下げなければ。
しかし、そう思った時には、全てが遅かった。
太陽に憧れて、高く高く飛んだ翼は、その熱に熔かされ、見る間に黒く焼け焦げていった。
狼狽する彼の気持ちを知ってか知らずか、ただの燃え糟になり果てた翼は空に溶けて行く。
翼が無くなっては、この大空を羽ばたくことなど出来はしない。
結果として、彼の身体は重力に引かれ急降下して行く事となった。
そして、その先に待っていたのは――泥沼だ。
腐臭が立ち込め、明らかに致死量を超えたガスが周囲を満たしていた。
それでも彼は、底なしの闇のような沼から這い上がろうと必死に足掻いた。
先程まで自分の居場所だった蒼穹へと手を伸ばし、足掻き、もがき苦しむ。
だが、足掻けば足掻くほどに沼の奥底に沈んだ気味の悪い藻が彼の身体を掴み、それは決して離れようとはしない。
やがて彼の身体は完全に泥沼に沈み、どす黒い淀んだ水は咽喉から彼の体内を侵食して行った。
気づけば身体はおろか、指の先まで泥沼に侵され――その身体は最早、人間の物ではなくなっていた。
「そうか……夢、か……」
今この瞬間、全てを理解した。
彼が今まで見ていたもの全てが、夢幻。
蒼穹を翔けるビジョンも、地へと堕ちて行くビジョンも、全てが彼の心を映し出した夢なのだ。
そこまで理解した彼が、周囲を見渡せば、気づけばそこは泥沼では無くなっていた。
どこまでも続く漆黒の暗闇の中、不意に自分の足元を見やれば、そこには死体が横たわっていた。
それも、ただの一体や二体どころの騒ぎではない。
どこまでもどこまでも、彼の周囲にあるものは死体のみ。
身体がひしゃげた死体。四肢を失った死体。骨の髄まで焼き尽くされた死体。
どれも全て、自分に着いてきた仲間たちの死体であった。
「いや、違う」
不意に呟く。
そうだ。断じて違う。こいつらは仲間などではない。
こいつらが仲間であるのならば、「哀しみ」という感情を抱く筈だ。
だが、彼の中にそのような感情は微塵も沸いては来ない。それも当然だろう。
ある者は自分の力に恐れ、またある者は自分の力の恩恵を受けるため。
ここで死んでいる奴らの内、誰一人として孤独な彼の心を理解しようとした奴は居なかった。
この死体の山は全て、己の利益の為だけに彼の後を着いてきた俗物共の、なれの果ての姿だ。
大した力も無い癖に、彼と一緒に居るだけで強くなった気でいる。
そんなどうしようもない屑共を殺して出来上がったのが、この死体の山なのだ。
――或いはその言葉自体が、彼の孤独さを表していたのかも知れない。
彼は寂しげな表情を浮かべながら、その言葉を呟いた。
ただ一言だけ。「誰も僕を笑顔には出来なかった」、と。
そこで、彼の夢は終わりを告げた。
EPISODE.013 覚醒
海鳴市、私立聖祥大学附属小学校―――08:22 a.m.
朝の日差しが、登校中の生徒たちを照らしていた。
一人、また一人と教室に入ってくる生徒たちは皆楽しそうな表情を浮かべていて。
これが本当に平和と呼ぶに相応しい光景なのだろう、と高町なのはは思った。
心配そうな表情を浮かべながら、なのはは背後に視線を送った。
そこにいるのは、教室の後方、二人きりで佇む少女たちの姿だ。
一人は八神はやて。一人はアリサ・バニングス。
遡ること一日、二人はちょっとした擦れ違いが理由で喧嘩をしてしまった。
アリサの方は前前から若干の憤りを感じている節はあったようだが。
結果として、火に油を注いでしまったのははやてなのである。
故に、話を付けようとはやてが彼女を連れだしたのだ。
なのはが見守る中、睨み合うこと十数秒。
やがて沈黙を引き裂くように、二人が同時に声を発した。
「「あの……昨日はごめん――!」」
関西弁と、標準語。
若干のイントネーションは違うものの、彼女たちが言いかけた言葉は完全に一致していた。
お互いにぱちくりと目を見合わせる。
どうやらお互いに謝ろうと思っていたとは、思いもよらなかったようである。
「ううん、私が悪いんや。アリサちゃんの気持ち考えたら、それくらいわかることやったのに……」
「はやて……」
「だから、ごめんなアリサちゃん。昨日はあんなこと言ってもうて……」
はやてが深々と頭を下げた。
見かねたなのはが、横から割り込む。それに追随する形で、フェイトもやってくる。
「私たちも、ごめんねアリサちゃん。もうこれからはアリサちゃん達をのけものにするような事はしないよ」
「友達だもんね、私たち。だって隠し事されるのって、もし私でも嫌だと思う。だから、ごめんね」
「なのは……フェイト……」
なのはに続いて、フェイトがアリサの目の前で頭を下げる。
対峙するアリサはというと、どうしていいのか解らずに慌てている様子であった。
それもその筈だろう。アリサもまた、はやて達に謝るつもりでいたのだ。
それをこうも一方的に謝られてしまえば、何と返せばいいのか解らなくなる。
混乱するアリサの肩にぽん、と不意に手が置かれた。
すずかだ。
すずかはただ、アリサに微笑みを浮かべるのみであった。
だが、何を言いたいのかはアリサにも解る。素直になればいい、と。そう言いたいのだろう。
思えばすずかはいつもそうだった。彼女もまた、アリサにとっての良き理解者の一人であり、親友だ。
やっぱり皆、本当は仲良くしていたいのだ。
◆
木々が生い茂る雑木林の中、彼は眼を覚ました。
木にもたれ掛っていた身体を起こし、周囲を見渡す。
「ここは……」
見れば首から足の先まで、全てが白で覆われた衣類に身を包んでいた。
この世界の外見年齢で表現するならば、彼の年齢はまだ十代中ごろ程度だろう。
それ程に幼く、子供染みた表情を彼は浮かべていた。
ふらふらと数歩歩く。その姿は、やはり何処か頼りない子供のようにも見えた。
されど、彼が放つ異様なまでの気迫は、明らかに子供のそれとは訳が違っていた。
彼はやがて足を止め、先程まで自分が見ていた夢の内容を思い出す。
どこまでも続く常闇の地獄絵図。その頂点に君臨するのは、鬼のような姿をした自分自信だ。
だが、それを思い出したからといって何ということはない。
自分を笑顔に出来ないのであれば、そんな奴を生かしていく意義など無いのだから。
進む先がどこまでも闇ならば、その闇の頂点――究極の闇の道を進むのみ。
彼の行動理念はただ、それだけだ。
ふと不意に、思い起こすのは黒と金の戦士。
黄金に輝く四本角。禍々しく突き出た体中の突起。
身体の隅々から自分と同じ臭いを放つ凄まじき戦士。
されど、燃える様な赤の瞳は、確かな人間の意志を感じさせる。
自分と等しい存在でありながら、自分とは何処かが根本的に違う。そんな矛盾を覚える相手だ。
他の雑魚共等では何百人徒党を組んだところで足りはしない。
そうだ。奴が――クウガが居てくれさえすればそれでいいのだ。
リントの戦士クウガとの決着はまだ着いてはいない。
クウガを連想する彼の表情は、次第に緩んでいった。
「でも……まだ足りないね」
浮かべた小さな笑顔を消し去り、彼はぽつりと吐き捨てた。
足りないのだ、決定的に必要な物が。クウガと決着を着けるために、絶対に必要な物が。
目覚めたばかりの王はまだ、万全ではない。それが足りない事に、彼は僅かな苛立ちを覚えた。
何が足りないのか。彼をの表情を不機嫌たらしめているものは何なのか。
その答えは至って簡単なもの。
単純に“力”が足りないのだ。
今のままでも十分、規格外の力を発揮する事は出来る。
だが、それでもまだ足りない。クウガとの決着は、万全のコンディションで着けなければならない。
究極の闇を齎すもの同士の戦いだ。少しの油断が命取りになりかねない。
彼にこんな事を考えさせた相手は、クウガが初めてだ。
もう少しだけ待ってやろう。今度はお互いの全力を以てぶつかり合い、確実に倒して見せる。
それまでは、力を回復するまでは。クウガとの決着はお預けだ。
そんな事を考え、くすりと口元を吊り上げる。
手の中に転がる金色のかけらをぎゅっと握りしめ、彼はゆっくりと歩きだした。
◆
アリサは、自分の背後で優しい微笑みを浮かべるすずかにやれやれとばかりに小さなため息を落とした。
ふっ、と。自嘲気味に笑みを漏らしながら、目の前の三人に視線を向ける。
やがて、少し恥ずかしそうに目線を泳がせつつも、元気よく言った。
「あー、もう……皆してそんなに謝られたら、私が悪者みたいじゃない。いいから顔を上げてよ」
いつも通りのアリサだ。
いつも通りの表情で、いつも通りの声色で。
頭を下げる三人に顔を上げるように促す。
「そりゃあ私たちには魔法とか無関係だし、なのは達の話もわかるわけないわよ。
まるで魔法が使えない私たちはのけものみたいな、私もちょっと腹が立っちゃうこともあったけど」
言葉を発するアリサの声が、だんだんと小さくなっていく。
「でも」や「その……」などと言った言葉で繋いで、場を持たせる。
次第に何が言いたいのか混乱してきたのだろうか。不意にすずかが、名前を呼んだ。
アリサちゃん、と。それだけで、アリサは何もかもが吹っ切れたような気がした
「と、とにかく! 悪いのははやて達だけじゃなくて、その、えっと……もう、私も悪かったわよ!」
それだけ言うと、少しばかり顔を赤らめて眼前のはやて達から視線を反らした。
何だかんだ言いつつも、やはり気恥ずかしいのだろう。
そんなアリサの心境を察したのか、はやて達三人の表情はいつの間にか明るい笑顔に変わっていた。
「ほな、これで仲直り成立や。今まで通り、この事はもう言いっこなしな?」
元気よく切り出すはやてに、一同は揃って大きく頷いた。
気づけば五人は、つい先日までの笑顔を取り戻していた。
また皆で楽しく笑い合える関係。最も信頼し、共に幸せを噛み締められる、そんな関係。
そうだ、今も昔も、何も変わらない。最初からお互いに距離を取る必要など無かったのだ。
何故なら――
「私たちもこれからは出来るだけアリサちゃんたちにも解るように説明するね?」
「そうだ、魔法の事とか、アリサにももっと解るように――」
「あー、もうそれはいいのよ」
不意にフェイトの言葉が、アリサに遮られた。
何事かと、僅かに眉をしかめる。え?と一言聞き返すフェイトに、アリサは答えた。
「どうせ聞いたってわかんないし、あんたたちにはあんたたちの事情があるんでしょ?
“昨日なにがあった”、とか教えてくれるのは嬉しいけど、私だってもう無理に聞き出そうとはしないわよ」
「アリサちゃん……」
「それに、魔法が使えるとか使えないとか関係ないのよね。だって、それ以前に私たちは……」
――友達だから。
少し照れながら、アリサはそう続けた。
そうだ。魔道師だとか、一般人だとか、そんなものはほんの些細な違いでしかない。
その程度の違いがあったからといって、彼女らの関係は何も変わりはしない。
何故なら彼女たちは……友達なのだから。
◆
時間は流れ、学校へと登校する生徒達もそのほとんどが校舎内に入り終えた頃だった。
登校時間を過ぎた校門の前を通る人間は、そのほとんどがただの通行人だ。
学校に見向きもせずに素通りする者もいれば、家族が通っているのか少し気にかけながら歩いて行く者もいる。
そんな中でも、明らかに不自然な男が一人。
不健康そうな紫色の唇。ぼさついた髪の毛の下、目元には隈が出来ていた。
体中に垣間見えるアクセサリはどれも何処かの国の伝統工芸のようにも見える。
ストリート系のファッションを着こなした男は、自分の長い爪を噛みながら、小学校を睨んでいた。
その目的はただ一つ――復讐だ。
男は嬉しそうににやりと口元を吊り上げ、ぽつりと呟いた。
「クウガの仲間のリント、殺すよ……100人」
最終更新:2009年11月23日 04:31